事件が無事に解決して、幼い子供達も無事に解放されて良かった。神戸自身も病院で軽く検査は受けたものの、異常なしとの太鼓判を押して貰って、安心したのである。顔の傷だけは直ぐに治らないけど、と、看護師の女性に残念そうに言われたが、これは、名誉の負傷とでも言うものだ。
「ま、新年から、無事事件解決って、なんか幸先良い感じだよね」
「新年早々、事件に巻き込まれているんだろう」
監察官にして友人の大河内はいつも気難しそうな顔をしているが、今日は眉間に皺を思い切り寄せている為余計に気難しそうに見えた。それも別段珍しいことでもない。神戸が事件に巻き込まれる度に、いつも言葉には出さないまでも気を揉んでいるらしいのだ。今回の事件でも「大河内さんが随分と心配されていた様ですが」と直属の上司から聞き及んでいる。デスクワークには慣れているのだろうが、あの大河内がまさか徹夜で資料に当たってくれる等とは神戸にも予想出来なかった。今までにもそういうことがあったのか、うっかり聞きそびれてしまった程度には驚いた。
(大河内さんに直接聞くと嫌がりそうだから止めておこうっと)
無事に解放されたときにも角田を通して直ぐに言葉を交わした位だ。全く以って心優しい良き友人である。
その時の約束通りの1月3日。まだ三ヶ日と呼ばれている中で早速相対したのだが、大河内は「怪我の調子は」と一言聞いただけだった。全く彼らしいので神戸は笑い、お陰様で五体満足です、と笑って見せた。そもそも無事だとも確認しない内から、早速初稽古の約束とは流石鬼の監察官殿である。
「というか、右腕を折っちゃいましたーなんて言ったら、どうするつもりだったんです?」
そんなヘマしませんけど、と付け加えると、眉間の皺がまた深くなった。誘拐事件で拳銃所持とは確認されているが、体術でならば神戸が遅れを取る様なことはまずない。折られる可能性は低いだろう。大河内は気難しい顔のまま、ノーコメントだった。無事だから大丈夫だと単純に思ったのだとすれば、大河内らしからぬことだなと思う。若しくは寝不足で頭が働かないのかも知れない。
「ところで、僕がまた勝っちゃいましたけど、どうしましょうか?」
言外に今宵のワインのことを匂わすと、大河内はついに眉間に中指で触れた。
「分かっている」
「ご馳走になりまーす」
にこりと笑って神戸は立ち上がった。剣道は嫌いでないが、汗臭いままでいるのは些か気持ちが悪い。さっさとシャワーを浴びて着替えてしまいたいと思うのだ。
剣道がということもあるが、大河内との手合わせは神戸も好んでいる。ワインを賭けてというのも、結局は単なる飲みの口実に過ぎないのだ。気の置けない友人でもあるし、事件のことで衒いなく話すことも出来る上に、上司のことも知っているから愚痴を零しても聞いてくれる。つまり絶好の飲み相手なのだ。正月三ヶ日からでも誘いを受けて構わないと思う程度には。寧ろ、今なら事件の話も出来て好都合だった。
「本当に、怪我はなかったんだな」
首に掛けた白いタオルを両手で引っ張る様にしていたら、背後から呟く声が聞こえたので振り返る。
「だから、病院で見て貰ったんですって」
「銃口を向けられたと聞いた」
「あぁ、それですか。銃が額を撃ち抜いてたら、そもそもここには来られませんって」
額でなく四肢でもね、と右手を軽く振った。
「大河内さん、結構、心配性?」
杉下に至っては怪我の心配等は露程もしてくれなかった。それでも「今年もよろしく」と言って貰えて、それだけで十分に嬉しかったのでそれはそれで良いのだ。神戸は寧ろ喜んでる。丸で本当の彼の相棒になれた様に感じられた瞬間だったから。
「それより早く、シャワー浴びた方が――」
言い掛けたところで、iphoneの呼び出し音が聞こえた。お互いに緊急の連絡がないとも限らないので、神聖な道場とは言っても携帯電話は近くに置いてある。唯でさえ厄介な事件に巻き込まれがちな特命係だ。新春から呼び出されたとしても、不思議はない。
(だからって、本当に杉下警部からだったら、ぶっちゃけ嫌ですけど)
不思議はないが、新春のこの時期位は休ませて欲しい。そう言っても犯罪に時期も季節もありはしないから仕方ないのだが。
「あれ、メールだ」
杉下はメールをする方ではないし、とすれば呼び出しではないのだろう。一応大河内の方をちらっと見ると、視線を逸らされてしまった。どうぞという合図なのだろう。大河内の了承も取れたので、神戸はメールを呼び出した。
