Just call your name -4

 次の約束は来週の月曜日にと決めて、まだ日の高い内に千枝と別れた。寄っていく場所があるから送りは結構と言われて、陽介も暫くジュネスをフラフラしていたのだが、クマに見つかって五月蝿く言われたので早々に退散。出る前に余りそうだから、と本日のお惣菜を持たされた。
 翌日、翌々日共にバイトが入っているが、木曜日はフリーだ。しかし、その日は、どうにも暇で仕方なさそうである友人の為に空けておこうと決めていた。普通の恋人ならば友人優先など有り得ないが、偽装ならば話は違う。勿論、千枝も了承してくれた。月森が暇で仕方ないことまでは流石に言わなかったにも拘わらず、難なら彼を優先しても良いとまで言われてしまったのである。けったいな話だ。
(土日は人目が多いから避けるとか言うし、ホント、こんなんで大丈夫なのか?)
 何となく鮫川の方へ足を向け、土手を歩いていると、川辺にスラッとしたシルエットが見つかった。釣りと聞いて、もしやと思っていたが、本当に釣りをしているらしい、友人の姿。銀糸のような髪が余りに特徴的だ。
「よーっす、月森。お前、マジで釣りしてんだ?」
 走るでもなくひょいと近付くと、声に、直ぐ様、月森は振り返る。そして、友人にしか見せない、綺麗な感じの笑顔を見せた。
「陽介! 里中と会ってたんじゃないのか?」
「会ってたけど、そんなに話題ねぇから」
 それにしても、月森が自分からそういうことを振ってくるのは、意外だった。今まで何度か恋愛トーク的なものを振ってみたにも拘わらず、月森は食いついてきたことがない。気恥ずかしいとか言うよりも、まるで興味がないように、陽介には見えていた。
「そっか。何持ってるんだ?」
「これ? ジュネスの本日のお惣菜。鶏の唐揚げだけど、いる?」
「貰って良いのか?」
「食い飽きてるからいらねぇ。菜々子ちゃん、こういうの好き?」
「好きって言うか、食べ慣れてる」
「ははっ、そっか。んじゃ、菜々子ちゃんへのお土産にどーぞ。つか、お前いるんだったら、アイスの一本でも持ってきてやりゃ良かった。暑くね?」
「暑い」
「お前んち、クーラーなかった?」
 月森は首を横に振った。と、手元の竿が揺れる。反射的に月森はそれを引き、陽介は彼と魚の格闘を眺める。
(俺、根気ねぇからこういうの向いてないな)
 月森とて、今の若者程度に、根気は余りないと言っている。すぐに飽きてしまうような釣りをして、楽しいのだろうか。
 グイッと月森が強く引っ張ると、魚が水面から上がった。結構大きい。稲羽マスだろうか。魚は月森の腕に飛び込んできた。
「大物じゃん」
「まだまだ。もっと良いの釣れるし。コハクヤマメとかさ」
「分かんねーよ。マスくらいは見っけど」
「そっか。だったらさ、また釣りしてる時に来てくれたら、今度は別の見せるよ」
「また?」
「今日はもう飽きたから帰ろうと思って」
「なるほどな」
 月森は竿を片付けると、肩を回した。そして水面に向けていた視線をこちらに移す。
「陽介、今から暇?」
 恐らく、そちらさんが暇なのだろうことは、言わずもがなだ。
「もうすぐ夕方ですよ、月森クン?」
 千枝と別れた時にはまだ高かった太陽も、段々と傾きが深くなっている。色はオレンジ。陽介の好きな色だ。だからか知らないが、陽介は夕暮れの時間が好きだった。
「良いじゃん。夜に帰ると心配されるってこともないだろ?」
「そりゃそうだろうけど、なんつかお前、暇人だな。菜々子ちゃんは?」
「友達と遊んでる」
「だよなぁ。んじゃ、月森んち行くかー」
 伸びをすると月森は笑った。
「うん、おいでおいで」
「あ、でもPSP持ってきてないぜ」
「じゃあ無双でもする?」
「お前んちの古いじゃん」
 月森の家にはPS3がないのだ。まだPS2が現役で稼動していると言う。Wiiもない。是非ジュネスでお買い上げください、と言っても渋っている。テレビのお金やバイト代でたんまりと持っている癖に、陽介たちの装備品を整える方が重要だ、とか平気で言うのだ。欲が余りないらしい。
「微妙にレトロなのがまた良いんだって。帰るの面倒だろ?」
 それは確かにその通りだ。それ程遠いということもないが、帰ったら再び出るのが億劫になることは間違いない。
「どうせならオロチやろうぜ。あの破天荒なのがいいよなー」
「確かに破天荒」
「つっかゲームしてぇなーって思うの、絶対あのクエストとか言うのの所為だよな」
「分かる。ドラクエとかしてたの思い出した」
