普遍的不変ルセット


 廊下でばったりと会ったときに対応に困る相手、というのはなにも、藤崎佑助の妹(そしてつい最近は椿にとっても妹と認識されるようになった)ルミに限らない。今ではクラスも同じで、毎日でも顔を合わせる相手だからと言って、何遍廊下で出会しても、椿にとって、藤崎は対応に微妙に困る相手なのだ。
「今から生徒会かよ」
「……キミも、いつもの部活か」
 優しい言葉の一つでも掛けてやりたいなどと端から思ってはいない。いつも人助けお疲れ様です、なんて微塵も思わない。ただ、愛想の悪い対応となりがちなのは本意ではないし、つい反発するような言葉ばかり出てくることについても然りなのである。兄らしく、藤崎がそれこそ折れた対応をしてくれればよいものを、とたまに勝手に弟みたいに思うのだが、口に出したことはない。言えば、たぶん、喧嘩になるだけだ。
 沈黙したのは数秒だけで、すぐにいつもと同じ対応を続けようと頭は回転する。無駄口を叩いて口論するより、それじゃあと別れるのが無難だ。いつもと同じ、人助けでもやっていろ、と口から出るより前に、藤崎はぽんっと手を打った。
「ルミから聞いたけどよ、お前、クレープ知らなかったんだってな」
 藤崎の口の端が意地悪そうに上がった。
「う、うるさい! 食べたことがなかったのだから仕方ないだろう」
 くるくると巻かれた薄焼きの生地に、生クリームとイチゴやミカンがとりどりに散りばめられた甘いお菓子は、椿がルミと回って知った初めての味だ。
「友達と放課後食べたりとかしねーの?」
「買い食いは校則違反だろうが、愚か者!」
 腕を組んでふんっと鼻を鳴らすと、藤崎は生暖かい目でこちらを見ていた。
「……それに、知らなかった、わけではなかった」
「なんだそりゃ?」
「あの後、丹生に聞いて思い出したのだ。『クレープ』は、ボクも食べたことがある」
 特徴的な三角の形を、甘いクリームと果物の味を忘れていたわけではない。
「去年の誕生日……キミと、ボクの誕生日があった翌日に、榛葉さんが作ってくれたのが、クレープだったんだ」
 ぽつりと呟いて、椿は少し顔を俯かせた。

 高校生くらいなら誰もが誕生日が来ることがうれしいと思う。まだ未成熟な自分たちが少しでも大人に近付くのだということ、ケーキとプレゼントが用意されていること、誰もが祝辞を述べてくれるのだということ、理由は様々だろうが、椿も生徒会の仲間や友人の誕生日は祝福したいと思うし、自分にとってもきっと変わらないことだと思っていた。その日が来るまでは。
 両親と血の繋がりがないということは前から知っていたのだが、椿にとって予想外だったのは、藤崎佑助という双子の兄の存在だった。他の誰だったら反応が変わるということもないが、なにも因縁浅からぬ相手が、という気持ちは少なくない。両親の口からはっきりと聞かされたことも少なからずショックで、誕生日のその日、椿は朝からなにも口をつけていなかった。食欲がないというより、食べるという当たり前の一日のステップを忘れていたのだ。当然、自分に用意されるはずのケーキもプレゼントも祝辞も、どれも頭になかった。現実の希薄な感じだけが頭の中にあって、ふわふわと地に足が着かない。ようやく、今日を自分が生きているのだと気付いたのは、皮肉にも兄と言葉を交わしたあとになってからで、椿は自分がどうして混乱していたのかということすらわからなくなっていた。
 家に帰ってからは食事も睡眠も不足なく摂ったし、心配する両親を前に、まだ休みたいからなどと寝言を言うわけにもいかない。ほぼ気力で翌日は学校に向かい、一日を過ごした。授業に出られるなら、生徒会の仕事だって空けられない。そうやって身体を動かすことが、ある意味では気力を回復させる近道であり、人の生き方なのかも知れない。ややこしいことを考えていた所為で、生徒会室のドアを開いた瞬間に、榛葉と浅雛が立ち上がったのに反応できなかった。
「ミモリンから今日来てるって聞いたけど、風邪はもう大丈夫なの、椿ちゃん」
「あ、はい、平気です。ご心配おかけしてすみませんでした」
 ぺこりと頭を下げると、重ねるように浅雛のクールな言葉が降ってくる。
「健康には気を付けろ」
