「良かったのか? 休戦状態とは言え……」
キャスターの討伐が優先され、他のサーヴァント同士は休戦状態になっている。これまでに剣と槍を交えた相手と、一時的にとは言え手を組むという状況に、ディルムッドも些かの困惑はあった。それが、最優の英霊と言えども、うら若き女性たるセイバーには更に複雑な心情なのではないかと思ったのだ。彼女の手にはまだ、ゲイ・ボウの疵が残っているということもある。
「そちらこそ」
しかし、ディルムッドよりも遥かに落ち着いた様子の彼女は、凡そ女性が纏うに相応しいとは思えない黒のスーツをきっちりと着こなし、その上で優雅にティーカップに手を伸ばした。金色の縁取りが、ほっそりとした指に映える。剣を扱うという彼女の性質上、戦いの上でのその指先は凛々しい。彼女はけして気にすることもなかろうが、例えばディルムッドのマスターの婚約者ソラウのような人を見ていると尚更、その勇敢さに敬意を表すると共に、深く、その生き様に思いを馳せるのだ。例えばそう、この紅茶を淹れて貰うだけの優美な貴族のような暮らしは出来なかったのだろうかと。
そう思ったから、招き入れたのではない。
夢と現とどちらかと――霊体に過ぎない彼らにとってそれは、揺らぎの大きい感覚だった。そこにいるということで、現実だと認識しても不思議はない。ディルムッドは知らぬ部屋のベッドで目を覚まし、夢なのではないかと部屋を歩いていたところ、ふと、少女との約束を思い出した。それは、現実には決して有り得ないだろう、茶を飲むというだけの平凡な約束。慌てて準備をして彼女を出迎え、今は休戦状態だっただろう、と現実での言葉を投げてみたところ、セイバーは頷いた。これは夢ではないか、とは問わなかった。
「美味しいですね。私は、紅茶に明るくありませんが、このように素晴らしい茶は、初めてです」
「確か、出身はイギリスの方だったな?」
えぇ、と、セイバーは穏やかに頷く。
「それでは、やはりそういう血なのかも知れない。我が主も、紅茶は好まれていたようだからな」
口にしてみて、彼女は自分の主であるケイネスのことを知らなかったということを思い出した。全く知らないということはなかろうが、出自までは詳密に知るまい。けれどもセイバーは深く追及することもなく、そうですか、とぽつりと漏らすだけだった。主はケイネスであったのかソラウであったのか、記憶が曖昧に揺蕩っている。
「時間がないから大した物は用意出来なかったが、パウンドケーキは口に合うか?」
「とても美味しいです。これはランサー、あなたが?」
黄金色に輝くパウンドケーキは、純白の皿の上に切り分けて並べられてある。その一つが、彼女の取り皿の上、半分程に欠けている。セイバーは銀のフォークでケーキを指しながら、口元に笑みを浮かべた。
「色々と雑務には慣れていてな」
「そうですか。あなた程の騎士が……」
「生憎、王たる君とは違ってね」
セイバーは複雑な眼差しでディルムッドの方を見た。確かに料理は出来ませんが、と零す。
「いや、騎士としてではないが、逃亡生活が長かった。それも、貴族の姫君とだ」
自然と料理には慣れてくる。愛を選んだディルムッドだからこそ、姫君の顔を曇らせるような真似はしたくなかったし、相応しい物を食べて欲しいと、腕を磨いたのだ。現世では可也勝手が違うものの、知識さえあれば後はどうとでも補い得る。調達出来る材料や時間に限りがなければ、もっと、アーサー王に相応しい茶菓子も出せただろう。
「それに、手ずからの料理を食べて貰うというのも、幸せなものだろう」
セイバーは一瞬ぱちくりと瞬きをすると、口元に右手を当てた。
「あなたは可愛い人ですね、ランサー」
そうしてくすくすと笑う。
「茶化すな、アーサー王」
すみませんと言いながらも、セイバーはまだ笑っている。やれやれと腰に手を当てて、空を仰いだ。キャスターの禍々しい凶状とは似付かわしくない、非常に整った青い空が広がっている。太陽の光が目に眩しかった。
「聖杯戦争の最中、こんな、平和な一刻があるものか、と」
「セイバー?」
「ティータイムをありがとうございます、ランサー。私の出身がイギリスにあると知って、ですか?」
「名にし負う英霊アルトリア殿のことだからな」
「輝かしいものばかりではない」
セイバーは深く溜息を吐いた。ふと、彼女は何を糧にこうして現世に現れたのだろうか、と思う。忠誠をとそれだけを願うディルムッドのそれとは異なり、何か願いがあるのだろう。取り立てて聖杯に興味がないディルムッドからすれば、もしも聖杯を手にするに相応しい人がいるなら、とどうしてもこの騎士の英霊のことを思うのだ。高潔で清廉な彼女にならば。
「あなたも席につかないのですか?」
「今日は君が賓客だからね」
「茶とは一人で飲むものではないでしょう。招いた主が座らずにどうするのです」
「そこまで言われては――」
