Just call my name -6

 公子は、2年前に亡くなっていた。麗らかな春の日に。長閑な光の中で。彼女が、全てを知っていると言い、夢でしか会うことが叶わない現状を考えれば、只人ではないことは十分に分かっていた筈だし、予測し得た。けれど、こうして現実として突き付けられると、酷く淋しげな気持ちが生じる。夢の中でとは言え、陽介は彼女と会話している。決して会うことのなかった線が、交わってしまったのだ。
 長い一日を終え、漸く戻った八十稲羽の暗い空の下、陽介は星空を見上げた。ネオンの光る辰巳ポートアイランドには、星が見えるのだろうか。少女は何を見て、そして、どう過ごしていたのだろう。無気力症の最後の患者と言われた少女と、彼女が知っているらしいというシャドウとの関わりとは一体、何か。立ち止まっても、答えは見えてこない。
「花村先輩? なにしてっスか?」
 歩いていた場所が商店街だ、と言うことに、声を掛けられてふと気がついた。普段ならば、どうしてもそちらには足を向けない場所だ。ちらちらと、雪が柔らかく降っている。八十稲羽は、今年も雪の日が多かった。
「さっき、りせといませんでした?」
「ちょっと出掛けてきたんだよ。なんだよ、気になんのか、完二」
 強面の後輩の傍らには、りせや直斗の様な華が取り揃っているのかと思うと、両手に花で羨ましく思えた。こちらにも天城と里中がいるが、セットになってしまう華なので、有難味は低い。
「直斗クンだけじゃなくて、りせもってのは、贅沢じゃねぇの」
「んなっ!? ち、ちげぇっスよ! ばっ、そんなんじゃねぇ!」
 くっくっくと喉で笑うと、完二が全身のジェスチャーでわたわたとした。図体はデカイが、まだまだ揶揄い甲斐のある後輩で何よりだ。
「本命はどっちよ。教えてくれたら、先輩として、ここは一つ、協力してやるぜ?」
「いい、いらねって言ってんだろーが! つか、それより、アンタの方こそ……っ」
 指さされて、きょとりとした。りせや直斗の様な華は、今の所、陽介の傍にはない。
 発言の意味が分からない、という陽介の表情を読み取ったらしく、完二は盛大な溜息を吐いた。
「月森先輩っスよ……今日、すげぇ、アンタのこと聞かれました」
 言われて、数秒考えた。その後、あっと思って、ポケットの携帯電話を取り出す。電車では電源切っておこう、とりせに言われて、電車では電源を落としていた。それからはずっとそのままだ。八十稲羽にあっては、携帯を頻繁に使うこともなかったし、電源を切りっ放しにしていても、余り問題はなかった。そしてまさか、友人が、陽介のことを探している等とは思いもしなかったのだ。
 慌てて電源を入れて、メールチェックをしてみたが、月森からは特に届いていない。メール嫌いの彼だから、電話をしたのだろう。着信については電源が入らなければ履歴も残らない訳で、如何程のものか、計れない。
「なんか、用事だったのか?」
「そういうワケでもねぇみたいっスけど」
「……えーと、なんつか、その……迷惑、かけたな」
「ホントっスよ!」
 批難めいた視線から目を逸らし、陽介は月森の番号にコールした。待ち構えていたのだろうか、あちらとは直ぐに繋がった。
「あ、月森? なんか、今日、探してたって聞いたけど、どうかした?」
「……人、目の前んして、電話すんの止めてくれません……?」
 完二はぶつぶつと言いながら、不満気に背を向けた。
『別に。そんなに探してた訳じゃないし』
「お、お怒り?」
『別に』
 某女優みたいなセリフを吐くので、陽介は思わず吹き出した。月森はそれに更に不服だった様で、声が硬くなっていく。
「悪かったって。携帯、切ってたのすっかり忘れててさ」
『ふーん……それで、今日はどこか出掛けてたんだ』
 ギクッとした。月森は非常に鋭い。携帯の電源を落とす様なことになっていたのであれば、家にいた訳ではないと見抜かれた様である。
『菜々子が』
「ん? 菜々子ちゃん?」
『明日、退院出来るって聞いて、それで、陽介にも伝えておきたかったんだよ』
「マジで!? やったじゃん!」
 菜々子の体調は、殆ど問題ないことは聞いていたし、実際に見舞いに行って見ているので知っていたが、家に戻れるとあれば、やはり話は違う。やっと堂島家に家族全員が揃うとあって、寒空の下でも心温かくなった。今度こそ、月森と菜々子は、二人で炬燵を買うことが出来るのだろう。勿論その時は、ジュネスに買いに来て貰いたい所だ。
「そんで、なんかお祝いとかしねぇの?」
『あんまり大袈裟にすると、菜々子が気を使うからなぁ』
「なに言ってんだよ! 退院祝い、やんなきゃダメだろ! 明日なんだよな? 俺もバイトねぇし……あぁ、今からそっち行くな? 平気か?」
『平気――だけど』
 はぁ、と溜息が向こうから聞こえた。
「なんだよ、どうかしたか?」
『嬉しいのが悔しい』
 怒ってたのに、と月森はぶつぶつ呟いている。

