Just call her name -12

 救おうとした。文字通り、救済しようとした。
 生田目の他に何かがあるらしいということで意見が一致し、直斗の小細工で生田目から話を聞くことが出来た。そこで遂に、真犯人が他にいるのだと、皆が確信した。テレビに落とすという愚を冒さずに済んだことは、兎角幸いなことだ。
 窶れた生田目の語った数少ない言葉は、陽介の胸に響いた。あの男は、結果として、雪子や完二、りせ、直斗を危険に晒し、菜々子の生命までをも脅かしたし、それは、紛う事なき事実だ。けれど、殺すことで救済しようとした、なんていう終末思想に染まった、頭の狂った男ではない。あの男は、精一杯をしただけだ。
(俺らと、変わんねぇじゃん)
 救いたかったから、我武者羅になった。偶々、月森には力が在って、陽介は彼と共にいたから力を得ることが出来て、それだけの違いだ。本当は、影の商店街で、自分はジライヤに殺されていたのかも知れない。そして彼女と同じ様に吊るされていたのだろう。無残な骸と化して。暗い闇に、身体を奪われて。
 最愛の人を奪われた彼の絶望はきっと、陽介のそれをも凌駕する。生田目を落とそうと思った自分に、怖気がする程に、陽介の心は生田目のそれに近かったのだと痛感した。一歩間違えれば、そこにいたのは自分。そう思った瞬間に、月森は陽介を見た。見透かした様に首を振った。
「僕達は、どこで道を誤ったのでしょうね」
 尋問を終えて、直斗が答えを求めている訳ではない様に、呟く。けれどそれを捨て置けず、陽介は言葉を返した。自嘲する様に。
「案外、最初から、かもな。高校生が、事件を解決する、なんて――」
 物語みたいに簡単なことじゃない。特別な力なんて、本当はなかったのだ。そう思って掌を見詰めると、後ろから肩を叩かれた。
「でも俺達じゃなかったら、出来なかったとも思う。生田目は愚鈍だった。見えなかった。けれど、俺達は見えた。遅かったかも知れないけど、光を見出したんだから」
 陽介、と月森は囁く。
「独りで戦わなかったからだ」
「要するに、月森先輩にとっては花村先輩のお陰でということですか?」
 直斗がくすりと笑った。
「ご明察。何せ、俺の参謀なんで。陽介が、いつも上手く纏めてくれるから、俺は戦闘の指示だけで十分だったんだ」
「先輩って、結構、饒舌なんですね」
「あぁ、陽介の前では」
 今、急に意気投合したかの様に、二人は陽介を挟んで笑い合っている。
「気を許している、ということですか」
「そうそう。白鐘は察しが良いよな。直ぐに見抜いたし」
「あれで、気付くなと言う方が、無理です」
 最後に特別捜査隊のメンバーに加入した直斗だが、月森の陽介への好意は直ぐに看破したと言う。僕は偏見はない方ですから、と、自慢気に、そして笑顔で言っていた。少年探偵として名を馳せていた頃にも、どうやら男から言い寄られることがあったらしく、慣れているのだそうだ。そういう輩に比べれば、月森孝介の純愛(と、彼女は言う)は、寧ろ、尊ぶべきものであるらしい。外見だけでどうこうと言うのは、陽介も辟易するが、それにしてもマイノリティな性癖が、これだけ尊重されるパーティも珍しいだろう。メンバーの寛容度の高さが窺い知れると言うものだ。
「俺は隠してないから。寧ろオープンにして、面倒事を避けたい。それから、陽介に手を出されない様に牽制してる」
「あーあー、もうヤメロっての! 直斗も、一々変なのに絡むな!」
「すみません。僕も『女の子』なもので」
「コイバナ聞きたい? それなら、俺がとっておきの……」
 月森は唇の端を上げて、指を一本立てた。何が話されるか皆目、見当が付かなかったが、この流れから自分に関わることだけは予期する。慌てて両手を振った。
「ヤメロっての! それよか直斗、昨日、完二と話してたんだろ。そっち聞かせろ!」
「なっなななっ!?」
 向こうに話を振れば、案の定、直斗は狼狽えた。それを見て親友に視線を送れば、心得たとばかりに人の悪い笑みが返ってくる。基本的には、陽介と同じノリが出来るのだ。
「へえ、巽と白鐘のラブストーリー? それ、俺も興味ある。教えてよ、陽介」
