Magician's Ace -3

 放課後、陽介の姿が早々に消えていた。ジュネスのバイトがなければ、何となく教室に残っていることが多い彼にしては珍しい。月森は暫し教室を見回してから、雪子と話している隣席の千枝の肩を叩いた。
「里中、陽介、どこ行ったか知らない?」
 昼は少し言い過ぎた気がしていた。大人気なかったと思う。苛立ったのは事実だが、それを八つ当たりの様にぶつけられては陽介だって困惑するし、少なからず、不快に思った筈だ。何せ、陽介は一切、悪いことをしていないし、そんなつもりは皆無なのだ。
(俺が勝手に怒ってるだけだし――)
 小さく溜息を吐くと、千枝は首を振った。
「さぁ? もう帰ったんじゃないの?」
「鞄はまだある」
「花村君なら、さっき、呼ばれていたみたいだよ?」
 前の席に座ったまま千枝と会話していた雪子が、こちらを向いておっとりと微笑んだ。整った顔立ちに淡い色のある笑みは、中々どうして和風美人の印象を強める。天城越えと綽名される高い壁を超えたいと多くの男が望むのも、些か無理はないかも知れない。彼女は美人だ、と月森も思っている。陽介も以前に声を掛けたと言うし、彼女の、その整った顔立ちは魅力的なのだろう。
 対する千枝とて、ボーイッシュではあるが、明るくて分け隔てなく懐っこいので、一条も見る目があるな、と思う程度には可愛い。客観的に言えば、そうだ。陽介的に言えば、仲間の女子のレベルは非常に高い。
「あららー、もしかして、告白?」
 その四文字に、ドキッとした。反応が顔に出難いポーカーフェイスな自分に、月森は感謝する。
「分からないけど、女の子だったよ」
 雪子はまた、おっとりと首を傾げた。千枝がニヤニヤと楽しそうに笑っている。
「花村もスミに置けないねぇ」
「……モテるんだ、陽介?」
 出来るだけ平静を装って尋ねると、あはは、と千枝は笑う。
「リーダーほどじゃないって! 大体、喋るとガッカリ系だからさぁ。でも、後輩とか先輩とか、知られてないと、たまーにね。すれ違った時に、爽やかなイケメンと勘違いしちゃった! みたいな」
「ふーん、そうなんだ」
「……。雪子って、花村に興味、ぜんっぜんないよね」
「え? 別に、そういうことじゃないよ?」
 千枝の言う通り、雪子は、陽介に興味がない様である。何やら言い訳している様だったが、雪子は千枝以外にさして興味がなさそうな部分があるので、致し方ないだろう。月森は、その後も、ああでもないこうでもないと続く二人との会話を打ち切り、振り返ってみた。主が不在の席に、鞄だけが残されている。
「告白、か」
 昼に渡された手紙を思い出す。多分あれも、それに類することが書き連ねられていたのだろう。月森の迷惑も不快も知らず、話し掛け易いからと陽介を選んで、渡された手紙。
(だから、陽介は悪くないんだって――)
 くしゃ、と前髪を押さえつけながら、首を振る。頭の中では理解しているのだ。陽介が、頼みを断り難い性格なのも、知っていた。可愛い子だと陽介が言うのならば、そうなのだろう。きっと、陽介の好みの可愛い子だ。頼まれて断れない陽介。その『可愛い子』と陽介が並ぶのを想像するだけで、月森の胃がムカムカとしてくることも知らずに、手紙は受け渡される。そんな手紙を受け取った日には、胃潰瘍にでも成り兼ねない。それを分かっていないで渡すのだから、陽介の罪は深いと思う。けれど、彼は決して悪くない。
(陽介は、悪くないだろ)
 刹那にふと、今、陽介がされているらしいと言う告白を、彼が受けたらどうなるだろうかと思った。恋人になってくれと言われて、はいと頷く。有り得ないことではない。
 今までは、陽介には好きな人がいた。見掛けによらず一途な陽介は、小西早紀を好きだと思いながら、他の誰かと付き合う様なことはしなかっただろう。春、彼女を亡くして暫くは、塞いでいた。そうとは見えない所で、心が閉ざされていたのだろうと思う。堰を切った様に溢れた涙を見て、彼が好きだったものの尊さを思い、その戻らないことを嘆き、月森はとても切なくなった。泣かないで欲しいと思いながら、何も言えず、唯、胸を貸すことしか出来ない。彼女の為に、戻らない恋の為に泣かないで欲しかった。彼の涙の先が、小西早紀という少女であるというそれだけのことが、只管に辛かった。泣かないでと慰めるフリをしながら、本当は自分の心の穴を必死で塞ごうとばかりしていたのだ。自分の為に泣いてくれたら、と切に思い、そして、そんな自分を嫌悪した。彼の思い出を、感情を、汚すことが自分に許されている筈もないのに。