*

 堂島刑事は、今日も遅くなるらしい。電話では複雑な声を出していた月森だが、出迎える時には、もう不服そうにはしていなかった。上がって、と直ぐに居間に通してくれると、珈琲を淹れてくれる。
「お前独りだと淋しい感じしてたけど、菜々子ちゃん、やっと帰ってくんだな」
 テレビの前に座って、改めてリビングを見回した。陽介が訪れると、いつだって、菜々子がここに座っていたということを思い出す。毎日「お帰り、お兄ちゃん」と言ってくれるのが可愛くて仕方ない、と前に月森も言っていた。
「うん。良かったよ……」
 持ってきた自分のマグカップを下ろし、テーブルを挟んで陽介の前に座った月森は、とても優しい目をしていた。菜々子が不在にして、もう随分と長い。助け出した時も、危篤状態になった時も、月森は努めて冷静に振舞っていたが、心の底にはきっと、こんな風に温かい情と苛烈な感情が渦を巻いていたのだろう。
「菜々子で最後に出来て、良かったとも思う」
 事もなげに月森はそう言ったが、公子のことを考えると、素直にそれには頷けなかった。思わず陽介は、手元のマグカップに視線を落とす。恐らく、菜々子で最後になる筈だ。真犯人は捕まり、裁きを待つ状態にある。それだけだ。けれど、ギミックがまだ残っている――誰かが悪意を持って突き落とすことも、落下してしまうことも、考えられないことではない。それでも、終わったと皆が考えているのは、落とす役目が、限られた人間にしか行い得ない為だ。その内の二人が捕まり、月森が悪用しないとなれば、これ以上の被害者はない。
(なんで、コイツにはそんな手段があったんだ?)
 生田目、足立、月森。三人には、テレビに入る手段があった。生田目の様に、ペルソナが出て来ない例もあるが、概ね、この三人だけがという意味では変わらない。足立は、影世界に愛されたと言っていたが、それ故にと言うならば、月森でも同じでなければならない。
「どうかした、陽介。じっと俺の手なんか見て」
 笑うと、月森は、見ていた右の手を陽介の額にくっつけた。きょとんとしていると、ぱちんと額を弾かれる。
「イテッ……デコピンって、なんでこんな、いってーの……?」
 額を押さえる陽介を無視して、月森はまた腰を下ろした。
「急に用意するのは難しいから、退院祝いってのは、また日を改めたらにしよう。明日は堂島さんが、午前中に菜々子を迎えに行くって」
「んじゃ、明日は帰り、ここ寄ってくってことだな。どうせ、アイツら皆、揃って来るんだろ?」
「いや、明日は親子水入らずでって言われたよ」
「あ、成程」
 だったら俺も明日は遠慮するかな、と陽介は両手を絨毯につけて重心を後ろに持ち、天井を仰いだ。
「俺もさ、遠慮しようと思ってる。確かに菜々子は俺の妹で、家族だけど、こんな時だから――叔父さんに、娘と二人、久々にのんびりして貰いたいし」
「堂島さん、菜々子ちゃんのことでは相当参ってたもんな」
「うん。菜々子もだけど、足立のこともあるから」
