「はなむらせんぱーい! おっまたせー!」
月森に知られないように、と土曜まで気を張っていた陽介だが、元々、月森は人の詮索をする方ではない。特に何事もなく、決行の日を迎えた。
「りせ、一応言っておくけどな、お前が、7時っつったんだぞ?」
「えへっ、ごめんなさーい」
時計の針は7時と30分を回っている。りせが几帳面な方でないことは察していたが、30分の遅刻とは、中々度胸がある後輩だ。陽介は時間にルーズそうに見られるが、これで几帳面のA型だ。時間通りには待ち合わせ場所に到着していた。
「いろいろ準備してたら遅くなっちゃって……はい、先輩にもポッキーだよ!」
赤いパッケージのお菓子は、いつ用意した物なのか。電車長いからね、とりせは、旅のお供らしき袋をちらりとこちらに見せた。
「寝てれば直ぐ着くと思うんだけど……ボックス席、多分、ここからなら空いてると思うし。先輩、飲み物買った?」
「や、そんなに飲まねぇし」
「だめだよー! 乗りかえの時間とか、ぎりぎりかもだから、買ってる暇ないかもだし。冬だから、乾燥してるし、ノド、渇いちゃうよ」
成程、それもそうかも知れない。言われるままに頷き、陽介は自動販売機に向かった。小旅行に近いが、日帰りということもあって、荷物はコンパクトだ。りせも、手荷物は肩に掛けた大きめの鞄と、ビニール袋だけ。
(りせって、意外と……オカンっぽいトコあるよな)
旅行や遠出に慣れているということなのだろうが、電車にしろ何にしろ、手馴れた様子を見せる。意外な一面だ。
最初にりせと会った時は、正直な所、暗い少女だ、と陽介も思った。テレビのイメージがどうと言うよりも、彼女に覇気がなかったのだ。どことなく漂わせているのは諦念で、それは、初めて八十稲羽に来た頃の陽介にもどこか似ていた。彼女の場合、田舎だから、ということで気落ちしていた訳ではないのだろうけれど。
偶像の如き己の姿というのは、りせに限らず、シャドウ全体を通して表れている。クラスのムードメーカーとしての花村陽介という存在、騎士若しくは王子様という里中千枝、従順な女将という天城雪子、男らしい男としての巽完二、明るいアイドルの久慈川りせに、頼れる男としての探偵白鐘直斗――それぞれが、その幻想を崩す様な、自分とは異なる一面をシャドウでは見せていた。
演じるということは、無意識にしても、誰もが行なっている振る舞いだ。陽介はそれを、空気を読む、と言うとも思う。
「炭酸って、逆にノド渇いたりしない?」
落ちてきたサイダーのペットボトルを取り出すと、りせは首を傾げた。
「りせにはむり! しんどすぎ! ってか?」
「ホントは、炭酸って、そんなに好きじゃないんだ」
りせはくすくすと笑った。人差し指を唇の前に出す。ナイショだよ、と。
「緑茶とか、ほうじ茶の方が好き」
シャドウを受け入れた今のりせならば、演じることは演じることとして、顔を使い分けられるのだろう。りせちーは、炭酸水を好むかも知れない。久慈川りせは、違うかも知れない。けれど、演じた者が幻でしかないとしても、それに、意味がない訳ではない。
「それじゃ、行こっ!」
腕を引かれた瞬間、少しだけデートっぽいな、と思った。思って、ずきりと胸が痛む。
(なんで罪悪感だよ……)
内心で溜息を吐く陽介を尻目に、りせは上機嫌に券売機に向かっていた。
*
寝てばかりの電車の旅も数時間程で終了し、クラブに顔を出してくるというりせと別れ、陽介は月光館学園の校門前に佇んでいた。
が。
「……そういや、いきなり行って、入れるわけねぇよな……」
数年前だが、辰巳ポートアイランドでは高校生の殺人事件等も起きていたことから、警備は厳重にされている、と修学旅行の際にも聞いていた。それが、何のアポイントメントもなしに、校舎内に入ることが出来ると考えた陽介が甘かったのである。陽介は抜けてるから、と月森は偶に笑って言うが、果たしてその通りだ。せめて制服でも着てくれば、と思ったが、八十神高校の制服がどの様に通じるのかと問われれば、答えに窮する。
