インテンション

 家に招待されるということは珍しかった。おいでと言われることはあったが、わざわざ招待状を送ってきたという意味では初めてと言っても過言ではない。
「ロヴィーノ、遅かったなぁ。ほら、もう皆集まっとるよ」
 アントーニョの家で出迎えてくれたのはベルギーだった。白いエプロンをしている姿は、まるで昔と同じようにすら思える。明るい笑顔が手招いた。
 昔、スペインで一緒に暮らした皆で会う。それが今宵の招待の理由だ。手の混んだことをなぜしたのかと言えば、なんとなくで済まされるのではないだろうか。それらしくしたかったとかそういう。昔から、楽しいことが好きな人たちなのだ。
「ってことは、ラン兄も、もう来てるのか?」
「うちが連れてきた。大変やったんよ」
 くすくすとベルギーは笑った。お兄ちゃんはいつも意地っ張りで、と歌うように声が伸びる。オランダの性格とアントーニョへの様子からすれば、いつもと同じだろうなと思った。嫌っているというわけではないのだ。直接本人から聞いたわけではないから、推測でしかないけれども。ロヴィーノがダイニングに着くと、ベルギーはアントーニョのいるキッチンにさっと足を向けた。そうすることが普通であるように。
(なんか、懐かしいな)
 リビングの隅の方にはオランダがいて、煙草をふかしている。あからさまに嫌そうな表情。
「親分、お皿並べとくなぁ」
「ありがとうなぁ、ベルギー。ホンマ、いつも気ぃ利く子やねぇ」
 共に過ごしたというけれど、雰囲気はいつもこんな感じだ。アントーニョとベルギーは朗らかな様子で、それにフイと背を向けているのがオランダ。ロヴィーノは二人を手伝うわけでもなく、ただぼんやりとそれらを見ている。なんとなくもやもやとした気持ちを抱えて。
 ベルギーはロヴィーノにとっては姉のような存在だ。いつも笑顔で優しい、アントーニョの元で育った女性の典型のような人だった。おそらく現状では唯一、彼を親分と呼び慕っている。気取ったところはないし、気さくで誰にでも親しみやすい。ロヴィーノはテーブルに置かれたミネラルウォーターを勝手に取って喉に流し込んだ。喉を通る時の少し重い感触から、硬水だろうと思われた。
「ロヴィーノ、もうちょい待っとってなぁ。あ、せや、オランダの相手しといたって」
 キッチンから顔を出したアントーニョは、にこにこと笑ってそんなことを言い出す。向こうの方にいたオランダが「なに言うとるんじゃ!」とこちらに振り向いた。ロヴィーノと目が合うと、複雑そうに視線が逸らされる。本当に相変わらずだった。アントーニョの言葉に従ったというわけではないが、突っ立っていても仕様がない。そんな風に思いながらオランダの方へと近づいた。煙草の煙だけは昔から少し苦手だ。
「ラン兄、相変わらず」
「うるせ……相変わらず言うんなら、お前もじゃ」
 それはどのようなことを指すのだろうかと疑問に思ったが、ロヴィーノはなんとなく聞けなかった。問うてみたところで答えが返ってくるものではない気もしたし、もし即答で図星をつかれたらそれはそれで嫌だ。
 昔と光景が変わらないのだから、オランダの真意がなにであれとりあえず当たっている。台所からは楽しげな声が聞こえてきた。その昔の親分と子分らしい会話だ。ベルギーはアントーニョのことを昔から慮っている。彼女は守ってもらっていることをよく知っていたし、そのためにアントーニョが傷ついていることも知っていた。オランダだって知らぬわけではない。スペイン本国の政策がどうであれ、アントーニョにとっては等しく可愛い子分たちだ。オランダだって彼に守られていた。そしてそれを子分たちは知っている。だからといって、いまさらに彼が態度を変えられないというのも分からないでもないのだが。要するにオランダはちょっと弄れているのだ。それを言うと、十中八九お前もだと返されるのが分かるので言わない。
