dreamy flower dream

 蒼穹に吹く風は温かい。少し前には嵐のような強風がニュースでも話題になっていたのだが、今日は殊の外、柔らかい風がそよそよと吹く程度だった。前日までのこともあり、寒いかも知れないと羽織ってきたコートの中は、歩いている内に少しだけ汗ばんできている。煩わしくなりながら横を歩く人物を見れば、通常通り、グレーのジャケットのボタンが全開になっていた。前から思っていたが、前を開ける癖でもあるのだろうか。そんなことを思いながら横を気にしていると、つんのめった。危ないよ、と斎が即座に腕を引く。
「全く、陽介は変わらないな」
「うるっせー……お前も、よくフォローできるよな」
 サンキュ、と腕を解くと、斎はにこりと笑った。
「陽介のことは良く見てるから」
「お前も変わらねぇだろ」
「そうだな」
 女の子に言えば良いのに、と肩を上げても、聞いてくれないのも昔から変わらない。それが彼の気質なのだ、と言うことは、出会ってもう何年も過ごしているから流石に分かっている。
「見るなら、桜の方にしろ」
 仰ぎ見れば、正に桜色と言うに相応しい桜花が咲き誇っている。青い空にピンク色の花。コントラストが冴えていると思う程度には、陽介も風情を理解している。歩いていた道にはオフホワイトの辛夷の花が隣り合っている姿も見られて、成程美しいものとはそういうものかと思わされた。
「綺麗だな」
「ま、それはたしかに、だな。花見とか言い出した時には、いったいどうしたかと思ったけど」
 少なくとも、男二人で行おうと思うようなことではないだろう。
「花見は花見だろ?」
「だから二人でってのがおかしーんだっつの。何度言わせんだ。酒飲めるってワケでもねぇし」
 大学生にはなったものの、まだ成人してはいない。酒を飲むのは二十歳になってから、と斎は言っているし、陽介もそれを破ろうとは思っていなかった。規則は破る為にあるのだとかいう言葉も聞いたことはあるが、ロックやパンクな生き方をしたい訳ではないし、基本としては小市民なのだ。サークルに入ったり合コンをするのであれば、話は別かも知れないが。
「酒を飲むにしても、夜だろう」
「で、弁当か」
 斎の手には、白に桜模様が描かれたこの時期にジャストミートな風呂敷に包まれた重箱弁当がある。折角だからピクニックみたいな気分で、と態々彼が作ってきたのだ。ますますもって、本気の花見である。
「桜が見たかったんだよ」
 そうでなければ花見に誘わないだろう。陽介が、だろうな、と適当に返事すると、斎は眉を下げた。
「陽介と」
「……は?」
「初めて会った時には、既に桜は散っていた」
 例年と同じ、四月の頭には咲き誇っていた桜。それもすっかり散ってしまった頃に、陽介と斎は出会った。担任の無遠慮な紹介を胡乱に聞いていたのは、朝方の事故の所為で、翌朝もまた悲惨な目に遭っていたところを斎に助け出された。あれがもう、二年も前の話になっているのだ。
「去年は咲く前だったか」
 斎はこくりと頷く。
 例年ならばそろそろ桜も咲き始めるだろうという頃合いだったのだが、その年の春は寒かった。いつまでもいつまでも寒くて、まるで、彼がいなくなってしまうことを惜しんでいるかのように思った記憶がある。春が来なければと仲間内で戯れのように話したけれど、半ば本気で、だからずっと寒いのではないかと思わなかったでもない。見たいものだけが見えるテレビ――そこにいたからかも知れない。もしもそれがあの時に映ったならばきっと、斎がいつまでもここにいるという幻想を映しただろうか。
「そういや、これ、寄越してきたよな」
 陽介はジーンズのポケットからスマートフォンを取り出して画面を操作する。
「桜の写メ」
「保存してあるんだ」
「あぁ、まぁ……」
 携帯はこちらに出てきてスマートフォンに変えたのだが、前の携帯に保存してある写真はこちらに移してある。
「……そりゃ、キレーだったから」
 彼が去って、八十稲羽にも桜が咲き誇った。間近で見ていたそれらに勝るでもない携帯で撮ったような写真を保存しておく程の意味は実際のところないのかも知れない。貰い物だから、と曖昧に言うと、斎は嬉しそうに笑っていた。こういうことに喜ぶ性質だとは知っているが、居た堪れないので止めて欲しい。