休日の学校は、静かだった。門も解放されておらず、警備員だけが立っている。陽介が途方に暮れたまま、その、私立学校であるとは言え、大きすぎる近代的な佇まい(陽介の以前に通っていた高校も私学ではあったが、ここまでの規模は流石になかった)に舌を巻いているばかりでいると、あら、と後ろから声を掛けられた。
「学校に用事?」
振り向くとそこには、修学旅行で見た、眼鏡の美人な女子生徒が佇んでいた。両手で革鞄を持っている。如何にも、登校中ですと言う雰囲気だ。
「あら、あなた……」
確か、生徒会長だと聞いた筈だ。美人のことだから、というのでもないが、眼鏡の似合う美人としてはナンバーワンの称号を密かに送っていただけあって、そんなことは覚えていた。
「もしかして、八十神高校の生徒さん?」
「えっ? あ、あの、覚えてるんですか? まさか、来た生徒、全部?」
ぎょっとして尋ねると、少女はふふっと右手で口元を隠す様にして笑った。
「まさか。あなたのことは、印象深かったから」
それって俺がイケメンだから? とか短絡的に思って、それを直ぐに口に出す程、陽介の頭はお目出度くない。思いはしたが、本人にそう言うのは避けたというだけであるのだが。しかし思い直してみれば、ジャニーズではあるまい、仮令、適度に顔が綺麗な生徒がいたにしても(そしてそれは自分か若しくは月森位だという程度には自負心はあるのだが)、数ヶ月も前のことをそれだけで覚えていたりはしないだろう。
「あなたたちのグループ、美男美女ばかりだったでしょう? それに、あの、銀髪の人――何となく、印象的だったから、傍にいたあなたも覚えていたの」
やはり月森か、と陽介は頷いた。特に残念だと思わない。或いは寧ろ、それが月森だという感慨があったのかも知れない。今でも校内女子からの熱烈な視線を受け続ける陽介の親友は、出会って間もない美人にも、その眼力故にか、強い印象を残すようである。
「や、あなたも美人ですよ」
「ありがとう。改めて――私は、伏見千尋です」
「あ、えと……花村陽介です」
千尋はすっと手を差し出した。華奢で白い、女性らしい手をしている。千枝とは随分と違うな、と失礼なことを思いながら、出された手に自分の手を絡めた。きゅっと小さな握力。
(公子さんと同じ、制服)
また胸が、つきんと痛んだ。
「それで、どうしてここに? 行ったことはないんですけど、八十神高校からうちへは、結構遠い筈ですよね」
「え、と……あ、伏見、サンは、今から学校に?」
「えぇ。生徒会のことで、少し。学校に入りたいんですか?」
「できたら、そうしたいんですけど」
ダメですよね、と伺う様に尋ねた。行成出てきて、学校に入りたい等と言われても、簡単に許可されたりしないだろう。熟、陽介は自分の迂闊さを呪った。尤もらしい言い訳位、用意して然るべき筈だ。肝心な時に言葉が出てこないのであれば、魔術師失格である。
「余り、動かれると困るのですけど、私に付いてくるのでしたら、構わないですよ」
しかし千尋は、僅かに思案しただけで、直ぐににこりと微笑んだ。陽介からすれば肩透かしの感があったが、願ってもないことである。ここは素直に、ご厚意に甘えることにした。お願いします、と両手を併せると、千尋はクスクスと笑って頷いた。
少し待ってて、と言い残し、千尋は校門にいる警備員と二言三言会話して、戻ってきた。直ぐに校門が開かれる。ギギッと年季の入った音が辺りに響いた。
「日曜は、校則で、部活も禁止なんですよ。だからか、運動部も余り活気がないみたいで」
