直接容疑者に聞き込みを行いに向かった後輩たちを見送って、安形は会長椅子の背凭れに倒れ掛かった。
「椿ちゃんたち、大丈夫かな……」
安形の右斜め前で不安げに彼らが去っていった方を見詰めるミチルに「大丈夫だっての」と、軽く右手を振ってやる。まだまだ頼りない三人組ではあるが、彼らだってやるときはやる、と思いたい。
(まー聞き出し役にゃ、ミチル以上の適任はいねぇからな)
常からそれを、ミチルも安形も(そして恐らく後輩三人も)理解している。だからこそ、自分が関わらないでいることにミチルは不安を隠せないのだ。かと言って、今回ばかりはミチルにその任を当たらせる訳にはいかない。あの空気が読めない椿でさえ、言葉に出さずともそれを弁えているのだ。
「やっぱりオレも行った方が良かったかな」
「だから、おめーが行っても仕方ないっつてるだろーが」
「とは言うけど、態度が出てくれるなら逆に分かりやすいだろ? 容疑者が上手に隠そうとする、って意味だったら、生徒会の誰が行ったって同じだろうし」
結局、彼らが料理教室の件で捜査を行なっているだろうことは、三人で行動する時点で知れたことだ。ミチルは髪をくるくると人差し指に巻き付けながら、的を射た発言をする。
「安形、もうわかってるとか?」
「情報が少なすぎだ。解が出せるほどなにもそろっちゃいねーよ」
「そんなこと言って、いっつもわかってるからなあ」
ミチルは腕を組んで、フイと顔を背けた。そんなことも何も、情報量が少ないのは事実だし、現時点では安形にだって、彼に解を教えてあげることは出来ないだろう。任せたと言いながら、安楽椅子探偵のように考えてしまっている気はしないでもないが。ミチルはくどくどと、安形に推理小説を貸すと最後まで読まずに返すんだから、と文句を綴っているが、最後まで読まずとも答えが分かるのだから読む必要がない。読むのだって面倒なのである。分かっていることと言えば、表面上はいつもと変わらないこの友人が、内心は深く傷付いているのだろうということくらいだ。何か適当な話題で和ませてやりたいのは山々だが、生憎とそれは、ミチルの得意分野だった。ガシガシと頭を掻いて、何とか真っ当な話題を引き摺り出そうと試みる。
「あー……何か、甘いもんでも食いたくなるな」
「どうしたんだよ、急に」
「無駄に頭使ったからな。おめーならお菓子でも持ってんじゃねぇのか」
「あるよ」
適当に話題を振っておいて難だが、本当に持っているのかと安形は肩を竦めた。
「貰い物で悪いけど」
自分の席でカサカサと鞄を漁ったミチルは、ピンク色のリボンが結ばれたマドレーヌらしきものを取り出して微笑んだ。
「……どこで貰った」
「昼休み、廊下で」
「ちげーよ! 相変わらずだな、ったく」
自らの事件で騒がれているというのに、呑気にプレゼントなどを貰っている場合ではないのではなかろうか。積極的に捜査に協力しない、というスタンスの安形が指摘するのも難だとは思うが、ミチルのこののんびりとした態度にはもはや驚きも呆れも通り越してしまう。これだから、内面があまり悟られないのだ。
「お気の毒に、っていろいろ貰うんだよ」
あはは、とミチルは笑う。
「食べ切れないから、安形にもお裾分けしてあげてもいいよ」
普段ならミチルも、貰った物は簡単に手放さない。そう言わせるだけ、何かを受け取ることも多いのだろうし、その分、余計に疲れてもいるのだろう。
(ミチルは、人に恨まれるタチなんかじゃねぇ)
基本的に気を遣ってばかりで動いているし、女の子には等しく優しい。男にはこれといって特別なことはしないが、恨みを買う言動もなかった。ナルシストな発言はあるが、実際、ミチルの発言の通りであるので、持ち前の性格も相まって、嫌味にすら聞こえない。だから、自分の所為だなどと思うな、とは本心から言った。浅雛だって、ミチルが恨まれて今回の事件が起こったなどとは思わないだろう。彼女の態度は常からクールだが、彼女なりにミチルには敬愛を持っていることを安形は良く知っていた。真っ先にイタズラだと斬り捨てて、事件の捜査にも積極的に協力しているくらいだ。ただ、どんなことにも絶対は有り得ない。脅迫状が届いていることも鑑みてみれば、真相がミチルにとって決して優しくはない、ということは十分に考えられた。だからあまり、安形は真相解明に乗り気ではない。真実を知ることが必ずしも幸せであるとは限らないのだ。