「あーつか、だからそれってなんなんだって」
 スマートフォンを仕舞って頭を掻くと、斎は首を傾げた。
「去年、桜を見た時に陽介を思い出したから」
「もしかして、『花』村だからとか言う気か?」
「さぁどうでしょう」
 真意の窺えぬ笑みで人を煙に巻くのも変わらない。そんなことを言っている内に、目的地たる公園に辿り着いた。アパートの窓からも桜の花が見えたのだが、それらは大体がこの公園に咲いている桜であるらしい。それなりの広さがあるようだが、奥まで見ても桜色が広がっている。
「一緒に見たいって思った相手が今年は傍にいるんだから、誘うのは道理だろう」
「そういうもんか……?」
「来てくれて嬉しいよ」
 最終的にはその言葉に乗せられて来た感じもあるので、陽介としてはどことなく複雑でもあった。
 八十稲羽で進学して欲しいというのが、どうやら親の望みであるらしいとは思っていた。自由人なところもある両親だが、やはりまだ成年にも達しない息子を外にやるのはそれなりに心配もあるだろうし、それに、安価な労働力を失うのも惜しいだろう。受験で一時はバイトから離れていたものの、勝手知ったる場所であることは事実だ。それに、受験生であるにも拘わらず、人手が足りないとヘルプに出されていた苦い記憶もある。それなりに気分転換になるから良かろうとも思うが、容赦がないのでやや困っていた。昨日も母親からメールが着ていたので、心配という言葉も間違いではないのだろうけれど。そんな二人を振り切って東京に出てきてしまった。
 都会恋しという気持ちは一年でなくなったし、田舎での暮らしも不便利なところはあるが慣れてきている。友人も多く、今でもメールのやり取りをする相手だっていた。どうしてもと希望する学部もなければ、進学したいと思う大学があった訳でもない。ただいたのは、陽介にとっては唯一にして特別な友人くらいだ。だからと言って、漫然と出てきたのではない。自分の進路も考えて、それに沿って良いだろうと思う大学を選んでいる。東京であれば、そういう場合の選択肢は広かったので、それが重宝したという事実もある。
「結局、そう言ってもらえんのが一番かもな――」
「え? どうかした?」
「いやこっちの話。相棒は桜に映えるイケメンで羨ましいこって、ってな」
「あぁ、陽介も桜が似合うよ」
「……は?」
 一瞬また、花村だからか、とでも言いそうになった。視線を向けると、斎は、こっちだ、と手招きする。公園には老いも若きも花見に来ているようだったが、平日だった為か、それほどの賑わいはなかった。日曜日には桜祭りも開かれていたようだが、その時分には今のような満開の桜は拝めていなかっただろう。路上で見た桜は八分咲きだろうかと思ったが、今こうして上を見ると、満開のようだった。柔らかい風と、温かい日差しに花弁が揺れている。斎が手招いた先には人もおらず、丁度良いからここで昼食を、ということなのだろうと思われた。彼は重箱を下ろし、桜を仰ぎ見ている。今し方の言葉ではないが、何とも桜に映えていた。これで東京に戻ってからも恋人を作っていない、というのはどうにも嘘臭い話である。
(つっても、恋人がいりゃあ、俺と同居、なんて言い出さないか)
 八十稲羽でも有名なジゴロだったことだし、誑かしていることは誑かしているのだろうが、彼の好みの女子は出てきていないのだろう。
「ってかこの木、やたらでけぇな……」
「一番良い場所だろ」
「お前、この辺来たの初めてなんじゃねぇの?」
 迷わずに歩いていたので、まるで勝手を知っているかのようだった。
「下調べは当然。四季折々、花が綺麗な公園があるから、気に入ったんだよ」
「風流だな、お前ってヤツはホント」
 アパートには、予算や大学への距離等を考えて、斎が選んだ場所だ。そういうポイントがあったとは聞かされていないが、斎が満足そうにしているので、まぁ別に良いかと思う。言われた通り、周囲をぐるりと見回してみても、これ以上の桜は見当たらなかった。上へと伸びているというより、横に広がっているその木は、手を伸ばしているかのように広く桜を咲かせている。下へと伸びる枝は陽介の頭上どころか目線の距離にまで下っていて、そこにも漏らすことなくピンク色の花が付いていた。酒に酔って桜の木を折るという話を聞いたこともあるが、目の前にあればさもありなんと言うか、一本を手折って、部屋に飾っておくのも良いかも知れないと思わせる。立派な犯罪だろうし、そんなつもりは流石にないが、思わずそろりと手を伸ばしてみた。蕾もないし、正に満開だ。
