Magician's Ace -2

「つーきもーりくーん。ハイ、これ」
 廊下から千枝が戻ってきたと思えば、白い封筒が、月森の後頭部に乗せられた。振り返って陽介と会話をしていた月森は、千枝の突然の攻撃にぎょっとして手を伸ばす。
「手紙?」
 真っ白な封筒を、月森が陽介の机に下ろす。中心には丸っこい文字で、『月森柚樹さま』と書かれている。
「リーダーやるじゃん」
 一見するだけでも、それはラブレターだと分かった。千枝は、渡してくれって頼まれただけだから、と右手を振って、また廊下に駆けていく。
「ははっ、さっすが、相棒」
「……困ったな」
 本気で困っている様に、月森は頭を掻いた。ラブレターを受け取って困った等と言うのは、八十神高校でも、月森位ではないだろうか。羨ましい限りだな、と普通の感想を得た。
 可愛らしい字だ。白の封筒、紅い文字。そして恋文なんて、少し、古風だ。こういうことは、雪子ならば似合うかも知れない。千枝と同じ程度に月森に親しむ彼女が、友人を介して渡す筈もないから違うのだろうが。
 月森は封筒を置いたまま、動こうとしない。
「中、見ねぇの?」
「あ……いや、まぁ」
「ずっりぃよなぁ、モテモテでさ」
 何て言って陽介が片目を瞑ると、月森の冷えた双眸は、きゅっと鋭くなった。苦虫を噛み潰した様な、微妙な表情を見せる。
「なんてな。ま、お前だったら、仕方ねぇか」
 男から見ても、美形で顔が整っている。勉強は出来るし、スポーツも万能。料理も出来て、心も広い。そんな、都会から来たクールなイケメンとなれば、女子が囃し立てるのも無理はないことだと陽介も思う。実際、自分の相棒がそういう人であることを一番知っているのは自分だと自負しているし、そうであるから誇らしいと思うのだ。勿論、羨望はあるが、陽介には到底、月森の様にはなれないだろうということを熟知していた。17にもなって、子供の様に滂沱と涙を流す自分とは、訳が違うのだ。それを包み込むだけの包容力も、敵うべくもない。
(そんなんだから、俺は)
 折に触れて考えてしまうことを、思って瞬時に頭の中から追い出した。
「な、理想の子とかねぇの? こういう子がいたら、付き合っちまうなー、とかって」
 聞きたいとも思わない様な言葉が、スラスラと口から流れていく。昔からそうだった。自分が傷付くと分かっても、止めることが出来ない。笑う為に、無駄に心が磨耗していく。そういう関係を続けて行くことが望みなのか、と、問われれば、陽介は答えに窮するだろう。違うとはっきり言っても、掬われることもないのだ。長い指先、形の良い爪、そんなパーツに無駄に着目して、ふと息を吐く。
「理想はないな。好きになった人が、理想」
「うわ、イケメンは言うことが違う……」
 少し胸を撫で下ろしながら言うと、月森は探る様な目で陽介を見た。
「陽介こそ。理想のタイプってない?」
「え? 俺?」
 理想と、現実に好きな相手とは違う。
(まぁ、月森は理想的な感じすっけど)
 陽介は昔思い描いていた、理想の女の子を思い出してみた。今でも勿論、理想値という意味での変動はない。ずっとアイドルとしてのりせに憧れていたとか、雪子の様な美人と付き合えたら良いなとか、そんなことを思っていた。その理想が理想として呼吸した状態では、きっと、本当の恋には至らない。小西早紀に恋した時も、その理想は消え失せていた位だ。
「俺は、やっぱ、りせちーみたいにプリチーな子が好みだなー! あ、でも、胸はもっとあった方がいいかも」
 なるたけ明るく言って笑うと、月森はクールな視線でこちらを見ていた。
「下世話なことを……。久慈川に言い付けておくぞ」
「ヤダ! やめて、相棒!」
 手を合わせると、クスクスと笑われた。本気で陰口みたいなことは言わないだろうが、何かあった時にりせに言うとか言い出し兼ねない。月森は笑いながら封筒を取ると、机の横に掛けてある学生鞄にそっと差し入れた。
「ま、りせちーに天城がいれば、並の子じゃ、太刀打ちできないってか」
 そういう訳じゃないけど、と月森は首を振った。
「今は、考えられない。正直、こういうの貰っても、困ってるな」
「あ、そ、そっか……事件のこともあるしな! ま、俺もそんなとこ」
 適当に笑って机をバンバンと叩くと、陽介はそもそも貰わないんじゃないか、と返された。月森に言われては反論出来ない。ひでーの、とだけ言って、笑う。
(そう、だよな。俺らにはやるべきこともあるし)
 自分ばかりがうじうじと考えていて、申し訳ない様な、情けない様な気持ちになった。陽介はふるふると首を振って、雑念を追い払う。自分たちの今の目標は、この平和な八十稲羽を震撼させる殺人事件の解決。犯人を捕まえることだ。
「陽介、それより、明日は空いてるか? テレビにそろそろ入っておきたい」
 気合を入れたところで、丁度良い誘いが入ったので、陽介は二つ返事で頷く。
「ん、了解! 明日ならバイトもねぇし、平気だぜ」

 だから良いでしょ、と強気な黒い瞳で睨む様にして言われたので、陽介は辟易した。隣で、ロングヘアーの少女が俯いている。だから、とは何がどうして『だから』なのだろうか。
「月森君とアンタ、仲いいんだからさ。こんくらい、渡しといてくれれば」
 真っ白な封筒、紅い文字。
(おまじないかなんかでも流行ってんのか?)