給仕役のつもりだったが、彼女の好意を受けて、ディルムッドも椅子に腰を下ろした。伏せてあった白いティーカップをひっくり返し、ティーコゼーを取り上げて、まだ熱を保つティーポットから紅茶を注ぎ入れる。ふわりと紅茶の香と、白い煙が立ち上った。
「不思議ですね」
セイバーはティーカップを右手に持ったまま、窓の外に視線を向けた。真っ直ぐに向かうその視線の先には、倒すべき敵の浮かぶ湖面があるとでも言うように、凛とした眼差しで見ている。
「こうしてお茶を飲んでいると、不思議な感じがする。あぁそうです、本来、あなたと私は出会う定めになかったからでしょう」
「英霊でなければ?」
そうです、とセイバーは振り返って微笑んだ。
「出会う筈のなき者が出会った。私とあなたも、例えば、あのキャスターたちも、あなたとマスターも。それなのにまるで、旧知の友であったかのように思う。前にもこうして、お茶を飲んでいたのではないか、と」
「分からないでもない」
引き合わせるものを感じていた。巡り合わせとも言えるかも知れない。出会うべき定めになかったのではなく、出会うべき星の下に生まれたのではないかと思うのだ。
「もしそうならば、」
セイバーは言葉を区切った。瞼を閉じる。
「……やめておきましょう。休戦状態とは言っても、敵同士だ。私は私の願いの為に、聖杯を得なければならないのだから」
「この槍は、主に誓っている。同じことだな」
彼女は微笑み、パウンドケーキにフォークを伸ばした。一口大に切ると、優雅に口へと運ぶ。
「……やはり、おいしい」
「騎士王の口にあったかな?」
「おいしいです、ランサー。あなた、このような才があったのですね」
言うなりセイバーは、皿に残っていたパウンドケーキを直ぐに口内に押し込んだ。ぎょっとしているランサーを尻目に、ほっそりとした手はフォークを持ち、獲物を狩るようにグサリと大皿に乗ったパウンドケーキを突き刺すと、自分の皿に乗せた。一つで済むかと思えば、もう一つ、更に、と合計で三切れも皿に乗せるので、これには流石にディルムッドも驚いた。口に入るように半分に、申し訳程度に切り分けると、ぱくぱくと口に運んでいく。
「せ、セイバー?」
無言でセイバーは手を動かす。遂には取皿の上が空になったところで、またフォークを大皿に伸ばした。ぱっとスカイブルーの瞳がこちらを見る。大皿にはまだあと、三切れ残っていた。
「た……食べて構わない」
「ありがとうございます」
ほっそりとした外見故に、意外なほど旺盛な食欲を見て、ディルムッドは何も言えないでいた。作った分を全て皿に乗せたのだが、全て平らげるとは思っていなかったのだ。それが、セイバーの皿に移されるとみるみる無くなっていく。食欲A+か、などと下らないことを思わず考えてしまった。
「セイバー、その……」
「ランサーあなた、嫁に来ませんか?」
「は?」
「毎日味噌汁を作って欲しい――この国には、そのような口説き文句があるのだとアイリから聞いています」
「味噌、汁……」
「あなたは和食に嗜んでいないようだから知らないのかも知れませんね。スープです」
「知識としては有しているが」
発言が飛躍しているような、飛躍していないような。しかし何かがおかしいということだけは、ひしと感じる。
「ぱ、パウンドケーキくらいなら、また作ろう」
「本当ですか」
少女の青い目が輝いた。
「だから、その、何だ……嫁というのは」
「言葉通りだったのですが。まぁ確かに、いきなりプロポーズでは性急でしたね」
「セイバー、わざとやっているのか?」
「何がです?」
チャームには抗えるのに食欲には抗えないのだろうか。思わず、そんな下らないことを考えてしまった。
「さて、ケーキも紅茶もなくなりましたし、そろそろお暇しましょう」
「大した構いも出来ず、すまなかったな」
「いえ、あのケーキは秀逸でした。是非また機会を見付けて」
食べに来る気満々なのか、とディルムッドは流石に少し呆れた。セイバーは立ち上がると、じっと青い瞳をこちらに傾ける。
「出来るなら、平和な世で会いたかった」
「セイバー」
「感傷か……こんなものがあるから、私は王として未熟なのだろうか」
セイバーはいつも剣を握る右手を見詰めた。細い指、手首、腕、丸い肩のライン。美しい黄金の髪。
(この小さな身体に、国が凭れていたのか)
それはどれだけ辛いことだったろう。苦しい生涯だったろう。それでもまだ、彼女は王として前を見ている。それを誇りとして胸に抱く。
「キャスターを倒したら、今度こそ決着をつけましょう、ディルムッド・オディナ」
頷くと、セイバーは背を向けた。
(せめて、騎士としての誇りを汚さぬように戦うだけか――)
彼女が英霊などでなければ、自身に殉ずべき忠義がなければ、きっと、彼女の感傷に自分も頷くことが出来たのに、と、ただそれだけを思う。
ディルが好きです。あとは時臣さんが好きです。