首を押さえられて、身動きが取れなくなっている陽介の眼前に、見たことのある黒い姿が現れた。
「い、イザナギ?」
何かを言い掛けていた月森の力が、急に抜けた。意識を喪失したらしい、と気付いて、慌てて彼の下から這い出す。出てきたイザナギは、最初に見た時と同じ、学ラン姿の様なスタイルだった。どうして月森のペルソナが現れたのか、そして、主である月森が倒れてしまったのか。
「なんか、ヤな予感しかしねぇ……」
イザナギは一瞬、月森の姿を模した。金色に瞳が光り、眼鏡をしていない。
「や、ヤベッ、眼鏡」
慌てて周囲を見回しても、直ぐ傍には見当たらなかった。押し倒された時に、弾き飛んでしまったらしい。
(クソッ、霧が濃くて、よく見えねぇし)
立ち上がって周囲を見渡す。目を細めて凝視すると、クマの出したテレビの足の辺りに、光が反射したのが見えた。レンズだろうと思って駆け寄ると、思った通りの物を見付けられて、安堵する。慌てて眼鏡を掛けて見れば、恐らくシャドウの月森が、じっと本体の月森を見下ろしていた。
「我は汝、真なる我」
ぽつりとそう言うと、金色の瞳を陽介の方へと向ける。
「つき、もり……」
影の彼は、何を言うのだろうかと思って見詰めたが、シャドウは何も言わず、ゆらりとその背から黒い瘴気を漂わせた。シャドウの暴走する原因である、自己否定がなされなかったにも拘らず、月森のシャドウはゆらゆらと姿を変えていく。そうして出来たシャドウは、けれど、姿形だけを言うならば、イザナギそのものにしか見えなかった。暴走していないのかと思って呆けていると、突如、槍を構えたイザナギが、陽介の方へと突進してきた。
「え!? ちょ、ちょ、待っ」
慌てて身を躱し、もう一度イザナギを見据えた。
「俺を、倒す気かよ」
シャドウは頷いたりしなかったが、返答代わりの様に、雷撃が迸った。慌ててスサノオが、それを受け止める。ピリッと静電気を強くした様な痛みが、陽介にも伝わった。
(ジオンガとか、やる気マンマンじゃねぇか)
体勢を整えようとすれば、再び雷撃が浴びせられる。食らってばかりでは脳がないと、今度はステップで躱した。その隙を見て、スクカジャを掛けてスピードを上げる。身体が軽くなった所で、陽介は仕舞っていた苦無を二本、取り出す。
「せめて、クマでも残ってりゃな」
ぼやきながら、陽介は走った。どこに行きたいという明確な意思はなかったが、陽介に唯一行ける場所に自然と足が向かう。小西酒店。忌避していた場所にしか、結局陽介は行くことが出来ない。それでも、下手にあの場所で暴れて、出口のテレビが壊れたら困るし、何より、意識をなくしている月森に危害が及ぶことは避けたかった。
「イザナギの弱点って、なんだったっけな」
お前覚えてねぇの、とスサノオに問い掛けてみたが、ペルソナは自分でしかないので、自分が記憶していないことは知り得ないだろう。取り敢えず、スクカジャのお陰で、イザナギにスピードで劣ることもない様だった。振り返れば、それでも追ってくる影が見えたので、安心して思考を再び戻す。
『陽介は俺のペルソナが怖いって言うけどな、それを言うなら、イザナギだって、疾風弱点だろ』
そんな風に、最初の頃、月森が言っていたことを思い出した。
「疾風弱点なら、なんとかなるんじゃ、ね、ってうおわっ!」
後方にいたと思ったイザナギは、その距離から無理矢理にジオンガを放ってきた。脇をすり抜ける雷に、ヒヤリとする。向こうは本気で殺る気らしい。段々と、恋した人の心象の世界に近付いて行く中で、陽介は、どうしてシャドウが行成現れたのだろうか、と考えていた。赤と黒の怪しい空の色。ずっと黄色く靄が掛かっている商店街の姿。
「考えてもしゃあねぇか。コイツ倒せば、白状すっだろーし」
酒屋の前で振り返ると、イザナギは既に距離を詰めてきていた。切れたスクカジャを掛け直し、陽介も臨戦態勢になる。
「あん時とは訳が違うぜ?」
気絶していた陽介は、直接、月森のイザナギと、自分の影が戦っているのを見ていた訳ではない。けれど、倒されてしまったのだという事実は知っている。取り敢えずジオを連発した、と本人が言う様に、弱点をつかれて倒されたのだろう。ならば今度は、こちらに分がある。
「吼えろ、スサノオ!」
青く明滅するカードを体当たりで砕き、青と赤が印象的なスサノオが現れた。睨み合う様にして、イザナギを見据える。もしかしたら、倒されたことを、根に持っているのかも知れない。両者、相手の出方を窺う様に距離を取り、じりじりと硬直した状態が続いた。
(スクカジャがかかってっから、攻めてもいけるか?)
