晶ちゃんが台所に立っているのを見るのが好きだった。お母さんともお父さんとも過ごすことができなくなったとしても、そこに、家族が存在している。昌ちゃんのエプロン姿と、包丁を叩く音。じゅっと沸騰したお湯の音が聞こえると、私は火を消しに行く。
「ありがとう、陽毬」
「冠ちゃん、今日も遅いね」
「兄貴は相変わらずだね」
私がふふっと笑うと、昌ちゃんも笑う。昌ちゃんだけはきっと、冠ちゃんみたいにいなくなってしまわない。遅くなる時は遅くなるから、と連絡してくれるし、用事があったら、必ずそう言ってくれる。
「陽毬、味噌汁お願いしていいかな?」
「うん」
幸福に笑って頷けば、昌ちゃんも笑顔を返してくれる。昌ちゃんのいる台所が、私の家族だった。
異物が混入した、とは思っていない。恐らく私たちは誰よりも家族らしく、それでいてそもそも、家族ではない部分がある。昌ちゃんも冠ちゃんも、私を心配してくれるし、私の為にならば命を賭けてくれるだろうとも思う。けれど、無償の愛とか奉仕とか、どこか、偶像のように見えていたのだ。カタチだけ作っていればそれで満足するような。学校には行けなくても、勉強はしている。偶像崇拝。神様のカタチを作ってそれを信じる。宗教によっては禁じられているとも言う。カタチは偽物。
私の真実はどこにあるのだろう。
「陽毬、ご飯、よそっておいて」
私が昌ちゃんを手伝う、狭い台所。
苹果ちゃんが昌ちゃんの隣に立っている、違和感。
きっとそれは、お姑さんが、最初にお嫁さんに抱くような感情に近いんだ。家族の決まった形がどこにでも存在している。高倉家では、私か昌ちゃんばかりが台所に立っていた。冠ちゃんは出来の悪い息子ね、きっと。昌ちゃんは帰りが遅いって文句を言う。私は、冠ちゃんらしいなって思う。
「君は、彼女に嫉妬しているんじゃないかな?」
眞利先生が、診療室から出る間際の背中に声をかけた。彼女、と言うのが、今までの会話の中から、誰を指すのか分かって、振り向く。
「嫉妬……ですか?」
首を傾げた。眞利先生、それは違うよ。
家族の中に混入した者に対する違和感が。水の中に岩を投げ込んでしまったような。驚いた鯉が跳ねて、池の外に飛び出す。そんなことをしたら死んでしまうよ。
家族だから、冠ちゃんが、昌ちゃんが、心配。二人は私のことが心配で、愛しくて。
「妹だもの」
独りきりのリビングで呟いた。テレビは先程までWHが歌ってたけど、もう、見知らぬアイドルグループに変わってしまっている。あの輪の中にいた私は、今の私だったのかも分からない。
「昌ちゃん、もしかして、苹果ちゃんと一緒かな」
二人はお似合いだって冠ちゃんが言ってた。お似合いだよ、きっと。ピンク色のエプロンをつけて、苹果ちゃんは家族の中に溶け込んでいく。もう台所に私の居場所がなくても。
でも、私には冠ちゃんがいる! 冠ちゃんは私を見てくれる。冠ちゃんがいれば、家族のままで、残っている。ピンク色のセーターを着た冠ちゃんが。青い色は男の子、王子様の色。苹果ちゃんじゃなくて、私が選んで、私が作った昌ちゃんのセーター。
(違う。昌ちゃんは、冠ちゃんは、私の、お兄ちゃん)
「嫌だわ、早く、磨り潰さないと」
玄関のチャイムが目覚めさせる。現実を呼び起こす。渡されたお菓子は、お茶に合うかな?
知らない女の人が尋ねてくることは不思議じゃない。綺麗に巻いた髪は、本で読んだお嬢様のように見えた。見たことない制服を着てる。冠ちゃんは、大人の女の人が好きなのかな?
「すみません、また、冠ちゃんが何かしたんですよね?」
妹にまで当たる人は多くない。けど、謝らなければきっと収まらない。贈り物はいくらくらいなんだろう。冠ちゃんはたまに、高そうな物を持ってるけど、やっぱり贈り物なのかな。
スケコマシの冠ちゃんが、女の人と一緒にいても、女の人が押しかけてきても、いいよ。だって、冠ちゃんはお兄ちゃんだもん。そんなことで怒らない。きっと、この綺麗な人が家族になるって言っても、きっと、怒らない。
真実を知りたくない。
「勘違いはあなたの方でしょう? 本当の家族でもない癖に」
昌ちゃんと冠ちゃんとずっと一緒にいたい。家族だから。家族だって顔してでも傍にいたいよ。ねえ、守って、冠ちゃん。
(そのためなら、冠ちゃんを返してあげることはできない)
セーターを編んだのは冠ちゃんのためだったんだよ?
色が気に入らないって言われて、買い直して、それでも、冠ちゃんに喜んで欲しいから。私を助けてくれる、傍にいてくれる、私のナイトのために。
(青は私が選んだんだよ、苹果ちゃん)
返さないよ。家族になるって言って貰ったから。
返さない。私の家族を守るためなら、嘘でもそれを真実にする。
運命の人と離れないためなら。
晶陽いちおしでした。一人称文の苦手ぶりがわかる……