門が開いたと同時に、千尋は歩き始める。陽介は慌てて後を追いながら、実に生徒会長らしい発言に耳を傾けていた。校舎までの道には、木が並んでいる。きっと、桜の木か何かだろうなと思いながら、周囲をちらちらと見回していた。
「文化部なんかは、結構、頑張ってるみたいなんですけど……吹奏楽部とか」
二度目の月光館学園は、静かで、穏やかだった。洗練された都会の雰囲気。陽介がずっと、戻りたいと願った様な場所。今はその機械的な匂いに、どこか抵抗すら感じてしまう。
(変わるもんだよな――)
陽介は己の変化をひしと感じた。
「上履きがありませんから、職員用玄関でスリッパを借りていきましょうか」
「や、そんな、お構いなく……」
「冬の廊下って、冷たいんですよ」
くすりと千尋は笑った。一つしか学年は上でない筈なのに、歳の差というものをどうしても感じてしまう。埋まることの決してない歳の差は、仮令一つ違いであっても、届かぬ様に感じられた。
職員用の玄関から中に入り、人気のない校舎に入ったものの、どう切り出そうかと思案している内に、千尋は何処かへと向かっていく。彼女に付いていくようにと言われている以上、離れる訳にもいかず、陽介は後を追うばかりになっていた。借り物のスリッパは、キュッと擦れる音をさせながら、静かな校内に足音を響かせる。
「修学旅行では、どうでしたか?」
「え、っと……為になったと思います」
「そうですか。折角の旅行で勉強なんて、熱心なんですね」
千尋は感心した様に頷いている。きっと、月光館学園でも、修学旅行では勉学に励むことはないのだろうと窺えて、何となく物悲しくなってしまった。図らずも千尋には、真面目な校風と解された様である。
「江戸川先生、変わっているでしょう? 神秘学とか、そういう……」
「えーっと、イザナギノミコト、とか言ってたような」
「良く覚えていらっしゃるんですね」
まぁ、と陽介は言葉を濁す。やはり熱心に授業を聞いていたのだ、と千尋には思わせてしまった様だが、イザナギノミコトについては、月森のペルソナを知っていたから、偶々、耳に止まった位である。
「日本の成り立ち、なんて、神話って面白いですよね」
もうすぐ建国記念日ですけど、と千尋は付け加えて微笑んだ。建国記念日と言えば、当該月森孝介の17歳の誕生日でもあることを、不意に思い出した。日本の成り立ちに関わるイザナギをペルソナに持っていた月森孝介の誕生日がその日であることには、意味深な何かを感じるところである。
「それで、今日は、どうしてここへ?」
3階まで階段を上り、着いた先の部屋の鍵を千尋が手馴れた様子で開ける。プレートには生徒会室と書かれていた。成程、生徒会長の用事としては相応しい場所だ。部外者の自分が入って良いものかと陽介は逡巡したが、千尋が手招きするので、それに従うことにした。
「人探し、みたいなことをしてまして」
「うちの生徒ですか?」
「たぶん……」
嘘を言っても仕方ないだろうと、陽介は素直に来校の目的を話すことにした。しかし、いるかも分からない人を探すのでは、何れにしても曖昧にして漠然だ。自然と語尾が小さくなる。
「えっと、ここ数年くらいの間で、たぶん、俺と同じくらいの歳の女の子で、失踪した生徒とか、亡くなった生徒って、いませんか? 髪は、赤茶で、……後ろで、ポニーテールにしてる――あ、なんか、変わったヘアピンしてる、かも、しれないんですけど」
容貌の他に情報がない。夢で見る彼女の姿を脳裏に描き、実在していますようにと祈る気持ちで、陽介が恐る恐る尋ねると、千尋の顔が強張った。彼女には悪いのだが、その瞬間に、ビンゴだ、と陽介は確信する。
「不躾ですみません。でも、えーっと……あ、姉の友人が」
「2年前、」
無理にこじつけようとした理由を遮って、千尋は淋しげに口を開いた。のろのろと、窓際の方へと足を向ける。そのまま窓を開けた。わっと冷たい風が、小さな部屋を満たした。
