千枝から電話を貰い、休日だが、特別捜査隊の面々が集まって、また菜々子のお見舞いに向かった。明日からは試験と言うこともあるが、逆に、試験を熟しながら、見舞いに出向くことも難しいだろうから、暫く顔を出せない分の見舞いと言うことらしい。
「直斗とか、勉強平気なのか?」
「僕、ですか? 前の学校の方が進んでいましたから」
「あー……それ、分かる気がするわ」
直斗も都会から越して来ている。思えば、陽介に始まり、月森、りせ、直斗と都会から来た面々が揃い踏みとなっていた。逆に、雪子や完二の様に、老舗の家業の者もいる。改めて見れば、特別捜査隊はバラエティーが豊かだ。
田舎だからどうだ、と否定的なことを言いたくはないが、やはり、違う部分は大きい。授業の進行があぁも自由なのは、進学先が殆ど決まっているからだろう。大学まで出ずに、家業に入る者も多い。勿論、陽介は進学するつもりだし、正直、また首都の方に出て進学したいと思っていた。直斗辺りも、そうするのかも知れない。
「先輩こそ平気なんですか?」
「……どういう意味だよ、それ」
「えっ? あ、いえ……その、月森先輩と天城先輩以外は学力に難があるらしい、と聞いていましたので」
「おっ前、言うよなぁ」
直斗は推理力の通りの頭脳なのだろう。と言うより、誰から聞いた情報なのかと思う。りせや完二の様な、夏休み補習組とは流石に違うつもりだ。
「すみません。でも、意外だったので。先輩は結構、切れ者のイメージがありましたから」
「探偵王子にそう言って貰えるのは光栄だけどな」
大したモンじゃねぇよ、と腕を伸ばしながら笑った。直斗は横でくつくつと笑っている。歳相応の笑顔を見ると、一つ下の後輩なのだと実感した。最近では、こちらのイジリにも動揺しなくなってきてしまって、些か残念ではあるが。
「では、切れ者の先輩を見込んで少し良いですか?」
「おうよ、探偵王子。つか、最初っから、ソレ目的だったんだろ」
まぁ、と歯切れ悪く、探偵王子は頷いた。ガコン、と音を立てて、自動販売機から、やそぜんざいが排出される。最近のリーダーのお気に入りだ。
皆さん喉が渇いたでしょうから、と、荷物持ちに陽介を連れて飲み物を買う為に病室を出た直斗の真意が、この事件について話すこと以外だとは思っていない。
「正直、生田目の処遇が気になっています」
「アイツが犯人ってのは、間違いねぇんだろ?」
「あの状況で他に疑うべき存在もいません。日記が何よりの証拠です」
直斗が頷いたので、陽介も胸を撫で下ろしたた。久保美津雄の時の様に、別に犯人がいると思わしき自体ではないのだ。月森の心配性は、菜々子のことがあってストレスが溜まっている所為なのだろう、と思う。
「僕は警察に助力をすることはありますが、その後の処置についてまでは詳しくない」
「……って、裁判とか、するんだろ?」
「ですから、そういうことが、です」
「探偵でも詳しくないこと、ってのも、あるんだな」
「捜査の知識以外は欠落していますよ、寧ろ」
硬貨を入れて、またボタンを押す。盆ジュースが落ちてきた。陽介がそれを拾う。
「人付き合いのイロハ、とか」
「成程な」
「納得されるのは些か複雑ですが」
直斗は苦笑した。
生田目の処遇、と改めて陽介も考える。今までにそんなことは、考えてもみなかった。人は死ぬ。人は殺す。けれどそれは、フィクションのことだと思っていた。どこか他人事でしかない。探偵と称する直斗ならば、人の死を身近に感じていたこともあるのかも知れないが、先程の発言から見ても、彼自身が思い入れのある被害者や、容疑者と言うのは、初めてなのだろう。
(なんっか、色々と不透明っつか)
霧が晴れないこともそうだし、菜々子や生田目が目を覚まさないと言うことも同じ。生田目は、陽介の想っていた人を殺した。テレビに落とすという、簡単に過ぎる様な方法で。彼女に言い寄ったという生天目。思い出す度に苛々と感情が波立つ。誰だって、好きな相手に汚れた手が触れたと思えば、激昂するだろう。
(先輩は、殺されたのに)
