sweet sugar sunset -2

 練習に付き合ってくれたお詫びに、と、翌日の放課後、シュークリームを貰った。購買で買ったそのままだったが、丁度お腹も空いてきた頃だったので、千枝は有難くその申し出を受けた。前に座る雪子にも一口どう、と尋ねてみたが、太るから、と返されてしまった。スリムなのだから、必要以上に体重を気にすることはないだろうと思う。言っても、千枝は運動するから、と怒られてしまうので、言わないでおくに越したことはない。
「里中、なに食ってんの?」
 かぶりついて、カスタードクリームの味に至福を感じていると、後ろから声を掛けられた。シュークリームを頬張りながら振り返ると、こちらを見る櫨色の瞳が笑っている。ガサツな食い方、と言われてムッとして睨んでみたが、効果は薄い。きちんと飲み込んでから「うっさい!」と反論した。
「シュークリームじゃん。購買の?」
「多分ね。貰ったのだから」
「ジュネスのシュークリームも、チープだけど結構美味いぜ?」
 言いながら、陽介はひょいと近付くと、千枝が持っていたシュークリームを奪った。
「あっ、ちょっと! なにすんのよ!」
「へへっ、脇が甘いな、里中さんよ……一口もーらいっと」
 奪われたシュークリームに陽介が齧り付く。潰れたシュークリームからはカスタードクリームがはみ出して、陽介の親指にちょっぴり付いていた。それを舐めとりながら、「購買のも安っぽくてうめぇな」等と、勝手な批評をしている。
「わ、私の、シュークリームー!」
 慌てて取り返すと、先程までは三分の二程はあったそれが、半分にまで減っている。千枝の食べ物への執着心は、肉に限らず強い方であり、行成、食べていた物を奪われたことのショックと相俟って、涙目になって陽介を睨んだ。
「どうしてくれんのよ、花村ぁ! 減った分、返しなさーい!」
 シュークリームのパックを握り締めながら声を上げると、前の席からは「千枝、落ち着きなよ」と友人の声が飛んできた。
「里中、落ち着け」
「月森くんまでー……」
 いつの間にか、隣席の月森もこちらを見ていた。彼の口癖の様な言葉を聞きながら、誰も自分の味方がいないことを千枝は嘆いた。
「大丈夫だよ、千枝。花村君ならきっと、お詫びにステーキ奢ってくれるから」
「えっ、ステーキ!」
 聞こえた単語に思わず千枝が目を輝かすと、後ろで陽介が「うぇっ?」と変な声を出した。
「そういうことだから、落ち着け」
「んなっ! お前もかよ、相棒!」
 そういうことならば、と千枝もにまりと笑みを浮かべた。食べ物の恨みを解消するのは食べ物で、だろう。ステーキならば、シュークリーム等、幾等でも陽介にくれてやっても良い。ならどうぞ、と食べ掛けのシュークリームを陽介に渡そうとすると、両手を振って、断固という様に拒否された。そんな陽介に月森はするっと近付くと、トントンと肩を叩く。
「陽介、シュークリームが好きだったんだ?」
「へ? まぁ、普通に好き、だけど」
 そっか、と言うと、月森は柔らかく目を細めた。
 月森は女子にモテる。クールだが根は良い人だし、何だかんだで優しい所もあるし、外見も非常に整頓されている。千枝の知り合いにも「月森君が憧れ」と公言して憚らない子も少なくはないし、少し話しているだけで視線を感じることも多い。クールな外見は兎に角、目を惹く。しかし、穏やかに笑う姿は、そうそう見ない。
(ま、こういうの見たら、ますます大人気になりそうだけど)
 仲間内でしか見せない顔と言うのか、兎も角、月森は優しげに笑うのだ。特に、親しい、相棒と呼ぶ相手には、無防備に微笑む。
「んじゃ、早速、ステーキ奢って貰うかなーっと」
 受け取って貰えなかった食べ掛けのシュークリームを再び頬張って、千枝はにっこりと陽介に笑い掛けた。今日はバイトが休みなのだと、昼休みに話しているのを聞いている。好都合だ。
 肉があれば、甘い物はもう不要だろう。残りのシュークリームを雪子に「食べていいよ」と渡すと、だからいらないってば、と眉間に皺が寄せられた。
「今日はバイトないっしょ?」
「ったく、しゃあねぇなぁ……」
 高くついた、と陽介はブツブツ言いながらも、机の上に乱暴に乗せられていた、オレンジの鞄を手に掴んだ。
