殉教者の炎


 アルヴィンは、ジュードがそれまでに出会ったことのない種類の人間であった。
 元来、ジュード・マティスという人は、信頼できる人間に囲まれて育ってきていた。両親、こと父親については、反目する部分もあったものの、医師としての腕は信頼に足り、結局、同じ道を目指す程度には、その背を見て育ってきた。レイア・ロランドは、ジュードと比較しても余りある程に、純朴な少女だ。良く言えば、純粋にして素直、悪く言えば、単純。疑うということを知らず、また、その結果が彼女の心を裏切るようなものであったとしても慈悲の心を損なわぬ少女である。
 医学校に進学した際も、ジュードは周囲の人間に恵まれた。人間関係は派手ではなかったものの、信頼できる友人を作り、教授からの厚意も得られている。順風満帆な人生だった。ジュード自身も、そうした周りの境遇に奢ることなく、得た信頼を返報することに努めていた。概して、ジュードの人生とは、そうした信頼の重なり、連なりによるものである。
 ミラ・マクスウェルは、その破天荒さとは裏腹に、芯の通った美しい女性であった。その覚悟と信念は、ジュードがこれまで周囲に見ていた、信頼に足るという言葉そのものであり、ジュードは成り行き上、彼女に付いていったという体を装いながらも、どこか、そうすることを必然だと感じてもいた。
 エリーゼにしろ、ローエンにしろ、ジュードは信頼できる仲間を得たと信じていた。しかしそれ以上に、出会い頭の甲板で己を、そしてミラを助けてくれたアルヴィンを、一方で胡散臭い、信用できないと感じる反面、その危うさに惹きつけられる、そういう何かを感じていたのも事実である。危険な男、ミステリアスな男がモテるという恋愛の極意を、ジュードは知らない。
 そのアルヴィンが、カラハ・シャールで行方を晦ました時には、やはり信用のできない男が去ったのだ、それだけである、と結論づけた。追おうなどとは微塵も思わなかったし、それよりも、足を負傷したミラのことばかりを考えていた。ミラは、ミラの意思は、そこで立ち止まるべきではない。元々、彼女が足を負傷した際には、これでミラは信念という名の化物に食い荒らされることがなくなったのだ、と安堵していたのだが、ミラの意思がそれを凌駕することを知ってからは、ならば、妨げとなるものを排除するのが己の道なのだとジュードは定めた。腹を括ったのである。夜光の王都を追われ、ただ、ミラと共に歩んできただけのジュードの意思としては、それは大いなる前進でもあった。
 レイアの手伝いもあって、ミラの足の治療は成功した。幼馴染には昔から、どうしても撚た態度になるのだが、彼女もお互い様だろう。レイアはミラには素直に助力し、ジュードと同じように、彼女に憧憬を抱いた。ミラ・マクスウェル――精霊の王は、尽く、人の心を惹きつけるだけの力が備わっているようである。
「ジュード、どうした? 考え事か?」
「あ、ミラ。今日のリハビリは終わったんだ?」
「うむ。もう足も満足に動かせるようになってきた。これならば、出立の日も近いだろう」
 ミラは足に装着された青く光る石を、酷く幸せそうに見詰めた。医療ジンテクスには激痛が伴うと言うのに、彼女の顔は喜びに満ち満ちているばかりだ。ミラにとっては、使命を果たせるだけの己の力を取り戻せたことは僥倖であり、それに伴う苦痛などは、瑣末なことなのである。ジュードはそんな彼女を知っている。時折、痛ましいと思う程度には。せめて、道を阻む敵は打ち倒したいと望む。彼女の苦痛がこれ以上広がらなければ良いと願う。
(信仰って、こんな感覚かな)
 ニ・アケリアの人々が、畏敬の念を込めてミラを見ていることを知っている。彼女という存在を知り、その旺盛なる食欲や、世俗への疎さを知り、同じ人のように、ミラを信頼の置ける仲間として考えているジュードのそれと、彼らの精霊信仰とは、やはり異なるのだろう。ジュードにとっては、良き友人でもあり、尊敬すべき精霊の主人であるという、二面がミラには見られる。いずれにしても、彼女と共にありたい、出来るなら果てるまで、と願うのは、ジュードにとって、至極当然のことであった。
