Just call my name -10

 自分には知ることの出来ない事項だとして、それを大事な友人が知ったら身を危険に晒すと知って、自分では手の打ちようがないとしたって、そのままに放置しておくことは出来なかった。
 本来なら、日曜日にでも集中して調べたかったのだが、別れが近付いてくる為か、ナーバスな感じのする親友の誘いを断ることも出来ず、致し方ないので、週末までに八十稲羽を駈け回って情報収集することになった。対象は不確定、その先の真実など更に不透明。手伝ってくれる人手もない。
 特別捜査隊の面々にとって、月森が重要な地位にいることは知っている。もし本当に危険が迫っているのだとしたら、皆きっと、手を貸してくれるだろうとは思う。けれど、確証と言える程の確証はない。夢で見た人が言うから、とか、マヨナカテレビの装置としての機能を構築した者が気になったから、とか、どうにも上手く纏め上げられない。総合すれば、唯、漠然と、嫌な予感がする。第六感が告げているのだ。何かしなければきっと、月森は、と。
(もう、大切な人がどっかに行くの、黙って見てんのは、ゴメンだ――!)
 助けられなかった、好きだった人。同じ過ちを繰り返さない為なら、駆け回るだけでは足りない。或いは公子は、そんな陽介の心情を慮って、夢に出てきてくれたのかも知れない。
「考え過ぎか?」
「……何がです?」
 ホームルーム直後という時間を選んで屋上に駆け上がってきたので、人がいると思っていなかった。突然掛けられた声に背を揺らして振り返ると、弱い風にトレードマークの帽子が揺れている。
「お前でも、一人で屋上とか来んだなぁ」
「何ですかそれ」
 直斗は小さく笑うと、フェンスに背を預けた。
「こういうところ、嫌いそうだと思って」
「風が気持ち良いじゃないですか」
 そう言って、直斗は帽子を取り、暫し風の感触に浸っている様だった。もう2月も下旬とは言え、風はまだまだ冷たい。寒くないのだろうかと思って見ていると、案じた通り、くしゅん、と可愛らしいくしゃみをした。
「気ぃつけろよ。期末も近いんだし」
「えぇ……花村先輩こそ期末も近いのに何をしているんですか?」
 髪を整えて再び帽子を被ると、直斗は視線を前に向けたまま、こちらも見ずに尋ねる。突き刺さらない瞳の色は、天上の紺。
「一昨昨日は図書館、一昨日は商店街、昨日は警察――余りにも似合わない場所でばかり見掛けます。商店街では近所の主婦と会話して、警察では交通課の婦人警官相手に雑談とも思えない様な会話。流石に僕に不自然だと気取られる、とは思わなかったんですか?」
「ハナから、探偵王子と張り合う気なんてねぇっつの」
「単刀直入に聞きます。何をしているんですか? 天城先輩や久慈川さんからも話を随分と聞いているようですが……それに先月は辰巳ポートアイランドにまで行ったそうで?」
「うえっ? ちょい待て、それ、どっから聞いた?」
 陽介は吹聴していないし、りせも、陽介と出掛けたこと等、積極的には話さない筈だ。慌てて身体を起こすと、深い紺色の瞳と目が合った。最初に会った時は、少年だと信じて疑うこともなかった双眸にも、今ではちゃんと、少女らしいと感じている。
「情報源は明かせません」
「んな大層なことかよ……」
「リーダーをフォロー出来るのは花村先輩位なんですから、きちんと気を配らないと」
 そのリーダーと出掛ける為に、今週は走り回っているのだ。そうとも言えずに肩を上げると、直斗は微妙な表情をした。
「つか、そこで、なんで月森が出てくるんだよ」
「忠告はしましたから。それと、素人が探れることには自ずと限界があるということも覚えておいた方が良いと思います」
 老婆心ながら、と直斗は言い、フェンスから離れた。去っていく小柄な背を見詰めながら、直斗の言った通りのことを考えていたからこそ、ここに足を伸ばしたのだ、と、憂鬱な気持ちで思う。
 ファンタジーなのだ。全て、現実的な処理は考えられていない。論理を積んで解が出てくるとも限らない――陽介に知ることが原理的に“不可能”なら、どこまで行ってもやはり、不可能だ。足を動かせば、人と話せば、余計にそれを突き付けられる様に思う。掴もうとしても、何も手には掴めやしない。
「今日はこれから雨が降るわよ」
「……予報どーも」
 ドアを開閉する音もせずに現れた女生徒に、片手を振るだけでも礼の意を込める。泣き出すのは自分か空か、雲が深くなっていく空を仰いだ。鈍い色は、どことなく、沈んだ月森の瞳の色に似ている。
『好きに、なってよ』
 ぐるぐると、彼の言葉が頭を巡っている。色々なことが、走馬灯の様に浮かんでいた。特別な存在だと言ったあの日に、自分もそうだと頷いてくれた柔らかな眼差し。好きだよと微笑んで言った、声の色。自分を見て、と、言った時の指先の温度。ここまで感謝していると言った声のトーン、熱を奪った腕の強さ。思わずしゃがみ込むと、気象予報士を目指すと言う、目の前の彼女が「大丈夫?」と言葉を掛けてくれた。
(いなくなるなよ)
 都会に帰るのであれば、それは結構なことだ。家族と共にまた、以前と同じ時を過ごせる。両親は、成長した息子を喜ぶだろう。目の前にいなくても、直ぐに触れられなくても、存在していることはそれだけで尊い。メールも電話も、今ならば色々な通信手段が利用出来る。陽介を不安にさせる『いなくなってしまう』というのは、距離が広がることではない。もう二度と、その笑顔が見られなくなってしまうということだ。小西早紀の様に。
(死なせたくなんて、ねぇよ)
 この世の果ての様な海に溶けてしまうのでは、辛過ぎる。
(俺を残して、死ぬなよ――月森)
 祈る位しか出来ないのが、もどかしくて仕方がなかった。

