Just call your name -2

 林間学校に比べれば可食であるだけマシだったとは言え、お腹が満たされたとは言えない夕食だけでは足りず、結局家でジュネスの惣菜を貰って食べた。菜々子は真っ当なオムライスを食べていたから良いが、月森はどうしただろうかと思いながら、オレンジ色のスマートフォンの画面をタップする。ベッドに寝転んでいるので、クリーム色の天井が嫌でも視界に入ってきた。白色蛍光灯は眩しい。
 メールにしようかと思ったが、こういうことは、直接口から聞いた方が気分も良いだろう。と言っても、そういう経験がある訳でもなし、良く分からないので推測に過ぎないが。友人関係というものは、陽介にとって、もっとライトなものばかりだった。学校で軽口を叩くとか、バイト先で一緒に喋るとか、ただそれだけ。親友なんて気恥ずかしい言葉で括れるような存在は、月森が初めてだった。メールや携帯だけが頼りの希薄な人間関係、みたいなコメンテーターが鼻息荒く訴えるような、そういう程度のこと。
(それがフツーって感じだったしな)
 改めて考えてみても、その頃の陽介はそれで良いと思ってそうしていた。誰かと濃密な時間を――それが恋人でもなく同性なんかとであれば、過ごしたいなんて思ったことがない。そういう意味で、月森は特別なのだ。共に過ごした体験、つまり時間の質が違うし、乗っけから自分を曝け出してしまっているのだ、今更隠し立てすることもない。過ごしていて気楽だし、気が休まると思っていた。特別捜査本部、とわざとらしく作った電話帳のグループにいるメンバー全てに対して、同じ様に思っている部分もあるし、異なる部分も大きい。月森が己のシャドウを見ている、ということだけに起因するものでもあるまいが、深く考えてもいなかった。
 グループから5番目、ラストに月森孝介の文字がある。軽くタッチして通話ボタンに触れた。
『陽介? どうかした?』
 友人は数回のコールですぐに電話口に現れた。勿論、携帯電話で名乗ることなんてない。
「今、部屋か?」
『うん。菜々子はもう眠ったよ。……今日はありがとうな、陽介』
「え? 俺?」
『菜々子もって言ってくれて。菜々子、“ジュネスのお兄ちゃん”のこと、すっごい気に入ってるよ。お前が何かと気にしてくれてるの、分かってるみたい』
「そっか。へへっ、俺、妹とかいないから、なんかいいな、ああいうの」
 うん、と月森は穏やかに頷いた。今日はいつになく大人しいな、と思う。月森は見掛け通りにクールな反応が多い男だが、それが一種の外ヅラであることを陽介は知っていた。陽介が明るく振る舞うように、月森はクールに、優等生的に振る舞うのだ。それが、世間を渡るのに楽だから、とかそういう理由。『優等生って顔してる方が楽じゃない? 俺から見れば、陽介なんていらない苦労背負ってるようにしか見えないんだけど。目立って得なんてないだろ』とは彼の談である。口調は丁寧だが、その内は割と大雑把で巷の男子高生よりよっぽど雑で荒っぽい。二人きりだと饒舌になるのも特徴的だった。恐らく、互いに心を許しているのだと思う。そして、本当は結構お喋りだし面倒事は嫌いだと自分で豪語する辺り、月森は己の本質を理解しているのだ。シャドウの出ない理由だろう。
『で、陽介はどうしたの。里中と一緒に帰ってたみたいだけど、何かあった?』
「おーうそれそれ。いやさっすが親友! 察しがいいなぁ」
『……どういう意味?』
 月森は、真意が掴めない、というような声を出した。
「いやぁさ、聞いて驚くなよ? 実は俺、里中と付き合うことになってさぁ」
『冗談なら受け付けない』
 絶対零度の月森の冷たい声には、慣れていても背筋が凍りそうになる。対面だと怜悧な笑顔がオマケについてくるので、もっと怖い。
「うわ、ちょい待て! 今ぜってぇ通話切ろうとしてんだろ!」
『俺はタチの悪い冗談は嫌いなんだ。言ってるだろ』
「知ってるっつの! それ知ってて冗談言うかよ」
 電話の向こうは息を飲んだと思えば、急に黙った。
『ナニソレ』
 声が返ってきたので、どうやらきちんと聞いてくれる気になったようだと安堵する。
「二人っきりで帰りたいなんて言うからさ、なにかと思えばアレよ。愛の告白ってヤツ? 俺も驚いたけど、なんだかんだで里中もカワイイじゃん? いいかなーって」
『ヒドイね、陽介』
「別に酷くはねぇだろ」
『ヒドイよ』
 そんなに妙な行だっただろうか、と陽介は首を捻る。好きだと言われて付き合った。知らない仲ではない、考えてみれば気も合うし可愛い子だったから。
(どっか変か?)