「あぁ、加奈ちゃんか――」
つい共に事件に遭遇した利発そうな少女の顔を思い出して頬が緩んだ。文面は小学生らしからぬ非常にしっかりとしたもので、丁寧に事件の時に助けてくれたことへの礼と『ルーク』についてが触れられていた。
「かなちゃん……?」
「ほら、僕と一緒に誘拐された女の子。最後に警察に電話をしてくれた子ですよ」
「島村加奈か」
良く記憶していらっしゃるなと思ったが、上司の記憶力はその数段上を行くことも忘れてはならない。
「その子がどうしてお前にメールをするんだ?」
「僕ら友達なんで」
「は?」
「いやほんと、あの子がいてくれて助かったよ」
思い出して神戸はうんうんと頷く。勇敢なルークの少女がいてくれたお陰で、現金輸送車強奪という暴挙を止めることが出来たのだ。爆弾の方は爆破しない様になっていたらしいが、それにしても子供達を危険な目に遭わせなくて良かったのだからやはり彼女の功績は大きいだろう。神戸は彼女の頭の回転の優秀さを非常に買っていた。加奈にならばメールアドレスを教えたとしても、悪用されたりすることはないだろうと思ったのだ。蓄光の青いルークを上げたのと同じ様に、少女のこれからへ些細なお守りになってくれれば良いと思って伝えた。
「何と書いてあるんだ?」
「えーと、『先日はありがとうございました。神戸さんのくれたルークのおかげで、暗い場所もこわくなくなりました。みんなを助けてくれて、はげましてくれて、本当にありがとうございました。私もいつか、神戸さんみたいにりっぱな警察官になりたいと思います 加奈』だってさ」
「お前は……」
大河内はそう言うと、額に右手を当てた。
「文面だけでも、頭の回転の良さが伝わってくるでしょ?」
自分の手柄でも何でもないのに誇らしくなって少々得意げに言うと、大河内は頭を左右に振った。
「あれ、呆れてます?」
「簡単にアドレスを教えているのか、お前は……」
「簡単じゃないですって。信頼した友人だから特別に。流石に、良太にまでは教えてないし」
「――良太?」
「平野良太。一緒に捕まってた、ほら、朝比奈警備の会長の孫息子」
最初こそ頼りにならないかと思ったが、通風口から出ようとした時には力強さを感じさせた。やはり祖父と同じ血が流れているだけはあるのだろう。あの状況でも良く耐えていたと思うし、一般人にしては冷静だった。色々と話してみたら案外と喋り易かったので、あの様な場でなければ彼とも友達になれたかも知れない。
「あ、そういえば、良太からも特命宛てに電話があって、奥さん、無事に元気な子を出産したそうですよ――って、その話、大河内さんにしましたっけ?」
ふるふると首を振るので、彼の境遇や奥さんが予定日間近だったのだという話を簡潔に話したが、大河内はぴくりとも動かなかった。これには神戸も、ちゃんと聞いているのだろうかと首を傾げてしまう。
「勘当されたと思っていた会長も来てくれたそうですよ、めでたしめでたし……あれ、大河内さん? どうしたんです?」
撃沈した様に大河内が額を押さえたまま目を閉じて動かないでいるので、神戸はまた首を傾げた。
「心配して損をした」
「へ? 何でそんなこと言われてるんですか、俺?」
「お前は昔から、」
「あ、心配してくれてありがとうございました、大河内監察官」
顔を上げて小言でも言い出しそうだったので、先手を打つ様に神戸は微笑んだ。
「自分の心配してくれる友人がいてくれるのって、良いですね」
大河内は言葉を奪われた様に黙ると、深々と溜息を吐いた。
「もう良い。早く上がって、ワインにするか」
そう言って立ち上がるとシャワールームにすたすたと歩き出す。
「今日は何にしようっかなー」
後を追いながら神戸は歌う様に今夜のワインのこと考えた。
「あ、やっぱり、銃口向けられるのって嫌ですね。死ぬかと思っちゃいました」
あの時は神戸も割と真剣に命の危機を感じていた。
「全く、気を付けてくれ、本当に」
「ま、刑事ですからね。多少の危険は仕方ないですよ」
「……それと、何かあったら、俺にも連絡をしろ」
「携帯取り上げられてたんですってば」
「連絡しようという姿勢位見せろ。お前は何かと杉下右京ばかりの様だが」
「そんなことないですよー」
上司だから直ぐに連絡をと思うだけで他意はない。そう言っても大河内の眉間の皺が減ることはなかった。
ラムネさんがかんべくんのことすごい気にしてるのが好きです