sweet sugar sunset -10

 放課後、呼び止められて、珍しくクラスメイトの持っている雑誌を覗いた。
「ほらここ、沖奈のカフェが載ってる」
「へぇ、珍しいね」
 八十稲羽には雑誌に載りそうな喫茶店もないが、沖奈は地方誌なんかで偶に出ていて、見知った店を見掛けることもあった。記事には、ガトーショコラが美味しいと記されている。店自体は知らなかったが、写真を見る限り、しっとりとした黒檀色のケーキにピュアホワイトの生クリームがたっぷりと添えられていて、見た目にも食欲を唆った。甘い物でならばチョコレートは好きだし、店の雰囲気も落ち着いて良かったので、思わず食べに行きたいを思わせられた。
「いいなぁ、私も彼とこういうとこ行きたい」
 感想は同じだったらしく、隣で写真を指さした彼女も、目を細めてうっとりとしている。女子高生の乙女らしい思考回路だ。
「あれ、彼氏いたっけ?」
 聞いたことないなと思って尋ねれば、いないわよ、と睨まれた。彼氏を作ること込みで「彼と行きたい」らしい。
「結局、部活ばっかりなのよ……」
「この前の試合、強かったじゃん」
 バレーの試合では、弱小と卑下していた割に快勝することが出来た。千枝のお陰だ、と感謝されたが、上手くトスを上げてくれたから、力任せにスパイクを打つことが出来たに過ぎない。コントロールも考えずに打ったが、テレビで鍛えた脚力も相俟って、チームの足を引っ張ることがなかったのは幸いだった。
「千枝はいいよねー、花村いるし。この前も、試合見に来てくれてたじゃん」
「なっ、はぁっ!?」
 行成、陽介のことを出されたので、驚いて千枝は肩を跳ね上げた。
「言ったでしょ! 雪子が来られないから、花村は暇してて」
「ジュネスの御曹司だもんねぇ、将来も安泰だし」
「ばっ、だから、違うって! アイツは、ただの――」
(ただの、)
 照れなくても、と言われたが、本当に違うのだと思う。恋人等ではない。
「ただの、友達」
 言葉が冷たく響いた。
「えー? だって、この前もクレープ一緒に食べてたんでしょ? デートだって聞いたよ」
「あれはデートじゃないの」
 先日の出来事を見られていたのだろう。千枝は額を軽く押さえた。壁に耳あり障子に目ありとは言うが、狭い八十稲羽にあっては、どこで見られているか分からないし、どこから噂が広がるかも分からない。
「だいたい、うちら、よく、ジュネスのフードコートにいるじゃん。花村もバイトしてるんだし」
 八十稲羽でなら、愛家で肉丼を奢って貰ったり、フードコートでステーキを奢って貰ったこともある。我ながら、奢って貰った記憶ばかりが多いのは非常に難だと思うが、友人だし、クレープを食べている位、何てことない筈だ。
「でも、いつもと違ったって言ってたけど」
 違った、と鸚鵡返しに尋ねて首を傾げる。
「どう違うの」
「どうって言われても、私が見た訳じゃないし」
 追及しようがなかったので、千枝は独りで頭を捻らせる。
「でも、ホントに花村とってことないの? 千枝、モテるのに彼氏作らないし」
「や、別に、モテてないから」
 雪子なら『天城越え』と称されて、声を掛けられることも数多だが、千枝は肉丼でもと誘われる位で、告白なんて、今までも、片手で数えられる程度しかされたこともない。
「や、片手で数えるくらいされてるって、十分、モテてるってば」
「そんなことないっしょ。雪子なら両手じゃ足りないし、月森くんだって」