 畢竟月森に止められる強制力はないのだ。そんなことをする権利もない。陽介に恋人が出来てしまえば、後はもう、それだけ。どれだけ陽介が月森を特別だと言ってくれても、友達でしかない。それ以上を望むべくはなかった。けれど自分は、それ以上を望んでいる。
(……腰、細かったな)
 思わず触ってしまう辺りが、どうにも堪え性がなくて困る。月森は勝手に人の机の上に顔をくっつけて、腕を伸ばした。仕方ない。だって、陽介が可愛いのだ。あんなに可愛い陽介が、自分を特別だと言ってくれて、相棒だと呼んでくれる。その優越感たるや、女子からのラブレターが100枚積まれてもその比にならないだろう。そう言えば、陽介に怒られそうな気はするが。
(いつまでもあんなことしてられる訳でもないし)
 目を閉じると、頭がぐらぐらとした。相棒、と声が聞こえる。その声がいつか聞こえなくなってしまう、誰かに奪われてしまうのかと思うにつれて、胸がキリキリと痛んだ。そんなこと、考えたくもない。
「相棒、聞いてんのか? ってか、まだいたのか」
 呼び声が幻聴ではないらしいと気付いて、月森は慌てて飛び起きた。顔を上げて扉の方に目を遣ると、陽介は櫨色の瞳を丸くさせて、こちらを見ていた。周囲を見れば、教室の中は橙に染め上げられていて、先程まで姦しかった友人の姿もなくなっている。陽介はこちらに、と言うよりも自席に近付くと、不思議そうに首を傾げた。
「なにしてたんだ? もしかして、待ってた、とか?」
「昼は言い過ぎたと思って。何気に謝る機会を逸したから」
 どうでも良いことかも知れないが、些細なことでも禍根を残しておきたくはなかった。
「そんなん別に、気にしてねぇよ。寧ろ、お前が困るって言ってたのに、断んなかったのが悪かったし」
 ごめん、と申し訳なさそうに笑うので、胸が痛んだ。陽介が悪い訳ではないのに、そんな風に笑顔を作らせていることが居た堪れない。自分の八つ当たりに巻き込んでしまった所為だと思うと、強い自己嫌悪に襲われたが、本心を言う訳にもいかなかった。謝ろうにも的確に謝る言葉がない。
「それより、どこ行ってたんだ?」
 結局、上手い切り返しが浮かばなかったので、話題を変えることにした。
「あー……手紙、返しに」
 思わず言葉に詰まったが、あ、そう、と取り敢えず返す。
(だけ、にしては、やっぱり長かったよな)
 雪子が言っていた様に、当初は呼び出されたらしいという経緯もある。よもや、手紙を渡させておいて、呼び出しをしたりはしないだろう。となれば、誰かに呼び出しを受けて、序に、手紙を返した、ということが正しい様に思われた。だとすれば、それを陽介は敢えて省いているので、余り知られたくないことなのかも知れない。
(何か、そういうの、気になる)
 起きた出来事を逐一報告するのが親友かと言えば、そうでもない。言う必要もないこと(告られた、等というのは一種の自慢にもなる様だし)や、言いたくないことがあれば、黙秘する権利はあるだろう。月森だって、内心の全てを明かせていないのに、陽介を非難する様な真似は出来ない。
 告白でもされたのか、と、聞けば良かったのかも知れないが、何となく言い出せずに、黙って陽介の鞄を見ていた。勇気が足りないのかも知れない。何てことなく、軽く、「天城が呼び出されてたっぽいって言ってたけど?」とでも言えば良いのだ。そうすれば陽介はきっと、嘘は吐かない。吐かないでくれる、筈だ。些か、希望的観測だが。
「帰んねぇの?」
「……陽介、一緒に帰ろう」
「おう、いいぜ、相棒」
 掛けてあったままの学生鞄を取って、立ち上がった。鞄に今朝入れた手紙も、ロクに読まずに廃棄されるのだろうと思う。一方的に渡された手紙に返事しなければなりません、なんて法律はどこにもない。倫理規定にもないだろう。廊下に出ると、鞄を掛けた陽介が後から追ってきた。