しかし、迂闊に動けばカウンターを食らう様な気がしていた。陽介が苦無で斬り掛かっても、向こうはリーチの長い槍で返される。サーチが行えない以上、疾風が弱点だと言うのは推測に過ぎないし、上手く攻撃を切り崩せない様では射程に負けてしまう。だったら、相手が焦れた所でチャンスを狙うのが得策だ。
(来いよ、月森)
彼には敵わない。彼と敵対することもきっとない。滅多にない瞬間を、彼女だけが見ているのかも知れないと思った。小西早紀は今でも、この場所にいる。そんな気がするから、ここへ来るのは苦手なのだ。
見据えると、イザナギは何か心得た様に、槍を構えた。そう来なければ、と思っていれば、加速度を上げて、イザナギが突進してくる。
「スサノオ、躱して背後に回れ!」
単調な突進攻撃は見切るのも容易だ。スサノオは細い身体を器用に動かして、するりと刃を避けると、そのままスピードを上げて、イザナギの背後に回った。
(やっぱり)
イザナギは、スサノオ等、眼中にない様にこちらへと向かってくる。挟撃する格好になっているのを意に介さず、愚直な程に真っ直ぐ、陽介に刃を向けていた。右手の苦無を宙空に上げて、珍しくそれを掴む。そういえば、音楽を聞いていないと落ち着かない。ヘッドフォンを耳に当てると、いつもの英詞が大音量で耳に飛び込んできた。難聴になるから止めろと、月森に以前に指摘されたこともある。
「スサノオ、今だ!」
言うが早いか、疾風の刃が、イザナギに背後から襲い掛かる。突如として浴びせられたガルーラに、イザナギは動きを止めた。仰け反る様にして、地面に倒れ込む。読み通りと言うか、以前と変わらず、疾風が弱点であったらしい。安堵して陽介はスサノオに追撃を指示した。イザナギが、咆哮を上げる。陽介は苦無を握り締めた。
「アイツ倒すとか、気乗りしねぇ……」
しかし、今がチャンスなのも事実だ。何度も連発出来ないガルーラと違い、苦無で一撃を喰らわせるのは、難しいことではない。止めが刺せなくとも、ダメージは大きい筈だ。けれど、と逡巡する内に、イザナギは体勢を立て直した。今度は、スサノオと陽介、交互に目を配っている。同じ攻撃は通用しないだろう。ガルーラでもう一度畳み掛ければ、畳み込んでしまえる様な気もしたが、相手が月森のシャドウということで、慎重になっていた。どこから何が飛び出てくるか分からない。月森の様に、マジックが使える様な気がしていた。
(マジックって言やぁ、カードマジックも見たよな)
林間学校でのことを思い出す。ハートのエースを引き当てた陽介と、それを言い当てた月森。いつだって、ビックリ箱の様に、色々な物が飛び出してくる。器用で何でも出来て、ずっと、羨ましいと思っていた。けれどそれよりもっと深く、次は何が出てくるのだろうかと思っていた。もっと知りたい。誰よりも知っていたい。仮令それがパンドラの箱だとしても、底を見てみたかった。どんなに単純な仕掛けでも、タネを知りたいと思ったのだ。そうやって、目が離せなくなる。マジシャンみたいな男だ。
(なんで、あん時、胸なんて貸したんだよ……バカ)
その理由が知りたい。胸の内にあるものを、知りたかった。それが、好きだという感情の原動力になっている。
