Just call my name -11

 一ヶ月なんて、あっと言う間だった。陽介の思った通り、月森は転出の準備で日に日に忙しそうになっていくし、3月に入ってからは、学期末試験のこともあって、二人で勉強こそしたものの、本当に試験勉強をするだけだ。それでも時間を共有出来るというだけでも嬉しいとか楽しいと思えるということにも気付いたりする。去っていく時間を惜しむなんて感傷は初めてのことだったし、それが、感情の成長過程に於いて重要だということも何となく分かった。月森は、全く変わらない様な顔をしていたけれど、千枝も雪子も、やはりもうそろそろいなくなる月森のことを気にしている様子が見られた。後輩も気になるのか、りせを筆頭に、彼らもクラスに来訪する機会が多かった。
「明日、帰るんだろ」
『……あ、そっか、もう、明日なのか』
 3日前から、夜、寝る前に、月森に電話を掛けるようになった。邪魔されないように、クマが寝てから。寝付きが異常に良いクマ吉は、一度布団に入ると、滅多なことでは起き出さない。とは言え、煩くされると困るので、自然と声は小さくなる。月森の方も、階下とは言え、小学生が眠っていることを考慮しているのか、声は静かだ。まるで、ずっと、内緒話をしているみたいに、声を潜めて。
「眠れないとか、ねぇの?」
『ないよ。俺、基本は神経が太いし。それに、そんなに感情的じゃないんだ』
「ははっ。確かにお前、ちっとサイボーグちっくだぜ? 最初とか、こいつ人間なのか、って思った。しっかも愛想ワリィし!」
『そんなことないつもりだったんだけど……。陽介って鋭いよな、本当。あ、眠れないことはないけど、やっぱり、淋しいとは思ってる。特に、陽介と会えなくなるのが』
 いつも言われ慣れている言葉なのに、ドキッとした。多分、感傷なのだろうなと、片隅では冷静にも思っている。
『俺はさ、何だろう、器用だったんだ。何でも割と熟せるって言うか。良く出来るって、言われるのも慣れてた。必死でやったって子にも、少しやれば余裕で勝てたし。冷めてたんだよ。我武者羅って面倒だったし、非合理的なこととか、大嫌いだった。如何に効率良く人生を生きるか――そればっかり考えてた』
「……なんか、お前のそういう話聞くの、初めてじゃね?」
『最後の夜だから、暴露大会でも』
「バーカ。明日があるんだから、最後じゃねぇよ」
『あ、そうか。失念してた』
「それと、そういうの禁止な。最後だから言ってやる! みたいなの」
『陽介、うるっと来ちゃった?』
「来ねぇよ! 話の内容的にもうるっとは来ねぇから!」
『あっはは、残念。だからさ、こっち来て変わったんだ。うぅん、陽介と会って変わった。どんなに大変でも、合理的な行動でなくても、欲しければ手を伸ばさないといけないと思えたし、感情の制御が利かないことがあるって、やっと分かった。陽介、俺は』
 月森は二の句を継がずに黙った。促すべきかどうか悩んだが、核心的な言葉は、今は聞きたくないという気持ちも強い。終わりの様な会話が、心臓に突き刺さってくるのが、酷く、息苦しいのだ。
『――キスしたい』
 口付けは、幾千の言葉を重ねるよりも雄弁に、その一瞬で愛を伝える。触れるだけなのに。接触するだけのことを、多くの人が望んで、今、電話の向こうの月森も望んで。
(カメラ撮ってた時、以来か……)
 見せろと言ったのに、あの日撮ったビデオは見せてくれなかった。
(そうだな)
 同じことを、考えている。
『明日……じゃなくて今日か、挨拶回りするから。陽介の所にも顔出すよ。待ってて』
「おう。クマ吉とジュネスにいっから」
『場所了解。それじゃ、お休み』
「おやすみ、月森」
 通話を切って、座っていた窓辺から立ち上がった。クマの寝顔に視線を遣れば、安らかに眠っているのが見える。

