Just call your name -1

「ねぇ、花村。ちょっと付き合ってくれない?」
 友人だと陽介が思う栗色のショートカットの少女は、突然そんなことを言い出した。
「里中、もしかしてそれって、愛の告白ぅってやつ?」
「んなわけないじゃん、バッカじゃないの」
「いやいきなりそんなこと言うお前に俺は文句言いたいよ?」
 千枝はうんしょ、と伸びをした。夕闇に小柄な姿がぴょこんと跳ねる。素直に可愛らしい顔をしていると、陽介も思っていないでもない。但し、彼女は恋愛的に範疇外だ。
(そういや、月森もそんなこと言ってたか)
 千枝と雪子と、どちらが好みかと興味本位で尋ねてみたら、どちらも遠慮との言葉が返ってきた。あれは5月のことだっただろうか、それとも6月のことだっただろうか。忘れてしまった。陽介にとっては千枝も雪子も、りせですら、そういう対象には見えていない。勿論、告白されたらオーケーするつもりだが、そんな日が永劫来ないことも知っている。誠に残念なことに。だから、千枝の微妙な発言も、そうではないことを分かって言っていた。それでもボケにはきちんとツッこむのが礼儀だ、という程度である。
「最近さぁ、なんか変な奴がいて」
「変な奴?」
 そういえば、今日はいつもべったりの雪子が傍にいない。わざわざ、花村と帰っている時点で、最初からこの話をするつもりだったのだろうと思われた。雪子姫様は王子様にちょっと心配性の嫌いがある。恐らく、二人きりというシチュエイションは彼女に聞かせない為ではないかと思われた。
「や、ストーカーとか、そういうんじゃないよ? でもちょーっと鬱陶しいって言うか……」
「ふーん。だったら、俺がしばらくチエチャンの護衛してやろうか?」
「結構です! つかチエチャン言うな」
 クマの真似をすると急に名前で呼ばれたのが不服だったのか、千枝はローファーで思いっ切り陽介のスニーカーを上から踏みつけた。思わずイテッと声が上がる。彼女は専ら足技で戦闘を行う程度には鍛えられている。正直に言って、無茶苦茶痛かった。テレビの中で、ディアラマを使いたいと思わせる程度だ。
 明るい声で言っているが、千枝の言うことが本当ならば、確かにそれは見過ごせない。陽介は痛い痛いと言いながら、頭の片隅で冷静に思う。千枝は友人だ。仲間だ。彼女へ危害を加えるなど、許されることではないだろう。
「んだから、その……花村がさ、恋人役、みたいなのやってくれたら助かるんだけど」
「月森のがいんじゃねぇの?」
「えぇぇ!? なんでよ!」
「なんでって」
 陽介の親友は顔立ち良く頭の方も実に宜しい、そしてバスケ部の練習試合でも活躍しているし、テレビの中でも実力がある万能リーダーだ。ワイルドなる謎のペルソナ能力もオマケについてくる。同じ彼氏役を頼むなら、そっちの方が女子も喜ぶのではないだろうか。それに、何かあった時の対処も向こうの方が冷静に出来そうだ。
「アンタって……ホント……」
「乙女心が分かってるって?」
「違うわよ! バカ! あーもう、いいから付き合ってよ!」
 イライラしたように千枝は地団駄を踏んだ。まるで、千枝が自分を好きで怒っているように端からは見えるような気がした。と言うか、普通の男ならここで「脈あり」と思うのではないだろうか。陽介はそこのところ弁えているので、そんな勘違いは起こさない。
(あー……月森には頼みにくいってか?)