 言い掛けて、流石にあの二人は別格だったかな、と思った。アイドルの後輩も、勿論別格だ。
「じゃ、月森狙いなわけ?」
「ちがーう!」
「ふーん。てかさ、月森も告られてるって話聞くけど、全然、恋人作んないよね。あ、でも最近、彼女出来たんだっけ?」
「らしいね」
 思わずトーンが下がると、あれやっぱり、と言う目で見られたので、慌てて手を振った。
「ま、違うなら別にいいけど……じゃあ、彼氏いない二人で食べにでも行く?」
「……また助っ人頼みたいとかじゃないわよね」
 試合後、熱心にバレー部に入って欲しいと誘われたのだ。肉丼一週間奢るから、とまで言われて、思わずぐらついたのは内緒だ。無論、千枝にはカンフー研究会があるので、入る気は更々ない。
「あれ、バレた? いや、千枝がこのまんま部に入ってくれたら助かるなーって」
「私にはカンフー研究会があるっての!」
 掛け持ち出来るじゃんと言われたが、独りでも千枝はカンフー研究会しか入る気がないのである。
「あ、千枝、ねぇ」
 腕を掴まれたので、まだ勧誘する気なのかと首を振った。
「だから、カンフー以外、興味ないんだって」
「ぼっちじゃん」
「ぼっちとか言うな――って、え?」
 目の前からではなく後ろから聞こえた声に、ぎょっとして振り返る。
「あ、れ……花村……?」
 くっくっくっ、と陽介は人の悪そうな笑みを浮かべて、後方に立っていた。
「バイトじゃなかったの?」
「だから、今日は違うっつの。物覚えワリーなぁ、里中さんは」
 うっさい、と千枝は視線を彼の足元に落とした。
「あ、花村ぁ、丁度良かったー! 今、これ見てたんだけど、千枝がこのケーキ食べたいって」
 慌てて横を見ると、既に陽介は向けられた雑誌に視線を傾けていた。一瞬、横顔が近くてどきりとする。
(黙ってると、本気で美形だし)
「なにこれ、うまそーじゃん」
 陽介は、居た堪れない様な、どこか複雑な千枝の気持ちにはちっとも気付かず、割と本心からそう言っている様だった。クレープも美味しそうに頬張っていたし、甘い物が好きなのかも知れない。
「でしょ? 千枝独りじゃ行きにくいらしいし、一緒にいってあげてよ」
 これあげるからさ、と雑誌を陽介の胸に押し付けて、彼女はささっと二人を残してドアの方へと駆けていく。振り向き様に、千枝に微笑んだ。片手を上げる。
「……奢って欲しかったわけ?」
 陽介は押し付けられた雑誌の頁を捲りながら、ふうん、と声を漏らしている。
「っ、違うわよッ、バカ」
「今日はカンフー研究会ねぇの?」
「てか、ぼっちとか言うな!」
「あれ、違ったっけか? 会員絶賛募集中! なんじゃねぇの?」
 図星だったので言い返せないでいると、陽介はまたくつくつと笑った。
「この前も甘いモンだったよなぁ、肉じゃなくていいのか?」
「……お、美味しそうだって言っただけだからね」
「知ってるって。男女が揃ってると、そういうこと言い出すヤツ、多いもんな」
「アンタが言うか」
 男女揃えばやれ合コンだのデートだのと言い出す陽介には言われたくないのではないだろうか。しかも、あの悪夢の様な合コン喫茶の提唱者でもあるというのに。
(しかもそれって、なんか、自虐っぽいし)
「ま、帰るか。里中も、もう出るだろ?」
「うん……帰る」
 陽介がどんな気持ちでいるのかが分からない。それを知りたい。どうしたら話してくれるのだろうかと思う。
(辛くないの? 泣きたくないの? ……なに、考えてるの?)