「それじゃ、半分」
しゅるっとリボンを解いて、ミチルはマドレーヌを二つに割った。見ていて何となく、渡した女の子の気持ちが半分に割れたようにも感じる。その半分を会長椅子まで持ってきて、ミチルは窓際に細い背中を預けた。
華奢な体躯の通り、ミチルは荒事には一切向いていない。平和主義者だし、拳でよりも言葉で諍いを収めるタイプだ。ただ、言葉が通じない相手も世の中には少なからずいるし、今回の犯人が荒っぽいことを既に行なっているということもある。もし、ミチルへの悪意があるとすれば、彼に牙を剥くという可能性は十分にあるのだ。そういう心配も少なからずあるので、容疑者との対話に向かわせたくない。ターゲットでなければ直接攻撃されることがないだろうと思えばこそ、不安が残る後輩たちに、容疑者からの聴取を任せたのだ。
「うん、美味しい」
「そうか? お前の作ったモンの方が――」
「安形!」
貰い物に失礼だろ、とミチルは眉間に皺を寄せた。
「あー、なんだその、たまには菓子でも作ってこい」
「オレが?」
「料理教室なんてしなくても、ここに作ってくりゃいいんだよ。めんどくせぇこともねぇしな」
「それは関係ないだろー」
ミチルはくすくすと笑った。
(もしくは)
学園の貴公子、校内で一番モテる男。常に校内の女子からは騒がれているが、ただの一度も恋人を作ったことがない。誰にでも優しいし、公平公正平等だ。安形はアイドルというものに精通している訳ではないが、それが、誰か一人のものになってしまわないところに価値が見出されている、というのは何となく分からないでもなかった。もしかしたらという甘い、そして淡い期待が、渦巻いている。ミチルを好きだと考える『誰か』が、その奇妙な執着から、料理教室を破綻させようとするということも、十二分に考えられるのではないか。そうも思えた。
(それはそれで、知らせるのも癪だな)
どうせ安形の想定の何倍もモテるミチルのことだ、ちょっとした好意なんて知らなくても問題はないのではないだろうか。そんな稚気がふと芽生えた。
「……あんまり気にすんなよ」
「平気だよ、オレは」
にこりとミチルは笑う。彼はほとんど弱音を吐かない。いつも横でにこにこ笑っているばかりだ。それを言えばきっと、「安形だって弱音なんか吐かないだろー?」とでも言って、また笑うのだろう。
「それよりさ、料理部の子たち。会計のことはともかくとして、せっかく楽しみにしてくれていたのにね」
自分のことよりも女の子を優先する姿勢には、友人として思うところがないでもないが、ミチルがそちらを気にするというのであれば、安形としても何か考えたいところではある。ミチルの予定が空けられるのは一日で、家庭科室のスペースから希望者全員を収容することは不可能。
(これに関しては考える間でもねーか)
問題が収容人数だけということであれば、手は打てる。浅雛風に言うならば、そう、MMKだ。この生徒会の非常に悪い点は、いざとなったら会計頼みなところだろう。
「……ありがと、安形」
ミチルは、これでプラマイゼロかな、と伸びをしながら微笑んだ。だからってエレガント・クッキングのことは忘れないからな、と釘を刺すのを忘れずに。
「由比ちゃんがオレのこと好きだったなんてねー」
クック・シェル事件は無事に解決し、生徒会にも開盟学園にも平和が戻ってきた。最初から、ミチルが恨まれたための犯行ではないだろうと踏んでいた安形ではあるが、途中から気付いた、学園の高嶺の花的な女子、由比涼子による犯行であり、彼女がミチルに好意を寄せるがゆえだったと知ってからは、安堵したものの複雑な心持ちではあった。料理教室の問題も、そもそもはミチルと料理をしたいという人間が多すぎることが問題となっているわけで、遥かに今更ながら、安形が身体を預ける会長椅子の隣で伸びをしている友人が本当にモテるということを実感せずにいられない。
「全然気付いてなかったのか?」