「おうよ。実はな、昨日、俺の所に着信が連続で二回着てな」
「ちょっ、ちょっと、先輩! ちち、違いますから! そういうことじゃありませんから!?」
 直斗は何を勘違いしたのか、訳の分からない弁解をする。陽介がちょいちょいと手招きすれば、月森は楽しげにこちらに耳を貸した。何かを囁くフリだけすれば、意図を察して、月森はクリティカルヒットを食らった直斗にワンモアする。
「二人が大人の階段昇ったってこと? よし分かった理解」
 やるな相棒、と戦闘中の様に密やかに告げる。大人の階段とはまた、随分と詩的な表現だ。
「月森先輩まで、止めてくださいよ! って――」
 直斗がぴたりと動きを止めた。陽介は月森の耳元で、まだ昨日の完二と直斗の様子を話してやるフリをして笑っていたので、急に冷静な表情になった後輩に驚いた。
「どうかしたか、直斗?」
「……何だか馬鹿馬鹿しくなってきてしまいまして」
 はぁ、と大きな溜息が落とされる。
「隠すつもりがない、と言うのは本当なんですね」
「出てた?」
「止めてくださいよ。流石に僕でも当てられます」
 くすりと直斗は笑った。何のことかと思えば、月森は頗る機嫌が良さそうに笑っている。
「月森……?」
「探偵王子が言いたかったのはさ」
 グイ、と頭を引かれた。
「距離、近過ぎ――ってこと」
 掠める様に唇が触れる。何度目かの口吻を奪った月森は、笑みを深めた。この行動には、当の探偵王子も驚いたらしく、目元がほんのりと紅く染まった。陽介は、もう慣れていると言うこともあるが、それよりも、脳の処理が遅くて問題にならない。
「ひ、ひ……人前で! すんなぁぁぁっ!」
「あ、御免。人前は流石に恥ずかしい?」
「人前でなければ良いんですか!?」
「あーもう、……ほっといてくれ……」
 陽介は涙目になった。
「コホン。それと距離が近いこともそうですが、余りにもお二人がナチュラルに『イチャイチャ』していることと、リーダーの表情についてもですから」
「月森の、表情?」
 直斗の表情にならば神経を傾けていたが、月森については気にしていなかった。
「蕩けそうな顔というのは、先程の月森先輩の表情の様なものを言うのではないでしょうか」
 その、非常に少女小説みたいな表現に、聞かなければ良かったと陽介は後悔した。
「好きな人が、自分の耳元で喋ってるのは、良いなぁって」
 もう面倒だから言葉を差し挟むまい。陽介は心に決めて会話から離脱した。コイバナ等、好きにやっていれば良いのだ。
「確かに、それは少し特別な感じがしますね」
「そう。陽介も俺を特別だって言ってくれてるから」
「既に互いに特別な存在であると言う確認が済んでいる、と言うことですか」
「そういうこと」
「つまり相思相愛だったと」
 直斗、お前、態と言ってるんだろ。陽介は会話に入ってツッコみばかりしたくないので、心の中でだけツッコミを入れた。月森の方についてはノーコメントである。熟、青春爆発みたいな会話しなければ良かったと思う。嘘がないのでツッコむことも出来ない。
 嬉々として話す少年、基、少女探偵は、楽しげに笑っていた。昨日の気を張った姿を見ていたことを考えれば、ホッと胸を撫で下ろすことが出来る。昨夜、月森と別れた陽介は、直斗にメールを送った。『俺達は、間違ってたんだと思う』とだけ、一言。完二には送らなかった。その前にあった着信の感覚からして、二人が共にいるだろう可能性が高かった為だ。そうでなくても、陽介と同じ生田目の処遇を考えていたのだから、いずれも高揚感が残っていた。悪い意味で。それを補うのに、学年の同じ二人が互いに話すと言うことは想定出来たし、その上で陽介に電話をしたと言うのならば、恐らく、と思う。確認のしようはないが、本人達に聞くつもりはなかった。小さな探偵は、同じ様に一言だけ返信を寄越した。『分かりました』と。それが二人の答えになったのだと思う。