「そちらでは話題にもならなかったかも知れませんが、この付近では『無気力症』と呼ばれる病が蔓延していました。その頃、失踪した生徒も多くて……多くは、無事に見つかったんですけど」
寒いですね、と言いながら、千尋は窓を閉めた。そのまま、目を伏せて、窓を背にしている。逆光で、顔が良く見えなかった。
「年が明けて、事件は収まりました。何事もなく終わる春の日に、一人の女生徒が、睡るように息を引き取った――その人が、無気力症の最後の患者ではないかと言われています」
千尋は言葉を止めると、本が幾つか並んでいる棚の方へと足を向け、一冊、抜き取った。それを懐かしそうに瞳を細めながら、ぺらりと捲っていく。
「赤茶のポニーテール……恐らく、私の知っている『あの人』です。とても優しくて、とても頼れる先輩……」
手招きされたので陽介は彼女の方に近付いた。彼女が持っていたのはアルバムだった様で、写真が幾つも収まっている。その一つを、細い指先が、指し示した。
(公子さん、やっぱり)
陽介は瞠目する。写真の中には、快活に微笑む、彼女の姿があった。
*
「うーん、遊んだぁ!」
両手にショップバッグを抱えるりせは、満面の笑みを浮かべていた。元より、侘び等というのは口実で、こうして買い物したかっただけなのではないだろうか。彼女と同じ位には荷を持たされている陽介は、ぐったりと噴水のへりに腰を下ろした。
「りせ、お前、こんなに買ってどうすんだよ……」
「だいじょーぶ! 全部送っちゃうから」
こういうことの算段は、きちんと出来ているらしい。
日曜日ということもあって、ポロニアンモールにも人出が多かった。それを横目で見て、噴水の水が立ち上ってぱっと弾けるのを、何となく見詰める。晴れた空に、水の粒がきらきらと輝いていた。
「花村先輩の方は、どうだった?」
「ん? あぁ……用事なら済んだぜ」
「なんか、元気ない?」
「疲れてんだよ、りせの買い物に付き合わされてな」
そっか、とりせは頷いて、悪気ない様に笑った。きっと彼女の恋人になる男は、振り回されるのだろうと思う。それすら、幸せだと思うのだろう。今の陽介には、流石に笑顔で持ってやる程に寛容さが育ってはいなかったのだが。
「でも、楽しかったでしょ?」
「まぁまぁ」
「えー! 先輩ってツンデレ?」
「また妙な発言を……」
りせとポロニアンモールを巡るのは、殆ど振り回されていたにしても、それなりには楽しかった。月光館学園で聞いた、彼女のことで、些か落ち込んでいた気持ちを慰めるには、振り回される位が丁度良かったのかも知れない。
(やっぱり、振り回されるのが合ってんのか)
微妙な気持ちで肩を落とすと「先輩暗いよ」と、複雑な感情を知らないりせがけろりと笑っている。
「花村先輩、先輩とデートしたことある?」
「デートっつぅ括りだったら、ねぇぞ」
「ふたりで出かけたり、しないの?」
りせは勘違いしているのか、揶揄っているのか、或いは牽制しているのか、今一つ判然としない所があるが、男同士ではそもそもデートも何もない。加えて、恋人同士でもないのである。
「この前、カラオケなら行ったけど」
「先輩、なに歌ってたの!」
思い出して陽介は微妙に苦い顔になった。選曲としては、非常に普通だろう。ミスチルとかスピッツとか、最近の流行り曲でもないが、安定した曲を選んでいた。珍しい所では、ジブリの曲なんかも歌って、上手いこと場(二人きりでは場も何もないが)を沸かせてもいた。
「普通の曲だよ、普通の」
「? 花村先輩、どうしたの?」
真剣にラブソングをチョイスしてこなければ、至極真っ当だった。思い返すに恥ずかしい空間である。
「なんか、顔赤いよ、先輩。怪しいー!」
「あーもう、いいから、それ、送るんだったらとっととしねぇと、帰れねぇぞ」
「わっと、やばっ……」