カーテンを開いて外を見れば、朝から雪が降り積もっていた。しんしんと、白く窓の外が染め上げられている。八十稲羽の冬は寒い。
「アイツ……予言者なんじゃね?」
カーテンは採光の為に開けただけだったが、思い立った様に陽介は窓を開く。ひゅうっと風が入り込んできた。
「さむっ!」
冷た過ぎる風は喉元を冷やし、思わず声が漏れ出た。今し方まで布団の中で熱を得ていた指先が、一瞬で凍える。
「こんな日にバイトとかホント、ねぇわ」
既に二学期の終業式を終え、冬休みに突入している。本日は聖夜の前日、の前日。即ち日本国の暦で言うならば、天皇誕生日だ。天皇って国王じゃないし、一体何者なのだろうか、と不意に思った。憲法は政治経済の授業を選択すれば教わる。そういう機会に知られるのだろうか。
田舎の八十神高校と言えども、三年に進級すれば、大学受験を視野にいれて、科目の選択を行うことになっていた。科目決定は三学期の頭に決定される。それまでに、己の進路を考えておく様に、と、校長だったか教頭だったかが、終業式で説いていた。正確に言えば、その様に月森が後で教えてくれたのだが。終業式のホームルームで、選択科目に関するプリントが配られた。前の席に座る月森は、それを受け取っていない。
「ヨースケーー、まだ寝てるクマ?」
ガバッとドアが開けられた。クマは何度言ってもノックという言葉を知らない。確かに彼自身の就寝する部屋も、陽介の部屋と同じではあるが、陽介にもプライベートがあるので、普段は居間にいさせている。部屋に用事があればノックをする様にと義務付けているが、その言葉をクマは覚えていないのだ。
「起きてる。お前、早ぇな」
休みなのだからもっと寝ていたかった、という意味を篭めて睨み付ける。クマに、十分程前に起こされたばかりだ。
「ふふん。クマは、朝からジュネスのお手伝いしてるクマ」
「普段は俺より早く起きねぇ癖に」
休日ならいざ知らず、学校に行く前にクマが起きていた例はない。陽介のシフトは午後、夕方なので、起床が十時でも問題はないが、この時間に家にいて、朝から手伝いとは笑わせる。
「ヨースケ、雪降ってるクマね」
「だな」
「ホワイトクリスマス? 聖夜に白くて甘い夜? 蕩ける唇、熱いふたり……」
「お前、どっからその変な知識得てんだよ」
ぬっふっふ、とクマは変な笑い声を出した。
*
年が明けた頃だろうと思う。夢に白いミルク色の靄が掛かり、その先に誰かの影が見える様になったのだ。影は動くことなくこちらを黙って見詰めている様であった。佇んだシルエットは、自分よりも一回り小さく感じられ、それは、何となく、女性なのではないかとだけ思われる。
(小西先輩――?)
月森が言っていたことではないが、まだ、案じて貰われる可能性もなくはないだろう。あの日、天使の梯子の元で少女が手を振っている様に思えたけれど、その後、消えていった様にも見えたけれど、彼女がどうこうしたということは確証として存在するものではない。陽介がそう感じた、というだけ。
確かめようとした刹那に、覚醒した。ぱちりと。開いた瞼の先には代わり映えしない白い天井だけがあって、直ぐ横に、居候と言うべき同居人の寝息が横たわっていた。
「手、伸ばしてたのか」
右手が宙に向かっていた。
「夢……だよな」
夢を夢であると、確信出来ることはないだろう。陽介は軽く頭を掻いた。ワックスで整えていない髪はほぼストレートで、それでも女の子の髪の様に、サラサラとは流れない。何度か瞬きをして、感触を思い出す。瞼を閉じて、夢に見た影を描く。陽介の見たことがある影をシャドウと定義するならば、それは、今までに幾度も相対していた。
「……小西先輩じゃなかった」
そうであったらと僅かに思う気持ちはあるが、そうではない。自分でもない。今までに見た影ではない。知らない影だった。
*
「相変わらずうめーな、お前の弁当」
「それはどうも」
本日の昼食は、サンドイッチだった。今までにはご飯と何かメインのおかず、と言うパターンが主力だったのだが、12月頃から、趣向が変わっている。真犯人を捕え、この街の霧を晴らした後に、月森は再び弁当作りを再開した。態々陽介がバイトしている時にジュネスの食品売り場に赴いて、食材を購入していくという形で。月森は陽介にしか作る気がないと言っている通り、陽介のリクエストは、と毎度尋ねた。余りにも毎度のことで、売り場のパートさんには月森の名と陽介に弁当のリクエストを求めることが知れ渡ってしまい、どういう関係なのかと何度も問い質された始末だ。
