Just call your name -9

 週が開けて月曜日、再びジュネスのフードコートに恋人二人は集まった。午前中は分厚い雲に覆われていたが、昼過ぎになると太陽がすっかり顔を覗かせていた。千枝は、晴れて良かったとカラカラ笑う。フードコートに集まる関係で、雨は出来れば避けたいのだろう。
「そんで、日曜もゲームしてたの?」
「なんだよ、その目は」
 胡桃色の瞳が細くなる。これだから男は、とでも言い出しそうな呆れた眼差しだった。陽介に言わせれば、やれ洋服だのドラマだのと好き放題喋り続ける千枝と雪子の方が、余程、呆れてしまう。やはり性差だろうか。
「言っとくけどな、土曜は宿題やってたんだぜ。まぁ、途中で飽きてテレビ見てたけど」
「意味ないじゃん。どうせやったの1ページとかでしょ」
「う……に、2ページは進んでるっつの」
「うわ、たったそれだけ」
 千枝は両手を上げて首を振った。
「お前だってどうせ進んでないんだろーが」
「ふふーん、こっちは雪子とやってるもんね。もう5ページはやってるんだから」
「いやそれ、お前もあんまり変わんねぇだろ」
 課題集は100ページ近い分量がある。その内の2ページか5ページかはさして変わるまい。正に五十歩百歩だ。一緒にしないでよ、と千枝が言うのは、この諺を知らない為ではないだろうか。何せ、現国が苦手なチエチャンだ。
「後で天城に泣きつくのはぜってぇそっちだ。賭けてもいい」
「言ったな。そっちこそ、月森くんに泣きつくのは見えてるんだから! いいじゃない、賭け上等。勝ったらジュネスでビフテキ奢りだかんね!」
 血気盛んな千枝は、立ち上がると陽介の額に指を突きつけた。しかし彼女の負けん気の強いところは良く知っている。陽介は余裕綽々で片目を瞑って見せた。
「ここんとこ財布が寂しかったんだ。いやぁ、里中に奢って貰えるなんて、ありがたいありがたい」
「一人で言ってろ!」
 千枝が雪子の手伝いを宛に出来ることは百も承知だが、こちらには学年主席様が付いているのだ。それも、盛大に暇を持て余している。
 月森は教授するのが得意で、前に課題で分からない部分を尋ねた時も、陽介の理解が不足していた部分に立ち入って説明してくれた為に、きちんと理解出来た。図書室で共に勉強した時も同じで、あの時等は本当に偏差値が上がったのではないかと思った位だ。現に、今回の期末試験の順位は幾分上がっていた。テレビに入って疲れた日は勉強もせずに寝入ってしまうにも拘わらず、だ。しかし教えが良い反面、月森は丸写しと言うことを嫌う。必ず、自分の力で解かせようとするのだ。それが陽介の為だから、と、まるで母親の様に月森は言う。
(そういや、9月からカテキョのバイトするとかなんとか言ってたな)
 クマもセンセイと呼んでいるし、似合うかも知れないと勝手に思った。優秀な先生は、夏休みの宿題も、写させてはくれないだろう。そういう意味では、きちんとやらねばなるまい。しかし月森が見てくれると捗るのだ。そこまで終わったらまたゲームの続きね、とにこやかに微笑まれると、何となく真面目にやる気になる。月森マジックは様々な場面で発揮される様だ。
「しっかし、月森くんとアンタって、ホント仲いいよね」
 ストンと椅子に腰を下ろし、先程買ったコーラのストローを手で弄びながら、千枝はどこかぼんやりとした調子で呟いた。
「それ、里中が言うか?」
「だって、男でしょ?」
 それは性差別だろうと思ったが、世間的な目がそうなるのも何となく分かるので言葉にはしなかった。女の子二人ならば、いつも共にと言うことは珍しくない。毎日二人で昼食を摂るのだとか、登下校は常に二人でいるとか。高校生になったって、そういうことは普遍的に行われていた。千枝と雪子が例外なのではない。
 しかし男子高生となれば話は別だ。
