甘い時間は別腹で


「ほーぉ、寝坊して遅刻した、か」
「せやねん! 堪忍なぁ、すーっかり寝こけてしもたん」
 アントーニョが緑色の瞳を微妙に逸らしながら言うとアーサーは両頬に手を当てると顔を正面に向けて視線を無理に合わせた。否応なく視線が交差する。
「俺の目を見て言え、アントーニョ」
「……やって、その」
 どこをどう見ても紳士などという言葉は似つかわしくない自称英国紳士に睨まれてアントーニョはもごもごと口を動かす。自称英国紳士ことアーサーは溜息をついた。
「ロヴィーノか? フランシスか? それともギルベルトか?!」
「ちゃうよ、今日はローデリヒに呼ばれてん」
「やっぱり嘘だったんじゃねぇかぁ!」
 ゆったりとした紐シャツの襟元を掴んでがくがくと揺さぶるのだから、アントーニョはぐわんぐわんと頭が鳴った。確かに嘘をついたのは悪いと思うがここまでしないで欲しい。相変わらずアーサーという男は人に対する態度が悪いとくらくらする頭で思う。
(そない怒らんでも)
 向こうも疲れたのかやっと解放されてアントーニョは首をひねる。確かに今日はアーサーに呼ばれていた。別に用事などないのだ。会いたいからとアーサーは呼び出す。都合が合えばアントーニョも出かけるというだけ。そして昨夜に呼ばれていたので今日は出かけるつもりだったのだけれど、今朝方友人のローデリヒが電話をかけてきて「ザッハトルテを焼いたのですが、良かったら食べに来ませんか、アントーニョ」と有難くも誘ってくれたのである。友人の言うことには「先日、あなたが食べたいと言っていましたから、食材を取り寄せたんですよ」だ。そうまで言って貰えて行かない道理がない。元々食物への執着心は強い方だし食べて帰るだけならばそれほどのロスタイムにもならないだろうと思った。あくまでもアントーニョはそう思っていたというだけで了解を得たわけではない。そしていそいそと友人の元へ出向いた。
「すぐ戻るつもりやったんよ?」
「お前が食べてすぐ帰るわけないだろうが!」
 というか『すぐ』という概念自体が怪しいのだ。元々のんびり屋にして極度のマイペースなのだから友人と会えば呑気に会話をしてしまう。その上おっとりとした友人も美味しいトルテを出してくれただけでなく「昼食も良ければ食べてお行きなさい」と言うのだ。やはり持つべきものは良き友である。フランシスやギルベルトには悪いがローデリヒが言うならば親交を考えてしまう。なんというかローデリヒとはテンポが合っているのだ。
「んでな、ロヴィーノに用事があるのすーっかり忘れててん。ローデリヒに電話借りて……」
「もういい! で、それで俺を蔑ろにしたんだな。そういうことなんだろ、アントーニョ! てめぇは本当に何度言っても……!」
 ちなみにこの流れは別に珍しいことでもない。さきほどアーサーが質問した通りにロヴィーノからギルベルトまで友人らに呼ばれればそちらを優先する。最早癖だ。
「やって、昼食ならローデリヒんとこで済ませた方が美味し――」
「不味いって言うなぁぁ!」
 怒ってばっかりやなぁとアントーニョはぼんやり考える。自分を好きだと言ったのはアーサーだがこんな調子でいて楽しいものか甚だ疑問だ。
 広々としたリビングと大きい窓から遠くに見えるバラの園。どんよりとした雲が覆う今日もロンドンは泣き出しそうな空だった。さして遠くはないと思うのにいつも太陽の光が注ぐ自分の住まいとは偉く違う。
(どうせやったら、遊びに来たらえぇのになぁ)
 ホストの方が向いているのかただ不遜なだけなのか。
「まぁ、えぇやん。まだ時間は十分にあるやろー?」
 ふかふかしたソファに飛び込んで座るとアントーニョはぶすっとしたアーサーを見て笑った。その目の前のテーブルに鎮座していたとっくに冷めた紅茶をすする。これはダージリンだろうか。アーサーのところではいつも紅茶が出てきて講釈されるのでだいぶアントーニョも覚えてきた。
「な、アーサー。アーサーとなら、いつでも会えるやろ?」
「……はぁ?」
「せやけど、他のんはそうもいかへんし。会えるっつぅ時におうておきたいやん」
「なんだそれは」
「アーサーは、俺のために時間作ってくれるやろ? ……やから、会いたいなぁ思たらいつでも会える」
 確信を持って笑うとアーサーは言葉に詰まった。様子が面白いのでアントーニョはくつくつと笑う。
「そういうことやから、見逃したってぇ。な?」
 緑色の瞳を見つめる。同じ色のはずなのに重ならない違う色。空が異なっているのではないかと錯覚するのと同じように暗めの緑色と明るい緑の色がぶつかった。
「お前は昔から奔放だよな」
「海賊に言われたないわ」
「先に暴れまわってたのはてめぇだろーが、『無敵艦隊』」
 別に暴れてへんよとアントーニョは笑った。
「嫌味言わんといてぇ。せや、紅茶にはスコーンやろ? むっちゃお腹減っとるんよ」
「さっき食ってきたんじゃねぇのか……」
「甘い物は別腹やねん」
「つか紅茶も冷めてんじゃねぇか。ったく……入れ直すから待ってろ」
 ぶつぶつと言いながらダイニングに戻るアーサーに「冷めたんは自分のせいやろ」とアントーニョは声をかけた。うるせぇと声が返ってくる。なんだかんだでこれが平和だからいいのかも知れないと思った。

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