Just call my name -7

 明日は祝日だ、となれば、自然と学校の空気は浮上する。それが土曜日であったとしても、週休二日制を採用してくれない八十神高校に於いては、土曜日の授業がなくなるだけでも、十分に御の字なのであった。斯くして、長瀬と一条が、明日は愛家に行こうぜ、等と話しているのを横に聞きながら、陽介は明日をどうするか思案していた。
「花村も行くか?」
「俺はパス。つかお前ら、休日もホントつるんでんのな」
「花村と月森もそうだろ」
 長瀬が腕組みしながら、真顔で言うので、何とも返し難い。
 明日、建国記念日という日本にとっての一大事(恐らく)を祝する日というのは、その月森の誕生日であった。しかし、高校生にもなって吹聴することもないらしく、大勢の生徒にとって、それは知られたことではない。月森は節目に重きを置いていない、と過去に陽介に語ったことがあるのだが、果たしてその通りの様で、月森に想いを寄せる女生徒や、特別捜査隊の面々にも知られていない事柄であるらしかった。陽介は、偶々、月森に誕生日を祝われた際に聞いていたので知っている、という程度だ。面倒だから、聞かれても俺のことは答えないで、と常から釘を差されている為に、陽介から外部に漏らされることもなかった。
 然れば、月森の誕生日を祝うのは、八十神高校にあっては、陽介一人であるのかも知れない。祝日だから、学校で祝われるという経験すら、彼には皆無である様にも思える。堂島ならば、親族として、月森の生年月日を知っている可能性はあるし、菜々子も、彼の慕う兄の誕生日を聞き出している可能性は高い。しかし、あの堅物の堂島叔父が、月森に気の利いたことをするとは思えないし、しっかりしているとは言っても菜々子はまだ小学生だ。指折りにして月森の誕生日を数えるのでもなければ、忘れてしまうだろう。何せ、彼女は一度、死の淵を彷徨った身なのである。
「陽介、と、一条に長瀬。集まって何してるんだ?」
 噂をすれば影と言うが、果たしてその通り、月森は廊下の角からにゅっと現れると、陽介の肩に手を置いた。
「お、噂をすれば何とやらってな。月森も明日、愛家行かねぇ?」
「陽介は行くの?」
「パスしたとこ」
「じゃあ、俺もパスで」
 にっこりと月森は笑った。ぴっと垂直に上げられた右手が、笑顔の柔らかさと裏腹に、強烈な拒絶の意思を示している様に思える。
「出たよ……」
「ん? どうした、一条?」
 何か言いたげな一条は無視することとして、陽介は月森の方に向き直った。
「お前さ、明日、なんかあんの?」
「ないよ」
「ふぅん……菜々子ちゃん、元気にしてる?」
「元気だよ。明日は、学校の行事が入ってる、とかで張り切ってた。元気になったみたいで、本当に良かったよ」
「だな」
 特別捜査隊全員で行った退院祝いの際にも、菜々子は元気な笑顔を見せていた。すっかり具合が良くなったのだと窺われて、皆の涙腺が終始緩みっぱなしだったのだが、それもご愛嬌だ。
 それにしても、菜々子も日中不在とあれば、誕生日祝いは、あったとしても夜になるのだろうか。うーん、と陽介は考える。月森にはいつも世話になっているということは、確かだ。授業中のノートから試験対策、諸々の学生生活に限らず、困った時にはバイトの手を頼むこともある。
 しかし、恩義があるというだけではない。ぼんやりと思い巡らしていると、そんな陽介の感情など露知らない剛毅な友人は、月森の方に視線を向けた。
「ところで月森、最近、雨の日スペシャル食ってるか?」
 長瀬は、腕組みしながら尋ねた。
「いや。もう十分、鍛え上げられたから」
「お前、あんなん食ってたのか? すげー、チャレンジ精神だな」
 一条が感心した様に笑っている。陽介も話は聞いていたが、一緒に行かないかと誘われても断っていた。食べ切れる気がちっともしないのだ。
「前に、お前が食ったという話を聞いていただろう? 昨日、雨だったから、食いに行ってみたんだが……」
 長瀬は苦い顔をした。
「長瀬のヤツ、わざわざ俺に電話してきたんだぜ。あれは、バケモノだ……とかって」
「ぶっ、長瀬もダメだったのかよ。あれ食えるヤツいんの?」
 完食したという話さえ、殆ど聞かない。
「里中なら、やれる」
 月森は拳を握り締めて、強く頷く。肉食系女子こと里中千枝の肉好きを思い出し、陽介は吹き出した。
「違いねぇ!」
「バッ、お前ら、里中さんに失礼だろ!」
 千枝に憧れを抱いているらしい一条には気の毒なことだが、普段は肉丼ばかりのお肉大好きな千枝ならば、あの雨の日のメニューを平らげてしまうのかも知れない。憶測だが。
「あれは、バケモンだ……」
 長瀬はまだ遠い目をしている。
「ってか一条も、里中に変な幻想抱かない方がいいぜ? アイツは、カンフーと肉のことしか考えてないんだっての」
「花村はいいよな、里中さんと仲いいし……なぁ、紹介してくれよ! 頼む!」
 急に胸元を掴まれたと思えば、ぐらぐらと身体を揺らされた。思わず、ぐぇっと変な声が出る。バスケ部だけあって、腕は鍛えられているらしく、頭が綺麗にシェイクされていた。
「一条、ストップ。里中なら俺が幾らでも紹介してやるから」
 月森の怜悧な声に、一条は手を止めた。
「俺としても、ライバルは少ない方が良いし」
 ぼそりと呟かれた言葉に陽介は背をさぁっと冷たくしたが、月森の声は、幸い、目の前で項垂れる一条と、まだ雨の日スペシャルに思いを馳せているらしい長瀬には聞こえていなかった様である。

