Magician's Ace -1

 完二の背が段々と遠ざかり、暗い闇の中へと消えていく。薄暗い森は、どことなく、童話の魔女が棲む森をも想起させる危うさを保っている。木々が風にざわめいた。テントから顔だけを出していた陽介は、何となしに空を仰ぎ、そこに瞬く無数の星の輝きを見て、星座の名前が一つも分からないことだけを一度思った。ぱちりと瞬きをして、お前の所為だぞ、とテントの中で平然とする友人の方へと振り返る。
「あーあ、完二、女子んトコ、行っちまっただろ」
「自己責任」
 冷たく言い放った月森は、ランプの灯りを見ていた。ちかちかと揺れている。
「焚きつけといて、よく言う」
 ランプを挟んで向かいに座ると、何のことだか、とこちらに月森はこちらに目を向けた。
「本気にするとは思わないだろ。常識的に」
「そら正論だけど」
 陽介は肩を竦めた。確かに、如何に月森に「行ってこい」と言われたからとて、それを鵜呑みにして、この暗い中で女子のテントに走って行くのは、残念ながら、短絡的にして非常に愚かしい行動だと言わざるを得ないだろう。同じ立場だったとしても、陽介ならば、ここのテントから退散こそすれ、女子の所には行かない。それに、頭に血の上ってしまった完二の扱いと言うものについてもある。行くなと言って聞かせて、素直に聞く様なタマではないのだ。どれだけの伝達力があったとしても、彼を止めるのは難しかろう。だからと言って、助長する言葉を口にして良いかと言えば、それもまた違う気がした。
「陽介、あんまり揶揄ってやるなよ」
「お前が言うか。お前だって、いない方がいいって思ったから、あぁ言ったんだろ」
 陽介は両手で膝を抱えただらしない格好で膝に顎を乗せた。唇の端を軽く上げて笑う。あの月森が、完二如きに怯える等とは到底思えないが、共寝は御免だったからこそ、追い出したのではないかと推測するのは容易だ。
「……それは事実だ」
「だろ? やっぱな」
 くっくっくと喉の奥で笑うと、月森は形の良い眉を顰めさせた。
「陽介も怯えてたみたいだしな」
 負けじと言い返されたので、こちらも慌てて反論する。
「怯えてはいねぇっての。いざってなったら、お前もいるだろ」
 如何に完二と言えども、男二人で押さえ付けられない腕力ではない筈だ。だから、貞操の危機とは言ってみたものの、具体的な危険性は感じていなかった。強いて言えば、抽象レベルで、余り共にいたくはないなと思うという程度だ。
「果たして、そう、陽介の思い描く通りに行くと思うか?」
「えっ、ソレ、どういう意味だよ……」
 意図することが分かりたくなかったので、思わずビクッとすると、月森は意地悪そうに微笑んだ。
「俺も、完二に加勢するかもよ?」
「……。完二、追い出しといてよかったわ」
「冗談だ」
「あたりまえだろーが、このアホ!」
 下らない言い合いをしながら、空腹とか色々なことを脳から排除する。完二から奪ったお菓子だけで膨れる程、安い腹はしていない。笑う月森からはお腹の音も聞こえないし、平然としているが、どうにも人間離れしている様に思えた。或いは、空腹を本気で感じていないのかも知れない。有り得る。そう思って、ちらりと銀色の瞳を見て笑うと、何だと睨めつけられた。
(加勢するって……俺をどうする気だよ……)
 一瞬、月森の長い指が自分の手首を押さえ付けるイメージがパッと浮かんだ。銀色の目が、間近に近付いてくる。『逃げ場はないよ、陽介』なんて笑っていた。
(って、うわ、ナシナシ! 今のナシ!)
 ふるふると首を振ると、月森は不思議そうに首を傾げた。
(そ、そういう意味じゃなくて――って、じゃあどういう意味なんだよ!)
