目の前に白いダイスが二つ、転がる様に現れた。
「アイツ、天罰のダイスだよ、先輩! 注意して!」
「魔法反射だったか?」
直ぐに仕掛けてくる敵でもないので、月森と陽介と二人、立ち止まる。
「なんつぅ面倒……」
「あ、混乱有効だよ、花村先輩」
「マジか? だったら、俺が先に行ってテンタラフーしてもいい?」
「あぁ、頼んだ。俺は後ろから、混乱に乗じて蹴散らすから、陽介も加勢して」
「分かった!」
青く明滅するカードを体当たりで破壊して、スサノオの名を叫んだ。ペルソナは、所持者の意思を体現する様に動く。スサノオが俊敏な動きで敵を翻弄し、ダイスについている目が、ぐるぐると回り出した。
「よっしゃ、行けるぜ、相棒!」
「任せろ」
八尋の剣と名付けられた月森の得物が閃いた。一体に月森が斬り掛かっているのを見ながら、お金をバラバラと撒き散らしている片方に目を遣る。スサノオを引き戻すと、陽介はタイミングを計って飛び出した。スピードには自信がある。速度については、シャドウと会った際にオートで補正が掛かるという月森のペルソナ、スラオシャの効果を実感しながら、素早く背後に回って苦無で斬り付けた。黒い苦無は金の細工が施してあるが、どうにも禍々しい。ダイスを斬ったと言う割に、手には硬い感触はなかった。
「ちっ、倒れねぇか」
「いや、ナイスだ、陽介。離れろ!」
一体を斬り伏せたばかりだと言うのに、月森はもうこちらに向かって剣を振り上げていた。避けないと確かにこちらの身が危ないと思って、後退。まだ我を失っているダイス相手に、何の躊躇いもなく、剣が振り下ろされた。シャドウが霧と消える。ふぅ、と月森は息を吐いた。陽介はヘッドフォンを外す。
「流石に、二人でやってて囲まれたら、シンドそうだな」
「だな。良くもまぁ、ここまで出てくるもんだぜ……」
「せんぱーい、無理しないで、危なくなったら、カエレール使ってね!」
月森は首を横に振った。それでは意味がなくなってしまう。
「でもさ、なんっか、俺らだけでやれんのか、不安になってきた」
「弱気になるなよ、相棒」
「もう帰らねぇ?」
「何をここまで来て」
「だよな……」
黄泉平坂と呼ばれる最後の場所は、とても静かな場所だった。見渡す限り、どう繋がっているか不明な青い空間。足元には赤い絨毯。コントラストが綺麗に映えている。もう、6もフロアを昇ってきていた。正確には分からないが、りせが言うには、そろそろ最上階も近いらしい。
途中のフロアで、周辺シャドウよりも強いシャドウを二体も相手にする羽目になったのだが、最初に会ったネオミノタウロスには、物理攻撃が得意そうだから、と、完二がクマと直斗と共に残り、先輩四人を先に進むように促した。先程のフロアで会った眠るテーブルには、マハラギオンを放たれたことから、火に強い雪子が惹きつけ、それに加勢する形で千枝が残り、やはり、二人に先を進むようにと言った。時間が余りないのだ。テレビの中の時間と、現実の時間とには齟齬があり、テレビの中の方が時間の進行が明らかに遅いとしても、明日には八十稲羽を発つ月森が、いつまでもこんな所にいる訳にはいかない。それでも、千枝と雪子の二人では少し心配で、陽介も残ろうかと言ったのだが、「アンタ、リーダーの相棒なんでしょ!」と千枝に怒鳴られた。そうして二人、最上階を目指している。
(この先にあるのが、真実ってヤツなんだよな)
ガソリンスタンドの店員が黒幕だった、と言うのは、盲点だった。堂島の車で来たという月森は置いても、刑事として当然、車両運転技術を持つ足立と、運送業をしていた生田目のどちらも、車を利用する。やはり三人だけを比較したのでは、十分な共通点を洗い出すこと等、不可能だったのだ。ガソリンスタンドの店員が、月森がこの街に来て、最初に接触した第三者だったなんてこと、陽介には知る由もない。
(ホントは、進んで欲しくねぇな――)
この先は危険だ。
公子の話だけでなく、第六感がそう叫んでいる。本能的に危険だと思うのだ。近付かない方が良いのではないかと。
「陽介? 顔色悪いけど、平気か? どこか怪我してるのか?」
「え、や……別に、怪我とかはねぇから!」
ずいっと近付いてきた月森に、慌てて陽介は後退した。両手を振って、何事もないことをアピールする。
「上に構えてるのがラスボスなら、あんまり疲労しないようにした方が良いな。陽介、シャドウは出来る限り相手にしないで、走っていこう。行けるか?」
手を差し伸べられたので、陽介はヘッドフォンをまた装着し、出された手を握った。
「ったりまえだろ。行くぜ、相棒」
「あぁ、急ごう」
走り出すと、角に無数の黒い目玉が見えた。アケロンサーチャーの本体が姿を現す前に、月森と陽介は前を駆ける。背後から疾風の術が飛んできたが、命中するよりも早く走って、目の前の階段を駆け抜けた。息を切らす間もなく、右手からはバスタードライブ。月森がコウリュウのペルソナにチェンジして、マハジオダインを唱えた。怯んでいる間に、また走り出す。地図もない場所を、只管に走っていく。