 後で月森に聞いて知ったことだが、刑事は二人一組で行動するのだと言う。堂島刑事にとっての足立という男は、正しく、相棒だったのだ。それが、一連の事件の裏で糸を引いていた。堂島の受けた衝撃が如何ばかりであるか、陽介には推し量れない。
「俺も、お前が犯人だった――なんてなったら、どうだろう」
 緩やかに視線を下ろして月森に合わせる。灰色の瞳は、一つ瞬きして、にっと唇の端を上げた。
「陽介は、そういう心配をする必要がなくて安心する。流石は俺の相棒だ」
「サンキュ」
 言いたいことが伝わった様で何よりだ。同じく相棒として自分達に置き換えたらどうだろうか、と、思ったことが伝わっている。ふふっと陽介は笑みを漏らした。
「俺は、陽介を裏切らないよ」
「里中にとっての肉、みたいな?」
「それと一緒にされるのは心外だけど。相棒って陽介が呼んでくれる限り、俺は、いつまでだって信頼に応えるよ」
「……おう」
「あ、陽介照れてるんだ? 言っておくけど、陽介も前、結構アレなこと言ってたからな?」
「わー、もう、やめて! あれは若気の至り! っつか、青春!」
「じゃあ、今の俺のも青春」
 にこ、と月森は灰の瞳を細めながら笑う。
 月森は基本的に、端整な顔立ちをしている。転入当初から、イケメンだと言われているのを耳にしてきた。陽介も思わないではない。整った顔というのは、男から見ても成程流石と思わせるし、月森もそういう類だった。要するに、男でも見惚れる容貌だということである。とは言え、常日頃からそれを感じているという訳でもない。口を開けばとは言われるが、これでも陽介も爽やかイケメンと言われてきているのだ。ナルシスティックな感情はないが、雪子やりせ、直斗の様な美形に囲まれていることもあり、慣れてきているという節もある。
 けれど、今この瞬間の月森の微笑みは違った。数段上だ。何十人もの女生徒が、彼を想っていることを窺わせる、魅惑的な笑顔。それが、唯一、自分にだけ向けられるという感慨は、一つの言葉にはし難い。明瞭な感情にも置換出来ない。
 丸で小さな悪寒がする様に、ぞくりとする。心臓が早鐘の様に打つ。
「そういう訳だから、明日は、ちょっと付き合ってくれないかな? 菜々子の大好きなジュネスで、退院祝いのプレゼント位は、買いたいと思ってるんだけど」
「う、えっ、あっ、あぁ……そ、だな。俺も、なんか菜々子ちゃんにプレゼント――」
 じっとアッシュグレイの瞳が覗き込んできたので、思わず視線を逸らした。その動きが不自然になってしまって慌てて視線を戻すと、月森の非常に端整な顔の唇の端が上がった。
「惚れた?」
「ばっ、……バカかっ!」
「ふふ、惚れるなよ、陽介。あ、いや、撤回。やっぱ、良いよ、惚れて」
 それとも、と月森はこちらに顔を近付けて、更に笑みを深める。
「もう惚れちゃってる?」
 自信満々、余裕綽々に言うので、何も返せずに、陽介は頭を抱えてしまった。