 陽介は月森と会話して、彼の考えを知ったから良かったが、二人は恐らく聞いていない。月森は陽介には多弁で、言葉を尽くしても理解させようという意思を持ってくれるのだが、他に対しては若干、諦めている部分がある。分からなければ、それでも良い、と。良い訳がないだろうと思った陽介の行動が、先のメールだった。それでも、本人が言わないことを、長々と語るのもマナー違反だと思っての、一行。
「相思相愛だと、俺は思いたいんだけど」
「まだ花村先輩の気持ち次第と言うことですね」
 今、こうして、下らない話に興じていることは、つまり、彼等にあった蟠りは氷解したのだと言えるだろう。安堵の視線を二人に送っていると、月森がにこやかに微笑み掛けてきた。
「陽介、好きだよ」
「余り何度も言うのは効果的でないかも知れませんよ。ここぞと言う時に」
「だー! お前ら、考え事くらい、静かにさせてくれホント、マジで……」
 これから真犯人も挙げなければならない。頭脳労働組の三人が、今こそ汚名返上、名誉挽回する番なのだ。遊んでいる暇もない。それなのに二人は、それはそれは楽しそうに、コイバナに興じている。
(ダメだコイツら……早くなんとかしないと)
 陽介はバッと振り向いて、金髪の後輩に人差し指を突き付けた。
「完二! お前のツレ、回収してけ!」
「ななっ、なんすか急に! てかツレって」
「先輩命令だ。直斗を持って帰れ、今すぐ!」
「なんすか、ホント、急に……」
 りせに絡まれていたらしい完二は、陽介に指さされて面食らっていた。
「あ、じゃあ、私も直斗くんと帰ろっかな。先輩、また明日!」
 月森にウインクして、りせもひょいと立ち上がった。
「あぁ、気を付けて」
 マイペースな月森は、りせのアピールに今日も感じ入ることもないままに、手を振っている。
「じゃ、私達も帰ろっか、千枝」
 立っていた雪子が、椅子に掛けている千枝の方に目配せをすると、千枝はぴょこんと立ち上がり、月森に視線を向けた。
「だね。じゃ、また明日、リーダー。花村、クマくん見付かったら電話してよね!」
「へいへい。女二人で気ぃ付けて」
 真っ暗とは言わないが、どの様な時間ででも、いつも二人でしか帰らない彼女等は、豪胆と言えば豪胆である。霧のこともあり、近頃は外に出ている人も少ない。そうは言っても女子高生二人。危険がないとは言えないが、送ると言っても拒否されるのでは、どうにも致し方がなかったりする。
「何かあったら、千枝のキックが炸裂するから平気」
「天城の扇子の方が強烈じゃないか?」
 にこりと月森が笑った。まぁ、投扇興の様に扇子をぶん投げてくる天城雪子を見ていると、天城越えの難易度の高さを窺わせるなんてことは、本人には言えない。実は一番恐ろしいのは、テレビでしか使わないとは言え、銃を所持する直斗なのだが。テレビの外で武器が使えない、という観点からすれば、殆ど素手で戦っていると言える千枝(正確には素足と言うべきか)が、護身として一番、力を発揮する様な気もした。扇子を投げることが、外でも難しくはないと考えれば、雪子もそれなりに当てにはなるかもしれない。
 女子二人がいつも通り、楽しげに会話しながら去っていくのを見届けて、月森はこちらに振り返った。
「陽介、俺達も帰ろう」
 そして言うなり、さっさと歩き出す。陽介には、と限定するのではないが、月森は優しい反面、自分勝手だなと思われる節も結構見られた。その点は、リーダー的でもある。俺が行く所に黙って付いて来い、とでも言う様に振る舞うのだ。探索時も迷いなく進む姿は、凄いと言うか、やや怖気付いてしまう気分にすらさせられる。結婚したら亭主関白になりそうだ。
「……なんか、俺一人で疲れた気ぃする……」
 サクサクと歩く友人を早足で追い掛けて、隣に並ぶ。微妙に愚痴を零すと、こちらを見た瞳が楽しそうに揺れていた。
「あははははは。お疲れ」
「お前の所為だっつの」
 睨んでも月森は笑うだけだった。睨んでいても可愛い、と、以前、頭の痛くなる発言をされたことがあるので、効果に乏しいのかも知れない。