「陽介」
「別に折ったりしな――ってうおわっ?」
 急にまた腕を引かれたと思えば、斎の腕の中にいた。河原で「泣きたいなら胸を貸すから」と言われたことがふっと蘇って、今、自分は泣いていただろうかと思ってしまった。危ない、と斎が呟いたので、危ないのはお前の行動だ、と数秒で冷静に返って心中で突っ込む。
「桜に攫われるかと思った」
「なんで、んな電波な状況になんだよ。さらわれねーよ、物理的に」
 テレビの中にならば連れ込まれるかも知れないが、と思ったが言わなかった。そう言わせないだけの強さが、今の彼の腕にはある。そうして、とくとくと響く鼓動も、彼が嘘を言っていないような確かさで耳に響くのだ。
「そういうのは、儚げな女の子に言いなさい。あ、でも、間違っても電波ちゃんはダメだ」
 何だかんだで話が飛んで、前世からの運命とか言い出されたら嫌だし。そんな相手では流石に相棒の恋人には相応しくないと思う訳である。
「夢見が悪くて」
 しかしそう思った陽介の発言はスルーされてしまったらしい。話を聞く気がないのか、と思いながら、陽介は頷いてやった。先程、周囲を見た感じでは、人は本当に疎らだったし、見られても即座に男同士で何やってるんだ、とは思われないだろう。体格差的に、ギリギリセーフだ、と思いたい。
「陽介がふーっと消えていくんだ」
「……桜の舞う中でか?」
 自分が消えるというのはまた、言われても想像し難い光景なのだが、何となく頭に浮かべてみる。シャドウが自分の中に溶けて消えた感じだろうか。それとも隠喩で実際には、身体が消えたのではないのかも知れない。
「違うけど」
「じゃあ桜に攫われてねーだろが。安心したか? 心配性のセンセイ」
 一人で仲間の元を離れるというのは、心理的にダメージが少なくはない。如何に剛毅な斎であっても、例には漏れないだろう。それだからこそ、頻繁に電話もメールもあったのだ。
 斎は特別だと言った陽介に対して、彼もまた、陽介は俺にとって特別だよ、と言ってくれた。離れていても変わらないとは思うけれどたまに不安になる、と東京に戻って少ししてから言っていた。陽介がこうやってまた傍にいようと思うことにも、それらが影響していないとは言えない。
「もう少し」
「あ、できるだけ早めにな。いつまでもこれやってっと、さすがに不審だから」
 来て早々、怪しい大学生とか噂が立ったら今後に支障が出る。ジゴロな相棒は困らないかも知れないが、こちらは地元でガッカリの渾名を付けられる程度なのだ。これ以上、女の子の寄り付かない生活では困る。普通の人付き合いにも問題が生ずるだろうし。
「続きは家で?」
「しねーよ! ……つか、変な夢、もう見てないだろうな」
 斎は直ぐには頷かなかったが、共に暮らすようになってから、魘されている様子を見たことはない。目覚めてからも普通にしているようだった。
「夢見悪いなら、えーと……アロマとかいいらしいぜ」
「陽介は良い香りがする」
 言われて思わず自分が抱き枕にでもされるようなイメージが浮かんだ。
「あーうん、ちげぇよ? アロマテラピーだぞ? ってかもういいか? そろそろメシ食いたいですセンセイ」
「もう少しダメ?」
「……あと一分だけだからな」
 何だかんだでされるがままだな、と思いながら、いーち、にー、と数え始めるとくすくすと斎は笑っていた。夢見がどうだとか殊勝な態度は嘘だったんじゃないだろうかと思ったが、それを聞き出せる程のスキルを陽介は持ち合わせていない。終局、敵わないのだとばかり思わされている。それでも良いか、といつも思いながら。

近所の桜が綺麗だたので花見させよー♪と思ってさせました。それだけです。
この設定おもしろいなーと思って続きました。

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