*

 久々に夢を見た。ミルクティーの様な色をした靄の中で、公子は佇んでいて、振り返らない。陽介の姿は半透明で、指先が透けて、自分も空間に溶けて行ってしまうのではないかと錯覚した。それでも良いかも知れない。
(月森が海に攫われるよか、よっぽど)
 声を掛けるでもなくぼんやりと風景を見ていると、波の様にさぁっと引いて、気付いたら荒涼とした空間に陽介独り、佇んでいた。そこで目が覚めた。そんな夢。
「センセイ、帰っちゃうクマね」
 月森の最後の挨拶を聞き終えた。もう戻ると言う月森を二人で見送って、フードコートのテーブルに突っ伏したクマは、淋しそうに人差し指でぐるぐると何かを書いていた。
「ヨースケ、淋しいクマ」
 それも直ぐに止めて、がばっと起き上がったと思えば、クマは真っ黒の大きい瞳をこちらにじっと傾けた。
「俺かよ」
「クマ知っとるぞー、ヨースケはセンセイのために、なんかしてた」
 うんうんと、首が上下に揺れる。
「……あれは」
 していたと言う程のことはない。それに、最終的には何も出来ていないのだから、指摘される間もないだろう。それでも、クマが意外に察していたことに驚いた。常に共にしているというのは、そういうことなのかも知れない。気付かぬ所で、陽介とクマにもきっと、絆が生まれ、深まっている。月森は、クマとコミュ築いたの、とか何とか言っていたが、コミュニティと言う意味でなら、クマと陽介とジュネスのパートやバイト仲間とで、きっと構築されているのだ。
「ちゃんと動かないと、後悔するクマよ?」
「……お前に、諭されるとか」
 ないわ、と今度は陽介がテーブルに突っ伏した。失礼しちゃうクマ、とクマが憤慨している。
「クマだって、頑張ってるクマよ。テレビも撤去されずに済んだしなー」
「あぁ、あれは確かにな」
 出会ったばかりのクマは、得体の知れない生き物でしかなくて、それに怯むことなく近付いていった月森を、勇者だと思った。思えば、あの時の月森の瞳は、今よりずっとクールで、人外だろうが何だろうが興味がないとでも言う様な様子だった。冷めていた、と昨夜、彼の口から出た様に。
(昔の――アイツか)
 顔を横にして、90度ずれたフードコートの様子を見る。休日ともあって、親子連れで賑わっていた。父親がジュネスの店長だからとて、陽介自身はジュネスと関係がある訳ではないし、御曹司と言われる程のこともない。それでも、ジュネスが賑わっているのを見るのが好きだった。月森と菜々子が、堂島刑事が、好んで来ていたことも思い出す。きっともう、見られる光景ではないのだ。
 転校するって言ったら皆が俺を「誰アレ」って目で見てたな、とは本人の申告する所による、月森の転校時のエピソードだ。積極的に関わりを持つことを疎み、壁を作っていたと言う。
(どんなだったんだろうな)
 知りたいという積極的な願望ではなかったが、何となく、口実程度にはなってくれそうだった。
「熊田さーん、丁度良かった、ちょっと手伝ってくれないかしらー?」
 タイミング良く呼び出されたクマは、機敏に動いて(短い手足がどの様にいつも動いているのか陽介は余り良く知らない)椅子から立つ。
「おおっとぉ、クマを呼ぶ声が聴こえる……ヨースケ、クマ、行ってくるクマ!」
「おう、いってこーい」
 すっかり戦力としても当てにされているクマは、昔と比べて頼もしく成長したと思う。
「……俺も、ちょっと出てくるわ」
 立ち上がると、ガタンと意外に大きな音が響いた。走っていた少女が音に驚いたらしく、こちらに丸い瞳を向ける。ぱちぱちと瞬きして、傍の着ぐるみに気がつくと、パッと顔が明るくなった。
「わー、クマクマだー」
 寄ってきた少女にも動じず、「クマクマじゃなくてクマだクマー」と、相変わらず、クマはクマクマ言っている。途中で、クマは顔を上げた。
「ヨースケ、しっかりやりんしゃい」
「うっせー」
 クマに言われなくとも、と片手を上げた。それから直ぐ、まだ寒さの残る空気に、思わずジャケットのポケットに両手を突っ込んだ。春を惜しむどころか、冬を惜しんでいる。暖かくなって欲しい。けれど、これ以上暖かくなってしまったら。そんなことを、3月に入ってから繰り返して思った。
 エレベーターで屋上から降りて、さてどうやって探そうかと思った所で、運良く、銀色の髪が見えた。エレベーターの前に立ち、一度は立ち去ろうとした月森は、けれどまた何か思い出した様に振り返る。
「陽介?」
「よっす。さっきぶり?」
「どうかしたの?」
「お前こそ、何してんの?」
「や、何か、忘れた様な気がして……陽介に会いたいだけだったのかも」
 またいつもみたいに軽口を叩いて、月森は陽介の手を掴んだ。
「俺も、お前に聞きたいこと――」
「俺に? 何?」
 そこまで口に出してみて、やっぱり、最後の場面で、昔の月森云々を聞くのも、何だか違うなと思った。あーとかうーとか、意味のない言葉を発して時間を稼ぐ。何か言わないと、と頭を働かせてみた。
「えっと……なんかさ、これだけはしておきたいってこととか、ねぇの?」
 目立ちそうなので手を解いて、無難そうな質問を投げる。離れた手に、月森は残念そうに少しだけ目を細めた。
「どうだろう」
 エントランスを人が行き交う。忙しなくエレベーターは動き、人並みが回転していく。
「やり残したことは色々とある気がするけど、……もう二度と来ない、会わないって訳じゃないから」
「それも、そう、か」
「ないこともないけど。あのさ、陽介」
「うん?」
「あー、やっぱいいや。そうだ、気になってることなら、一個あった。マヨナカテレビのこと」
 どきりとした。何事もなく今日が終わってくれれば、と思っていたのに、自分から話を振ってしまった様に思える。
「事件自体は解決したけどさ、何か、まだ、って気がして。陽介はどう思う?」
(会わなきゃ、良かった――?)
「……それは」
「気になってたんだ?」
 それは、とごにょごにょ言って言葉を濁そうとした。けれども、こちらをじっと見ているアッシュグレイの色に耐えられず、視線を逸らす。
「な、最後の捜査会議、しない?」
 その時、運命の鐘が、鳴り響いた。

 

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