フードコートに、良く見る黄緑のキャミソール姿の千枝が見えた。わざと陽介が手を振ると、複雑な表情で手を振り返してくる。
「アンタさぁ、その赤いズボン、センスどうなの?」
月森くん見習ったら、と言われて陽介は肩を上げた。モノトーンの落ち着いた友人の格好を頭に描く。
「あれは、イケメンがやるから映えるんでしょ」
「ガッカリ王子も黙ってれば大丈夫じゃない? つかそのズボンで隣歩くの嫌なの」
「言ったな。天城に『雪子は赤が似合うぅ』、とか言った癖に」
どんな様子で言ったから知らないが、両手を組んでちょっとうるうるした感じに言ってみた。多分違うだろう。
「うるっさい! いちいちそういうの、出すな! 声マネも気色悪い!」
「わ、待て、やめろ! 暴力反対!」
ガタンと大袈裟な音を立てて、立ち上がった千枝に、危機感を覚えて慌てて制する。夏休みともあって親子連れが散見するジュネスのフードコート。クスクスと笑う声が少しだけ聞こえた。影の商店街の様な悪意あるものではない。寧ろ、微笑ましそうな。
陽介はそっと千枝の耳元で囁いた。
「掴みはオッケー?」
「掴みって……まさか」
まさかも何もないだろう。何の為にフードコートなんて目立つ場所に集まったと思っているのだ。それとも昨日の話を忘れたのかと呆れて見ると、うっさい、と千枝はそっぽを向いた。
「こんだけ派手に痴話喧嘩しときゃ、第一段階としては良い方だろ」
「……アンタさぁ、なんっかその……」
「なんだよ」
「なんでもない。はー、怒鳴ったらお腹空いちゃった。ビフテキ」
立ち直った千枝は、席に座るとにっこり笑った。まるで、パンがないならブリオッシュと仰ったとか言う、どこぞのお姫様を彷彿とさせる横暴さだ。詳しく知らないが。否、こちらは王子様だったか、と思い直す。言ったらまた蹴られるだろうか。
今日売っていたのは知り合いだったが、融通が効く様なこともない。ビフテキ一皿とコーラを頼んで陽介は腕組みする。周囲をさり気ない感じにチェックしておこうと思ったのだ。千枝の言う変な奴とは何なのか。
朝降っていた雨は昼には上がって、パラソルからはぱたぱたと雫が垂れている。晴天とは言わないが、重苦しい曇天とも言えない。長雨には注意しているから、天気にはどうしても気を留めてしまう。今日は晴れ。明日の天気はどうだろう、とか。予報では暫く晴天が続くと言う。
(って、もう犠牲者は出ないよな)
犯人は捕まった。だからもう何も起こらない。心のどこかで終わって欲しくないと思っている自分がいることを、陽介は自覚している。認めたくないと以前は蓋をしていた感情だ。八十稲羽には刺激がなくて、退屈ばかりで――、ぼんやりと視線を空から下げていくと、不意に視界を八十神高校の制服らしき影が過ぎった。幻覚だろうかと目を擦っても、影は二度現れない。
「ヨースケ、なにしてるクマ?」
「うわっ、クマ」
最近出来た同居人が着ぐるみ(これが本来の彼の姿である為、着ぐるみを被った状態にある、と言うべきであるかどうかは極めて微妙であるが)で通路から現れた。
「今日は、ヨースケバイトじゃないクマよ」
ペタペタと不可思議な音を立てながらクマがこちらに寄ってくる。バイト中だろ、と追い払おうかと思ったが、まぁビフテキを待つ間の暇潰しくらいなら良いだろうと思った。
「知ってら」
「皆で集まってるクマ? ズルイクマ! クマも呼んで欲しいクマ!」
「ちっげぇよ。今日は個人的な用事」
「センセイと?」
「はぁ? なんで、月森が?」
「だってさっき、センセイっぽい人、見掛けたクマ」
「見間違いじゃねぇのか? アイツなら今日は」