「この頃、君は、物思いに耽っているようだが」
 真っ直ぐな目を持つミラの言葉は、誤魔化すことができない。一体どうすれば、この美しい眼差しを逸らし、偽ることができるのだろうか、とジュードは不思議に思う。
 けれど、それを簡単に行えるのだ。アルヴィンという男は。
「ちょっとね。皆、どうしてるかなって」
 エリーゼとローエンは、カラハ・シャールで善く過ごしているだろう。アルヴィンはどうしているのだろうか、と思う。傭兵だから、彼は、また別の雇い主のもとで働くのだろう。満足に支払いのできなかった、ジュードやミラのことを、どのように捉えているのか、ジュードは知らない。
 生まれが違うのだろうと思う。周囲の全てを信頼してきたジュードと、傭兵稼業などをするアルヴィンとは根本が異なる。
(だから、気になってた……)
 それでもジュードはアルヴィンを信頼していた。戦闘経験という意味においても、また、人生経験という意味でも。彼の知識は、一見すると軽薄そうに見える外見とは裏腹に、豊富なものであった。ジュードのそれが机上なら、彼のそれは、実践である。そうしたアルヴィンの様々な経験というものは、旅の途中に知っただけでも十分に信頼に値したし、元来、ジュードは人を疑うということを好まない。共に旅をするのだから、裏などないと思っていた。
 綻んだのは、キジル海瀑だ。ジュードは敏い。襲ってきた女性とアルヴィンとは浅からぬ因縁があることを、心のどこかで気付いていた。けれど、見ないようにしていた。過去の因縁は、今の仕事とは無関係。そう嘯くアルヴィンの言葉を信じたかった。ずっと引っ掛かっていたのは、正に、そこだったのにも拘らず。その人誰、と、一言いえなかったから、禍根を残した。アルヴィンは、目の前から去った。
 ミラを支え、ついに彼女が独りでも立てる程に回復した今になって、自分はあのどうしようもなく胡散臭い男を信じ、それを求めていたのだとジュードは気付いたのである。レイアとミラと三人、精霊の化石を捜し求めた時にも、危険が降り掛かった時には、アルヴィンの助けを期待した。ジュードにとって、アルヴィンは、頼れるナイトに他ならない。初めて助けてくれたあの日から、ずっと、その背を見てきたのだ。
 彼が、好きなのだ。
「ジュード?」
「また、皆に会えるかな」
「どうだろうな。ローエンとエリーゼは、挨拶に寄ろうと思うが――アルヴィンは」
 ジュードの行動を決めるこのマスターが、アルヴィンの心根というものを信じていないことは、誰よりも良く知っている。
(ミラはそれでいいんだ)
 ミラは、信じてはいけない。彼女の悲願の、使命に、アルヴィンが邪魔になれば、それを斬り捨てねばならない。それが彼女の覚悟だ。ジュードですら、己ですら、ミラ・マクスウェルは徹底的に信用してはならない。信念を抱いた者ならば、そうあるべきだ。
 ジュードは信じている。アルヴィンにはきっとまた逢えるだろう。共に旅をすることになるかも知れない。そうしたら、この胸に引き摺る影の正体を吐露し、それを以て愛の告白としようと決めていた。きっとまた逢えるに違いない。ジュードは信じている。アルヴィンが、己の気持ちを汲んでくれることを。己の信じる通りに、信頼できる人間だと示してくれるだろうことを。あの女には得られなかった、彼の誠意というものもきっと、自分にならば見ることができる筈だ。
 多くの女がきっと、そう信じて殉じたであろう想いを、信頼を、ジュードはそっくりなぞるようにして手に持っている。
「逢えるよ、きっと」
「そうか? 君がそう言うなら、そうかもしれないな」
 そうして願いを奉じた炎に焼かれても、ジュードは信じている。きっと、自分なら、と。
 それが彼の生きてきた道に他ならないのだ。

あるびんの彼女ヅラしてるじゅーどくんが好きです