「都会っ子の陽介は、洋食派?」
「お、お前が言っちゃう? とーぜん、朝はパンだな」
「朝はパンって歌あるよな、CMで」
「……なんかあった」
忙しい上にチャンネルが少ないので、八十稲羽に来てからは、余りテレビを見ていない。暫くは天気予報に着目していたが、それとニュースとスポーツ番組程度だ。言われて記憶を辿って、そういえば、と思い起こすレベルでしか覚えていなかった。
「菜々子が、覚えたんだよ。病室で」
クリスマスに一時帰宅を許可して貰った菜々子だが、そこから直ぐに退院に漕ぎ着けるというものでもない。もうそろそろ退院出来るのではないか、との話は聞いたが、如何せん、菜々子は一度心肺停止状態にも陥ったことがある。大事を見ているのだ。
菜々子の状態は寧ろ安定の一途を辿っているとのことで、退屈凌ぎに、大好きなクイズ番組を見ているらしい。見舞いに行った際に、陽介もその様子を見ている。菜々子は非常に賢く、物覚えが良い。大人でも即答出来るとは限らない様な問題を、真剣に検討していた。
「暇だからテレビばっか見てるって言ってたもんな……あっ、てことは、ジュネスのは!? やめちゃったわけ!?」
菜々子が「エビデイ・ヤンライ・ジュ・ネ・ス」と可愛らしく歌ってくれるのを聞いていた。新しいブームが来たのであれば、そちらは廃れてしまうかも知れない。何だかんだで、ジュネスに対する愛情がある陽介としては、残念至極だ。そう思ってガバッと月森の方を見れば、楽しげに笑っている。
「そっちは継続。CMの度に歌ってる」
「よかった……!」
「そんなに?」
拳を握り締めたら月森がまた、くすりと笑った。特別捜査隊の面々は、皆、菜々子が可愛くて愛おしくて仕方がないのだ。その筆頭は、当然、月森なのだが、他人がやっていると、可笑しく映る様である。
「確かに、菜々子のジュネスは可愛い」
「CMに起用したいくらいだな」
「いいね。菜々子が喜ぶかも」
嬉しそうに語る月森の姿を見ていると、やはり、菜々子が大切なのだろうということが伺える。頬の筋肉が緩みっぱなしなのだ。
ランチボックスを畳みながら、菜々子が本当に月森の家族になったら、それも幸せそうだなと思った。思ったまま、口に出す。
「お前、菜々子ちゃん、嫁にしろよ」
可愛くて健気でいじましい。小学生にして既に家事も幾つか熟せるし、成長したら美少女になること間違いないだろう。その上、賢い。陽介は妙案と思ったのだが、月森は眉間に皺を寄せていた。
「本気で言ってる?」
向こうも本気で怒っている訳ではない。何故ならそれが、陽介の本心ではないことを、月森も知っているからだ。但し、ここで本気だ等と言えば、怒り心頭にさせてしまうことも、肝に銘じておく必要があった。怒る時は、如何な月森と言えども怒る。寧ろ怖い位に。
「……ジョーダンです」
「なら、良いんだけど」
良いとの言葉に安堵して、畳んだボックスを袋に仕舞い入れた。それを、ほい、と渡すと、月森は黙って受け取る。
「陽介ってもしかして、忘れっぽいとか?」
「記憶力に自信はねぇけど」
「空気読めよ」
「うわっ、それ言われちゃう?」
空気なんて幾らでも読めるつもりでいたのに、と両手で顔を覆うと、呆れた様な溜息の音が聞こえた。
「……あぁ、陽介は女の子から告白された経験ないからか」
そう冷たく言い放つと、月森は立ち上がった。それを下から見上げる。
「ひっでぇ言われよう」
女子から告白された経験も豊富だろう、整った顔立ちが、怜悧な視線で見詰め返した。クールだ、と、後輩の女の子が騒ぐ様な涼しい目元。鋭い眼差し。
「あんまり、」
すっと目が細められた。細長い指先が伸びる。人差し指と中指が、頬に緩やかに触れた。
「舐めてると、痛い目見るよ」
「……いつ」
「今とか」
馬鹿馬鹿しい、と言って、フイと視線を逸らすと、小さく溜息が聞こえた。
「弁当サンキュな」
「どう致しまして」
再開された弁当作りでは、月森は二つ用意する様になった。リクエストを聞きがてら、明日は持って行くから、パンは不要だ、と言ったのだ。以来、二つが習慣になっている。今日は良く晴れた水曜日。明日もきっと、同じ様に弁当なのだろう。明日は一つだったら、食べる物がなくて、困る。
「陽介って、軽そうとかチョロそうだなって思うけど、ガード硬いよね」
「なに言ってんだか」
「いつも上手くはぐらかす。それなのに――」
月森は言葉を続けずに、扉に向かって歩き出した。「昼休み、終わるよ」と言葉が続く。ドアの隣ではお団子頭の女子生徒が、じっとこちらを見ている。