 折りしも、前に見た手紙と同じ様な物だった。思わず溜息が出る。
 月森はモテる。改めて言明する必要もないことで、モテるし、今までにだって、やれプレゼントを渡してくれだの呼び出して欲しいだのと言われてきた。手紙だって、陽介ならば話し易いからと、何度も取次を頼まれている。今回も同じだ。
(可愛い子だし)
 隣で詰め寄ってきている方は兎も角、シャイな雰囲気に黒い髪が揺れている姿は、どことなく大和撫子的だった。
(ホント、羨ましいヤツ)
 有り体に言えば、陽介の好みの感じだった。月森の好みは知らないが、言われて、嫌な気がする様な相手ではないことが一見して分かる。逡巡するのは、多分、そういう理由だ。そう思って自己嫌悪した。いつもみたいに、取り次いであげる。陽介がすべきことは、それだけなのに。
「わ、私、直接、話しかける勇気がなくて……」
 今にも泣き出しそうな、大きい瞳が揺れる。勇気がないという言葉は身につまされた。彼女ならば、ほんのちょっとの勇気で事足りる様なことが、陽介には困難な壁として立ち塞がっていることなんて、少女達は知りもしないのだろう。知られたら困ることではあるので、そんな理不尽な文句は脳内で打ち消した。
 困るとは言っていた。今は興味がないらしいというののも見ている。けれど、可愛い子が、となれば、やっぱり気が変わることもあるかも知れない。何より、泣き出しそうな女の子を見ていると、無碍に出来ない様な気がするのだ。悪いのは自分ではないのだが、悪役だと後ろ指を指される様な、そんな感覚がある。
「渡すだけ、だからな」
 お人好しというか単なる馬鹿と言うのか、自分を客観的に判断することは一先ず保留し、隣の茶髪の方が押し付けてきた封筒を受け取った。途端、少女の顔が晴れやかになる。
「返事とかまでは、分かんねぇからな」
「花村、意地悪言わないで、ちゃんと聞いてきてよ!」
(意地悪って)
 やっぱり俺が悪者なのかよ、と心の中でまた溜息を吐いて、何か月森が言ったらそちらに返すということを約束し、陽介はやっと解放された。昼休みだから良かったものの、逃す気がないかの様子には勘弁願いたい。
(手紙――か)
 こうやって引き受けるから、また、増えるのだ。今までだって、両手で数えなければならない位には、こういうことを頼まれている。便利屋のジュネスの王子。断らないから使い易い。そんな悪意ある中傷でも出回っている様に思えてならなかった。実際、陽介は人の和を崩す様な真似は苦手だ。頼まれたら可能な限りは果たそうとする。バイトを調整しろとか、理不尽な要求にも応えてきた。そんな自分を、好いてはいない。
 改めて封筒を見ると、裏には封がされていなかった。こういうものを簡単に預ける程度には、陽介の信頼は無駄に高い。そんなものは、嬉しくもなんともないのだが。
「っと、屋上行かねぇと――」
 件の月森を待たせていることを思い出し、陽介は慌てて階段の方へと早足で向かった。
(アイツ、誰とも付きあわねぇのかな)
 出会って数ヶ月、既に学校で知らぬ者のいないイケメン。告白された数は山程だが、そのどれも断っていると聞くのだから驚きだ。一人位、付き合ってみようかな、と思わないのだろうか。
(好きな奴でもいんのか?)