 思えば月森は、やや感性が変わっている。手作り弁当を携えて「陽介、弁当作ってきたから俺と食べない?」とか言ってくる男だ。いやそれは女子にやったらいいじゃん? 陽介がそう指摘しても首を振るだけだった。確かに、女子が矜持を傷付けられるから、と言うのは間違っていない気もするのだが。本日や林間学校の惨事を見れば尚更に。
 いずれにしても、シナリオは千枝と協力して考えたのだから、悪いのは陽介一人ではない。告白したのは彼女から、と言うのは陽介が譲らない点だった。向こうが頼んできたのに、陽介が泣きそうだったから仕方なく、などと言われたら流石に浮かばれない。普段から女子に感心を持つ陽介なら、告白されたから勢いで付き合いました、でも許されるだろうし。
『ごめん、俺が勝手なこと言った――うん、動揺してる。酷いのは多分、陽介じゃないよ。陽介が、新しく恋愛する気になってくれたのなら、寧ろきっと、良い事なんだろうね』
「なんだそりゃ」
『何でもない。祝福はしてやらないってだけで』
「ははっ、お前も早く彼女作ったらどうだ?」
 天城とかりせとか、と言いかけて止めた。
(里中は、コイツに気があるのかも知れないし)
 そこに余計な女の名前を出すのは無粋だろう。それにこれだけ共に過ごしていると言うのに、月森が彼女らと、仲間以上に親しくなっていく様子がないことからするに、千枝と雪子とどちらが好みかと聞いたあの頃と、彼は変わっていないのかも知れないとも思った。そう、即ち「どちらも好みではない」だ。
『いらないよ、今は』
「事件も解決したし、暇になるんじゃねぇの?」
『暇、か。うん、夏休みは相当暇。釣りするか読書するかどうしようかと考えてるくらいに暇』
 健全な男子高生が夏休みにすることが釣りと読書! 陽介は心底、驚いた。信じられない。もっと遊ぶこととかないのだろうか。若しくはバイト。
(すっげぇ暇なら、人手足りない時にバイト頼めそうだな)
 こっそりそんなことを考えてみたりする。前々からお盆付近は休みたい、とバイトの少女たちから五月蝿く言われているのだ。このままだと仮病の病欠を使われるかも知れない。困ったことだ。
『陽介は……。あぁ、……カノジョいるから暇でもないんだ』
 兎も角、遊び相手も余りいないようでは不憫だ。月森にも友人はいる筈なのだが、他に予定は本当にないのだろうか。詮索するのも悪いだろうか。少し向こう側の声が寂しそうに聞こえたのは気の所為なのか否か。どれも陽介には解が導き出せなかった。
 恋人優先で親友なんてもう忘れた、と言うのは男子高生ならばありがちだろうと思わないでもない。けれど、暇を持て余すばかりらしい友人を無視して過ごせる程に、陽介は冷血漢ではないのだ。自分で思うのも難だが。それに月森は、友人としては別格だ。もし本当に恋人が出来たとしても、変わらない。
「構ってやるよ」
 何の気なしにそう言った。言ってから、構ってやるは上から目線だな、と思った。陽介も親友と会うのは大歓迎だ。彼には心を許しているし、真面目な話も馬鹿な話も何でも出来る。胡散臭い恋人に比べて、気も休まるものだ。
『本当?』
 声が跳ねたように聞こえた。
『それは有難いよ。バイトは夏休みもシフト同じだっけ? 火曜、水曜、金曜? それ以外ならオッケ?』
「お前、そんなに暇なのか……? 可哀想だな、我が親友よ。もうジュネスに遊びに来てもいいから、一人で淋しく過ごす夏休み、なんてやめとけよ」
『うん、分かった。ジュネスにも顔出す。じゃあ俺は、モンハンの腕でも鍛えておこうかな』
「お、そりゃいいや! しっかし田舎ってのは遊びも田舎仕様だよなぁ……まさか誰もPSP持ってねぇとか!」
『俺も驚いた。陽介がいてくれて、すごい助かってる。クエスト手伝ってくれて有難う』
「お互い様だろ」
『明日は?』
「あ、ワリィ。明日は里中と約束してんだ」
『……そう。明後日はジュネス……』
「お前、俺以上に俺の予定把握してる気がするんだけど、たまに」
『だったりして』
 軽やかな口調に、電話口で笑っているんだろうな、と思った。
『そろそろ、寝ないと。……おやすみ、陽介』
「おう! おやすみ」
 学校でも女子の噂を良く聞く月森が、夏休みに予定がない。陽介にしてみれば意外なことこの上なかった。陽介も学校外で会う程、親しい友人は確かにいない。けれどそれは自分の所為、と言うよりも自分の性質によるものだ。学校には商店街の人間が多いということ。
(それだけでもない、けど)
 意図的に避けてきた。誰かと関係を深めることを。逃れられなくなるのが恐ろしいのだ。恋した先輩の時の様に。新しい恋と言った月森の言葉の意味を、通話を切ってから理解する。良い友人だな、と、今更、思った。

 

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