*

 月森が告白したのは、夏休みのことだ。あの時は、千枝と雪子に騙されて、まさか月森を陥れる為とも知らず、千枝と偽装の恋人を演じた。よもや、あの月森が、そんなことに動揺するとは思わなかったのだ。今は違う。月森がどう考えているのか、ある程度は理解出来るようになっていた。月森は嘘でも冗談でも、陽介と誰か、を苦々しく見るのだ。手の届く位置にいて欲しいと思っている。そういう意味では、何が『期待だけ』だ。独占欲が有り余っているのを節々で見せる月森が、それだけで済ませられるなんて、今では到底、思えない。かと言って、何かする訳でなければ、強硬な手段も用いる訳ではないという程度の信頼は変わらず。
 何故か、と言うことは幾度か聞いたことがあるが、いつもはぐらかされている。理由が判然とすれば、陽介の感情に影響するのかと言えばそうでもないのだが、そもそも論として、月森という男の影響は、陽介にとって計り知れないものなのである。彼がいたから、という言葉を簡単に紡ぐべきではない程に、月森は大きい。文字通り、全て、変えられた。彼は特別である。陽介は、認識を誤ったことはなかった。
 特別だったら恋人になるかと言えば、そうでもない。今の所は、であるが、月森がある日突然、雪子やりせと付き合うことにした、と言ったとしても、陽介は祝福こそすれ、嫉妬しないのではないかと思う。無論、自分を特別だと言う月森のそれが損なわれることに対しては、忸怩たる思いを抱くだろうことは予想がつくのだが、それが、恋愛に言う嫉妬であるかと問われれば、恐らく、違う。強いて言えば、自分に出来なかった天城越えとか、アイドルと付き合うということとか、それは非常に嫉妬心を煽られる事柄であろうとは思うのだが。
 多分、とか、恐らく、と言う言葉が迷わせる。月森を好きだと思うのは嘘ではない。きっと、月森を好きだと公言するりせよりもずっと深い部分で、想っている。ただそれが、恋愛かと問われれば、是と言うだけの力もない。
(絆されかけてる自信はあるけどな……)
 暗い空を仰ぐと、星が瞬いていた。冬の星座ならば、オリオン座だろうか。
 マヨナカテレビについて、結局まだ、独りで調べてみていた。クマからは聴取を重ね、噂の出所を探ろうとも試みたけれど、後者についてはまるっきり、不発だ。独力でテレビに入ることの出来る三名の共通点も、男であることと、そして、八十稲羽には最近やってきたということ位であった。
(そういや、足立も、最近、八十稲羽に来たんだったっけか)
 月森は来てから立て続けに事件に巻き込まれており、平和な八十稲羽を今、漸く満喫している状態だ。生田目も、離婚を機に議員辞職して戻ったばかり。
「最近、八十稲羽に来た男?」
 漠然としている。少し前ならば、陽介だってそれに該当していただろう。
 八十稲羽は、コミュニティとしては極めて閉鎖的である。どこの地方都市もそうであるのかも知れないが、非常に、余所者と言うものを疎む。ジュネスが好例だ。陽介はジュネスの御曹司だからという理由で嫌われているばかりではない。他所から来た、この場所を脅かす存在として、ジュネスが象徴的だからであり、都会から来た息子というものが、それと非常に親和性を持っていた為である。陽介がこの地に定着した頃には、大分、そうした攻撃的な視線や言葉は減った。このまま八十稲羽で暮らしていくならば、いずれ、口さがない噂も消えるのだろう。
 閉鎖的な都市であるから、他所から来た人物については、まず、噂が立つ。どこからか、入ってくる人間がいるらしいという前触れの時点で、既に主婦の内部コミュニティによって通ずるのだ。ジュネスに集まるパートの女性の間ですら、どこそこの息子が出て行っただの帰っただの、そうした人間関係の噂には事欠かない。狭い地域であるが故に、その正確性にも舌を巻く。陽介がその噂を小耳に挟んだ程度に聞いた感じでは、他に、他所から来たとされる人間は、陽介の知る以外には、余りいない様に思われた。
 曖昧漠然とした情報であっても、対象が僅少であれば、特定的になりうる。強ち、仮説は外れていないのかも知れない。ぐるぐると考えていると、携帯がメールの受信を報せた。
『ヨースケ、はよかえりんしゃい』
 まだ拙いクマのメールだ。こちらに帰化してしまいそうなクマの様子は、菜々子と月森の家族としての絆とは行かないものの、陽介にとっても弟の様な、そんな微笑ましさを生む。けれどクマは、どうして生きていくのだろうか。テレビの中にいれば、シャドウが襲い掛かってくることもあると言うし、かと言って、戸籍もないで現実を生きていくことは難しい。クマにとっては八方塞がりの状態だ。普段は意識しないけれど、こうして考えれば、まだ問題と呼べる物事は少なくない。
『すぐ戻るから、待ってろ』
 簡単にそれだけメールをして、陽介は白い息をすうっと吐いた。

*

 公子は、憂鬱そうに前を見ていた。
「ハナくんは、私の忠告を聞いてくれないんだね」
「聞かないって知ってただろ」
 うぅん、と公子は首を横に振った。
「ハナくんが動くことは、私の見た世界とは違う――結末も、少しずつ揺れてきている」
「月森の未来は?」
「変わらない」
 まだ、そこまで至っていないだろうことは分かっていたので、残念にも思わなかった。何せ、調べ始めた、というだけで、掴んだことがある訳ではない。
「辰巳ポートアイランドに行ったの?」
 今まで、感情を滲ませた言葉を発したことがなかったのではないか、と思える位に、感情の篭った声で公子は言葉を紡いだ。
「行った。公子さん、アンタの着てたのは、月光館学園の制服だ」
 今日の公子は、制服ではなかった。指摘されるのを恐れてなのか、赤いチェックのスカートに、黄色のタートルネックのニットを着ている。赤いイヤフォンだけは、変わらず。
「わたしは、しんだの?」
 答えられずに黙ると、公子はやんわりと微笑んだ。
「彼は、死なせてはいけないよ、ハナくん」
 ゆらゆらと立ち上る蜃気楼の様に、夢の世界が、消えていく。

 

back