小テストは結局、努力の甲斐もなく、撃沈した。あれから雪子も来て、ちゃんと勉強したことはした筈なのだが。
(あんま、集中できてなかった――)
授業が終わって直ぐに、後ろの友人の状態を察した雪子は「千枝、ドンマイ」と言ってくれたが、乾いた笑いした出てこなかった。隣をちらりと見た所、我等がリーダー月森柚樹はいつも通り、余裕の表情を浮かべていた。気配だけでも、ペンが止まっていなかったし、今回も恐らく満点なのだろう。陽介はどうだったろうかと、そのまま視線を左に移してみたが、表情からは何とも読み取れなかった。千枝程ではなかったらしい。
ホームルームまでショックを引き摺ったままでいたが、雪子は今日は家が忙しいとのことで、慌ただしく帰ってしまった。こういう時は、肉でも食べに行きたいが、雪子だとまたダイエットがと言われそうなので、甘いクレープ辺りでも食べて帰ろうかと思っていたのに、当てが外れてしまって、千枝は机の上で項垂れた。
「里中、もしかして、テストやばかったのか?」
「……花村はできたわけ?」
腕に突っ伏したまま顔を上げる気にもならず、そのままの状態で尋ねた。
「まぁ、なんとかな」
「うわぁん、花村に負けたとか、屈辱……!」
まだ結果は出てねぇだろ、と頭上でツッコミを入れる声がした。
「ってか、いつも里中のが順位いいってわけじゃねーだろが」
学業成績で言えば、実はどっこいどっこいなのである。陽介が上だったり千枝が上だったり、殆ど実力差はないらしく、運とコンディションに依っているのだろうと思われた。小テストだって、普段は同じ感じである。
「月森くんのお陰でしょ」
ちらりと目だけ腕から出すと、陽介はふいと視線を逸らした。
「誰かさんが来ないのがワリーんだろ」
「なによっ、気を利かせたのに」
「だからそれが余計だっつの。お前なぁ」
陽介は肩を上げて溜息を吐いた。
(だって、気になるんだもん)
邪魔をした訳ではないし、悪意もないのだ。悪意がない方が性質が悪いとは偶に言うけれど、本当に、困らせたい等と思っていた訳ではない。
「……花村は、このままでいいの?」
ぽつんと呟くと、陽介は不思議そうに千枝を見た。
「このままじゃないって、どうなんだよ」
「月森くん、春になったら帰っちゃうし、それになにより、モテるじゃん」
雪子だって月森くんが好きかも知れないじゃん。
りせが好きだと公言していることは兎も角、自称特別捜査隊の面々が、月森に一目置いていることは皆が知っている。本当は、親友が月森に積極的な好意を抱いていないことは知っていたが、危機感を持たせる為にも、と、敢えてそんな風に言った。
「アイツがモテモテなのは、前からだろ」
陽介はくすくすと笑うだけだった。その笑顔に、暗い影はない。これ以上は何を言っても意味がない様に思えて、千枝は口を閉ざす。周囲は下校するクラスメイトがざわざわとしていて、不快ではない程度に声が響いていた。
「ね、花村。クレープ食べて帰んない? ジュネスにあるでしょ」
「あれ、肉丼じゃねぇの?」
「甘い物が食べたい気分なの。疲れてる時は甘い物がいいんだって」
「へぇ、意外なこと知ってんじゃん、里中にしては」
「にしては、は余計だっつの」
本当は、雪子に聞いた受け売りの知識だった。脳が疲れている時は糖分が良いのだ、甘い物を食べると良い、と教えてくれた。
「構わねぇけど、もう奢んねぇぞ?」
「いいわよ、べっつに」
腕組みすると、何怒ってんだよ、と首を傾げられた。やっぱりデリカシーの足りない男だ。
「――友達で、いいんだよ」
微かに呟いた言葉が鼓膜に突き刺さって、千枝は腕を解いて振り返った。風みたいに、言葉は消えてしまう。
「クレープの一個くらい、奢ってやってもいいぜ、チエチャン」
ひらひらと右手を振りながらクマの真似をするので、何となく苛立って、グーで殴る真似をした。
「いっちばん高いのにしよーっと」
「ちったぁ遠慮しろよ!」
しーらない、と言って立ち上がった。ガタンと椅子が揺れる。丁度後ろのドアが開いたので振り返ると、見知ったグレーの髪の毛の友人がちらとこちらを見て、直ぐに陽介の方へと歩み寄った。
「帰ろう、陽介」
「へ……お前、用事あったんじゃねーの?」
月森はホームルームが終わると、直ぐに教室を出て行った。そういうことは珍しくもないし、何か用事があるのだろうと千枝は思っていたし、陽介も同じだったろう。帰ってきて、あまつ、共に帰るつもりだったとは思っていなかった。
「いや別に、図書室に本を返してきただけだから。鞄残ってるだろ」
そう言われて月森の席を見れば、確かに革鞄が横に掛けられたままになっている。
「てっきり、用事ができたのかと思って」
「さっきすれ違ったけど、天城、忙しそうだな」
灰色の瞳は、和やかにこちらを見た。
「あ、うん……あー……じゃ、私、帰るね! バイバイ、月森くんも、花村も」
ぴょんと跳ねる様に掛けて、開けっ放しの教室のドアを抜ける。振り返ると、陽介が逡巡しているみたいだったので、首を横に振った。
友達で良い。それ以上は望まない。
(でもきっと、一緒にいたい)
もしも今陽介に呼び止められたなら、先約があるんだ、と言っても良かったのだけれど。