「あなたたち、良く来るわね」
「……や、あんたほどじゃないだろ」
雨の日風の日嵐の日、天候もなにもかも問わずに屋上にいる、気象予報士を目指すという彼女。こちらが二人で昼食を摂ろうともお構いなしに佇んでは、空を見上げている。空の色が予報には重要だから、と前に話を聞いた。こちらには見向きもしない。
「明日は、晴れね。お弁当日和だわ」
「……どーも」
着目していたのではないらしいが、様子は伺っているらしい。
「陽介? そろそろ予鈴鳴るよ」
先に行くのかと思えば、ドアを開けて、そこで待っている。こちらに手招きするのを見ながら、月森らしいな、と思った。
「早く来ないと、寝ててもノート見せない」
「わわっ、待ってくだせぇ、センセェ!」
*
ミルク色の靄の中にいる。霧が深く濃くなっていった、あの頃の様に、ゆっくりと視界が遮られていく。
(夢だ、よな)
ぼんやりと瞼を開ける。その瞬間に、あぁ夢なのだと実感した。目を閉じる前から風景が見えている筈もない。深い白の先には、やはり人影があった。
「……もしかして、月森か?」
にしては、影は小柄だ。口に出してから、違うと思った。
夢には、自分を思慕する者が現れてくるのだ、と古典の授業に聞いた。昔の人はそう思っていたと言う。そんな話を聞いたから思い出したのであって、他意はない。
「なぁ、アンタ、誰なんだ」
声を掛けると、靄に波紋が出来た。すうっと音波が揺らいで、後一歩の所で、影に到達せずに消滅する。ふわっと。
「な――」
それならば一段階声を大きくすれば、と思って息を吸い込んだ所で、視界が揺らいだ。
(待ってくれよ)
ずっと、背を向けていた人影が振り向いた。黒い影の形はまだ、判然としない。ゆらゆらと揺らいでいく最中、髪の毛が揺れた。唇がゆっくりと三日月を描く。
気付くと、部屋にいた。
「今のって……女子高生……?」
また手を伸ばしていたことに気付いて、がっくりと項垂れる。
「俺、欲求不満かなんかなわけ?」
夢に女子高生を見る様では不味い気がする。項垂れていると、ベッドの下でクマが寝言をブツブツと呟いていた。
「ユキチャぁン、逆ナンクマぁ」
「黙ってろ、ったく、このエロガキゃあ……」
クマの精神年齢がまだ幼いだろうことを考えると、妥当な批難だろう。安穏とした寝顔を見ていると、叩き起こすとまではいかなかった。クマに甘いんじゃないか、と月森に言われるだけはあるらしい。携帯までは買わなくても良かったかも知れない、と今更後悔している。何かある度毎に、着信が入っているのだ。
*
「また寝てたな」
頭をぽかりと叩かれて目が覚めた。先程の授業が何だったかすら、記憶にない。
「……どんぐらい寝てた?」
「半分以上とか、ないわ」
「うおっ、まじでか? はぁぁぁ、今日んとこ、テスト出そう?」
「カーメン、結構しつこく言ってたから可能性大」
「サイアク」
頭を抱えて、ちらりと上目に月森の方を見る。複雑そうな灰の瞳と目が合った。
「なぁ、センセ」
ちょっぴり(陽介の主観的には)甘えた声を出してみる。しかし、月森は眉根を寄せるだけだった。
「陽介は、俺を便利屋か何かと勘違いしている」
「してねぇって、センセイ! お願いします!」
やはり甘えた声では効果がなかった様だ。頼みごとをする時はやはりこれだ、ということで、机に顎を乗せたまま、両手を併せて拝む。ここで授業の内容を落とせば、学期末試験に影響が出てしまいそうだ。
「……あのさぁ陽介、俺だって、良い人止まり、みたいなのは御免なんだよ。都合の良い男って思われるのも」
「ステーキ奢っからさ!」
冬休みは臨時バイトに随分と駆り出された。クマの生活費とバイクの貯金とを考えても、友人にステーキを奢る位の金銭的余裕はありそうである。
「食べ物でも釣られない」
千枝ならば二つ返事で頷きそうな提案にも、月森の視線は冷たいままだ。
「えー! じゃ、何なら釣れるんだよ」
ガバッと起き上がると、月森は瞬きを数度した。そうして、瞳が近付く。
「そうだな。1ページごとに、キス、1回位して貰わないと――吊り合わないかな」
「まじすか?」
少し身体を引いて尋ねても、月森は答えずにじっとこちらを見ているだけだ。
(ステーキより、それって……ねぇ)
八十稲羽名物のビフテキとて、安い物ではない。1ページに1枚、と言われたら、流石に無理だと返すだろう。奢れと言うのではなく、キスだ。
(そんならお金かかんなくていいかも――、って、そういうこと考えてる場合か!)