(ずっと、走ってたな……俺も、お前も)
脳裏を過る思い出が、走馬灯の様だと、不謹慎なことを少し思った。きっと、生命の終わりの瞬間に見るのも、この光景なのではないだろうか。最後の最後。きっと、こうして相棒と走った日々を思い出す。
「先輩、待って。今、千枝先輩達の所に、完二達が追い付いたみたい! 今度こそ片付けるから、暫くそっち中心で見るね」
「構わない。少し……、っは、休んでる、から……」
右手に小部屋が見えたのでそこに入ると、運良くシャドウがいなかった。奥にはキラキラと黄金に輝く宝箱が鎮座する。月森はゆっくりと歩いて近付くと、宝箱の鍵をポケットから取り出した。小さな鍵穴に差し込む。
「おもしろいもん、入ってたか?」
陽介も息を整えながら、月森の背後に近付き、宝箱の中を見た。大きな箱の外見とは不釣り合いな、小さな指輪が中には収められている。
「あぁ、チャクラリングだ。陽介、これ、付けておきなよ。精神疲労が抑えられる筈だ」
「え? そんな便利そうなモン、お前が持ってりゃいいだろ」
「俺なら、こっちにあるから」
月森は逆のポケットから、小さな指輪を取り出した。陽介に渡された物と、全く同じ。
「俺ばっかり付けてると悪いから、付けないで持ってたんだよな。陽介が気にするなら、俺も、同じ物を嵌めておくよ。それなら良いだろ?」
「なるほど、そんなら、お相子だもんな。んじゃ、俺らでペアリングしろってことかー……ってオイ!」
「便利なんだってば、本当に。未知の強大なる敵と対峙するには、必要だと思う」
真剣な表情で、月森は陽介の左手を取った。そして、自分が持っていた指輪を、薬指に嵌め込んだ。
「えぇい! ボケかマジか分かりにくいことすんな!」
「陽介がちゃんと付けてくれないから」
手を振りといても、にこっと効果音が聞こえる様な笑顔を浮かべるばかりだ。月森は、陽介の手の中にあった方の指輪を自分の左手薬指に嵌めた。そしてそれを、満足そうに眺めている。細い銀細工の指輪は、昔、付けていた、シンプルな指輪にもどことなく似ている様に思えた。
言っていることは間違ってはいないのだろう。つけていると、影世界の重い空気も緩和される様だった。薬指から抜いて、中指に移動させ、陽介もそれをぼんやりと眺めた。
「ここに来る前だけど、……なんか、部屋みたいなの見ただろ」
影世界は基本的に知らない場所ばかりで、だからこそ、案内なしには知った場所にも辿り着けない。黄泉平坂へ行く前に通った道で、陽介は、以前に家のテレビを通して見た部屋とそっくりな場所――恐らく、同じであろう場所に、出会した。悠長にしていられないということもあって、少し見ただけだったのだが、月森は目敏く気付いたらしく、どうかしたのか、と声を掛けた。そして、「あれ、俺の部屋……?」と呟いた。
「あれって、まじでお前の部屋なのか? なんかもっと、前に行った時は違った気がすんだけど」
「そうかもって思っただけだけど、俺の、自宅の部屋に似てる気がした」
「自宅……? あぁ、明日、帰るトコか」
シャドウも部屋には入ってこない様なので、安心して陽介は腰を下ろした。それを見た月森も、倣う様にストンと腰を下ろす。
「暗かったから、あんまり良く見えなかったんだけどな」
「そっか。お前の部屋、だったんだ」
心象世界。影に出来る、通称ダンジョンは、その人の心が生み出している場所で、その人に縁のあることや、その人の属する場所等が現れてくる。小西早紀にとっての、小西酒店であったり、足立の様に、禍々しい八十稲羽だったり。だとすれば、当然、あの部屋は、月森の心象だ。
「淋しい部屋しやがって」
身体を傾けて、隣に座る月森に寄り掛かった。
「淋しい人間だったから」
「今じゃ頼れるイケメンモテモテリーダーじゃん」
「陽介がいたからだよ」
「バッカ。お前、ホント、恥ずかしいヤツ!」
「本当のことだから仕方ないだろ。信じてない?」
「……そういうワケじゃ、ねぇけど」
陽介の知る月森孝介は、完璧だ。パーフェクトなスター。陽介がいたから、なんて、何度言われても信じられない気持ちになる。けれど、時折見せる、どこか冷たい表情や、あの暗くて淋しい部屋も月森だと言うなら、もしかしたら、自分との邂逅にも何か意味があって、それで今の月森が構成されているのかも知れないと、少しだけ思った。
やっぱり、昔の月森を知りたいのだと思った。知らなければならない。今でなくても構わない。稲葉市を去ってからだとしても、電話ででも、何も問題はない。
「なぁ、この先、マジで危ないかも知れないぜ。……帰りたいとか思わねぇ?」
「思わないよ」
月森は立ち上がって、扉の先を見据えた。
「俺達も、そろそろ行こう。さっき、向こうに階段が見えた。りせがいなくても、上には出られそうだ」
「そこにラスボスがいちゃったりして?」
「大丈夫だ。俺達なら、倒せる。な、……相棒」
振り返った月森は、爽やかに笑った。もし、彼が、陽介を特別だと言ってくれるなら、たった一つ、譲れないと思うものがある。
(その顔、他に、安売りするなよ?)