(付き合う、とかはなさそうだよな)
 告白されたは兎も角、恋人が出来た位は、報告してくれるだろう。陽介の感じからは、そこまでは至っていない様に思えて、安堵した。安堵したことに、何となく苦い気持ちになる。もう何度、こういう経験を繰り返せば良いのだろうか。ハラハラして、やきもきして、嫉妬して、八つ当たりなんかをして。何もかも上手く行かない。恋は難しいし、苦しいばかりだ。それでも。
「腹減ったなー……フードコート寄ってかね?」
 両手を後頭部で組んで、陽介はふと窓の外へ視線を向けた。
「またジュネスかよ」
「昼間の、悪かったし……奢るから!」
 こちらに振り向くと、陽介はにこにこと笑った。この笑顔を見るだけで、やはり彼は何者にも替え難い存在なのだと思う。どんなに思い悩んでも、手放したくないと思うのだ。相棒でも良いから、隣にいて欲しい。
「良いよ。俺こそ、苛立って悪かったから、奢る」
「えっ、マジ!?」
「ゴムみたいなビフテキで良ければな」
「ゴムってゆーな!」
 窓の外を見ると、陽介の好きだと言う橙色が、目に鮮やかで眩しかった。

 時折、妙な夢を見ることがある。泣いている陽介を慰める夢だとか、そういう、どこか願望でも混じっている様な夢。夢を夢だ、と知覚していることは少ないが、その日のそれは、夢だと分かった。
(金色の目の、俺?)
 眼の前に立っているのは、自分だった。全く同じ姿をしている。
「シャドウ?」
 陽介や仲間のシャドウは度々見ている。それが受け入れられて、ペルソナに変わり、今度は自分を守ってくれる様になっていったのも見ていた。月森には最初から、イザナギがいて、シャドウを見たことがない。けれど、友人達のそれを見た限りでは、金色の瞳というのは象徴的な影の特徴であった様に思う。だとすれば、目の前の自分は、影だということになる。
「どうしたって、手に入らない」
 影は月森を指さした。
「いつか、誰かのものになってしまう」
 明言はしなかったが、それが、誰を指しているのか分かって、月森は動揺した。
「怖いんだろう?」
 止めろ、と口から出そうとしても、言葉が上手く出てこない。影はそんな月森の様子には見向きもせず、淡々と言葉を続ける。
「誰かに盗られてしまう位なら、いっそ」
「――! 黙れ!」
 ゆらゆらと形作っていたものが揺れている。その姿は、陽炎の様にも思えた。
「我は汝」
「違う」
 影は笑う。
「真なる我」
 首を振っても、影は動じなかった。影世界でもない為か、否定する言葉への反応はない。暴走するでもなく、淡々と、こちらを見て、言葉を紡ぐだけだった。
「いっそ、自分で――」
 その言葉は最後まで聞くことが出来ず、目覚ましのけたたましい音で覚醒した。音の発生源を叩いて止めて、月森は暫く、ぼんやりとしていた。
(……俺の、影)
 テレビの中に入りたくない、と思った。陽介と約束しなければ良かった。

 実際に、自分がその立場に立ってみなければ分からない、ということもある。月森がそれを実感したのは、その日の朝だった。いつも通り、学校に向かって歩いていると、途中で、下級生らしき女子生徒に呼び止められた。正直に言って、何も喋らなければという意味では陽介も同じだと思うが、黙っていればそれなりに見られる容姿だ、と昔から言われている月森は、特に八十稲羽に来てからは、何人からも告白を受けている。特に関わったことのない女子の方が圧倒的に多いので、世の中、外面より内面だ等と言う言葉は嘘らしいなと思う。
「あの、月森先輩って、花村先輩と仲いいですよね」
 なので、そう、切り出されて、自意識過剰ながら、驚いた。
「と、思うけど。それが?」
 仲が良いと言われて、悪い気はしない。それが世間一般的な友情にカテゴライズされるにしても、仲良しという扱いは悪いものではないだろう。実際、月森は誰よりも彼を親しいと感じているし、特別視してくれているという言葉が嘘でなければ、陽介にとってもそうだ。そして、あの場面で嘘をつくとは考えられないから、やはり月森は陽介にとって、特別なのである。
「あの、これ……花村先輩に渡して貰えませんか?」