「生田目の処理は警察に任せる他ありませんが」
「……犯罪者、だもんな」
「それがどうなるか、僕には予想が出来ない。適切な処罰を受けて欲しいと祈るばかりです」
「そっか、お前も、アイツに殺されかけたんだもんな」
雪子や完二、りせも同じく、生田目に誘拐され、殺されかけているのだ。恨む気持ちもあるだろう。
「――僕の場合は事情が少し違いますが。挑発したのだと言えば軽挙でしたし。それに、何と言うか……皆さんに助けられて『自分へ害を為されたのだ』と言う感情は乏しくなったかも知れません」
直斗はクールにそう言うと、最後の一本、リボンナポリンを排出口から取り上げた。そしてそのまま、プルタブを開ける。
「それよりも僕は、犯罪者を憎いと思っているんです。恐らく」
恨む気持ちならば、と直斗はこちらに視線を寄越した。鉄の様な紺色の瞳が瞬きをする。
「先輩のそれには、劣る」
「……俺の?」
「本当に喪ったのは、実際あなただけだ」
「小西、先輩のこと、か」
茫洋と呟くと、直斗は深く頷いた。
「僕は彼女や山野アナを殺した犯人が、憎い。そして、仲間を危険に晒した犯人を恨んでいます。思い入れは些か強いですが、他の犯罪者と基本的な感情は変わりません。いえ、菜々子ちゃんのことは勿論、別ですが」
「……先輩はともかく、菜々子ちゃんのことは、ホント、許せねぇよ」
口に出すと、どことなく嘘の様に聞こえた。ともかく、なんて。
霧は深い。最近では夢を見てばかりいる。憧れた人が手招きをしているのだ。川の向こうでずっと、手を招いている。こちらにおいでよと言いたいのか、助けて欲しいと言っていたのか、或いは、助けてくれなかったと恨み言を言っているのか。手を伸ばすと、霧の様に、影の様に、霧散してしまう。後には、彼女の付けていたエプロンだけがひらりと落ちて来て、足元には綺麗な花が咲いているのだ。まるで、天上楽土の様に、美しく。
「月森先輩は何を考えているんでしょうね」
直斗はぼんやりと呟いた。
「どうだろうな。アイツって、ホントすげぇよ。気ぃ使ってるなんて、微塵も見せねぇでいつも通りに振舞うし」
羨ましい限りだ。
「……不思議、ですね」
「なにがだ?」
「僕らには、月森先輩は憔悴している様にも見えているんですよ」
「……アイツが?」
確かに、疲れている節はあるだろうが、憔悴と言われると、違う様な気がした。陽介は首を傾げる。
「えぇ。でもそれが、どこか嘘っぽく見える。……久慈川さんとも話していたんですが、もしかしたら逆に、心配される様に振舞っているのではないかと」
「……ワリィ、意味、分かんねぇんだけど」
直斗がジュースを飲むのを見ながら、自分も喉が渇いたな、と思った。こちらは持っている缶が多過ぎて、飲むに飲めない。
「日常に戻りたいんですよ、リーダーは。だから、そう振舞いたい。けれどそうすれば、僕らは益々心配します。そこまでは理解出来ますよね?」
「お、おう……」
「実際、学校での彼を見れば分かります。周囲の人間には普通に振舞っているでしょう? 無理に繕っている訳ではない。本当は、普通にしていたいのは、去勢を張っていたいのは、誰よりも月森先輩なんですよ。誰かの為、ではなく」
漸く糸が繋がってきた。直斗の言葉を反芻しながら、陽介は頷く。
「でも、それを見たら、俺達の方が心配する――」
「そういうことです。僕達の心配と先輩の心配とは、ですから、実は根本から異なっているんです。当の先輩は自覚していなかった様ですが」
「……わっかんねぇ……」
「そうですか? 思考としてはシンプルだと思いますよ。つまり先輩には甘えている」
「お前も言う様になったよな、ホント」
「そこは公然の秘密ですから。あ、秘密でもないんでしたっけ?」
おどけた様に言うので、軽く足を蹴ってやった。
「本当のことを言えば、僕にはリーダーの思考は分かりません」
戻りましょう、と直斗は笑った。
(そんなの、俺だって、分かんねぇよ)
陽介は、一瞬、瞠目して、既に歩き始めている直斗を追い掛けた。