「あぁ、ダメ。今日は俺が先約なんだ。悪いけど、里中は今度な」
 陽介の手首を掴むと、月森は唇の端を上げて、千枝に銀色の瞳を傾けた。
「えぇー! でも、ステーキ――」
「次は奢らせるから」
 な、陽介。月森はそう言ってにこりと笑った。ぴた、と陽介の挙動が止まる。
「そういう訳だから、またな、里中に天城」
 行こう、と手首を掴んだまま、月森は陽介を急かした。クールな見た目に反して、月森はこうと決めたことは曲げないし、意思が非常に強い。眼差しに押される様に、陽介が頷いた。オレンジの光が、耳元を紅く染めている。
(あれ?)
 二人はそのまま、連れ立って教室を出ていった。少し感じた違和感に千枝が首を傾げていると、背中をとんとんと叩かれる。
「千枝、残念だったね。あ、これ、返すから」
 他人事の様に言う雪子に、あげたシュークリームが返却された。
「そんなに気になる? 雪子細いじゃん」
「え? た、体重のことじゃないよ? でも……」
「でも?」
 雪子だって、普通の女子高生らしく、甘い物を好んでいる。どちらかと言えば、和菓子の方が好きだとは言うが、沖奈で二人でケーキ屋に入ることもあるし、シュークリームが嫌いな訳ではない筈だ。
「千枝は気にしてないんだね。だって、その、花村君がさっき食べた、じゃない?」
「食べたんじゃなくて、食べられたの」
 口を尖らせて言うと、雪子は首を横に振った。
「そういうことじゃなくて……」
「もー、雪子、勿体ぶらないでよ」
「か、間接……キスとかみたいで」
 言われた言葉に千枝は固まった。
「なっ、な、な、なななっ!?」
 思わず口元を手の甲で押さえると、雪子はぶふっと急に吹き出した。
「やだ、千枝、今気付いたの? 顔真っ赤だよ」
「わー! ゆゆゆ、雪子が変なコト言うからでしょ!? かっ、かかか、かんせ……」
 触らなくても顔全体が熱を持っていることが分かる。意識した途端に、恥ずかしいと言う感情がじわじわと溢れてきた。
(べ、別に、おんなじ箸とかで食べたじゃん!)
 以前にも、二人の食べていたカップ麺を、月森と陽介にあげたことがある。しかし、どことなく冷静潔癖にして鉄壁な月森は、箸を逆にして食べていたのに対し、ことデリカシーの欠如が著しい陽介は、そのまま口を付けていた。それと同じで、今更と言えば今更だ。
(しかも、花村はぜんっぜん気にしてないし!)
 動揺という意味でならば、余程、月森が『先約』と口にした時の方が、動揺していた様に見えた。
「ごめん、千枝。さ、気にせず食べて」
「食べらんないわよ、そんなん言われて……」
 そんな、些細なことがふと気に掛かる。紅い光が窓から強烈に差し込んで、立っているクラスメイトの影が、黒く長く伸びていた。シャドウのことをふと思い出して、あの長い影が、本人に襲い掛かったらどうなるだろうかと、少しだけ思う。
(そういや、リーダーはシャドウが出なかったんだっけ。花村のシャドウも見たことないし)
 月森に裏表がなさそうだと言うことも去ることながら、陽介のシャドウというのも、何となく想像が出来なかった。いつも軽口ばかりで、軽薄で考えなしのクラスメイト――というのは、以前に寄った印象で、今は、何だかんだで頼れる仲間の一人だが、明るいムードメーカーというクラスでの立ち位置は変わらない。合コン喫茶なんて、どうせ提案が花村陽介に因るのだと、クラスの人間ならば分かる筈だ。分かっていて、支持を集められる。そういう人間に、裏と言われても、ピンと来ない。
 机に引っ付くと「ごめんってば、千枝」と雪子が笑っている。
(王子様、か)
 雪子が嘗て千枝にそうであれと望んだ様に、千枝自身もそうであれば、と望んでいた。王子様か、騎士様か、何れにしても、雪子に頼られる自分でありたいと思っていたのだ。複雑な依存が二人に牙を剥いたとしても、今は、もう恐ろしいことはない。相変わらず、雪子を守るのは自分だと思う。それが、仮令、少し歪だったとしても、二人の友情なのだ。互いが納得してそうしている。
 友人が気にしているので、シュークリームをまた口に運んだ。
(なんか、甘……)
 先程よりも、うんと甘く感じた。

 

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