*

 恩義があるから、というだけではない。
(祝いたいんだな)
 月森の誕生日を、誰より先にとか、誰より盛大にとか、そういう感情ではなく、ただ、純粋に祝いたいと思う。月森が生まれて、ここに来て、そして自分と出会えたことを。
 陽介は自室で、その時間を迎えていた。2月11日。日付の変わった瞬間に、バースデーコールやバースデーメールをすることも考えたが、どうせなら、サプライズにしようと思った。ベタで結構。誕生日祝いと言えば、忘れていた振り、からのサプライズが一番だ。そういう、どこか稚気染みたことを陽介は好んでいる。そういうパフォーマンスを愛しているのだ。
 それに、夢想的な部分もありながら、どこかで陽介は、現実的な視点を併せ持っている。時間と言うのは、ただの指針だ。日付だって、365か366に区切っただけのメルクマールである。その数が四年に一度(厳密には少し違うらしいが)、ズレを修正するというのであればますます、その起点・始点に意味などない。元より、17年も昔の話だし、生まれた瞬間を始とするならば尚更に、その時間等、判然としない。特別な感慨は、だから、ない筈だった。
(12時だ)
 それでも、その時間が変わった瞬間に、きゅんとした。時計の針を見詰めて、あぁ、と祈る様な感情が俄に生じたのだ。その胸の内を押さえておくことが叶わず、陽介は、既に就寝しているクマを起こさない様に、通話ボタンを押してそっと部屋を出る。
「あ、月森? オレオレ。バッカ、詐欺じゃねっての」
 本当の意図は告げずに、何気ない会話をする。
(おめでとう、月森)
 彼の声が聴こえる隙に、唇だけ、囁いた。