 昨日、雪が降った位なので、外気はとことん冷えていた。寒くて思わずポケットに手を入れると、危ないだろ、と母親の様な忠言を隣から戴く。冷え性の気があるのだ。女っぽくて嫌だなと思うので余り放言しないが、月森には何気なく言った所、「陽介が細過ぎるからじゃないか? 血管とか、凄い細そう」等と返ってきた。血流が悪いのが血管の細さに拠るのか、詳しくは知らないが、何となく説得力がある様にも思われるので、不思議だ。
(今日は雪じゃねぇのな)
 ぼんやりと灰色の空を仰ぐ。霧は深い。自分達の光明が見えないことと比例する様に、前が見えなくなってきている。忠告を聞いて手を出すと、月森は左手に自分の手を絡めてきた。
「……オイ」
「誰も見えないから平気だって。こうすれば、暖かいだろ?」
 見える、見えないは、話として別ではないだろうかと思ったが、暖かいのは事実だった。
「霧が出てて良かった」
 子供の様にはしゃいだ声で、月森は笑っている。
「――そっか。成程な」
 霧が出ていて良かったなんて、思ったことはなかった。ポジティブな考え方が不足していたのだ。だから、穴に落ちる。
「って、それとこれとは話が別だ。手ぇ離せ!」
「残念。陽介なら、上手く流されてくれると思ったんだけど」
 指先は呆気なく離れた。
「……生田目、違ったな」
 急に笑顔が消えて、真面目な顔で月森は言葉を紡いだ。
 陽介も、昨日の時点で、そう、心の底では思っていた様に思えた。月森に違和感と言われた時に、違うのではないか――という、疑念の方が強くなったのだ。
「良かったよ。正直、俺だって自信なかったし。脅迫状のことも、苦し紛れ。違和感が俺にしかないって、陽介と話していて分かったから。だったら、俺だけに関係すること、俺が一番関わったことって何かなって、考えて出してみた。結局、俺にとって、陽介は欠かせないってこと」
「フォローしなくても、別に卑屈になったりしねぇよ」
「俺は嘘は言わないんだけど?」
 にこり、と月森はこちらを見て笑う。
「……そのタラシ技術って、天然なのかよ? 計算?」
「計算尽く。故に、陽介にしか言わない」
「の割に、おモテになるこって」
「えっ、嫉妬してくれたとか? でも、外ヅラが良いのは、陽介だって知ってるだろ? 仮面が幾つもある訳だからな」
 月森は得意げに片目を瞑る。威張ることでもないだろ、と陽介は呆れた。
「陽介だって――」
 しかし途中まで言い掛けて、月森は急に口を閉じた。
「なんだよ」
「いや、何でも。俺は、口を開けばガッカリ王子な所とか、好きだよ。そのままの陽介でいてくれ」
「褒めねぇし……」
「明日は聞き込みだから、その辺走り回って大変だな。早く帰って、休まないと」
「あー……朝から悪かった」
 クマが見付からず、陽介も少なからず動揺していたのだ。それでも、菜々子のこともあり、疲れているだろう月森への連絡よりも、他のメンバーに先に連絡する位には気を回せた。しかし、頼りになるのはやはりリーダーで、結局間を置かずして、彼の家に走ることになったのだが。陽介が両手を顔の前で合わせると、月森は腕を組んで、不満気に眉を顰めた。
「本当だ。俺をラストにして、里中達に先に連絡するなんて仕打ち、陽介から受けるとは思わなかった。まぁ、直々に出向いてくれたのは嬉しいんだけど」
「って待て待て待て。俺は、お前が疲れてると思って」
 実際、陽介が呼びに行った時にも、直ぐには出て来なかった。眠っていただろうことは分かっている。疲労困憊で熟睡していなければ、規則正しい生活が基本の月森は、既に目覚めていた筈だ。
「菜々子が無事なら、疲れなんて直ぐに吹き飛ぶ。俺はね、あちらが良ければ、懸念は陽介の方にばっかり移る様に出来てるんだ。陽介は、俺より、他の皆の方を頼ったのかな、と」
 威圧感のある笑みを浮かべて、月森の顔が近付いてきたので、陽介は少し後退する。
「気ぃ使ったんだよ! 使って、損したけど。だいたい、お前が一番頼りなんて、言わなくても分かってるだろうが」
 だから走ってきたのだ、とまでは流石に言えなかった。
「何だ、安心した。今日はゆっくり眠れそう」
 パッと離れた月森の表情は、穏やかな笑顔に変わっていた。
「……どこまで本気なんだよ、お前」
 肩を落とすと、ふふふ、と楽しげな笑い声が聞こえる。

 

back