Just call her name -1

「は? ケーキ?」
 夜間に電話が掛かってくることは珍しい。特に、普段から余り電話やメールを好まない月森だから、益々意外だった。好まないかどうかは、本人が言ったことではないから定かでないが、少なくとも頻繁には遣り取りしていない。二人で話していても着信が来ている姿を見たことがないので、恐らくそうではないかと予想しているに過ぎないのだ。
『うん、そう。陽介の顔しか思い浮かばなくて、ジュネスは今からでも誕生日ケーキが用意出来たりとかしない?』
「そら、別にできっけど」
 専門店のケーキショップは閉まっているかも知れないが、食品売り場は遅くまで営業している。豪華なケーキはないが、閉店する迄はお客様の御要望にしっかりと応えられる様に、それなりに多種多様な物が用意されているのだ。ケーキ位、朝飯前である。
『じゃあ、用意してくれないか? 後で、御礼はするから』
「ちょい待ち、なんで誕生日ケーキよ」
 月森の誕生日にはまだ早い筈だ。陽介が首を傾げると、電話の向こうは丸で当然の様に言葉を紡ぐ。
『誕生日だからに決まってるだろ』
「だーから、誰の」
 無論、そんなことは分かっている。相手だ。
 月森の妹の様な存在たる菜々子が誘拐され、テレビの向こうに連れ去られた。ほんの、数週間前の話。あの幼い少女が、生天目の腕に抱えられているのを見て激昂し、彼女を奪還した。テレビの中に菜々子が入れられて、ほんの一日での出来事だ。今も病院に眠る少女のことが気掛かりで仕方ないのは、特別捜査隊の全員に共通していた。
(菜々子ちゃんの誕生日なワケねぇ。堂島さんってのも変だ。たしか、まだ、どっちもケーキ食えるような状態じゃねぇし)
 だとすれば、ケーキの行方が気に掛かる。もしも菜々子のだと言うのならば、それを夜遅くに望む月森の精神状態は、はっきり言って看過出来ない。
『教え子。誕生日なんだけど、家の人がちょっといなくて』
 しかし、齎された答えは拍子抜けする程に普通で、陽介は思わずベッドに腰をついた。夜に着メロが鳴って、少し不安になっていたのだ。月森に限らず、今、特別捜査隊の精神状態は不安定になっている。自分も同じく。だから、何かあったのではないかと思った。
「教え子って……あぁ、カテキョしてるっつってたか」
 天井を仰ぎながら、世間話の様な会話に安堵する。階下ではクマの声が響いた。母親ともすっかり親しくなっていたクマは、今日も騒々しい。
『そう、それ。誕生日なのにケーキもなしじゃ、淋しいだろ? まだ、中学生なんだ』
 家庭教師のバイトなんて、大学生がやるものだと思っていたが、中学生位ならば、確かに月森は相手に出来るかも知れないと思った。陽介では太刀打ち出来まい。
 少しだけ話を聞いたことがある。まだ菜々子がいなくなる前に、月森の弁当を半分食べながら聞いた話だ。最近ではめっきり、弁当も作ってこない。
(やっぱ、菜々子ちゃんのこと、堪えてるんだよな)
 その頃は、バカ話のついでに話していた。優秀な子供だが、頭が良過ぎるのかも知れない、と。それは嫌味ではないかと思ったが、誕生日と独りと言うワードから、何となく察した。成程、頭が良過ぎるとは。
「ふうん。可愛い子?」
 その頃は彼の教え子には興味がなかったが、月森センセイが入れ込んでいるのかも知れないとなれば、話は別だ。唇の端を上げて尋ねると、向こう側では笑顔なのだろうか、と窺わせる様な楽しそうな声。
『可愛いよ、懐いてくれてるから』
「へっへっへ、友よ、いくら可愛くても、中学生じゃ犯罪だぜ?」
『相変わらずだなガッカリ王子め。男の子でした、残念。それにさ』
「なんだ、男か。そりゃ残念だ」
 中学生はない、とそう言えば前にも言っていた。頭が良いと聞いて、何となく天城的な者を想像したので、少しばかり残念に思う。陽介は今でも、越えられるなら越えてみたい天城越え、なのだ。王子様がまず倒せないので、無理だが。
『お前は俺を何だと思っているのかな、ちょっと後で聞かせてくれる?』
「なにってなんだよ」
 親友だと思っているつもりだが、何が可笑しいのか。
『……分かってたけど、お前って本当……。まぁ、いいや。ケーキお願いして良い? ハッピーバースディだけでもプレートあると助かる。生デコ希望』
 控えめな様で、意外とがっつり要望を出してくるので、苦笑した。単なるスーパーの食品売り場には、生デコは用意出来ないのではないだろうか。勿論、ジュネスは別だが。
 生クリームが白くドレスの様に彩る、スポンジのケーキ。中に挟み込まれたクリームに、苺が入っている方が特上。フルーツ缶では、少し安価。
(……ま、安いのでいいか?)