*

「……遠出したいって言ったのに」
「今、金欠なんだよ」
「まぁ、ヤソイナライフも残り僅かとなったし、陽介と巡る八十稲羽なら、思い出作りには悪くもないかも」
「んで、ビデオカメラなのか」
 ふふん、と月森は誇らしげにデジカメを見せた。昨日、学校が終わってジュネスの家電売り場に連れて行かれたと思えば、その場で月森が購入した代物である。家電にはそれ程、力を入れていないとは言え、時価ネットと張れる程度には値引きされている、型落ちしたばかりの製品だ。相変わらず売り場が閑散としていて、これで平気なのだろうかと心配したが、月森はジュネスの事情等は露知らず、にこにこと笑顔で購入していた。
「まずは、自転車で倒れそうになった陽介を撮れたし」
「お前が急にレンズ向けるからだろうが!」
 お陰で、また自転車の調子が悪くなってしまったのだ。仕方ないので、家に置いてきた。
「陽介はドジっ子だから仕方ないなぁ」
「スルーすんな!」
 ほら笑って、と月森は、またレンズをこちらに向けている。
「ドジっ子、良いじゃないか。可愛いから、俺は好き。陽介のそういうトコ」
「っバッ……カか!」
「顔が紅いぞ、陽介クン」
「るせー! っつか、思い出撮るってんなら、お前が入れ。ほら」
 照れ隠しに月森の手からビデオカメラを奪い取ると、俺のだと月森は文句を言ったが、紅くなった顔をこんなものに収められるのは御免被るので、抗議は無視する。
 家電売り場にも駆り出されることがある為、商品の仕様には詳しい。買ったばかりの月森よりも、カメラを上手く使いこなせる自信すらあった。奪ってカメラを見てみれば、レンズを向けてはいたものの、電源は落ちている。どうやら、揶揄われただけなのだろう。ちょっぴり苦く思いつつも、手早く電源を入れて、録画開始。陽介はレンズを月森に向けた。
「ほら、月森も笑えよ」
「笑えって言われても……行成、無理だろ」
 自分の発言は棚上げらしい。
「愛想のないビデオになっちまうぞー? ほら、嬉しかったこととか、思い出してみろって」
「嬉しかった、ねぇ」
 月森は空を仰いだ。珍しい思案顔もレアショットだ、と、撮影を続けたままにする。しかし、難しい顔で悩んでいる月森をいつまでも撮影しても仕方ない。序に、雲一つない快晴にもカメラを向けた。雨には憂鬱な思い出が多かったけれど、晴れの日は対比される様に、楽しい思い出ばかりだったな、と思う。月森と二人でどこか、と言う時も、決まって晴天だった。どちらか、晴れ男なのかも知れない。
「俺は、ここへ来て、陽介と出会えたことが、嬉しかった。けど、」
 相変わらずこっ恥ずかしい台詞を吐いたと思えば、月森は、極上の笑みを浮かべた。
(う、わ)
 カメラは未だ、透明な空を映し出している。
(今の、録画……しないで、っ正解……)
 思わず、そんなことが頭を過ぎった。
「今日、こうして、俺と過ごしてくれることが、一番嬉しいよ」
 本当に大切なものは、思い出は、写真にも映像にも残せない。否、残すべきではないのだ。忘れられない映像として網膜に、永遠に残る音として鼓膜に、焼き付けることが出来るように。自分にだけ、残す為に。
 だから俺は映さなくて良いんだ、と言って、月森はカメラを惚けている陽介の手から取り返した。