*

「つぅわけで、ハッピーバースディ、センセイ」
 開口一番、ドアを開けてくれた月森に笑顔で言うと、案の定、驚いた様に目を丸くしていた。早くから出掛けたという菜々子は既に家におらず、暇を持て余しているだろうことを見越して、朝から堂島家を急襲。
「……へっ?」
「間違ってねぇよな? 祝日だったし、インパクトあったから」
「え、と……陽介、俺の記憶が確かなら、昨日の夜、俺に電話くれたよね?」
「さみぃから、早く入らせろ」
 片言ちっくにリョウカイデスと言って、月森は身体を引いた。
「あ、これ、ケーキな。ホールかっくらおうと思って、生デコにしといたわ」
 白いケーキ箱を月森の目の前に掲げると、受け取りながらも、月森は動揺を隠せないらしかった。忙しなく目線が動く。
「えー、とー……」
「そんで、こっちはチキン。ケンチキでもありゃいいんだけど、この辺ねぇから、ジュネス製で勘弁な」
 雰囲気のないジュネスのロゴが入ったビニール袋を、こちらは渡さずに見せるだけにした。
「や、悪くはない、です。と、言うか、何から何までどうも……」
 ブーツを脱いで、何度も来ている堂島の家に上がる。靴を揃える程度の礼儀は備わっているので、端の方に避けておいた。
「ケーキは、商店街の店で買ったんだ。ジュネスのもいいんだけど、前とおんなじっつぅのもアレだしな。前って言やさ、生デコ指定してたってことは、センセイのお気に入りもやっぱ、定番の生クリームなんかなー、って勝手に思ったんだけど……あたり?」
 月森は玄関の戸すらまだ閉めず、その場で立ち尽くしていた。視線は、白い箱を注視している。
「おーい、月森センセイ? 甘いのは好きだっつってたよな?」
「バイト、忙しいって、昨日、言ってただろ」
「おう、いっそがしいぜ? もうじき、バレンタインっつぅ、一大イベントがあっからな。明日もバイト出なきゃなんねぇし」
「昨日の電話、あれだけでも、割と、個人的には満足してたっていうか……誕生日に真っ先に、好きな人の声が聞けるなんて、幸せじゃない?」
 灰色の瞳が、ついにこちらを見詰めた。
『バレンタインって、ホントすげーのな。去年も思ったけどよ……俺も、帰ったら急に、週末はシフト入れ、なんて言われて、マジ横暴だろ?』
 陽介が昨日――正確には日付が変わっていたので今日だが、夜に月森と電話で話したことの要点を掻い摘んで言えば、これである。咄嗟に電話してしまったにしては、それなりに上手く理由が出てきたと思う。愚痴に付き合わせる感じで、月森とは他愛ないことを話した。月森も月森で、菜々子が学校の行事に興奮して中々寝付けなかった話等、有り触れた、幸せそうなことを話していただけ。
 灰色の瞳は、一度、手元の白い箱に視線を落とした。複雑そうに、目の色が少し、変わる。
 ちょっと御免、と言って、視線の先にあった箱を廊下に置くと、月森はサンダル履きのまま、陽介の腕を引いた。前に傾いた身体が、するりと腕の中に収まる。
(心臓の音がする)
 目を閉じると、鳴り響く音がより鮮明に聞こえてきた。初めてこうされた時は、泣いていたから、鼓動の音を知らなかった。月森に抱き締められた経験は他にもあったが、大抵、余裕がない時にだったから、知らない。今、余裕がないのはきっと、月森の方なのだろう。
「夢見たいって、言った気がするんだけど、……あぁ、駄目だな。陽介は罪作りだ」
 呼気が漏れる。
(身体、あったけぇな)
 前にも同じ様なことを思った気がした。
「昨日、電話した時は、そんなこと一言もなかったけど」
「とりあえず、解放してくれませんか、月森サン」
「嫌だ。このまま尋問」
 腕の力が強くなった。まぁ誕生日だし多めに見ても良いか、と思い、陽介も特には抵抗しないことにする。
「しかも今日、バイトって」
「ちっちっち。俺は、週末はバイトだ、としか言ってないぜ? 忙しいから、明日バイトってのはマジな」
 騙す意図はさしてなかったのだが、暇なら家においで、という言葉を封じるつもりで言ったのは確かだった。
「朝からとか、狡いだろ」
「サプライズしたかったんだから、しゃあねぇじゃん」
 陽介は狡い、と月森はもう一度言った。月森こそ、狡い男の代名詞みたいな顔をしているのに、と思う。そんな男が、余裕をなくしている様子は、意外と可愛らしい。女子のときめくギャップとは、こういうことなのかも知れない。そんな彼に、本当は言わないつもりでいたけれど、バラしてしまおうか、と思った。
「ホントはさ、昨日、電話してた時、言ってやろうかって思った。つか、喉まで出かかった。結局、心ん中で言っただけなんだけどな」
「っ……ホント陽介って……」