「どうかした?」
 勢いで、思わず尋ね掛けた言葉が、喉の奥で止まった。聞いてどうなるというのだろうか、と理性が押し留める。
「や、なんでも……ひ、暇だよな! んなすぐに眠れる訳でもねぇし……」
「あぁ、暇なら、トランプでもするか?」
 言うが早いか、月森は鞄を開くと、格子柄のトランプケースを取り出して見せた。少し高級そうにも見えるそれは、彼の得意なマジックでも使えるのかも知れない。
「二人でできんのって、スピードくらいじゃね?」
 ほい、と渡されたので、中を出してみる。一番上にはジョーカーのピエロが居座っていた。
「二セット大富豪とかも出来るけど」
「えっ、なにそれ? どうすんの?」
 初めて聞いた言葉に、陽介が若干心を踊らせて声を弾ませると、月森は銀の瞳を弧に細める。三日月の様に見えるその目は、陽介が幾度となく見ているもので、その度にどこか、焦がれる様な気持ちを浴びせるものでもあった。
「取り出しましたるは、もう一組のトランプ」
「なんで二個持ってんだよ」
「えっ? あぁ、最初から考えてたから」
「なにが?」
「二人だけで、トランプを楽しむ方法」
 良く意味が分からずに、陽介は相変わらず膝を抱いたまま、首を傾げる。
「最初から、二人しかいない予定だっただろ」
「あー……そういや」
 完二はイレギュラーである。暇することを見越して、トランプゲームを用意していたのであれば、非常に用意周到だ。さっすが月森、と片目を瞑ると、まぁ、と曖昧に視線を逸らされた。
 月森は、自分が持っている方のトランプ(同じ格子柄の物であった)のケースを開けると、それをシャッフルした。手早く切っていく様は、宛らマジシャンちっくでもある。陽介が感心して見ていると、急に、その束が陽介の眼前に出された。
「一枚引いて」
 全て同じ、紺色の格子柄。行儀良く綺麗に並んでいる。丸で、月森そのものの様だった。きちんとしたスタイル、折れ目のない真っ直ぐなカード、無数にそれらが並んでいる――陽介はその中心を一枚だけ手中に収めた。
「当てんの?」
「ハートのエース」
「うわっ、マジで?」
 陽介が引き当てたのは、紅いハートの中心だった。月森に言われて裏返して見れば、確かに、そこにはハートの一番目。
「なにこれ……これも、月森マジック?」
「そんなとこ。で、何だって?」
 手元のカードを矯めつ眇めつして見ていると、月森の顔がすっと近付いてきた。鼻先が触れそうになって、慌てて飛び退く。
(バッ……なんで、近いんだよ!)
「さっき、何か言いたそうにしてたから」
「や、なんでもねぇよ?」
「嘘言うなよ。陽介は分かり易いから、直ぐに分かる」
 再び顔が近付いてきたので、今度は両腕で押し返した。突き飛ばされる形になった月森は、不服そうにじっとこちらを見ている。言わないと、今夜は眠らせないとでも言う様に、真っ直ぐに視線が突き刺さった。居た堪れない。
「大した、ことじゃねぇぞ」
 トランプで忘れてくれていても良かった。蒸し返されたので、動揺する。月森はうんと頷くと、それきり黙ってしまった。
「……お、お前は、完二みたいなの、ねぇよなって」
 そうして、言葉にしてみてから、やはり言わなければ良かったと思った。誤魔化す言葉なら幾等でもある筈なのに、こういう時に限って浮かんでこない。失策だと思った。こんなこと、真剣に言われてもきっと、困る。
「そう言うの、ねぇよな」
 恐る恐る言うと、月森の瞳がぱちぱちと瞬きをした。
「ないよ」
「だ、だよな!」
「あったらどうした? 俺も、完二みたいに追い出した?」
「や、別に、そういうわけじゃねぇけど……」
 視線を逸らすと、ぷっと噴き出す音が聞こえた。
「陽介、怯え過ぎ」
「るせっ……お前が、加勢するとかなんとか言うから」
「ってか、完二のダンジョンでもそうだっただろ」
「うるせー! つかもうアレだ! アイツのダンジョンが、諸悪の根源なんだよ!」
 そう、完二のダンジョンが悪い。胸の疼痛を、頭を振るだけで無視して、陽介はトランプケースを開けた。ジョーカーの次にはスペードのエース。さっき選んだのは、ハートのエース。
(馬鹿みたいだ)
 多分、その、たった一枚のハートが悪いのだ。厄介だ。それを、月森の手から抜き取ってしまった時点でアウト。
「陽介、それ、混ぜちゃって良いよ」
「へ? なんで?」
「二セット使う大富豪って言っただろ。こっちのカードの半分をそっちにランダムに混ぜて、残りはケースに仕舞っておく。そうすると?」
「なにが何枚か分からないってことか」
「ご明察。そうすれば、相手の手の内は知りようがないだろ?」
 成程、中々頭が良いことを考える。陽介が感心して呆けていると、月森は自分の持っているカードを、また陽介の方へと向けた。もう一枚引いてみて、と言われるままに指を伸ばす。ハートのクイーンと言われて裏返せば、果たしてその通り。お前はハートを奪われているのだ! と言われんばかりの様子に、俄に頭痛を催した。
(意味分かんねーの……)
 そもそもどうしてあんなこと聞いてしまったのだろうかと、自問自答する。答えは簡単だ。きっと、どこかで期待していた。期待。何かを。
(って、じゃあ、どう答えたら満足すんだよ)
 もう一枚、と月森が笑う。言われるがままに、陽介は指を伸ばす。それはジョーカーだ、と月森がケラケラ笑った。もう一枚を自棄になって引くと、ハートのキングが出てきた。

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