「そうそう。医者の不養生だよ!」
「あの、榛葉さん、ボクの家はたしかに病院ですが、ボクとは関係ありませんから」
 腕を負傷したときにも、椿の家は病院だからと言っていたが、あまり関係はないはずだ。榛葉の中で強く結び付いている言葉なのかも知れない。最初に実家が知れたときに、「じゃあ椿ちゃんの将来はお医者さんなんだ、スゴイね」とにこにこ笑っていた人だし。
「ま、鬼の霍乱っつー言葉もあるくらいだしな」
「まあ、椿くんは鬼ではありませんわ」
 そりゃあそうだとツッコむのも面倒なことだ。校内では鬼の副会長、などと新選組でも文字って呼ばれていることは椿自身も知っているので、安形がわざとそういう含みで言ったことは理解できた。噛み合っているようなどこか噛み合っていないような、そんな言葉の応酬がやはり、『ここ』らしい。椿がもう一年近くを過ごしてきた生徒会という場所は、ずっと変わらずにある。
(水より濃いものがなくても、ここには居場所があって)
 育ててくれた両親のいる温かな家、そして新たに認識に寄って生まれた兄。
「でもよかったよ、今日は椿ちゃんが来てくれて。作ってきたのが無駄にならなくて済むよ」
 榛葉は椿の方に駆け寄ると、軽く手を引いてソファの方へと誘う。
「これ、椿ちゃんのために作ってきたんだよ」
「え? ボクの……?」
 ソファの前のテーブルには、白い皿が置かれていた。その中央に、焦げ目のついた黄色い薄い生地が三つ折で重ねて置かれている。上からはオレンジの皮、甘い香りとママレードに似た色のソース。
「クレープシュゼット」
 食べたことある? と椿をソファに座らせると、自分は横に立ったままで、榛葉は首を傾げた。
「ホントは、昨日ケーキを焼いてきたんだけど、椿ちゃんが来なかったから」
 榛葉は美しい顔をさっと曇らせた。悪意があってしたことではないにしろ、自分の嘘が原因なのだ、と椿は慌てて弁解しようとしたのだが、榛葉はそれを笑顔で遮ると、全部安形が食べちゃったんだ、と微笑む。
「オレだけじゃねえだろ、ミチル。デージーも随分食ってたぜ」
「安形! レディは甘いものいっぱい食べていいんだって言っただろ」
 デリカシーもない、と榛葉は頬を膨らませたが、当の浅雛は表情を変えずに、椿くんの分もしっかり食べておいた、とぬいぐるみに語り聞かせていた。丹生も両手の指を組んで、とってもおいしかったですわ、とおっとり微笑んでいる。
「本当は昨日だけど、誕生日おめでとう椿ちゃん。今日もケーキ作ってこようかなって思ったんだけど、もしかしたら今日も来ないかも知れないと思って、軽いものにしてみたんだ。……ケーキにすればよかったね」
 来られなかった分、皆からメールは貰っている。誕生日おめでとう、それから、身体の心配。
「今日も元気ない?」
「えっ? い、いえ」
 どきりとして手を振ると、静かに丹生が立ち上がった。
「でも、椿くん、今日はいつもより口数が少なかったみたいでしたわ。授業中も呆けていたように思えましたし」
「口を開けばガミガミ言う椿くんが珍しい」
「なんかあったんじゃねえのか?」
 安形の声にそちらを向くと、非常に敏い彼は、軽く目を細めると、藤崎も様子がヘンだったって聞いたぜ、と言って、天井を仰いだ。
(似ている、か)
 会えば口喧嘩ばかり、いつも対抗心と反発。そんな自分たち双子の兄弟を、似ていると見抜いたのは安形だ。恐ろしく勘が鋭いこの先輩は、しかしそれ以上はなんとも推測せず、ちらりとこちらを一度だけ見たきり、黙った。
「話は後。こっち、先に食べてよ、椿ちゃん」
 複雑な空気を割るように、榛葉が軽く肩を叩いた。
「ミチル、オレの記憶がたしかなら、クレープシュゼットっつうのは、リキュール飛ばすんじゃなかったか?」
「グラン・マルニエ? ああ、そうだけど」
「まあ! 榛葉さん、お酒、平気だったんですの?」
「そういうことか。自分で作るときは、気を付けるからね」
 自分で、を強調して、榛葉は強気に、にっこりと安形に向かって笑う。この話になると分が悪くなる安形は、じっと見る榛葉の視線を避けるように、さっと目を横に逸らした。
「それより我々の分はないのか」