 紫煙が窓の付近を漂っている。ベルギーは「お兄ちゃん、煙草は身体に悪いからやめた方がえぇと思うよ」と言っていたような記憶があるのだが、オランダは妹の言葉もあまり取り合ってはいなかった。不仲というわけでもないが、兄と妹と言葉で言うよりは近い関係ではないらしい。ロヴィーノとフェリシアーノのように暮らしているのではないし、頻繁に連絡を取り合っているわけでもないようだった。かく言うロヴィーノやアントーニョも、彼ら兄妹と緊密な連絡を取っているわけではないのだが。
(アントーニョとは、よく喋るな――)
 物理的には距離がある。地中海を挟んだ向こうというのは、地図で見るよりも遠い。会話しなければ独りになってしまうような気がしていたのだ。アントーニョは自分から離れて、そのまま遠くで笑っているだけ。ふと、アントーニョとベルギーは緊密に連絡を取り合っているような気がした。たまにアントーニョの家にはベルギーのお菓子らしきものが置いてある。
「ホンマに変わらんな」
 気づいたら台所の方に視線を送っていた。オランダの声に我に返って振り向くと、眉間に皺を寄せた顔がこちらをじっと見ている。いつのまにか煙草は吸い終わっていた。
「アイツら、なにもないんじゃろ」
「……うっせぇ」
 ロヴィーノは、アントーニョのことを愛している。けれど相手には伝わっていない。そしてそれらのすべてを表沙汰にしているつもりはないのに、どうしてか周囲には漏れている。弟には応援される始末だ。情けないというかなんというのか、どのように言うべきか分からない。明確にライバルだと言ってくる相手がいないことだけが救いだろう。
 甘い香りが漂ってきた。昔からよく作っているチュロスにつけるショコラータの香り。テーブルを囲む際にはいつも用意されていたスペインのポピュラーなお菓子。それからパエジャ。台所に立つ二人なんて見慣れていたはずなのに、いまさら見ると胸が痛んだ。笑い合っている姿がとうとつに、恋人同士のそれであるように見えてくる。いつもは気にならないことが気になった。たとえば、アントーニョにとっての自分はベルギーやオランダとなんら変りない存在なのだとかそういうこと。ただ彼の子分であるだけの存在。特別になりたいと欲しているのに、それはちっとも手に入らない。
(好きだって言えば、報われるってのかよ)
 ロヴィーノは、俺の大事な子分やろう?
 そんなこと知っている。好きだと言わない理由は並べればたくさんあるが、きっとこの安らかな関係を壊したくないためなのだ。そんなだからどこへも行きようがないし、しかし現状に甘んじてもいられないで、ベルギーにすら嫉妬してしまう。
「ロヴィーノ、オランダ、二人とも手伝ってやぁ」
 大皿に乗ったパスタを運んできたアントーニョがこちらにほほえみかけると、オランダは苦虫を噛み潰したような顔をした。
「嫌やざ」
 そうして背を向けて、胸ポケットから煙草を取り出してまた火をつけた。
「あ、お兄ちゃん! もう、親分とこで煙草はやめたってな」
 くすくすと笑い合う声が耳にざらついて響く。声が割れている、と感じた。
「ロヴィーノ」
 声が遠く聞こえる。
「ロヴィーノ?」
 二度呼ばれて、ようやく呼ばれていることに気がついた。ロヴィーノが慌てて声のする方に焦点を合わせると、アントーニョが首を傾げていた。
「どないしたん? なぁ、手伝ってや、ロヴィーノ」
「え? あ、あぁ……仕方ねぇから、手伝ってやる」
「ありがとさん! ほんならなぁ、料理運んでぇな。ベルギーやと重いの運ぶんは大変やろ?」
 言うなりアントーニョは台所に戻っていく。ベルギーはオランダの方にすっと向かうと「もうすぐご飯できるさかい」と、喫煙を窘めていた。
「……分かった」
 それらを横目で見ながら、アントーニョの言葉に頷く。台所に入った。立ち込めている家庭風の香りに胸がざわついた。別にベルギーだと大変だろうなとかそういうことを思ったわけでもない。自分はどうしたって彼女の細やかさには敵わないのだけれど、少しくらいは役立つところを見せたいと思ったくらいだった。
「なんや、ロヴィーノはベルギーのことんなると、素直やなぁ」
 それなのに見当外れのことばかり、昔から。違うのだと思っても、微塵も分かってくれやしない。
(ばかやろー)

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