あぁもう、と陽介は再び机に突っ伏した。出会って半年以上、好きだと言われてそこそこ経つが、陽介は完全に月森のペースに嵌っている。どうせ、こちらの意思も考えずに、月森は不意打ちするのだから、キス位、と思ってしまったのだ。げに恐ろしきは慣れという言葉であり。
「何ページあんだよ」
流石に10ページもあったら嫌かも知れない。授業の進度と教師の感じから、あっても1、2ページだろうと思うのだが、それ以上ならば考えものだ。
「えっ、何? えっ? ええっ?」
「だから、ページ数。お前、丁寧にノート取るから、3ページくらいあんの?」
「ちょっと待った。乗って、くれる……? え、えっ、よ、陽介?」
「ハァ? だってお前、じゃないと、見せてくれねんだろ?」
首を傾げると、刹那に、月森のノートが顔面にぶつけられた。バシッと良い音が響く。ジュネスで買ったというノートからは、何となく、月森の家の香りがした。何度か赴いた、堂島刑事と、菜々子のいる居間を思い出す。
「イデッ! なにすんだよ、月森!」
「もう良いから、持ってってよ」
そう言って手渡されたノートを受け取ると、今度は月森が、陽介の机に突っ伏した。良く分からないが、キスは回避出来たらしい。サンキュ、と言いながら、中を確認する。今日の日付で書かれているのは、ほんの2ページだった。
「やっぱステーキのがよかったか?」
貧乏根性はやはり良くないな、と陽介も思い直した。自分も机に顔をくっつけて、項垂れている様な友人の顔を覗き込んでみる。視線は微妙に合わない。月森はどこか明後日を見ていた。
「いらない。何もいりませーん。陽介は心臓に悪いんだ……」
「や、心臓にワリィのは、お前だから」
いきなり対価報酬にキスを要求しておいて、その様に言われるのは納得がいかない。
「……ステーキ、二人で食べに行くのが良いかな」
「ほらやっぱり」
「ステーキでデート。俺が奢る」
「きゃー、月森クン、ステキー」
「陽介、寒い」
「うっせ」
「うるっさいのは、アンタらだ! こんのバカップル!」
千枝に睨まれたので、二人で縮こまった。机の上に座って、足をぶらぶらとさせている。お暇な様だ。
「ごめん、里中」
「いやバカップルってなんだよ。おかしーだろ!」
「あのさぁ、私はもう慣れてるけど、たまにはクラスの空気、読んだら?」
言われて陽介は教室内を見回した。放課後の教室に居残っている人は疎らで、特に注視されている様子もない。教室の後方に女子が二人でいつも喋っていて、窓際に数人、そして黒板の前にも同じ様に数人いるだけ。視線も感じなかった。
「なんもねぇじゃん」
さっぱり分からず首を傾げて、月森に視線を向けた。月森はにこやかに、唇の端を上げているばかりだ。
「それ、慣れてるだけだからね」
「悪かったって、里中。夫婦漫才と思ってここは一つ」
「私に言ってどうするの、月森くんも」
良く分からない因縁をつけられて、陽介はもう一度首を傾げる。
「なんだよ、もしかして里中、また俺にたかりか? 二人分もステーキ奢れねぇぜ?」
否、月森は自分に奢ってくれるとのことなので、千枝の分だけ済むということなのかも知れない。それならば構わないが、千枝にいつも集られているのは気になる。
「この絡みにくいのに、わざわざ、んなことせんわ! あー、雪子ー、早く戻ってきてー……」
拝み始めた千枝に、なんのこっちゃと陽介は肩を竦めた。紅いカーディガンが印象的な千枝の親友は、今は席を外しているらしい。
「って言うかさ、陽介、最近、寝不足なんじゃない? 確かに、つまらない授業で陽介が眠ってることって多いけど、何か、休み時間とかも眠そうだし」
「そ、か?」
ちらっと千枝の方を見ると、胡桃色の目は「知らない」と言いたそうに冷めている。
「相変わらず、お前って、良く見てるよな」
「悩みがあるなら、聞くよ?」
「悩み、ねぇ……。あぁ、あったあった。ちょっと聞いてよー、親友がぁ、急に『夫婦漫才』とか言い出して、チョー困ってるんだけどー」
