空が真っ赤に腫れている。禍津と名が付けられた場所は、八十稲羽市等と言える状態にはなかった。これが、足立透の心象だとすれば、余りに鬱屈しているとしか思えない。嫌な気分になりながら、陽介は苦無を宙に投げた。
「陽介、パピヨンにガルダイン頼む」
直後に声が聞こえて、取り損なった。クマが「ヨースケまた落としてるクマー」と笑っている。月森が素早く動いて、イーグルに雷撃を浴びせていた。彼のペルソナ、スラオシャのお陰で、術の威力や防御力が上がっている。青く光るカードを体当たりで散らして、自分のペルソナの名前を呼ぶ。パピヨンだけ狙って、ガルダインを放つと、敵が怯んだので、もう一体、二体と続けて放った。
「いいぞー、花村先輩!」
「流石です!」
後輩達の声に後押しされる様に、まだ十分に動けそうなもう一体に、一撃を与えた。目の前の敵が全て床に倒れていれば、チャンスだ。背後に敵の気配がないことを確認して、陽介はリーダーの方へと視線を送る。
「行くぜ、相棒!」
黒縁の眼鏡が光った。
「こっちこそ頼むぞ、相棒!」
一斉に走り出すと、直斗とクマも追う様に、飛び込んできた。近接戦闘タイプではない直斗は、近付きながら一体に向かって銃撃を行い、クマの爪が奥の敵を裂く。立ち回り易い剣と苦無が、上がる硝煙の中で何度も閃いた。
「お疲れ様ー!」
ヘッドフォンを外した耳に、りせの明るい声が響く。
「直斗くん、平気?」
「えぇ、掠り傷ですから」
先に動いたイーグルの爪で裂かれた腕から、血が滲んでいた。自分や月森ならば放っておいても構わないだろうが、女の子ならば、傷が残りそうなことは、極力避けたい。
「ダメだよ。花村先輩、ディアラマ掛けてあげて!」
「おう、了解」
言われなくとも、と直斗を手招きした。
「待って、陽介。今、陽介は精神負荷が大きいんだ。クマ、メディアラハン頼む」
「えぇっ! センセイ、もったいないクマよ?」
「良いから。リーダー命令」
クマがカムイを喚び出して、辺りを温かい光が包んだ。直斗の傷が忽ち消えていく。陽介の身体の重さも立ち所に消えた。
「気ぃ使って貰って、ワリィな」
さり気なく話し掛けると、月森は当然だと言う様に笑顔を返す。
「これも作戦の内だからな。クマはどうしてもスピードを欠いてるから、先手が取り難い。その分、陽介がカバーするんだから、シャドウがいない所での回復は、クマに任せたいんだよ。俺も余裕がないし、その方が効率的だ」
「ヒュー、相変わらず考えてらっしゃる」
「ま、長いですからね」
珍しく、月森は片目を瞑った。
「先輩、向こうの角、たぶん、シャドウいるよっ!」
「あぁ……何か見える。アブルリーかな?」
月森は振り返った。
「数はまぁまぁありそうだけど、弱点は火炎だから、強行突破で行ける。俺と陽介が取り敢えず先手で――行けるか?」
「トーゼンだろ!」
再びヘッドフォンを耳に当てた。Reach out to the truth――真実への延伸。曲の意味が最初は分からなかったが、月森は、真実へと手を伸ばすことだと言っていた。今の自分達も、そうなのだろう。
「直斗は銃で援護頼む。クマはきちんと回避しろよ」
「はいっ!」
「分かったクマー!」
月森は目配せすると、駆け出した。遅れない様に陽介も地を蹴る。
「やっちゃえ、先輩!」
炎がゴムの様な身体を一斉に焦がした。火炎に弱いアブルリーが次々に倒れて行く。残った一匹に「陽介、武器でやって」と指示があったので、そいつにクリティカルヒットを叩き込んで、陽介はまた、相棒を呼んだ。敵は全部地に伏している。今がチャンスだった。