 少なくとも、陽介との会話において、そういう話は聞いたことがない。或いは聞かされていないだけかも知れないが、兎にも角にも、陽介は知らなかった。彼を一番知っている、と思いたいけれども、そんなことですら聞けていない。聞いたらやっぱり、ショックだろうか。
 分かっているのだ。月森は、陽介が相棒だと言えば頷いてくれるし、友人としては最も近しい場所にいる。けれど、それ以上を越えることはない。彼は普通の人だし、特別だと思っているのは、やっぱり陽介ばかりなのである。月森も「陽介と同じだ」と返してくれたけれど、違う。
 階段を駆け登ると、バタバタと煩い音が響いて、下の方から「階段を走るんじゃない!」と声が聞こえた。誰だか分からないのでそれを無視して、屋上へと向かう。
「陽介、遅い。何してたんだ」
「ワリィ……ちょっと引き止められてて」
 月森はフェンスに寄り掛かって、こちらをじっと睨む様に見据えた。銀色の瞳は、威圧感を増して陽介を責め苛む。居心地が悪いのと、何度経験しても見詰められるのには慣れないのとが同居して、思わず目をすい、と逸らした。
「折角、陽介の好きなカレーを作ってきたのに」
「わ、マジで? へへっ、サンキュー、相棒!」
 しかし、我ながら現金なもので、好物のカレー――それも月森の作った物は非常に美味しいので特に好んでいるので、それがあると分かると、気分がぱっと浮上した。陽介は単純なのよ、と母には心配されたこともある。
 月森が腰を下ろしたので、陽介も拳一つ分位空けて隣に座った。鞄から、買ってきた焼きそばパンを取り出して、いつもの様に、お弁当と交換する。
「いっつも思うけど、交換でいいのか?」
「今更? 自作弁当が食べたいって訳じゃないから、別に。弁当代が浮くのがいいってだけで」
「ふーん。勿体ねぇの」
 カレーは白いタッパーにルーが入っていて、弁当箱には白米が詰められている。弁当用ではない大きいスプーンでルーを掬って、ご飯にかけて食べる形式だ。
「んじゃ、いっただっきまーすっと」
 月森は既に、焼きそばパンのビニールを剥いていた。見掛けによらない大口でパクリと一口を入れると、歯の力で食い千切る。豪快な食べ方だった。
「相変わらずうめーな、お前の弁当」
「有難う。陽介は素直に褒めてくれるから、作り甲斐はあるな」
「ははっ、そりゃよかった」
「今日のは隠し味にリンゴを入れて、甘めにしてあるんだけど、どう?」
「美味しいです。つか、それしか言えなくてワリィんだけど」
 言われてみると、いつもよりも少し甘口のカレーに感じられた。けれど、美味しいという点では、全く変わりはない。感想として出てくるのがそれだけで、陽介は少し、自分の舌の不甲斐なさに思い至った。
「いや、良いよ。口に合ったなら結構」
 けれど、月森は些細な味の変化についての感想を求めている訳ではないらしく、唯、そう言うと、切れ長の目を弓なりに変えた。すっと薄い唇の端が上がる。涼やかな笑顔に思わず見蕩れたのに気付いて、陽介は慌てて視線を逸らした。
 女子に作ってやれば良いのに、と一度だけ言ったことがある。美味しいと思う反面、自分がこれを受け取っていることが、勿体ない様な、申し訳ない様な、そんな気持ちに駆られたのだ。そんな陽介の言葉に、月森は首を横に振り、別に良い、とだけ言った。実にクールな反応で、そんなところが格好良くて、モテるのだろうなと思った。安売りはきっと、しない主義なのだ。第一、そんなことをしなくても、引く手数多なのだろう。だったら、出来れば自分にだけ作ってくれたら、とそっと思ってみたりもする。口には出さない程度に、思うだけ。
 隣に視線を戻すと、月森は既にパンを平らげていた。
「足りない?」
「陽介はこれで足りてる訳?」
「俺は足りてんだけど……あ、もしものためにメロンパンならあるぜ」
「何そのチョイス。陽介って偶に、女子っぽい」
「るせー」
 鞄からもう一つのパンを取り出してポイと投げた。月森は至近距離からのスローにも対応すると、笑いながら袋を開けた。
「細いんだから、ちゃんと食えよ、陽介も」
「それほどでもねぇだろ」
「どうかな」
 言うなり、やおら月森の腕が陽介の腰に回された。吃驚して思わず、うおわっ、と変な声をあげても、彼はちっとも動じない。カレーが溢れなかったのは幸いだ。
「細い。女子と比べられるとまでは言わないけど、男としては細過ぎないか?」
「やや、やめろよ、お前な!」
「腕も細い」
 今度は左腕を引っ掴んだと思えば、二の腕辺りを触り始める。行成、妙な行動を始めるので、陽介も戸惑った。