 成績優秀な月森の口から普通にゲームの話が出てくるのが、何だか今でも面白いと思うのだ。本当に頭の良い奴だから、ゲームをしたって揺らがないのだろう。月森は馬鹿みたいにIQが高いとか、そういう頭の良さをしている訳ではない。基礎を理解しているから問題なく解ける、応用に頭を捻って考えられる、記憶力良し。そういうところだ。試験前に図書室で共に勉強した時に見ていた限りでは、そういう感じだった。スラスラと解いていく様は、見ていて気持ちが良いくらいに。素直にそう言うと「陽介って、そういうの何で素で言えるの?」と頭を抱えられてしまった。そういえば、試験結果を二人で見た時も頭を抱えていた。陽介は、学年トップという親友の輝かしい成績を、我が事の様に嬉しく感じたと言うだけだったのだが。
「あ、そうだ。帰る前にちょっと良い?」
 月森は土手に上がると、左側に少し小走りに向かった。陽介は背を見ながらのんびりとついていく。彼の向かう先には猫がいた。
「釣り、猫に餌あげる為にやってるんだよね」
 先程釣り上げたマスではなく、縁日で見るような紅い金魚を月森は猫に与えている。まさかそれも釣ったのだろうか。
「猫派?」
「どっちかって言うと、ネコミミ派」
「マニアックー」
「陽介はバニー派?」
「おう、バニーガール派……ってオイ!」
「まにあっくー」
「真似すんなよ」
「陽介は犬っぽいよね」
「いや、この流れで、んなこと言われてもビミョー……」
「大丈夫、ネコミミも似合うから」
 振り返った月森はイイ笑顔で親指を立てた。何のフォローだ。
「そら女の子に言ってやれ」
 君ならネコミミが良く似合うよ、とか言われたらぶっ飛ばされそうな気はするが。幾らイケメンでも、その発言は流石にアウトだろう。メイド服とかナース服とか、そういうのも無論アウトである。
 前々から思っていたが、月森は揶揄う様なその手の言辞が意外に多い。それと言うのは恐らく、完二の一件で、陽介がそういう冗談を洒落にならないとか苦手だと思っているということを知られている為だろう。しかし、月森なら言っても許される。そういう妙な信頼は確かにあった。だからこそ、冗談として成り立ち易いのだ。学年主席の脳は回転が非常に宜しい。
「……陽介」
 猫の喉を撫でながら、不意に月森は声の質を変えた。
「ここで――」
「ここで?」
 鸚鵡返しすると、月森の肩が揺れた。そして突然、頭を振る。
「や、何でもなかった。そういや、殴り合ったのって、6月くらいだったかなーと」
「だったか? あん時はまずったな、まっさか、通報されてるとか! お陰で暫く、鮫川来られなかったぜ」
 母親は元気な証拠と鷹揚に笑っていたが、父親からは文句を言われた。何故か、苦情のような物がジュネスに来たのだそうだ。勿論、ジュネスに、と言うのは陽介の非ではないから構わないが、殴り合いは流石にヤンチャが過ぎるとのことである。
「殴り合いも、だけど」
「も? 他、なんかあったか?」
「何でもない。それより陽介、ああいうの、誰にでも言ってるの?」
 指示語だけで聞かれても、陽介にはピンと来なかった。ああいうのってなんだよ、と言うと、歯切れの悪い月森は言葉を濁すばかりだ。
「特別になりたい、とか」
「誰にでも特別っつってたら、特別って言わねぇだろ」
「正論。じゃあ前言撤回する。他に誰か、言った?」
「言ってないけど」
「さ、里中は特別?」
「いんや、恋人」
「特別じゃないの? あーほらあれ、俺さ、都会育ちだから、あんまり真面目な友情とかって、なかった訳! 殴り合うとか、その……胸を貸すみたいなの。ここじゃ、ああいうのって、普通なのかなーってちょっと疑問にね」
「俺も都会育ちだっつの」
「あ、そうだった」
 また妙なところでボケをかます男だ。
「おんなじだと思うぜ、お前が言ってるのと」
「何それ」
「おんなじ。真面目な友情とかないってヤツ。メールだけ、とか、そういうの普通だった。だから、そういうんじゃないお前は、俺にとって特別だよな……って、言わすな! はずっかしい!」
「ごめん。そう、だよな。安心した」
 どうにも鮫川河川敷には、青春の空気が漂っている気がする。陽介は溜息を吐いた。あぁまた恥ずかしいことを言ったな、と、自覚している。何に親友が安堵したのか分からないが、兎も角、疑問点が解消出来たのならば、何よりだろう。
「行かねぇの?」
「え? あぁ、帰るよ。じゃあな、ミケ」
「ミケって名前なのか?」
「適当に呼んだ」
「大雑把だな、お前、ホント」
 月森くんてクールでカッコイイ、なんて騒いでる女子に、この姿を見せてやりたいものだな、と少し思った。前行く親友は、心なしか浮上したように見える。釣りをしていた時の彼は、何だか暗い目をしていたのに。
(親友の元気が回復したんなら、いいことだよな)
 陽介は腕組みしてうんうんと頷いた。
「そういや月森、俺の服、どう思う?」
「どうって……似合ってるよ、陽介に」
 振り返った月森は、見慣れている癖に全身を一応チェックすると、コクリと頷いた。
「だよなぁ! お前も似合ってるぜ、色男!」
 月森は返答せずに前を向いた。もしかしたら、照れたのかも知れない。

 

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