釣りか読書かモンハンか。友人の予定を言おうと思って、既で止めた。クマよりも淋しい夏休みを過ごしている。
「つっかお前、仕事だろ。ほら、行った行った!」
「陽介ばっかりズルイクマ」
「なにがだ。俺はシフトが入ってないからだって言ってんだろうが」
クマはブツブツと文句を言いながら去っていく。陽介は肩を下げた。
「陽介くん、ビフテキ出来たわよ」
呼ばれたので振り返る。パートのおばさんはにこにこと愛想良く笑っていた。
「あ、ありがとうございまーす」
渡された皿を受け取ると、いつもより、少しだけ重量があるように思えた。おばさんはウインクして見せる。おばさん、と言う呼称は悪いかも知れないと思う程度には、見た目は若い。
「ポテト、多めにつけておいたからね」
「や、なんかすんません」
「いいのよ、それよりあの子、彼女なの?」
「あーまぁ……そんな感じです」
そんな感じとはどんなだ。陽介は自分で自分に心中で突っ込んだ。
「そうなの? ヤだわ、てっきり……」
てっきりとは何だ。自分の言動よりそちらの方が、余計に気になる。
「えーと、なんです? てっきりって」
「こっちの話よ! ほら、ビフテキ冷めちゃうわよ」
煮え切らなかったが、お腹を空かせた王女様――先程の台詞を吐いたのはマリー・アントワネットとか言ったな、などと思い出しながら、王女様もとい恋人の元にビフテキを運ぶことを優先させた。冷ましてしまって足蹴にされては堪らない。
ビフテキを持って戻ると、千枝は携帯を弄っていた。ゲームは余りやらない方らしいので、メールだろうか。
「アンタは食べないの?」
「金欠なんだよ、察しろよ……」
「ふーん。じゃ、いっただっきまーす!」
遠慮なしか。クマの所為で生じたツケが予想外に高額だったので、お金がないのだ。
「そんで、昨日のこと、月森くんに話した?」
「おう、昨日、電話でな。アイツ驚いてたぜ」
「だろうねぇ」
「お前こそ、天城、どうだったんだよ?」
「うえっ? わ、私? あーえと、雪子も驚いてた!」
「……さいですか」
ツッコんでやりたいことは山程浮かんだのが、止めておいた。
(驚いてた、ね)
「そんで、その、変な奴ってののアプローチは?」
「それはまだ……それより月森くん、どうだった? どんな反応?」
「お前な、そっちが本命かよ」
「ちーがーくーて! だって、クールな月森くんが驚いたーってなんか、気になるじゃん」
「お前が思ってるのと違うと思うぜ。つか俺、ヒドイとかアイツに言われたんだけど。どゆこと?」
「あー……うん、分かる」
「分かんな!」
ビフテキをテキパキ口に運びながら、良く喋るものだと陽介は半分だけ感心した。半分は呆れである。
「俺は里中の為に付き合ってやってんのに」
「ハイハイどうもどうも」
「ビフテキまで奢って」
「う……悪かったってば」
流石に偽彼氏に奢らせることまでは、あっけらかんと見られないようだ。千枝も何だかんだで真っ当なのである。
「んで、どっこで手とか繋ぐわけですか?」
「それはまた今度で。今は、様子見」
「……それ、多くね?」
千枝はフォークで甘く煮詰めた人参を刺すと、それを上げたまま、のほほんと笑う。何度見ても、危機感なんて微塵も伺えない。そして人参の一つも彼氏に食べさせてくれる訳でもないのだった。
「アンタだって、糠喜びとかすんのヤでしょ?」
「うわぁ……チエチャンサイテー」
「うるっさい! だからチエチャン言うな!」
肉が前にあるので暴れなかったが、食べ終えたら危ないかも知れない。陽介は機嫌伺いを兼ねて、飲み物でも買ってこようかと提案した。それに対する王女様のご返答は「最初から買ってきてくれれば良いのに」だった。