放課後の教室で頬杖をついていると、同じ様な会話が繰り返されていることに気付く。
「陽介、今日はバイトないだろ? 帰るぞ」
「おう、相棒」
千枝の隣席の月森柚樹と、その背後にいる彼の友人(相棒と呼び合っているが)花村陽介の会話だ。
(男にしては、仲よすぎって感じ?)
性差別する方ではないが、休み時間のトイレまで共に行く様な女子高生とは異なり、男子高生の付き合いとは、もっとさっぱりしたものだと認識していた。現に、月森が転校してくる前は、陽介だって、特定の誰かとばかりいるとか、いつも二人でいる様に見えるとか、そういうことはなかったのである。
転校してきてもう一年程は経つ。ほんの数カ月で、クラスのムードメーカーとなり、男女問わず誰とでも話しているが、千枝の見た限りに於いては、特に親しいという相手はいないようだった。
「里中は天城待ちか?」
つらつらと考えていると、いつものオレンジ色の鞄を肩に掛けた陽介が、千枝の方に軽く手を振った。机にべっとりとくっついていた千枝は、視界を遮るその手が僅かに疎ましく、目を細める。睨む様に見えたのか、陽介は小さく肩を竦めた。どうにも、口より先に足が出る女だと認識されている様である。是正したいと思わないでもないが、所詮花村だし、という感情も強い。結局、足の方が先に出そうなので、何も言わないのである。
「ん、まぁ、そんなとこ」
親友を待つことに理由は余りない。雪子とは登下校を殆ど共にしているし(千枝の方が遅いと、雪子は意外に薄情に先に行ってしまうが)、少し用事が、と態々千枝に告げて離席している以上、千枝が先に帰っているとは彼女は思わないだろう。無論、千枝自身、そうしよう等とは微塵も思わない。
「そうか。じゃあ、暗くならない内に帰れよ」
陽が落ちるのが早くなってきているから、と月森は立ち上がり様に声を掛けた。丁度、オレンジの光が背後から見えて、逆光の顔からは鋭い銀色の眼差しが光っている。
(リーダーって、ホント、イケメンだよねぇ)
まじまじと見ると、変な目で見られ兼ねないので、あっさりと視線は外したものの、八十神高校でも知らない人はないと言われる程の整った顔立ちは、何度見ても感心してしまう。以前は、雪子程の美人は八十稲羽にいないと思っていて、それなりに美形という顔に慣れているつもりはあったのだが。
「お気づかいありがと、リーダー。じゃあね、月森くんも、花村も」
「じゃあな、里中!」
陽介が手を上げた。
(まぁ、黙ってれば、ねぇ)
お隣さんも、まぁ、美形と言えば美形なのかも知れない。クールな月森と比較して言えば、爽やかな雰囲気。
(……カワイイ系?)
僅かに考えて、花村陽介相手に何を、と自分の思考を鼻で笑った。外見がそうだとしても、喋らせればガッカリする。それを最も良く知っているのは、千枝なのだ。
「千枝ー、ごめん、遅くなっちゃって……」
「うぅん、別にいいっていいって」
教室の扉を開けると、ぱたぱたとこちらに駆け寄ってくる親友に、千枝はにっこりと微笑んだ。
「あ、さっき、月森君と花村君に会ったよ。あの二人、良く一緒にいるね」
「だねぇ。私と雪子もそうだけど」
「うーん……女の子とは、違うと思う」
どゆこと、と首を傾げては見たものの、恐らく、先に千枝が考えたことと相違ないのだろう。即ち、男子高生にしては、べったりし過ぎているのではないか。
友情の形は人それぞれだ。前に雪子が話していた所によると、月森と陽介は、河原で殴り合いをしたこともあるらしい。最初に聞いた時は、あの二人は実は仲が悪かったのだろうか、と千枝も驚いたのだが、そうじゃなくて、と雪子は笑いながら更に説明をしてくれた。雪子が言うことには、その殴り合いというのは、友情の儀式みたいなものらしい。全く、これだから男は分からない。
(私と雪子が殴り合いとか、多分、マジ喧嘩だよね)
殴り合う雪子と自分は想像出来ないにしても、男子的な青春としての喧嘩や殴り合いは、恐らく女子には理解出来ないのだ。確かに、もやもやとした感情や鬱屈を抱えたままでいれば、シャドウに出てくる様に、心の内側に膿が出来てしまうということも有り得よう。けれど、やはり、殴り合って分かり合う、は、無理だ。言いたいことも、言えないこともある。それも友情の形だろう。
「ねぇ雪子」
「何?」
「私に言いたいこととかって、ない?」
思わず気になって聞いてしまうと、学生鞄に教科書を詰め込んでいた雪子は、手を止めて振り返った。その宵闇を思わせる真っ黒な瞳は、不思議そうに何度も瞬きを繰り返す。
「えーと、別に、他意はないよ?」
「私も言いたいことはないよ?」
「そっか。だよね。私もない」