銃弾が奥から敵を穿ち、遅れて来たクマが鋭い金属の爪で一体に襲い掛かる。陽介は奥の敵に苦無を投げ付けて、後ろに倒れていた一体は斬り捨てた。そのまま勢い付けて跳躍し、刺さったままの苦無を蹴り飛ばした。衝撃でシャドウが消えると、蹴り上げられて宙に浮いた苦無をキャッチする。珍しくナイスキャッチだった。振り向くと月森が親指を上げていた。殲滅終了だ。また、ヘッドフォンを外す。一息つく時位は、月森以外のメンバーと会話しようかと思うので、外すのは癖になっていた。
走り出すと気分が爽快になる。ランナーズハイに似ているかも知れない。
「それにしても、禍津って名前が、厨二病っぽいよな。案外、あの人、精神が未成熟なのか」
「敵のダンジョンで、良く言えるな、お前……」
「俺は豪傑な男なんで。ダンジョン自体には余り強い干渉は出来ないだろうし。やれるなら、この幹線道路ごと、俺達潰すだろ。あの鬱屈した大人は」
成程豪傑だな、と思った。
「菜々子に危害が加わったのは、紛れもなく、足立の所為だ。それに、叔父さんの信頼まで裏切って……あんなに、良くしてくれていたのに。許せないだろ」
「そらまぁ、許せねぇけど……」
ここで見た足立は、丸で二時間サスペンスのクライマックスの様に、ペラペラと自分の犯行を自白した。頭が良いと言うのなら、犯行を自白した犯人の末路くらい知っておけよと思うのだが、月森の言う通り、精神が未熟なのだろう。こうして、単なる高校生相手に挑発的言辞を行うしか能がないのだから。
(小西先輩も浮かばれねぇよな、あんなんじゃ)
足立透については、憤怒よりも、憐憫が強い。早紀については、悲しいと言う感情が溢れていた。見た目より、周囲の噂より、ずっと堅くて真面目な人だった彼女は、言い寄られて、落とされて、どんなに絶望しただろう。助けたかった、と思った。足立の言葉よりその処遇より、唯、そんな風に。人はいつも、己の無力さを嘆いている。
「俺達を挑発するのは、自分がされて嫌だから、だろ。だったら、こっちの声が聞こえてることを前提に、好き放題言ってやろうかなーと。落ち零れて田舎に左遷されてきたとか、マジ笑える」
「嫌味言うのは止めなさい」
ぺしっと頭を叩くと、人の悪い笑みが返ってきた。
「俺なら、そんなことにはならないだろうなぁ。何をやっても上手くやる自信がある。……陽介も、そう思うだろ」
「そら、お前は……そうだよなぁ」
「素直で宜しい。まぁ、俺って、勝者だから? 勝ち組ってヤツ。モテるし。能力あるし」
「否定出来ないのが嫌味度マックスなんだよ」
「陽介に向かって言ってる訳じゃないって。それに、モテるから勝ち組、ってのは、ホントは嘘。特定の人に好かれなければ、意味がない」
「そ、ん、な、目、で、見、る、な」
向けられたアッシュグレイの目に溜息を吐いた。全く、月森は変化がない。
「せんぱぁい! 花村先輩といちゃいちゃしてないで、早く奥に進もうよー! 直斗くんも、困ってるよ」
言われて振り向けば、直斗は爽やかな笑顔を向けた。
「いえ、お構いなく。僕は空気だと思ってください」
「クマも空気読めるクマになるクマよ」
「直斗……なぁ、お前いつまで、俺が揶揄ったこと根に持つんだよ。あと、クマクマうっせぇ!」
「根に持つだなんて、お二人に気遣っているんですよ」
探偵王子は、過去の所業を忘れてはくれないらしい。下手に弄るんじゃなかった、と陽介は今更、後悔している。
「ありがとう、白鐘。俺は良い後輩に恵まれたなぁ」
「ですが、余り遊んでいられないのも事実ですね。進みましょう」
「だってさ、陽介」
「俺が悪いみたいな顔すんな……?」
ったく、とヘッドフォンをまた装着した。取り敢えず、探偵王子の声だけは遮られる。
「何か、ヘッドフォンしてても、俺の声だけは伝わってるって思うと、良いよね。エロイって言うか?」
「なっにが、えろいんだよ! アホか!」
「せんぱーい、りせの声も聞こえてるよっ」
「あ、そっか。残念」
彼と彼女の聞こえ方は全く違うのだが、言うと月森がまた何か言い出しそうなので、黙っていた。