「でもやっぱ、誕生日っつったら、サプライズだろ?」
「何それ。も、陽介、かーわいーい。可愛すぎて、俺、死んじゃう……」
「マジでビビってたセンセイもかーわいーい、から、安心しとけ」
「陽介の方が可愛いって」
 真剣な声色で言われたので、思わず、言葉に詰まってしまう。こういう台詞に本気で照れるから、危険なのだ。男が男に可愛いと言われて喜んでいる様では、全くまともではない。
「ほら、もういいだろ?」
 やんわりと腕を解き、向き合った所で、改めて「おめでとう」と言うと、月森は顔を綻ばせた。
(あぁ、あの顔だ)
 惹き込む綺麗な笑み。幾千の人のそれに勝る、恐ろしく魅力的な。
「有難う。どんな祝言よりも嬉しい」
「ばか。照れるっつの」
 そんな顔で言われたら、どうしようもなくなってしまう。冷める前に食おうぜ、と持っていたビニール袋を腹の辺りに突き出すと、まだ昼には早いんだけど、と月森は眉根を寄せた。
「ケーキ、本気で二人で食べ切るつもり? 生デコは確かに、嫌いじゃないよ。誕生日ケーキと言えば、これだって思う」
「や、それはノリだって……余ったら菜々子ちゃんにあげろよ。そんでさ、今日、誕生日だってちゃんと言っとけ。菜々子ちゃん、忘れてたって後で知ったら、悲しむだろ」
「相変わらず、空気を読む男だな、相棒。分かったよ。あ、寒いから、ケーキは冷蔵庫に入れなくても平気かな。チキンは、温めた方が良い?」
「冷えてるってほどじゃねぇから」
 やっと月森もサンダルを脱いだ。つかつかとダイニングテーブルの所まで歩いて、白い箱をそっと乗せる。その背に、陽介は含み笑いをしながら、持ってきた物を投げた。
「ほれ、プレゼント」
「わ、っと……陽介、投げるなよ……って、何? プレ、ゼント……?」
 月森の顔が再び綻ぶ。
「ったりめぇだろ。お前に貰っといて、俺だけナシなんて、できるかっつの」
「でもほら、チキンとケーキもあるし」
 白い箱と陽介の持つビニール袋と、投げられた物を順に見て、月森は些か焦った表情になった。
「んなのオプションだよ。サービス! 気にすんなって」
「そっか……。嬉しいよ、陽介」
 月森はぱぁっと笑顔になると、軽く、渡された袋を揺すった。
「何だろう。えーっと、じゃあ、開けて良い?」
「大したもんじゃねぇからな」
 釘を刺す様に言っても、月森は相好を崩したままだった。手渡した簡素な包みは、一応、プレゼント用にと頼んでリボンを付けて貰っただけ。そんな包装を、そろそろと、慎重に開ける姿に、うっと言葉に詰まった。
 ゆっくりと封が開けられる。中から、真新しいCDケースを取り出すと、月森はまじまじとそれを見た。
「CD? あぁ、陽介、こういうの詳しいもんな」
「何だかんだで、月森の欲しい物ってのも浮かばなかったんだよ。お前、物欲ねぇだろ? だったら、俺の趣味のでいいかって思ったんだけど」
「ふふ、陽介、色々と正解」
 最近聞いている、英語詞の曲を集めた物だった。ジャケットもお洒落なビビッドカラーで、黒と白ばかりの月森の部屋には、実に異端そうだ。それを想像するのが少し楽しかったりする。
「物欲はない。欲しい物って聞かれたら、陽介って答えるところだった」
 清々しい笑顔で、とんでもない発言をする辺り、今度こそ、いつもの月森孝介を取り戻した様である。
「聞かなくて正解だったなー」
 陽介が遠い目をしながら言っても、退かない、怯まない。がしっと手首を掴んだかと思えば、にこにこと笑って顔を近付けてくる。
「くれないの?」
「俺は、物じゃねぇよ」
「あぁ、確かに。陽介にはきっと、物の様な所有権という概念は該当しないだろうね。まぁでもほら、法文上のそういうものを求めている訳ではないからさ。訴訟とかする予定ないし。陽介がくれる――って言ってくれれば」
「ストップ! ストップだ、センセイ。誕生日だからってハメ外しすぎっと、お前、えらいことんなっから! つかヤメテ!」
「仕方ない。ではお手を拝借」
 言うが早いか、月森は掴んだ手首を自分の方へと引き寄せて、人差し指の先に唇を寄せた。
「今は、人差し指一本で我慢しておこうか」
「んなっ、なっ……! お前は……っ!」
「おや不服? 俺はご満悦です」
 自分で言わなくても、顔にくっきりとご満悦と書いてある。
「CD、ゆっくり聞かせて貰うよ。有難う」
 手を離したと思えば、にこにこと笑っている。
「相変わらず、恥ずかしいヤツ……」
 恨みがましい目で言えば、嫌だなぁ、と人を食った様に、月森は笑った。

 

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