Just call your name -12

 千枝が目の前で唸っている。
「うーん、やっぱ、なんか足りないのかなぁ」
「なにがだよ、なにが」
 ほれ、と買ってきたリボンナポリンを前に置いてやると、サンキュー、と笑顔を見せた。こうしていれば、顔なんかは可愛いと思うのに、直ぐに足が出るのが難点だ。手ですらないのだから、余計に困る。
「そっち、人どうだ?」
「結構来るねぇ。クマくんも、忙しそうにしてた」
 着ぐるみ状態のクマは、忙しなくフードコート内を歩き回っている。今は子供に風船を配っている最中だ。クマを可愛いと笑う少女がいたと思えば、その本物のクマらしくなさに、泣き出してしまう少年もいた。先程等は足蹴にされていたのも見ている。
「クマ、馴染んでんな」
「だねぇ。ホントに、ここで生きていくのかな」
「どうだろうな」
 まだここにいても良い、と言ったのは陽介だ。正確には、自分の家の居候でいても構わないと言う意味なのだが。何だかんだで、クマがいると飽きない。ただ、放って置くとどうにも危なかっしいことも事実だ。その内、携帯電話でも持たせてやろうかと思ったが、今はまだ金銭的な余裕がないので難しそうである。
 突然少年を拾ってきた陽介への家族の反応は、河原で殴り合った時と余り変わりなかった様に思われた。母は鷹揚に笑い、部屋が余っているから構わないけれど、食費等々については陽介のバイト代から差っ引くとのこと。父は、家が狭くなるな、と一言だけ言った。え、それで終わりなの? と陽介の方が思った。実際には、それで済むだろう、と思ったから連れ帰ってきたのだが。
「沖奈で手を繋いでも、やっぱ効果なし、かなぁ」
「恥ずかしいから、それ、言うなよ」
「恥ずかしいのはこっちよ!」
 先日沖奈市で、映画を観賞するというデートが決行されたのだが、千枝は待ち合わせに遅れてきて、映画の上映が既に始まってしまっていたし、観終わってからも、日曜日はどこも混んでいて、どこかで食事しようと思っても難しかった。その上、食事は彼氏の奢り。手を繋いだなんて言っても、ほんの僅かな距離だけだ。二人して耐えられなくなってしまった。
「はぁぁ、これ以上、どうしよ……やっぱ雪子に言うかなぁ」
「あ、そういや、お前が天城から聞いたか知らないけど、この前言っておいたからな」
「なにを?」
「付き合ってるの嘘だってこと、天城知ってたんだろ?」
 千枝はガタンと席を立った。目がグルグルと回っている。
「な、なにそれ! え、だって……!」
「なーに動揺してんだよ。つか、お前もよくも嘘ついてくれたよな」
 天城に本当のことなんて言った方が怖いけど、と陽介が両手を胸の高さまで上げると、千枝はストンと座って項垂れた。
「なんで」
 何故と来た。陽介は千枝の真意が掴めずに、少し眉を潜めた。
「里中の嘘なんて、天城に速攻バレるだろって話だよ」
 少し違うが、嘘でもない。陽介は態と片目を瞑る。顔を上げた千枝はそれを見て、再び、突っ伏す。
「里中が気にしてんのって、月森のことだろ。俺には『敵を欺くにはまず味方から』とか言っときながら、自分は味方欺いてないのがフェアじゃないってか? そんなん、別に気にしてねぇよ」
「月森くんには、言ってない?」
「言ってない。安心しろ」
 また顔を上げた千枝は、何だか微妙な複雑な表情で陽介の瞳を見入る。そんなに見詰められたら照れてしまうと言うか、惚れるなよ、と片目を瞑るとグーでパンチが飛んできた。
「んじゃ、お前がフェアじゃないってこと気にするんなら、一個だけ聞かせてくれよ。お前、アイツに気があんのか? 前からずっと、月森気にしてんだろ」
「ちがう」
「ホントか? 俺、けっこ、口堅いぜ?」
「違うっつってるでしょ。アンタってさぁ、ホント、分かんない」