雪子はまだ、千枝の発言の意図を掴もうと考え込んでいる様だったが、早く帰らないと、と千枝が急かすのに従い、再び下校の支度に戻った。既にリュックサックを背負っている千枝は、頬杖をつきながら、友人の支度を待つ。
(……雪子って家でも勉強してんのかなー。教科書持って帰ると重いよね)
(月森くんも、鞄に入れてたっけ。あ、花村はどうだろ)
そんなことを思うと、悪戯心が擽られて、そっと斜め後ろの陽介の机の中を覗き見た。中には明日使う教科書もノートも入っている。意外と整頓されていて、その部分だけ少し驚いた。
「千枝、何してるの?」
「花村も置き勉してるかなーって」
「学期末試験は範囲が広いから、早めにやっておいた方が良いよ?」
成績優秀な友人の的確過ぎる忠告には肩を竦めて誤魔化す。多分また、テスト前に彼女に泣き付くのが関の山だろう。と、言うよりも、今から持ち帰ったとて、どうせ勉強しやしないのだ。無意味な労働は、鍛錬とは違うから遠慮したい。
「あ、ねぇ千枝、ちょっといいかなぁ?」
背後から掛けられた声に振り返ると、クラスメイトがちょいちょいと手招きしていた。思わず雪子の方を見る。彼女はどうぞ、とばかりに右手を差し出した。それに頷いて席を立つ。
「お願い! 今から付き合って欲しいんだけど!」
行成、パンッと両手を合わせて拝まれた。何事かと数歩下がろうとすると、ガシッと右手首を掴まれる。
「えーっと……」
背後の方に視線を送ると、紅いヘアバンドが小さく揺れているのが見えた。
「肉丼奢るから!」
「雪子ごめん、先帰ってて!」
思わず口を衝いて出た言葉に、雪子は口元を押さえると、身体をくの字に折り曲げた。
(あ、スイッチ入ったかも)
クラスの中では、今でも雪子は『天城越えの人』だ。その雪子の爆笑スイッチが入ったとなれば、絶対に皆が驚く。千枝が友人のキャラ崩壊を懸念してじっと見守っていると、ふるふる震える雪子は、暫く顔を上げなかった。堪えているらしい。
「い、良いよ、千枝……っ! いってらっしゃ……っ」
(これは、肉に釣られる女だと思われてんな)
その通りなのだが、そういう認識は中々に複雑である。肉食獣等と言われたこともあるので、気にしていることは気にしているのだ。しかし、肉はやはり正義というか、この曖昧模糊として複雑な世の中に於いてはその存在の堂々たるや暗闇を照らす一筋の光にも成り得るというか、兎も角、肉は千枝を裏切らないのである。何ならば裏切るのかと言われれば、返答に窮すること請け合いだが。
「ごめんね、天城さん」
「良い、から……、じゃあね、千枝っ……ぶふっ」
震えながら立ち上がるので、見ていて心配になった。しかし、肉丼は惜しい。
「天城さん、どうかしたの?」
「……まぁ、どうかしたというか、発作と言うか……」
未だに、千枝にも友人のツボが分からないでいた。兎角、彼女が爆笑の渦に包まれていることは、このクラスメイトに知れていない様なので、安心である。
「それより、私に用事ってなに?」
「実はさぁ、今度、うちの部の練習試合があるんだけど、一人、怪我しちゃってさ」
「何部だっけ?」
「バレー部」
サービスを打つジェスチャーをして、クラシックバレエとの違いを態々、明確にしてくれた。つまり、バレーボールのことである。
「うちのチーム弱小だからさ、欠員が出るとメンツ足りなくって……。千枝、体育の授業でも強かったし、お願い! 肉丼でもなんでも奢るから!」
再び目の前で拝まれて、千枝は頭を掻いた。練習試合の出来る程度に部員のいるバレー部に弱小と言われては、部員一名のカンフー研究会は微妙に立つ瀬がない。それに、運動神経を信頼して貰えることは有難いのだが、バレーについては、残念ながら素人程度の知識しかなかった。
「えーっと、私なんかでいいの? ルール、あんまり詳しくないんだけど」
「大丈夫、教えるから。ほんとーに、お願い!」
そこまで拝まれては、断れそうもない。肉丼に惹かれたのは事実にしても、彼女の誠意にここは絆されたのだ、と千枝は心の中で主張してみる。親友が、また千枝が肉に釣られた、と笑い転げるかも知れないにしても。
「ま、私なんかでよければ、力になるよ。今から練習?」
千枝は両腕を伸ばした。今日はトレーニングの予定はないが、身体を動かすのは大好きだ。一人での鍛錬ばかりも味気ない。
「ありがとー、千枝!」
そう言うと、大袈裟にガバッと抱き着かれた。
『女の子とは、違うと思う』
何故だか不意に、雪子の言葉が頭を過ぎった。親友はこうして抱き着いてきたりしないが、女子のスキンシップとしては、抱き着く位は普通にあるだろう。唐突にそんなことを思った自分が些か不思議に思えたが、兎角、背をよしよしと撫でてやった。