「ってそういやサイズとか――つか、誰がいんの?」
『俺だけです』
 向こう側にどや顔が見えた気がした。
「だけってお前……バーカ、んなの淋しいに決まってんだろ、ちょっと待ってろ、そっちは二人なんだな?」
 ケーキに気が回るのに、二人で生デコなんて、余計に微妙な孤独感を煽りそうだということまでは、考えが及ばなかった様だ。
『え、ちょっと、陽介?』
「こういう時の為の仲間だろ? あ、もしかして、もう呼んでるとか?」
 言ってみて、だったら『俺だけ』発言と矛盾するな、と気付いた。
『呼んでない。言ったろ、陽介の顔しか浮かばなかった』
「頼ってくれてありがとさん。んじゃ、いつものメンツ呼ぶからさ、場所、どこだよ?」
『言って分かるかな?』
「せめー田舎なんだから、そんくらいわかっだろ。んじゃ、待ってろよ」
『えーと、じゃあ、お願いします。場所はメールの方が良いよな。送っとくよ』
「おう。万事、俺に任せとけ」
 相手には見えないけれども、片目を瞑る。プツンと通話を切って、携帯をズボンのポケットに。立ち上がって、いつも着ているファーのついた白いジャケットをハンガーから取った。
(まずはケーキの手配からか? えーと、ジュネス行ってから、電話――天城は里中から、1年トリオには完二から回させっかな)
 階段を下りていくと、ダイニングテーブルにクマは腰掛けて、足をバタバタとさせている。
「おい、クマ! ちょっと出掛けっぞ」
「ん? ヨースケ、どうしたクマ? こんな時間にクマとデート?」
 しゅたっと椅子から飛び降りると、クマはいつもの好奇心旺盛な真っ青の瞳をこちらに向けた。中学生と言えば、今のクマも容姿の年齢から言えば、近いかも知れない。背だけはひょろりと長い癖に、瞳の色が呆れる位に純朴だ。
「バカ! お前ってなんでいつもそういうネタばっかなんだよ! 今からジュネス行って、そっから……」
 と、ふと思う。自身の誕生日も知らないクマだ。そして、テレビの中では独りだった。大勢で何かやることに対しては、いつも初めてだとはしゃいでいる。
「そういや、お前、初めてじゃねぇの? 誕生日パーティーってヤツ」
 人差し指を顎に当てて、少し首を傾げた。
「誕生日パーティー? ど、どゆこと?」
 クマの目が、また爛々と輝く。
「月森んトコの教え子が、誕生日なんだとよ。今から、皆誘って行くんだ。お前も行くだろ?」
「もっちろん、行くクマ! 行くっクマ! 誕生日パーティー、白いケーキ、馬鹿騒ぎ、ワイン……!」
 飛び跳ねたと思えば、クマは陽介の腕に自分の細い腕を絡めた。細い、割に力がある。戦闘でも意外とタフだし、細い身体にも秘められた力があるのかも知れない。
(ってなんだ、厨二くせぇな……)
 花村は細いんだから、と千枝に言われたが、細くてもそれなりに力はついているつもりだ。月森と比べると、ちょっとアレだが。
「ワインはねぇからな」
 ともかく、修学旅行の悪夢が再び起こるのは勘弁したい。それに相手は中学生だ。当然、飲酒など有り得ない。
「楽しみクマねー!」
 陽介の話を聞いているのか否か、クマはぴょこぴょこと腕を掴んで飛び跳ねるばかりだった。
「へいへい、ほれ、準備しろよ。つぅわけだから、ちょっと出てくる」
 キッチンで洗い物をしている母親に片手を上げると、仕方ないわねと言う表情で見られた。夜間に出るのも、最近では慣れている様な気がする。高校生ともなれば、ということだろう。但し、喧嘩の様なことだけは御免だ、と言い含められていた。
「生デコに誕生日プレート、か」
 ベタだが、一番、誕生日には相応しいだろうなと思った。陽介は横で五月蠅いクマを剥がして、玄関に向かう。

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