陽介は苦無を曲線を描く様に投げた。風に乗り、素早く落下するそれを、しかしイザナギは俊敏に避けて躱す。そちらは囮だとばかりにもう一本を、今度はストレートに投げ付けた。躱したばかりの体勢では、再び動くことも出来なかったらしく、イザナギはそれを、槍で器用に受け止めようとした。そして、苦無が到達する直前。
「スサノオ!」
叫ぶと、主の命令を忠実に履践する様に、スサノオは風を起こした。無数の見えない刃が、目の前の苦無に気を取られていたイザナギを襲う。それを見ながら、陽介は弾かれた苦無を悠々と回収した。曲が3巡目のループを始める。また地に倒れたイザナギの背に、苦無を向けた。
「ハートを射止めるってことで、許してくれよな――、なーんて」
人で言うなら心臓の辺りに、突き刺す。刺さった辺りには空洞が出来て、そこから、黒い霧が噴出した。思わず離れると、黒い霧が、影を象っていく。また、月森柚樹の形が出来上がった。
「お前、どうして出てきたんだ?」
月森のシャドウはじっとスサノオを見て、それから、陽介に黄金色の瞳を向けた。
「アイツに聞いてやってくれ」
「うえ? つっかお前、何で、月森襲わねぇの? シャドウって、本体喰らうのが目的なんじゃ……」
ゆっくりと頭を振ると、月森のシャドウは視線を横に移した。その先に、よろよろと歩く、月森の姿があった。慌てて陽介がそちらに向かうと、眼鏡の奥の銀色の瞳は、弱々しく揺れる。
「おまえを、うけ、いれるよ……」
月森は手を伸ばし、影に触れた。途端に影は、はらはらと崩れる様に壊れていく。
「月森、お前」
「俺は――」
月森の身体が、またガクンと膝から崩れ落ちた。そのままくたりと、道路に倒れ込んでしまう。
「お、おい! 平気かよ!」
そっと顔を覗き込むと、寝息が聞こえた。命に別状はない様だし、シャドウが現れると疲れるということもあるので、取り敢えず、寝かせておくのが良策だろうと陽介は判断した。しかし、地面にばったりと倒れる様は、どことなく哀愁が漂っている。可哀想だ。
「しゃあねぇな」
月森の近くに腰を下ろし、頭を膝の上に乗せた。
「まぁ、サムイ上に、男の太腿って硬いけど、我慢しろよな」
布団でもあれば良いのだが、生憎とそんな気の利いた物はない。それでも、道路にべったりと引っ付いているよりはマシだろう。
「りせちーとかの膝枕だったら、いんだろうけどな」
アイドルに言い寄られても、興味がないと言う月森。
「だったら、誰に興味があるんだよ。この色男め」
陽介は目を瞑った。疲れているという意味では、自分も同じだ。もう、余力は残っていない。
「……どうしたんだよ、相棒」
その響きが好きだった。最初は、何となしに言った言葉だ。偶々、テレビで見ていたこともあって、相棒と呼べる様な相手がいるのはカッコイイとか、そういう稚拙な発想で口にした。態と言ったので、嫌がられるかとも思っていた。リーダーなら、と月森を推し、自分は参謀なんて言って、勝手に特別捜査隊だの捜査本部だのと名付けて、遊びじゃないんだと言われるのを待っていた。月森はそれらの呼称には興味を示さず、けれど、陽介には「そうだな、相棒」と笑った。その笑顔が、陽介の中での彼の位置を決定付けたなんてことは、本人も知る由がないだろう。その日から、月森は陽介の相棒となり、特別な存在になるまでに、時間はそう掛からなかった。殴り合って対等だと認めて、そしてもしかしたら、今また、殴り合ったのかも知れない。
