Magician's Ace -5

 まだ雨の予報は出ていない。焦ってダンジョンを攻略することもないと判断して、その日は解散することにした。雪子の献身的な回復によって、無事に体力が戻った千枝と対照的に、雪子の方が精神的に参っていたのだ。メンバーを変えて再度進むということも考えられないではないが、それには一つ、気掛かりがあった。
(何か、陽介の様子、変?)
 いつもはムードメーカーな気質も相俟って、軽口を叩いたりとお喋りな陽介が、黙っていた。酷く、不自然な位に静かだったのだ。バックヤードに戻って話し掛けても、どこか上の空でぼんやりとしている。
「センセー、今日はもうお帰りクマ?」
「あぁ。多分、また明日にでも行くと思うから、各自体調には気を付けて」
「はーい。んじゃ雪子、行こ」
 目元が腫れているのを隠そうとしてか、雪子は千枝にぴたりとくっついていた。微笑ましい光景だ。女の子同士というのは、結構ベタベタしている印象があるが、あの二人は別格かも知れない。それこそ、いつも一緒にいる。
(女、だから許されるってのはあるよな)
 同じく同性同士であっても、男二人では制約も大きい。手を繋いだら不審に思われること請け合いである。そんな可能性はそもそもないにしても、少し、考えてしまった。
 家の手伝いがあるから、とか言い訳して、一番乗りで出ていった雪子を追って、彼女の王子様がテレビを抜け出た。りせと何やら喋りながら完二も出ていく。
「陽介? 行かないのか?」
 クマがりせの名前を呼びながら、彼女を追う様にテレビに飛び込んだ。陽介はどこかをぼおっと見詰めている。
「陽介、どうしたんだよ。陽介?」
 声に漸く気付いたのか、視線がこちらを見た。櫨色の丸い目が、胡乱に揺れている。
「どうかしたのか?」
「さっき、悪かったな」
「何だよ。さっきのことなら、気にするなって言っただろ」
 ガルーラが外れたのは事実だが、攻撃が外れることなんて、幾等でもある。そう珍しいことではなかった。勿論、シャドウの攻撃で瀕死になることも、珍しいことではない。どちらかと言えば、先手必勝を心掛ける月森の気質から、動きの早い陽介と、素早いペルソナを常用する月森が先制し、そのままラッシュを決めて、沈めてしまうことは確かに多い。けれど、それだって毎回、上手くいく訳ではない。手痛いカウンターを食らうことも稀ではないし、全員で死にかけた苦い記憶もある。今日のは、偶々、千枝が雪子を庇ったが故に、雪子が動揺してしまったというだけであって、あの程度の怪我は、慣れたくもないが、何度も受けていた。実際、千枝も、何てことないと言っている。
 寧ろ、あの場面で飛び出した自分の失策を月森は気にしていた。物理無効だということは知っていたし、陽介に危険が迫っていた訳でもない。恐らく、千枝もそうなのだろうが、後先を考えずに動いてしまうという感情こそ、厄介だ。
(陽介が危ないからって、無闇に動くのもな)
 特に、先程は、危険と言っても、少し危ない程度でしかなかった。月森は冷静にペルソナを変えてガルーラなりガルダインなりを放つべきであったのだ。リーダーならば、その程度の思慮は必要とされるべきだろう。
「それにしても、相棒が気にするなんて、珍しいな」
 近付くと、陽介はビクリとした。
(何だ……今の反応)
 拒絶されている様にも感じて、少し動揺した。内心の怯えを隠す様に腕を掴むと、陽介は俯く。
「陽介? お前、何か、変――」
「なぁ、月森。俺、もう、止めようと思う」
「……何を?」
 真剣な雰囲気を感じ取って、背がすっと冷えた。まだ外は暑いし、テレビの中も、涼しいとは言えない様な気候なのに。嫌な予感がする。
「相棒、なんて言うの」
 ドクンと心臓が跳ねた。
「何、言ってるんだ、陽介?」
「やっぱ、完全無欠のリーダーの相棒なんて、俺にゃ相応しくねぇなーって。ま、勝手に俺が言ってただけだけど」
 顔を上げた陽介は、笑っていた。笑って、橙色の眼鏡を外す。
「釣り合ってないのに、相棒なんて言ってたら、カッコワリィじゃん?」
 笑う声が遠く響いた。情報の処理が追い付かない。
(なんだよそれ……)
「あ、つっても、別に友達止めるとかじゃねぇぞ?」
(とも、だち――)
 ぐるぐると思考だけが回っている。彼は友人で親友で唯一無比の相棒で、それ以外の何者でもない。相棒ではないと陽介が笑って言って、そもそも、相棒だのどうだのと言い出したのは彼だったことを思い出して、それなのに、その言葉に縋っていたのが自分なのだと、刹那に気付いてしまった。特別だと言ってくれる陽介は、唯の親友でしかない。
(た……だの)
 親友は特別だっただろうか、と思う。多分きっと、彼以外についてならば、その言葉は特別なのかも知れない。
(つりあわない?)
 陽介を好きになってしまったから?
 相棒を好きになってしまった月森は、陽介を相棒だと呼ぶに相応しくない存在。そう即ち、自分こそが! 彼には釣り合っていないのではないか?
(違う、陽介が言いたいことはそうじゃなくて)
 弱いから。月森の様に強くはないから。だから、自分を釣り合っていない、と、陽介は言う。だから、相棒ではいられない、と言うのだ。
「月森? あれ、どうかしたのか?」
 目に見えるものが特別なのではない。言葉を重ねてもラベルを貼っても、それだけでもない。けれど、急に、何かが音を立てて崩れた。
(あぁ、そうか)
(きっと、陽介には、大したことじゃないのか)
 今までにそう呼んでくれていたことに、意味がないとは思わない。言明する程度には、その言葉を重要視している。けれど、言葉をなくしても、陽介は崩壊しない。自分だけが壊れそうなのだ、と知覚した。自分だけが。自分ばかりが。
「おい、月森? マジでどうしたんだ、よ……」
 そう、自覚した瞬間が境だった。急速に脳が冷静さを失い、理性の糸がきりりと焼き切れた音が聞こえる。嫌だとどこかが叫んで、悲しいと胸が軋む。脳は取り留めもない様なことを、壊れた速度で展開する。好き。陽介が好き。同性同士で、きっと報われる様なことのない想いでも、彼に近付く程に、溢れ返る。
 まともな意思を奪われた身体のコントロールが、情動に奪われた。指先が伸びて、手が陽介の両肩を掴んだ。へ、と間抜けな声を出す陽介の身体を押し倒すと、首筋に触れた。
「つ、月森……?」
 彼といる為に、相棒としている為に、気持ちを殺してきた。そう呼んでくれることで、ずっと、特別な存在だと信じ込もうとしていたのだ。恋人になれないとしても、最も中心に居座っていてやろうと。
(そうだ――『特別な人』がいるから、『他』を作れないように)
 恋人ではなくても、真ん中を押さえてしまえばきっと、真面目な陽介は、他の特別を作れない。そうやって独占しようとしていた。
(誰にも渡さない)
 ずっと相棒でいたい。彼にとってたった一人、特別でありたい。恋人でなくても。否、恋人という名前がつかなくても、相棒という名前として、陽介を手中に収めておこうと。名前なんて問題にならない。彼の唯一の人でなければ。
「俺は――、」
 誰かに盗られるのならば。
 そう思った瞬間、背後に、黒い影が見えた。

 

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