「んじゃ、また明日な」
長瀬が手を振るのを、揃って見守っていた。
「一条も呼ばないから、長瀬は直ぐに帰ったんだろうなぁ」
「なに言ってんだ、お前」
共通の友人と言えば、クラスメイトよりも長瀬や一条だ、と言うのも思えば不思議な話だ。陽介はクラスメイトと、それ程、折り合いが良くないので致し方がないことだが。長瀬や一条とは、前にも沖奈で遊んだことがあったので、誘い易かったと言う理由もある。
学校がない日に一人で家に籠もっているのも難だろうし、見舞いで長時間病室にもいられまい。それに、連日見舞いに行っているのだ、たまには息抜きも必要だろう。そう思って、昨晩、電話で誘い掛けてみた。今は忙しいから、と断られるかも知れないと思ったが、月森は二つ返事で頷いた。但し、長瀬も呼ぶと聞くと、残念そうになったので、脱力したが。
二人でと言うことに危機感がある訳ではない。唯、今、菜々子の見舞いに行っているという状況から、二人きりでは、話題がそこから離れられないのではないかと危惧したのだ。長瀬は単純だし、機微に疎い。案の定、部活の話しか出てこなかった。
「映画、面白くなかったし、一条も苦労するなぁ」
「……だからなんで、一条ばっかりなんだよ」
「それは、陽介も気付いてるんじゃないかな?」
「邪推してやんなよな」
皆が自分と同じではないのだ。マイノリティを批判したり差別したりする気はないが、マジョリティでない自覚を持つ必要はあるだろう。
月森の邪推は兎も角、長瀬を呼ぶなら一条も、と言うのは頷けた。そもそも、月森と同じ部活の仲間は、一条の方なのである。呼ぶのを躊躇ったのは、単純な長瀬と違い、一条は察しが良い為だ。今、月森に必要なのは、何も考えずに楽しめる相手であり、間違っても、様子が可笑しいからと気を使って貰われては困る。だから、どうしても一条は抜いた。結果的に、不思議な三人組となってしまったが。
「邪推じゃないって。陽介、もう一本観て帰らない?」
「今からかぁ?」
「お金ならあるから」
「集りじゃねんだから……」
結構、持っているというお金は、アルバイトで稼いでいるものだろう。
「んなに稼いでんのかよ」
「まぁまぁ。カテキョは良かったなぁ、クビになっちゃったなんて惜しい」
「クビ!? お前、なにしたんだよ」
咄嗟に、教え子に手を出して馘首に、なんて図が頭を過ぎった。直後に、どこのAVだと自分でツッコむ。第一、教え子は男の子だ。
「違う違う。あの子さ、勉強ばっかりやってたのが、何か違うって思ったらしいんだよ。で、野球始めるから、カテキョはおしまいって」
先日、誕生日パーティーまで開いたと言うのに、急展開であるだ。月森の人生はどうにも波乱に富んでいる様に思えてならない。八十稲葉に来てからなんて、テレビに入って殺人事件を追って、と、随分と濃密だ。そこには勿論、陽介も含まれる訳だが。
「なんつーか、お疲れさん。分ぁったよ、今日は映画に付き合ってやる」
「やった、デートだ」
「下らねぇこと言うなら帰る」
反転しようとすると、腕を掴まれた。
「すいませんでした。もう言いません」
「分かれば宜しい」
付き合ってやるかと思ってはみたものの、やはり、男二人で映画を観るのでは、本当に虚しい限りだと思った。
(映画、そういや、小西先輩とも……)
今度暇があったら観に行こう、と誘っていた。永遠に、その『今度』がなくなってしまったことを、今更に気付く。一緒に観るのなら、自分の観たい物ではなく、話題の、女子高生が好みそうな映画をと思っていた。
――花ちゃん。
また声が聞こえる。
「陽介? だから、何、観たい?」
掛けられた言葉に、反射的に陽介は顔を上げた。入口には興行のポスターが幾つか並ぶ。明るい色が浮かんでいた。
「あれにしねぇ?」
指さすと、月森は首を傾げた。
「……ラブストーリー? 意外だな」
「お前は、別のがいいのか?」
「希望はないけど。陽介はハリウッド映画とか好きかなって思ってた」
「好きだぜ?」
「まぁ、何でも良いんだけど。じゃ、チケット買ってくるから、ここで待ってて」
丸で、本当に、彼氏と彼女が映画を観るみたいだな、と思った。彼女と行っていたら、こうなっていたのだろうか。否、自分ならば、最初からチケット位、用意しておくだろう。券があるから、としかきっと誘えない。彼女は迷惑に思うかも知れないけれど、陽介が何度も誘えば、頷いてくれるだろう。優しい人だった。
(先輩、小西先輩)
霧が深くなる毎に、彼女のことばかりが脳裏を過る。
(なんだよ……これ……)
「陽介、ポップコーンはやっぱり食べるだろ?」
いつの間にか隣にいた月森が、オレンジと白のビビットな配色の紙パックを陽介の手に押し付けた。
「あ、あぁ、どーも」
「飲み物は、買い置きのリボンナポリンで勘弁して。ほら、行くよ」
手を引かれて、映画館の中に再び入る。八十稲羽市に比べれば沖奈は大きな都市だが、それでも、昔、陽介がいた様な、或いは月森がいた様な、都会とは違う。スクリーンは2つしかなくて、上映されている物も数種類。先程、三人で見た映画は、もう上映されないらしかった。同じスクリーンの部屋に、今度は二人で入る。
ぼんやりとして、月森とどう会話しているのかということも、明確に意識していなかった様に思えた。幾らか会話したとは思うが、程なくして予告が入り、その無駄に長い予告を経て、本編がやっと始まる。口を閉ざす。感動モノの文庫本が映画化されたという、良くあるメディアミックスだ。
『悲しかったんだろ?』
彼女の死を聞いても、直ぐには涙を流さなかった。流れなかった。けれど確かに、心に虚空が出来ていた。それはきっと、悲しみと呼ばれる感情。
(小西先輩に、声掛けた、とか)
生天目は、彼女に何をするつもりだったのだろうか。乱暴狼藉を働こうと? それに抵抗されて、テレビの中へ?
(許せねぇよ……そんなの)
繊細な人だったことを知っている。優しい人だった。仮令、裏側に何があったとしても――陽介が先輩の死を悼みながらも、好奇心の渦に勝てなかった様に、裏側だけが全てでもない。知っているから、惹かれたのだ。家なんて関係ない。陽介は陽介。
『過去形、なんですね』
死んだ人は返らない。恋愛も何も全て、最早、行き場等どこにも見付からないのだ。過去以外の何物にもしようがない。