「分かんない? なにが?」
 俺にはチエチャンの方が分かりません。これも言ったら怒られそうなので、心の中でだけ、思う。
「鋭いのか鈍感なのかってこと」
 陽介はきょとんとした。
「空気は読めてるだろ?」
「違う! もういい」
 どうやら今の空気は読めていなかった様だ。残念。千枝は怒った様に席を立ち上がった。そろそろ休憩終わりだから、とぶっきらぼうに言う。
「あ、陽介、俺も休憩貰ったから、隣いい?」
 千枝と入れ替わるかの様に、月森がこちらに手を振って近付いてきた。千枝の視線も月森の方へと向く。その眼差しが甘い想いを含んでいないらしいことなんて、彼女に違うと言われる間でもなく、本当は分かっていた。ただ、論理的な帰結として、彼女がそうでなければ説明付かないことが多過ぎたと言う程度だ。
「おう、お疲れさん」
「お疲れ、月森くん」
「里中も」
 千枝はさっと背を向けて、そのまま売り場へと駆けていく。相変わらず軽やかな足取りだ。非常な脚力はテレビの中の戦闘をふと思い起こさせる。
 月森は隣に座ると、喉渇いてるから一口頂戴、と陽介の飲んでいたコーラをとんとんと指で叩いた。どうぞと言えば、上機嫌でストローを口に咥える。本当に暇していたのか、バイト中の月森は機嫌が良さそうだった。
「そうだ、なんか食う? 親父が、お前の昼食はフードコートで好きに食っていいって」
「ラッキィ。じゃあ、ちょっと買ってくる。陽介はもう少し休憩あったよな? ここで、待っててくれ」
「ほーい、了解」
 ひらひらと手を振ると、月森は笑顔でフード売り場に向かう。
 分からないことは多い。事件の真相も結局分からなければ(久保美津雄は何故テレビの世界を知ったのか等々)、千枝の行動も本当は、良く分からない。陽介も、危ない奴がいるのなら困ると、周囲を見回してみてはいるけれども、それらしき影はなし。自分の方への攻撃もあるかと思って警戒しているが、脅迫状も何も届いてこない。一体全体、何が変だと言うのだろうか。
「ねぇ、花村」
「うわっと、なんだよ、アドバンテージ取るなっつの」
 背後から突然声をかけられたので、慌ててしまった。千枝がそんな軽口を、下らないとでも言う様な目で見ている。
「名前」
「は?」
「名前で呼ばない?」
 月森は何かを頼み終えて、出来上がるのを待っているらしい。腕を組んでいる。
「帰り、送ってってよ」
「お、おう……?」
 言うだけ言って、千枝は背を向ける。いつの間に背後を取ったのだろうか、と割と本気で不思議に思って首を傾げた。
(千枝、って?)
 チエチャンではなくて、千枝、と名前で。
(なんか、むず痒くなりそうだな)
「陽介、お待たせ」
「お、焼きそばじゃん」
 戻ってきた友人は、焼き蕎麦と烏龍茶を手に持っていた。
「ビフテキは流石に遠慮した」
 腰掛けながら、月森が笑う。
(陽介って、呼ぶのはコイツくらいだな)
 けれど何度も聞いている。呼ばれ慣れている。
『陽介、次は向こうの敵にガルーラ』
『陽介、体力減ってきたからディアラマ頼んで良い?』
『陽介、お疲れ様』
『陽介』
(里中に呼ばれても、咄嗟に動けそうだな)
 うんうんと腕を組んで頷く。思えば、月森以外に名前で呼ばれることもない。ヨースケは、愛称だ。それとも違う。
「陽介、コーラのお礼に一口食べなよ」
 言いながら月森は箸を渡した。にこにこと善意者の笑顔に逆らえず、特段、お腹が空いていると言うこともなかったが、口に運んだ。知ったジュネスの味がする。
「今日も良い天気だな」
 冷えていたコーラはすっかり温くなっていた。

 

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