「そうだぞ、ミチル」
「なに言ってんの、昨日ケーキいっぱい食べたくせに」
 これはぁ、と間延びした声で言って、ミチルはまだ手付かずの皿を持ち上げた。ナイフとフォークを持ったままの椿は、皿を目線で思わず追う。
「椿ちゃんだけ」
「まあ、羨ましいですわ、椿くん」
 紅茶淹れましょうか、とどこまで本心かわからぬ丹生がにこりと微笑む。
「でも、誕生日ならやっぱりケーキがよかったよね。ごめん。また作って」
「いえ、いいんです」
 再び目の前に下ろされた皿をじっと見る。オレンジの色、薄い生地に模様のように入った焦げの茶色。とても綺麗な。
「ケーキは家で食べましたから。――あ、いえ、決して榛葉さんのケーキがいらないというわけではなく、ですね。その」
 どう言えばよいのだろうか。正しいことを伝えるのは難しくないけれど、感情的なものは上手に言葉にできない。榛葉と、安形と浅雛と丹生の視線がじっとこちらに傾けられている。静かに、椿が言いたいことを言えるのを待ってくれるように。
「これが、いいと思って」
 誕生日を祝う丸や四角の大きなケーキではなくて、真っ白なクリームと赤いイチゴの白いケーキではなくて。
「クレープシュゼットが?」
 見たことも聞いたこともない甘いものが、自分には似合うのだと思った。
「はい。こうして今日食べることが」
 榛葉は首を傾げたが、いい意味なんだよね、と頷いて微笑んだ。
「昨日、風邪だと言ったのは、……うそだったんです」
 突然の言葉に、え、と丹生と榛葉が反応した。
「皆さんにもお話します。一昨日と昨日、起こった出来事を……ボクと、双子の兄のことを」

「『クレープ・シュゼット』――ルミちゃんにクレープと言われたときは、気が付かなかった。そういう品名なのだとだけ認識していてな。丹生に指摘されてやっと気が付いたんだ。あれがクレープだったんだ、と」
 あの時はまだ生徒会室に安形と榛葉がいて、普段は雑談ばかりなのに、いざというときはとっても頼りになる二人だった。その背を見て、椿は歩いていた。奇想天外なことを聞かされても、すごいな・すごいね、とただのんびり笑っていて、いつかはそんな彼らに追い付けると思い続けたまま、いなくなってしまった。一時は随分と寂しかったけれど、今では、宇佐見とキリがいる光景が当たり前に変わっている。同じように、まだ驚くことも多いルミとの関係も、いつか普通の兄妹のように馴染むのかも知れない。
「つうかオメーら、生徒会で誕生日祝いとかしてんのか?」
「? 全員、誕生日は知っているからな」
「アットホームだな生徒会……」
 つぶやかれた言葉に、椿は首を傾げた。特に榛葉がケーキを持ってくるので、そうやって祝うのが慣わしなのだろうと椿は把握していた。それだから、新しい生徒会でも、恒例の行事として行なっている。
「そういえば、鬼塚は今月誕生日だったな。キミたちも祝ったりするのだろう?」
「知ってんのか!」
「当然だ。ボクは生徒のことならばよく把握している」
 全校生徒の誕生日までは覚えていないが、クラスメイトで因縁深いスケット団のメンバーともあれば、忘れる道理もない。生徒会で次の誕生日ならば、少し間は開くが、椿の誕生日ということになる。
「……お前も、誕生日祝いすんのか」
「そうだろうな」
 へえ、と藤崎はぶっきらぼうに言って、頭の後ろで腕を組んだ。同じ日に、と言われたような気がして、自分と同じ色の目を見てみたが、藤崎に視線をさっと逸らされる。
(変わらない、か)
 兄は椿にそう言い、椿はそれに同意した。変わらない。学年が上がって、クラスが同じになった。彼の妹は自分の妹と等しくなった。こうして顔を合わせても、仲の良くない同級生という立ち位置にいるのかわからない。
「そういや、ルミも母ちゃんもまたメシ食いに来いっつってたぜ」
「そうか。また近いうちにお邪魔するよ」
 それとも最初から、変わらないことなんて一つもないのかも知れない。じゃあ、と去っていく背を見ながら、なんだか無性にクレープが食べたい、と椿は思った。

ミチル活躍するのは贔屓です なぜクレープ・シュゼットかと問われると頭の中に浮かんでいた言葉だからです 誕生日祝いする生徒会かわい!