(や、別にいつも一緒に学校に行ってるわけじゃねぇし、お昼は、まぁ、別れて食べるのも変ってくらいだし)
 登下校時に月森と良く遭遇するのは、通学路の都合上だろう。
「それにさ、アンタは知らないけど、月森くんが他の人といるの、あんまり見ないから」
 言われて首を捻った。
「部活は結構顔出してた気ぃするけど」
「あぁ、バスケ部だっけ……ね、月森くんが演劇部入ってるって、ホント?」
「本人が入ってるって言ってた。ま、幽霊部員道を極めてるらしいけど」
「なんでまた入ったの?」
「モロキンが、文化部も掛け持ちで出来るっつぅから、興味本位で覗いたところを強引に――って言ってた」
「ふぅん。そうなんだ」
「なんだよ里中、やっぱり月森に興味津々かぁ?」
 にやにやとして千枝の顔を見ると、眉間に思い切り皺が寄った。
「アンタそれ、ゲスいからね」
「なぁ、実は、月森に妬かせたくてやってるってのもあるんじゃねぇの?」
「はぁぁ? アンタね、それ、マジで言ってる?」
「マジって、なんだよ」
 千枝が額に手を当てて溜息を吐くので、流石に陽介も少し驚いた。照れ隠しにしては、演技が完璧に過ぎる。頬が紅潮すると言った乙女な反応も見られない。
「月森、なんだかんだで、俺らのこと気にしてたみたいだったぜ?」
 そう言っても、千枝は更に脱力するばかりだ。
「気にしてた、ねぇ……そんだけ?」
「おう」
「そっか。うーん、そうかぁ」
「なんだよ」
「なんでもないけど」
 千枝はテーブルに突っ伏すと、何やらゴニョゴニョと口篭っている。
「花村、今度の土曜日も会わない?」
「藪から棒にどうしたんだよ」
「いいから。あ、その、こっちの方のさ、あと一押しって思ったんだけど、まだ足りないみたいで」
「別にいいけど、そんなんばっかだから、宿題残るんじゃね?」
「うっさい。ほっとけ」
 プイと顔を背けられた。
「んじゃ、沖奈に映画でも見に行くか?」
「あ、それいいかも! 今見たいアクション映画やってるんだよね」
「アクションかよ。そこはラブロマンスじゃねぇの?」
「そんなのアンタと見たってつまんないでしょ。じゃあ土曜日に、沖奈の駅で正午に待ち合わせ。じゃ、雪子と約束してるから帰る」
 言うなり千枝は立ち上がって背を向けた。じゃあね、と愛想ない言葉でさっさと去っていってしまう。
「どんだけ薄情な恋人なんだっつの」
 後ろ姿に一言ぼやいて、陽介は天を仰いだ。見えるのは少しくすんだ白いパラソルの色だけ。バックグラウンドには軽快なジュネスのメロディ。
(菜々子ちゃんが良く口ずさんでるって、月森が言ってたっけ)
 独りきりになったので、癖でヘッドフォンも耳に当てた。こうするのは音の遮断でしかないけれど、外界との隔絶と言う意義は大きい。心ない言葉はシャットアウト出来るし、無駄話も耳には入ってこない。いつしかそうやって、聞かないようにしていた。小西の声も、自分の心の言葉も。
 今は違う。耳を塞いでも聞こえない様にはならないし、悪意があればどこからでも侵入していく。自分の心にも、嘘はつけない。
「アイツにもシャドウがいたら、見てみてぇな」
 自分ばかりが手の内を曝け出したのだとは思っていない。月森には裏がないし、本来の性格と言うものも見えてきている。優等生っぽく作った壁は、摩擦を面倒だと思うが故。心の防護壁等ではなくて、単なる面倒臭がりなのだ。取っ替え引っ替えペルソナを使えるのも、もしかしたら状況への対応能力が高いからではないだろうか。その心は、順応すれば楽だから、である。一人で考えて陽介は笑った。月森が面倒な行動を選ぶ様な心理的な爆発はあり得るだろうかと考えて、なさそうだと自分勝手に却下してみる。

 

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