紅茶にスコーンとは言ったが出されたのが最終兵器だったのでアントーニョは厳然と抗議した。
「何で自分、手作りするん?」
「ばっ……何が不満なんだよ!」
「不満やっちゅう以前の問題や! こない『最終兵器』出されて、どないせーっちゅうねん!」
アーサー手製のスコーンは本日も得体の知れない黒い色でアントーニョを出迎えてくれていた。何せアーサーの数少ない友人だろう菊ですら「遠慮します」である。味覚音痴第二代目の弟ですら拒絶する始末。さきほど食べたザッハトルテが恋しい。ローデリヒでなくともフランシス、そうだロヴィーノやフェリシアーノの出す物も美味しい。むしろこれなら自分で作りたい。料理の腕にはアントーニョは自信がある。レシピさえあれば不可能ではないはずだ。
味覚音痴にもパターンがある。一つ目は自覚のある味覚音痴。こういう手合いは出された物を気前良く食べるだけで自分で作る方には回らない。分相応だと言えるだろう。次に無自覚の味覚音痴。これはタチが悪いことに自分で作るタイプもいて不味いことを不味いと気づかないのだから気を使う。ちなみに料理を作らない手合いならば別に問題ない。しかしアーサー・カークランドはそのいずれでもない。自覚が一応はあるくせに毎度手料理を振る舞うのだ。迷惑極まりない。気を使う必要がない分マシだと思われるが本人は『不味くない』の一点張りなので一歩も引かない。譲らない。大迷惑だ。
「何度も言うてるけど、アーサーの料理、ホンマに不味いねん」
アントーニョは決して保身のためだけに言っているのではない。アーサーの被害をこうむる者たちを黙って見ていられないだけなのだ。これはきっと恋人たる自分の使命である。だからきっぱりとできるだけ簡潔にはっきりと言っているのだ。不味いと。耐えられないくらいに不味いと。
「るっせぇ! 出されたもんは黙って食え! てめぇが腹減ったって言ったんだろうが!」
しかし対するアーサーはこれである。
「ホンマ、自分海賊やんなぁ……」
横柄な態度にアントーニョは呆れた。いつもアーサーは「俺への扱いが軽すぎる」と意味のわからない文句を言うがこれはどうなのか。食を愛するアントーニョにとっては十分に非道な仕打ちである。英国内でも市販されているスコーンは不味いものではない。だから客が来たらそれを振舞えばいいのになぜ作る。どうして手作りするのだ。このご時世だから用心深い菊なんて「最近は手作りも流行らなくなってきましたね」などと言っている。曰く『何が入れられているか分からない』だ。入っているのが髪の毛でも愛情でも構うことはないがそれよりも不味いのに辟易している。
本当はそもそもアントーニョは紅茶が好きなのでもない。文化が違う。フランシスと一緒ならばコーヒーで済むのに。ロヴィーノやフェリシアーノなら、各々の国のワインを開けるのもいい。紅茶文化の方が狭いくせに押し付けてくるのだ。「俺のアフタヌーンティーが飲めねぇのか」とか言いがかりをつけるからアーサーは海賊だというのである。結局問答が面倒な上にここにコーヒーメーカーがないのもあいまって今日も紅茶。それはいい。もう我慢しよう。多少の文化の違いを乗り越えられないのならば付き合っていくことなど不可能だ。
(やからって、不味いスコーンはごめんや)
アントーニョは思いっきり眉を潜めて考える。この超頑固な恋人をなんとかしなければローデリヒのところで食べたザッハトルテも台無しだ。
「せや。売ってるんが嫌やったら、俺が作ったる。レシピくらいあるやろ?」
アーサーのレシピなんてどうせろくでもないものだろうがないよりはマシである。インターネットで調べると言ったら絶対に嫌な顔をされるから諦めた。はよ出しぃと言ってみたがアーサーは動かない。
「……嫌だ」
「何言うてるん。また紅茶冷めてまうでー?」
慣れないスコーン作りなんてしたら結局冷めてしまうとは思うがアントーニョは咄嗟にそう言った。しかしアーサーは頑として譲らない。嫌だの一点張りである。本当に迷惑な相手だ。
「ここは俺の国だ」
「知らへんよ、そないなこと」
「なんでお前が作るんだよ!」
「不味いからやっちゅうねん。わかりぃ、アーサー」
「悪かったな、不味くて!」
アーサーが叫ぶのと同じくらいに空の色が変わった。
(英国って、コイツん気分のせいで暗いんちゃう?)