見蕩れてしまう様なその完璧な笑顔を、自分にだけ見せていて欲しいと思った。きっと、月森に劣らず、陽介も我儘なのだろう。
*
薄れ行く意識の中で、一番最初に見たイザナギと違うイザナギの姿を見た。闇を晴らす強い言葉。光が照らし、禍々しく変形した伊邪那美大神の断末魔の声が響いている。最上階にいたイザナミを月森と二人で漸く追い詰めて、直ぐのことだ。
後から追い付いてきた千枝に頬をぺちぺちと叩かれ、雪子が傍でコノハナサクヤを喚んでいる。身体を蝕んでいた幾千もの呪いは、イザナギの光が打ち消していた。
「陽介、平気か!? 何で庇ったりしたんだよ、あんなヤバイ技……! 陽介が死んだらどうしようと思っただろ! なんか走馬灯見えるし!」
「ゆっさぶるな……よ……さすがに、気持ちワリィんだから……」
月森は俊敏に近付いてきたと思えば(多分、目の前にいた消え行く伊邪那美大神はスルーしたのだと思われる)、ガクガクと容赦なく身体を揺さぶるので、頭がシェイクされて、可笑しくなりそうだ。訴えると、慌てて手が止まったので、動転していただけなのだろう。抱き起こされて、心配する顔だけが見えた。他の仲間も傍にいるのだろうとは思うが、誰一人近寄ってこないのは、薄情だからではないだろう。こういう空気の読み方は要らないと、毎度言うのに。
「平気か? 本当に大丈夫? ちょっと待って、メシアライザー掛けておくから」
外傷はないのだろうから、それは不要だと思った。実際、先程、雪子もメシアライザーを掛けているのだし。けれど、止めても不服に思うだけだろうと思ったので、言うままにさせておいた。メシアライザーの温かい光が、身体を満たしていく。
「お前こそ、どうなんだよ……」
頬に手を伸ばすと、そういえば、彼の顔から眼鏡がなくなっていることに気付いた。
「俺は陽介が庇ってくれたから。それに、陽介や皆の絆があったから」
「ははっ……ヒーローっぽいな、それ。つか、眼鏡どこやったよ」
「捨てた。大事なものを見るのには、眼鏡が邪魔だったから」
段々と、力が戻ってきた。月森の手を借りて、もう平気だから、と陽介は身体を起こした。まだ少しだけクラッとするが、直に治るだろう。心配そうにこちらを見る月森は、いつも影世界でしていた眼鏡がなくなって、強気そうに見えていた表情が、穏やかに見えた。
「ねぇ、見て、アレ」
千枝が指さした先は、伊邪那美大神が先程まで浮遊していた場所だった。光が眩しくて、陽介は瞳を細める。
「キレイ……これが、この世界の、ホントの姿なんだ――」
りせが感嘆する。
「すげぇな」
「うん。とっても綺麗」
「これが、クマ君のいた世界なんですね」
ずっと深い霧が覆っていたこの世界は、こんなにも明るかったのだ。碧も湖も花も、どれも輝いている。もしかしたら、夢で見ていた靄だらけの世界にも、こんな風に光が当たったら違うのかも知れない。
「今度こそ、終わりだ」
「……月森?」
どことなく虚ろな目をしていた様に見えた。灰色の瞳が、霧の中の様に、揺らぐ。
「これでもう、やるべきことは終わったんだ――」