 人を寄せ付けないとは言わないが、基本的に表情筋が硬くてクール。おまけに口数も少ない月森孝介を相手にするのは、確かに難しいかも知れない。それもある。しかし陽介は別の可能性を視野に入れていた。
(それか、月森に気がある――とか)
 有り得ないでもない。りせが人目を気にせず、月森に甘える素振りを見せると、彼女を危険だと言っていた千枝だ。まだ感情として強くないかも知れないが、少しは気になっているのかも知れない。だったら、ここぞとばかりに恋人役を頼めばいいのではないかとも思うが、それは男子と女子の思考の違い。即ち乙女な思考回路である。もし頼んで何事もなかったらガッカリするだろう。と言うか、気恥ずかしい。逆に、こういうことで嫉妬心を煽ってみたりして。
(そうこうしてる内に天城かりせに取られるに一票だな)
 割と失礼なことを思いつつ、千枝も素直で可愛いのだから、遠回りしなければ上手く行きそうな気がしないでもないとも考えた。でも、逆天城越え出来るだろうか、とも思う。
「ま、俺で良ければ、チエチャンの王子様になってやろうかな」
 頭に音符を浮かべて笑えば、再び足を踏まれた。しかも同じ場所。
「いってぇぇ! おま、それが人に物頼む態度かよ!」
「あ、やばっ……ご、ごめん」
 慌てて頭を下げた千枝に、逆切れしなかっただけマシだし、許してやろうかと思った。千枝は「でもそのネタやめて」と苦々しく言った。
「しっかたねぇなぁ」
 頭を上げた千枝は、じっと陽介の瞳を覗き込んだ。自分と同じく色素の薄い胡桃色の瞳が瞬きをする。そして複雑そうに揺れた。
「はぁ、やっぱこんなん、やめとけば良かったかなぁ」
 千枝は溜息混じりに首を振っている。随分と失礼な言い草だ。本気で困っているのだろうかと勘ぐってしまう。
「それ、お前の言う台詞かよ……つか、いつまでやるんだよ。もう夏休みだぜ?」
「うーん、しばらくは様子見。出来たら、新学期までに終わらせて欲しい、かな」
「欲しいってお前」
 変な奴、に使う台詞にしては丁寧だ。事によっては陽介相手の時よりも丁寧かも知れない。何事だ。
「あ、そうだ。月森くんに言っておいてよ」
「おぉ、里中と恋人になりましたーって?」
「そうそう」
「いやそこはツッコんでよ」
「いいの、そう言って」
「はぁ? なんで?」
「ほら、アレでしょ。なんかこの前細井チャンが言ってたやつ! えーっと、敵を欺くにはナントカ」
「敵を欺くにはまず味方から、だろ。ちゃぁんと授業聞いとけよ、チエチャン」
「言うな!」
「アイタッ!」
 三度も踏まれると足が凹みそうだ。これだから自分より力のあるチエチャンは……とぴょんぴょん飛び跳ねながら思った。
「ていうか、アンタには言われたくない。この前の地理の授業とか爆睡だったじゃん」
「里中は現国のが弱いけどな」
「な、なに見てんのアンタ!? キモッ!」
「あのな、俺の席、お前のお隣さんの後ろだからな?」
 別に探さずとも視界に入ってくる位置だ。ちなみに雪子はうつらうつらしている姿すら見ない優等生ぶりである。親友も大概は背筋正しくお目覚めでいらっしゃる。真面目なことで、いざという時に助かっているのだが。
 考えてみれば千枝の方こそ、後ろにいる陽介をどうやって把握したのだと思ったが、大方、月森辺りが寝息に気付いたというところだろう。寝て起きた授業の後、陽介の心の友は「寝てただろ」とノートを写させてくれるのだ。勿論、フードコートでの奢りを条件に、だが。月森はいつも陽介の寝ていることに気付いている。視野が広いのだろう。
「ともかく、そういうことだから」
「天城は?」
「へ?」
「敵を欺くにはまず味方から、じゃなかったのか?」
「あっ、そっか……ま、まぁ、雪子にはアタシから言っとく」