「折角だからさ、皆に会いに行こうよ。えーっと、里中は分かんないけど、天城に聞くか。天城は今日、家の手伝いって言ってた。巽はまた喧嘩でもしてないと良いけど。久慈川は、今日は近くでPRイベントがあるから、知り合いの好で顔を出すって言ってた。白鐘はテレビ撮影らしいよ」
 聞いていると、一日で全部回るのは、骨が折れそうだ。けれど、早く行こうと急かす月森のジャケットの袖を、クイ、と引っ張って少しだけ引き留める。
「同じだ」
「うん? 何が?」
「お前と会えて良かったって。今まで生きてきた中で、一番、嬉しいこと……だと思う」
「――俺は、その台詞の方が、嬉しい」
 月森は満面の笑みを浮かべた。
「向こうに戻っちまうのは、そりゃ、淋しいけどさ。それより、――」
 死ぬなよ。
 口には出せなかったけれど、心の中で囁いた。
(俺は、お前を失うのが、一番、嫌だよ)
 夢の中の出来事なんか信じて、走り回った。どうしたら月森を助けられるのだろうと、今、未だ、考え続けている。危ないのなら、知らないままで帰れば良いのだ、と、言いたい。知った結果が公子だと言うのなら、そんな真実、手に入れてもちっとも嬉しくない。彼に代えられるもの等、この世のどこにだって、存在しない。
「陽介が名前を呼んでくれたら、どこからだって、駆け付けるよ」
 途切れたまま言葉を継がなかったが、月森は何かを心得た様に頷くと、片目だけ瞑って、また笑った。まだ録画状態のカメラのレンズは、ずっと青い空だけ映している。
「忘れるなよ」
 ぎゅっと両手で包む様に月森の手を握った。冷えた手に、月森の手の熱が伝わってくる。冷たいな、と月森は笑った。
「陽介こそ」
 帰るのはまだ先なんだけどな、と月森は微かに笑い、手はそのままに、ひょいと近付いて、軽く唇を重ねた。
 睡る様に逝ったと言う公子。
(もし、おんなじ風になっても……キスしたら目覚めてくれたりしねぇかな)
 白雪姫の様に、死の淵から目覚めてくれたらと思う。真実と言う名の林檎の毒が身体に回ることを防ぐ手立ては、どうしたって陽介にはない。それでも、もし、月森が真実を知りたいと願うなら、きっと、止められる手はないのだ。その先にあるものが、彼の幸せではないとしても、きっと。それなら、せめて、どんな結果になるとしても、彼の力になりたいと思った。彼はリーダーで、親友で、そして――陽介の、無二の相棒なのだから。
「行こうぜ、月森。里中なら、今日は、ジュネスに行くっつってた」
「え、何で、陽介が里中の予定知ってるの……? 何か、ジェラシー」
「くだらねぇこと言ってねぇで、呑気に欠伸でもしてるとこ、脅かしてやろうぜ」
「天城、舞踊の練習してるらしいから、そこ、撮っとこう。巽は存在だけでもインパクトある画になる」
「それ言ったら、りせちーなんて、カメラに映えると思うぜ? 意外と探偵王子もイイ線行くかもだな。つっても、撮影場所なんて行けねぇし、出てるって番組でも見っか」
 共謀する様に、囁き合って、笑った。これが、二人で一日をゆっくり過ごせる最後の時間になるのではないだろうか。試験に引越しの準備にと忙しくなるだろう月森との思い出作りならば、やはり、楽しくしたい。この先に何かがあるかも知れないとか、そんなこと全部忘れて楽しもう。

 

back