「やっぱさ、俺、お前の相棒でいたいよ。大して強くもないけど。……お前には、迷惑かもしんねぇけど」
けれど、胸を張って言える程、強くない。能力的にも、メンタル的にもそう。
「ってか、疲れた……眠……」
全速力で走って、イザナギと戦って疲れた。意識が落ちて行く。どうせ、この場所にはシャドウは出現しない。或いは、彼女が守ってくれているのではないだろうかなんて思う。
目が覚めた瞬間、今どこにいて、何をしていたのか、直ぐに思い出せなかった。ぱちぱちと瞬きをして、膝が重いな、なんて思う。
「う、おわっ! 月森!」
銀色の目が、じっと陽介を見詰めている。そうだ、ここはテレビの中で、月森のシャドウを倒して、自分は眠って、と段階的に記憶が復元されていった。月森は無言で、じっとこちらを見詰めているばかりだ。
「や、……やっぱ、膝枕はサムイよな! わわ、分かってたんだけど、こんなとこにぶっ倒れたままってのもアレだし……っつか、起きたんなら、いつまでもこんな体勢取ってる場合かよ!」
色々と言葉を並べてみても、月森は頑として何も喋らない。
「な、なんか言えよ」
(無言が一番堪えるんだよ……!)
悪意があってしたことではないにしても、やっぱりちょっと、可笑しいかなと思っていたのは事実だし、キモイと言われたら反論出来そうにもない。
(泣きそう)
そうでなくともここ数日、キャパオーバーなのだ。もうハート的に勘弁して欲しいことこの上ない。泣きたい。
「シャドウ、倒してくれて有難う、陽介」
「ふ、へっ?」
「ジライヤじゃなくて良かったな」
「ホントにな! よくもまぁ、ジオンガ連発しやがって……死ぬかと思っただろ!」
「ごめん。それに膝枕までしてくれて……何と御礼を言ったら良いか」
「って、え、怒ってたんじゃねぇの? つか、引いて」
「何でだ? 俺が地面に倒れてるのが見ていられなかったとか、大方そういう理由だろ? 柔らかくはなかったけど、温かかったし、感謝してる」
月森は漸く身体を起こすと、生真面目にそんなことを言った。言い切ってから、にこりと微笑む。
(うわ、なんかやっぱ……コイツ、モテるわ)
素直に礼が言える人間に、素直に謝罪が出来る人間になれ、と両親には言われてきた。陽介も心得ているが、こんな時まで履践出来るとは、イケメンはやはり違うらしい。
「それにしても良かったよ、陽介が殺されなくて」
「殺されって……大袈裟だな」
確かに、シャドウに殺されれば、小西早紀の様になるのかも知れないが、今まで、シャドウとの戦いでは、殆ど意識したことがなかった。自己否定を行うことで暴走し、本体を喰おうとする、自分達の影。
「そういや、なんで、お前のシャドウは、お前に見向きもしなかったんだ? つか、お前、影のこと否定とかしてたか?」
「なぁ、陽介。天城越えって良く言ってるけど、天城越えの歌詞知ってるか?」
質問に答えないどころか、質問で返ってきた。それも、全く関係のない質問で。
(マイペースなヤツだよな、ホント)
話が飛ぶことが多い。もしかしたら、彼の中では繋がっているのかも知れないが、それを繋げずに言うのだから、困惑する。頭の回転が早過ぎるのかも知れない。
「あー、まぁ、知ってるぜ。天城が呼ばれてんの聞いて、歌詞調べてみたんだわ。確か、不倫の歌だろ」
「俺、女だったら良かったのに」
「はぁ!?」
(コイツ、オカシくなった!?)