「あれ、陽介、に里中?」
 タイミング良くというのか悪くと言うのか、教室に入ってきたのは月森だった。
「良かった、陽介を探してたんだ。帰り、どっか寄って行こう」
(薄情者、だよ)
 大切な友人がどんな思いで過ごしているのか、月森は知らない。それは陽介が隠しているからで、上手く隠せている方が陽介としては助かることで、月森はちっとも悪くなくて。
(それなのに、花村は、断れないんだ)
 好きな人だから、大事な友人だから、相棒だから、陽介は月森の誘いを断らない。帰ろうと言われても、一緒に昼御飯を食べようと言われても、頷く。今、月森といることは辛いことの筈なのに、誘われたら決して断らないのだ。彼が好きだから。けれど月森には彼女がいて、陽介を優先してくれることはない。そんなに淋しいことはない。
「今日はバイトないよな」
 相手から何も求められないのに、それで尚、月森を優先する必要性はあるのだろうか。
(もう、いいじゃん)
 そう思った途端、身体が動いた。ぱしっと陽介の手首を掴む。
(不義理でも、友達甲斐なくても、いいじゃん)
「ごめんね、月森くん。今日は、私と花村、ケーキ食べる予定なんだ」
 にっこりと、表情筋に笑顔を指示して千枝は笑った。陽介の手から雑誌を抜き取って指差す。
「ここのガトーショコラ、美味しそうでしょ? 沖奈のお店なんだ。じゃ、行くよー、花村」
 後ろを向いて、千枝は少し唇を噛んだ。
(たまには断ったって、いいじゃん)
 彼が意図に気が付いたかは分からない。月森の誘いを断っても良いだろうと思って千枝がそう言ったことを、気付かないかも知れないし、それでも構わなかった。
 意図することに気付いたのなら、陽介はもしかしたら、自分の手を振り払うかも知れないと思った。やっぱり月森を選ぶというのが、陽介の選択かも知れないのだ。もしそうなら、完璧なお節介。小西早紀にウザイと言われた陽介を笑えない。月森が好きで、陽介の意思が彼といる方を望むのなら、きっとこの手は要らない。二人から背を向けて、千枝はきゅっと指に小さく力を篭めた。
「……。そーゆーことだから、ワリィな、月森」
「えっ、あ……そう、なんだ」
 千枝は思わず振り返った。虚を衝かれた様に呆ける月森の灰色の瞳が、瞬きを繰り返している。
(月森――くん?)
 不意に何か唐突な違和感を覚えたが、陽介に肩を叩かれてハッとした。
「ほら里中、あんま遅くなると、暗くなっちまうぞ」
「あー、うん、そう、だよね」
 手首を離すと、陽介は穏やかに笑っていた。
「じゃな、月森」
「バイバイ、月森くん」
 佇む月森は、夕陽を浴びて、丸で風景画の一部にでもなっている様だった。イケメンだな、と思う。その言葉だけが、水面に落ちて波紋を幾つも作り出した。心の中が良く分からないまま、千枝は先を歩く陽介を追い掛ける。
「ガトーショコラ、たまには、私が奢るから」
「いいって別に。女子に奢られたりしねぇよ」
「つまんないわよ、そういうプライド」
 男だから、女だからとか、そうやって割り切れることばかりではない。奢って貰ってばかりの自分が言うのも難なのだろうけれど――と千枝は窓の外を見ながら思う。廊下に人はいない。そのまま進んで踊り場に出ても、人はいなかった。千枝は陽介の腕を引っ掴むと、そのままグイッと自分の方へ手繰る様に引っ張った。不意打ちに陽介の身体は簡単に傾く。
 こちらに倒れ込んできた頭に腕を回して、ぎゅっと抱き締めた。
「さと、なか?」
(私が王子様になってあげる)
 嘗て親友には否定されてしまったけれど。女の子だけど。
(守るよ)
「えっと、なに? どうかした?」
 弱音なんて言わなくても、強がってるだけでも、全部、それごと守ってあげる。月森といるのが辛いなら、傍にいなくても良い。傍にいようと思った。千枝の意思で。陽介の意思とは関係なく。
「なんでもない」
 解放すると、陽介は微妙に頬を赤くしていた。
「なに照れてんのよ」
「や、フツー、女子にあんなことされたら照れるっつの」
(私もバカだなぁ)
 照れてる姿が可愛いなんて思ってしまった自分に、千枝は心底、呆れてしまった。

 

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