「うーん、由比ちゃんとはクラスも選択も違ったって言ってただろ。話したこともほとんどない。もちろん、顔とか人となりは良く知ってたよ? 由比ちゃんも結構、有名人だしさ」
学年で一、ニを争う人気の美人だ。ミチルに限らずとも広く顔は知れている。安形だって、その噂は聞いていたし、違わぬ美人だなと改めて思った。ミチルと並ぶと、正しく美男美女。見目麗しいと美森がほうっと溜息を零していたが、その気持ちもわかる。
(揺らいだようにすら見えねぇのな)
由比涼子はとびきりの美人だ。ミチルはほぼ面識がないと言うけれど、気立てが良いのも知っていて、好きだと言われたら少しは躊躇するのではないだろうか。安形だって、彼女が好きだと思ったことなんてないけれど、立ち止まってしまうと思う。どうしようかと自問自答してしまうだろう。ミチルにはそれがない。傍から見ていても、ミチルが彼女の告白に心を動かした気配などは感じなかった。いつもとおんなじ、ありがとうとごめんねの二つの返事だけが頭に浮かんでいたのだろう。
ミチルはある意味ではひどくクールに、前髪を弄っていた。
「誰も彼も好意を抱いているわけじゃないって、オレは思ってるんだけど」
嘘つけ、と口には出さずに思う。ミチルはだいたい、好かれているのだ。安形だって嫌われてはいないけれど、ミチルは好かれている。男でも、女でも、老いも若きも。それもそうだろう。容姿は万人受けする美しさで、物腰は柔らかくて温和で、誰に対しても基本的に優しい。
(ニブイのか)
女子が騒ぐのを当然と受け取るくせに、自分が魅力的だと知っているくせに、個別的な好意を把握していない。単に、把握しきれていないだけなのかも知れないが。考えてみれば、ミチルから恋愛についてなんて聞いたことがない。常日頃、愛がどうだのと言うわりに、ミチルには『好きな人』がいないのだ。高校生らしくない。やっぱり、変にアイドルじみている。
由比ではダメなのかと聞いてみたい気持ちではあったが、その物言いは多くの方面に失礼だろうと安形は口に出さずに留めた。
「それにしても、やっぱり安形はすごいなー。よく真相がわかったよね」
「難しいことじゃねぇよ。条件整理して当てはめるだけだ。由比の好意も同じ」
「はは、なんかひどいな、それ」
「オメェが、勝手に絞ってただけだろ。自分への悪意から犯行があったって、決め付けてるから間違うんだよ」
ミチルはこちらを見つめると瞬きした。
「オレが間違えなかったのは、はなっからそういうことじゃねぇってフラットに思ってたからだろ?」
「……偏見?」
「言い換えりゃな」
「普通、あんな事件が起これば穿つよ」
「されるヤツじゃねぇって知ってんだよ。だから言っただろーが、変に責任感じんなって」
ミチルは不満そうに眉根を顰めた。
「安形はズルイなあ」
「なんの話だ」
どきりとして肩を上げると、そこが安形のいいとこなのかもね、とミチルは微笑んだ。
由比に、エレガント・クッキングの映像を見たか、と安形は去り際に尋ねた。ミチルはどうにも執心しているらしいあの失態ではあるが、安形の観測によれば、あの映像の後にミチルの人気に翳りが生じたとかファンが減ったとか、そういう影響は一切ない。むしろ、色めく悲鳴は増えているような気がするので、エレガント・クッキングのことでミチルに責められるのはお門違いなのではないかと稀に安形も思うのだが、彼のファンは良く知らないにしろ、由比が如何様に思っているのか単純な興味と好奇心で聞いてみたところ、由比は綺麗な笑顔を浮かべてこう言ったのだ。
『榛葉くんがお酒に弱いなんて意外で、すっごく可愛かった』
果ては、私も酔わせてみたいと来たものだ。絡まれて散々な目に遭った安形の苦労など、誰も知る由がないのである。ズルイとは、安形がミチルに対して贈ってあげたい言葉だ。
(まあ、ミチルがそう言うのも外れてはいねぇな)
由比のその言葉も観測した出来事も、安形はミチルに告げていないし告げるつもりはない。ミチルはずっと、エレガント・クッキングのことでは憤慨しているのだろうし、アサリの酒蒸しを毛嫌いするのだろう。それでいいと思っていることを、ズルイと評されても仕方ないと思うのだ。
クック・シェル事件だけで一日中語ってられるくらいクック・シェル事件が好きです