わざとっぽく声のトーンを上げて、女子高生ちっくな言葉遣いにしてみた。
「このお馬鹿! その親友は、あなたともっと絆を深めたいから、そういうことを言ってるに決まってるでしょう!」
「えー? マジー?」
月森のキャラ付は良く分からなかったが、陽介はまだ、女子高生バージョンを貫くことにする。
「やめなさい、アンタら。それ、ホントに夫婦漫才だから……」
「まじで?」
珍しく月森がそう言うと、思わず千枝が吹き出した。
「爆笑女王ではなく、里中に受けたなら、イケる。陽介、漫才コンビ結成するか! ユニット名は主花で!」
「え、なにそれ。なんか嫌な予感がする名前……。却下で」
「何で!」
「却下な」
「ぶはっ! やめて、もうやめて! ひーっ、ホントこの夫婦漫才ヤだー!」
里中が天城ばりに爆笑しているのを見て、何がそんなに可笑しいのかと、陽介は独り、思っていた。
*
乳白色の中で陽介は手を伸ばす。
「今日こそ、正体見てやる」
月森の言う通り、ここの処、寝不足なのだ。原因はこの、靄。探そうと、近付こうとすると、途端に目が覚めてしまう。夜中に一度目が覚めて、頭が冴えて、それで直ぐに眠れる程に陽介の脳はお気楽に出来ていなかった。再び睡眠を取らないと、と思っても、冴えた脳は余計なことばかり考えさせる。
(この靄とテレビの霧、関係ねぇよな――)
真犯人は捕まえた。あの世界に愛されたと嘯いた足立透を捕まえて、もう、何も出てこない筈だ。けれど、二度あることは三度あるとも言う。
(終わってないなんて、もう、考えたくねぇよ)
確かに、テレビの中の世界は、スペクタクルだった。自分だってヒーローになれるのだと思ったし、田舎での退屈な日常から、眩しくて鮮やかな謎を齎してくれる『刺激』だった。そして同時に、自分は正義なのだと信じようとさせた場所でもある。しかし、それは、間違いだったのだ。
正義という言葉が目を隠し、ずっと盲目にさせていた。小西早紀の仇を取らなければ。これ以上、被害者を増やさない様にせねば。それらが、冷静な理性を奪った。結局、自分は、月森とは違うのだ――どうしてやはり彼がリーダーなのだと、陽介は確信する。最初に思ったことのまま。彼がいたからこそ、真相に辿り着けた。彼が道を違えなかったからだ。そうした経緯を踏まえ、リーダーとしての月森に心から敬意を表し、陽介はやっと、終わったことを素直に喜べたのだ。揺れていた感情に蹴りをつけて、改めて、ここに月森孝介がいてくれて良かったと思った。最早それは、揺るがない。だから、まだ終わっていないとか、他に何かがあって欲しい等とは、もう好奇心でも思わなかった。
指先が靄に触れる。それは皮膜の様に、指先が突き抜けることを許可しない。
「ちくしょ……」
(届け)
夢に出てきた影が女子高生だからと言って、欲求不満だなんて、最初から思っていやしない。けれどそこには何かがある。それは、陽介が望まないものかも知れないけれど。あるならば、その先を見たい。
「なんなんだよッ!」
声に震える様に、影が揺れた。振り向いた。陽介は、え、と間抜けな声をあげる。真紅の瞳と、目が、合った。影は微笑む。赤みの強い茶色の髪が、肩で揺れていた。どこかで見た様な、恐らく私立学校の学生服を着用している。胸元の紅いリボンが大きく印象的で、全体のカラーはブラック。都会的な色合いだった。
(耳にかけるタイプのヘッドフォンか)
それも紅い色だ。
影の唇が動き、空気が振動した。
「初めまして、花村陽介くん」
(う、えっ――?)
ぐるんと世界が回る。
「俺の、名前――!」
口に出した瞬間に目が覚めた。また天井が見えているだけ。思わず、机に手を伸ばして、携帯の画面で時間を確認した。時刻は午前二時。草木も眠る丑三つ時だ。
(丑三つ時って、どういう意味なんだ?)
覚醒してしまった頭で、ぼんやりと思った。