 その報告を聞いた時の雪子の反応が気になった。まさかとは思うが、陽介に恨み節でも歌ってくれなければ良いのだが。あなたを殺して良いですかと言われても、ちっとも宜しくない。
「あー、後輩たちは追々で。夏休みだし、しばらくテレビの中も行かないでしょ? だったら、あんまり会わないだろうし、話大きくしたくないから」
「分かった」
 久保美津雄をテレビから引っ張り出した。今日の出来事だ。何だか遠いことのようにも思える。祝賀会の帰り道。暗い夜道。いつもと変わらない――そしていつもとは、全く違う。千枝が急に「付き合って」などと言い出せたのも、このテンションのお陰かも知れない。テレビのことで忙しい時に、お気楽に恋人役など、頼めないだろう。
「どっか、出掛ける?」
「……明日?」
「そ。付き合って、らしいことしといた方がいいんじゃね?」
 唯でさえ学校がないのだから、一緒に登下校などもしようがないのだ。付き合っている、恋人である、とアピール出来なければ、意味がない。
「うーん、そっか。じゃあジュネスのフードコートで肉奢って」
「おま……どんだけ図々しいんだよ」
「なによ。彼女にお金払わせる気?」
「へいへい。んじゃ、12時にジュネスのフードコートで待ち合わせってことで」
「あ、それまでに、ちゃんと月森くんに言っておいてよね」
 陽介は肩を竦めた。やっぱり千枝は月森に気があるのではないだろうか。わざわざ念押しするとは、とか、だったら自分で電話したらいいんじゃないのか、とか、それは乙女ゴコロだろうか、とか。
(天城だったら、里中に嫉妬はしてくれねぇだろうな……)
 美人若女将にヤキモチ妬いて貰えたら、なんて思ってみても虚しいだけだ。多分、烈火の如くこちらに怒りの矛先が向けられるだろう。アギラオ辺りで。
「あ、もうここでいいよ」
 千枝はたたっと前に進み出た。
「彼氏に送らせてくれねぇの?」
「これ以上行くとアンタんちかなり遠くなるでしょ」
「お気遣いどーも。でも流石に送ってくって。暗いんだから」
「花村はイイヤツだねぇ」
 前へ進みかけていた千枝は立ち止まって振り返った。その表情には勿論、ときめきの色はない。
「それ、イイヤツ止まりって意味だろ」
「あれ、分かっちゃったー? ま、花村はやっぱり恋人にってのはないよねー」
「うわひっで。こっちだって願い下げだっつの」
「ムカつく。じゃあ『花村、好き! 付き合って!』って言ったら?」
「付き合う」
「サイテー」
「男子高生は複雑なんだよ」
 何だかんだで、彼女が欲しい、方が先に立つ。
「ねぇ、花村って、好きな子いないわけ?」
「この流れでコイバナかよ! ったくこれだからジェーケーは……」
「JK言うな。どうなのよ」
「いねぇよ。いたらどうすんだよ」
「……どう、ねぇ」
 千枝は腕組みした。なんだそのポーズは、と陽介は首を傾げる。
「困るっちゃあ、困る」
 確かに、恋人役を頼んでいる以上、本命の存在は危ういかも知れない。
「ほほう、チエチャンは俺に好きな子がいると困、ってイッテー!」
「逆にしてやったんだから有難く思え」
 今まで踏まれ続けた右足に衝撃はなく、代わりに左足に同じ強烈な痛みが与えられた。恋人とはもっと、甘い響きのものだと思っていたのだが、とんだ誤解だったようである。まぁ、相手が千枝である時点で予想出来たことだ。
「お、いいこと考えた。手でも繋がね?」
「暗いから見えないじゃん。また今度」
 意外にも千枝が乗ってきたので、陽介は少なからず驚いた。フザケンナ、と返ってくると踏んでいたのだ。もしかしてやっぱり脈ありだろうか、なんて儚く期待してみる。
(ま、ねーな)
 それは別に、残念でもないことだった。

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