今にも泣き叫びそうな鈍重な灰色が窓の外を覆う。自国はどうだろうか。まだ晴れていればいいけれど。アーサーと呼びかけようとしたら、急に腕が体に回った。真っ白いソファが急に増えた体重に歪む。大の男二人の体重に嫌そうに軋んだ音を立てた。こんなに勢いよくしてスプリングが壊れたらどうするのか。もしくは財政難とは縁遠いアーサーのことだ、壊れたら買い換えればいいとか思っているのかもしれない。基本が貧困に喘いでばかりだったアントーニョには分かりたくない考えである。重いと思ったが言い出せなかった。
「っ、お前に、作った物を食べさせたかったんだよ! 悪いか!」
顔は見えないが基本的に素直な物言いが苦手なアーサーのことだから顔は赤いのだろうとアントーニョは予測する。
「普通なら悪ないって言いたいとこやけど」
しかし十代の乙女でもないのだからそんなことを言われてもときめくこともない。ことアーサーならばその考えはむしろ死刑宣告みたいなものだ。
「こんの鈍感KY……!」
アントーニョがあっさりと言い放てば回されている腕が震える。KYというのはこの前菊がその意味を教えてくれたけれどどういう意味だっただろうか。そちらはともかく鈍感というのは違う。確かにフランシスにもロヴィーノにも散々言われてきた言葉だがアーサーの言いたいことが分からないのではないのだ。
「ちゃうて、ホンマに。そういうことあるやろうけど、アーサーだけはあかんてだけで」
「だけはってなんだぁぁ! 本当にてめぇは――胃の中に俺の作ったもん残らず詰め込んでやる!」
怒りに打ち震えたあまりか思わず離された腕にほっとしてアーサーを見ればやはり元ヤン海賊の面持ちだ。菊はわりと普通に紳士だと言っていたが絶対に演技に決まっている。
「やめぇや、変態」
溜息をつくと再び怒り。
「なにが変態だぁぁぁ!」
「なんか変質的やねん」
発想が。本当にスコーンに髪の毛でも入っていたらどうしようか。「まじないとのろいって同じ字を書くんですよ」と菊が言っていた。
窓を見れば水滴が叩いている。急に静まったアーサーにアントーニョは嫌な予感を覚えてできるだけ笑顔で口を開いた。
「あ、雨や。またアーサーんとこは雨やんなぁ」
「アントーニョ、こっちを向け。口を開けろ」
話題を変えたいと願って言ったのも虚しく、視線を戻すとついに座ってしまった緑色の瞳と目が合う。本能的にマズイとアントーニョは思った。右手にいつのまにか皿に乗ったスコーン。二重の意味でマズイ。
「落ち着きぃ、アーサー。あかんて。まだ死にとぅないわぁ」
にじり寄ってくる英国紳士。後ろはソファで逃げ場がない。笑ってみたが笑える状況ではない気がする。遅れてこなければ良かったと思った。そうしたらここまでこの男も怒っていないはずだ。そうであって欲しい。昔自分をボコボコにした海賊の姿が脳裏を過ぎった。助けて欲しい。
「Hello! なぁアーサー、ちょっと聞いて欲しいことがある――」
アントーニョの祈りが通じたのか知らないがチャイムも鳴らさずにずかずかと邸宅に上がってきたのはアルフレッドだった。まさかの正義のヒーローの登場だ。リビングに着いた彼はソファに押し倒されているようにしか見えないアントーニョとその上に乗りかかっておまけにスコーンを持っているすごい形相の兄の姿を凝視した。青い瞳がまたたく。
「アーサー、君、あんまりアブノーマルなプレイはどうかと思うよ? これだからフランシスにも変態の国って言われるんじゃないかい?」
「ちっげぇよ!」
確かにそういう話ではなかったと思うが素直にアーサーに同調できないアントーニョである。
「あんまり無理させない方がいいと思うよ。菊に言ったら、なんだっけ? ドン引き? 友達なくすぞ! まぁともかく、邪魔みたいだから帰るよ。Bye!」
ひらひらと手を振って去る世界のヒーロー。素直に「お前の兄、どうにかしてくれへん?」と言い出せなかったのはなんのプライドだろうか。アントーニョは悩んだ。