「月森! この……聞いてんのか、相棒!」」
「あぁ、御免。食事の邪魔だったか」
 さらりと言って腕が離れた。変な熱だけがそこに溜まって、陽介は頭を抱えたい気持ちになる。
「メロンパンって、中身が何もないと、損した気分にならないか?」
「……知らねぇよ……お前だけだろ」
「そう? クリーム入り、とかのが美味しい」
 平然とした様子に、釈然としないものを感じる。そう思っても、月森が陽介を触って、何を意識することがあるのだと言われればそうだ。やや接触過多、スキンシップ過剰だったというだけで、何も変わらない。陽介の寿命だけがキリキリと音を立てて減っていく。鼓動が浪費されたら、早死にすると聞いたことはあるが、月森の隣にいては、若くしてポックリと逝きそうだ。そうなったら、祟ってやる他ないだろう。
 長居していても、そうやって寿命が縮みそうだったので、陽介は残りのカレーを掻っ込んだ。ご馳走様、と手を合わせると、お粗末様でした、と返ってきた。
「サンキューな、相棒。また作ってきたら頼むぜ」
「その内な」
 食べ終わった容器を渡すと、丁度、胸ポケットに突っ込んでおいた手紙に目が止まった。
「っと、そうだ、これ」
 そもそも、ここに来て直ぐに渡せば良かったのに、やっぱりどこか、躊躇いが残っているから、いつまでも胸に刺さったままだったのだ。
(なんつぅ、女々しい……)
 またそんな風に自己嫌悪する。どうせ、この手紙を渡したって、渡さなくたって、何も変わりはしないのに。月森は、普通に女の子が好きで、陽介は親友でしかない。林間学校でも、そんなことはないと言い切っていたのだ。陽介に何か言えることなんて、最初からない。告白するよりも前から、失恋しているのだ。
 白い封筒をポケットから取り出して月森に見せると、怪訝そうな顔をされた。
「何、それ」
「なにって、手紙。見て分かるだろ? さっき呼び止められたっての、コレのこと。お前に渡してくれーってな」
 眼前に差し出しても、月森は目線をそれに合わせたまま、動かない。
「相棒? どうかしたか?」
「何で、こんな物、持ってくるんだ?」
 声が明らかに、不機嫌な音に変わっていた。ぎょっとして顔を覗き込むと、銀色の光がナイフの様に鋭く陽介を睨んだ。
「迷惑だ。それと、不愉快」
「はぁ? どゆこと?」
「言葉の通りだろ。そんなことも理解出来ないのか?」
「や、ちょっと待てよ。えっと、結構可愛い子だったぜ? 天城程じゃねぇけど、なんつかこう、大和撫子――みたいな」
「迷惑だって言ってるだろ」
 月森は俄に立ち上がると、上から陽介を睥睨する様に見下ろした。
「どういう子だったか、とか、聞いてないから。大体、何で、いつもこういうことするんだ? 俺は困るって、言っただろ」
 ギロリ、と睨まれて、思わず竦み上がった。美形の怒りは、非常に美しくも怖い。
「ったって……頼まれたんだから、仕方ねぇじゃん」
 別に、陽介とて、持ってきたくて持ってきた訳ではない。そんな事情、月森には知らないことだろうが、まさか、非難される様な目に遭うとは思っても見なかった。
「先、戻ってるから」
「ちょ、待てよ、これ」
「何度も言わせるな。迷惑だから、受け取らない」
 月森は背を向けると、スタスタと歩いて行く。後には、置き去りの半分になったメロンパンと陽介だけが残された。
「なんなんだよ、一体」
 確かに、月森はこういう手合いを好んではいなかった。一度たりとも肯定の返事をしない一端には、人伝に渡されるのを疎んでいる為なのではないかと思われる位だ。陽介が持ってきた時も、最初はふうん、と受け取ってくれたものの、段々と、嫌そうになっていた。それは知っているけれど。
「里中のはちゃんと貰ってただろ」
 それなのに、自分のばかり、受け取ってくれないというのは、納得が行かない。第一、渡してくれた二人組だって、納得しないだろう。下手すれば、陽介に全ての責任があるかの様に取られることもあるかも知れない。勿論それは、千枝とて同じことだ。
(そりゃ、里中に比べれば、俺なんてどうなってもいいんだろうけど)
 相棒にしては冷たいが、元々、月森はクールな方だし、そう言われても、頷ける。けれど、千枝の渡すのが受け取れるなら、こちらを受け取ってくれても良いのではないかと思うのも事実だ。やっぱり、納得が行かない。何と言って手紙を返そうかと悩みながらポケットにもう一度入れると、予鈴が聞こえた。

 

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