 渡されたのは、ピンク色の花模様の封筒。中心には、昨日、自分が貰った物と同じ様に『花村陽介様』の文字が踊っている。文字の感じは、清潔そうだった。整った形の良い文字をしている。A型ではないだろうか、と咄嗟に思った。陽介は、自分をA型らしくないと良く言うが、案外に几帳面だし、何よりその繊細さは正しくA型のそれだと月森は思う。
「どうして、俺に?」
 お世辞にも、陽介と違って、話し掛け易い方だとは思わない。疑問に思って尋ねると、少女は頬をピンク色に染めた。可愛らしい感じ、と言う意味では、陽介の好みそうだな、と思う。
 昨日、共に帰った感じを見るにつけても、やはり陽介は告白を受け取らなかった様であった。理由は判然としないが、好みの顔ではなかったのかも知れない。陽介は面食いという訳ではないが、女子には好みと理想が厳然と存在する様なのである。この少女はどうだろうかと思う。
 少女はもごもごと、何か言おうとしている様だった。忙しなく目が動いている。
「悪いけど、俺は、こういうの嫌いだから。人伝に渡させようとか、止めて欲しい」
 答えを待つ義理もないと思ったので、早々に打ち切り、月森は冷たく言い放った。
「で、でも……」
 縋られると、断れないという陽介の感情がその瞬間、理解出来た。余程、冷淡でなければ、泣き出しそうな少女のささやかな――彼女達からすれば、非常にささやかでしかない、望みを叶えてやろうという気にもなるのだろう。
(そっちは、ささやかで済むのかも知れないが)
 万難を排したい。陽介に近付くなとは言わないし、言う権利もないが、自分を介して接近するなんてことは、万に一つも有り得させないつもりだ。靴箱や机に入れておくのでも事足りる様な手紙を態々友人に手渡させることで閲読を強要するという、恋する少女の小さな悪辣さが、今の月森には癇に障って仕様がない。よりにもよって、自分の手で。そう思うにつれても、陽介は月森について、そういった関心を抱いていないことをひしと感じるので、遣る瀬なかった。
「直接言ったら?」
 彼女なら言えるだろう、簡単に――好きです、と。
 彼に言うことの出来る権利を彼女はオートマチックに持っている。その事実に苛立っている訳ではないし、彼女だったら、実際、陽介と親しくなることは難しかっただろうとは思う。陽介は見た目に反して非常に繊細だし、その心の奥まで入り込むのは容易ではない。それが出来たのは、自分だからだ。月森は自負している。けれど、自分が異性だったら思わずにはいられないのだ。それだったら、何度だって、好きだと言える。想いが返ってこないとしても、伝えることは許されるのだ。今の月森には、それすら出来ない。許されていない。
 俯いた少女にそれ以上、掛ける言葉もなかった。月森はさっさと歩き出す。余り時間を食えば、始業時間に間に合わなくなってしまうとか、そんなことだけを思った。
(薄情だって陽介は思うかな)
 水着とか用意してくるのは、女子を女子として扱っているからだ。彼女等は嫌がるかも知れないが、興味関心がないと言われるより、ずっと扱いは上だろうと月森は思っている。現に、水着姿を見て、良く似合っているなとは思ったが、それ以上の感慨はなかった。強いて言えば、陽介は女子の水着についてのセンスが良いなと思った程度だ。彼自身の水着は非常にハイセンスであったが。そんな女子に気を使う陽介ならば、月森の行動に怒るかも知れない。傍にいたら、取りなそうとしただろう。そうやって、いつか陽介の優しさに気付く可愛い子が現れたら、今度こそ陽介は告白を受けるのかも知れない。そんなことは嫌だと恐れても、時の流れは止められない。砂時計の砂は必ず落ちて行くし、時は止まらない。魔法でも使わない限り、時間は止まってくれない。
(ずっと、こうしていたいだけなのにな――)
 陽介が相棒と呼んで、一番に自分を見てくれる。それだけでも良い。けれど、時は流れて行く。魔術師ではないマジシャンに出来ることは、彼にハートを引かせること位だった。

 

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