背後を付いて歩くキリが、いつもより大人しいのは椿の気の所為などではないだろう。
「……キリ、付いてこなくても良いと何度も言っているだろう」
「いえ、それは!」
徐に振り返ると、キリは両手を横に振った。真っ黒な瞳に感情があまり反映されない静かな表情が、今は少しだけ狼狽しているのが分かる。
(感情が読めるようになってきた)
それが自分の変化であるのか、キリの側の変化であるのか、今一つ判然としないところではあるが、感情が読めるようになってきたというのは、良い傾向だろうと思われる。思わずまじと見詰めてしまったが、路上で立ち止まっているのは如何せん不審感があることは否めない。彼が結局付いてくるのであれば、それを強く拒むのも悪かろうと、椿は再び背を向ける。日の暮れ始めているオレンジ色の景色の元、二つの長い影が伸びている。いつしか見慣れた光景に変化してしまっていた。それまではずっと、独りで登下校をしていたというのに。
「今日は本当にすみませんでした」
「謝罪の言葉は聞き飽きた」
返答がなかったのでまた振り返ると、キリはしゅんとした様子だった。以前のふてぶてしい加藤希里というのはどこに消えてしまったのだろうか。椿がどれだけ懸命に訴えても聞かなかったというのに、今では何も言わずとも椿の意向を汲み取ろうとしてくれてばかりいる。
「睫毛が長すぎるのは気になっていたんです!」
「どこで見分けているんだ、お前は」
いえその、とキリは口篭る。まさか睫毛の長さ云々を必死に言われるとは思わなかった。
「藤崎のヤツがうまいこと言うので……」
「まぁ、口が達者な男だからな」
「そうなんです!」
「それで間違える、と。ボクが生徒会室に漫画やお菓子を持ち込むような人間だと思ったのか」
キリはまた黙ってしまった。藤崎の言ったことは椿からすれば全く巫山戯たことであると一蹴してしまうようなことだったのだが、生徒会役員に受け入れられていることを考えると、世間的には全く許されないことであるとも言い切れないのかも知れない。これも柔軟な思考の一部として取り入れるべきだろうかと頭を捻らせていると、椿までもが黙ってしまったことを、怒っているからだと思ったのか、キリは再度「すみませんでした」と生真面目な声で言った。
「キリ」
「は、はい!」
「そんなに似ていたのか?」
ボクと藤崎は、とはっきり言うのはどこか癪に障るので曖昧に言うと、キリは「いいえ!」と強く言い切った。
「会長の方が品がありますし、凛々しいですし、睫毛も!」
「睫毛はもう良い! ほう、つまりお前は、似ていないのに間違えたと言うのか」
「そ、それは」
「――似ていたんだな」
キリはまた、すみませんと言った。肯定する言葉でもないが、その言葉が如実に表している。
「ボクと藤崎の話はしたな」
「はい、聞いてます」
ひゅうっと冷たい冬の風が頬や指先を冷やすように撫でていく。去年の文化祭も、どこか寒い日だったな、とどうでも良いことを思い出した。
「双子と言っても二卵性らしいんだ。ぱっと見て、見間違うような双子ではない」
「もちろんです。会長と藤崎なんて、ちっとも似ていません!」
もう怒っていないから力を入れなくて良い、と椿は左手を軽く振って見せた。
「性格も違うしな。まぁ、こういうのは環境因子もあるだろうが、正反対だ、と言われることの方が多い」
はい、とキリは一つだけ頷いた。無駄に言葉を挟まない方が良いと感じたのかも知れない。
「会長……安形さんなんかは鋭い人だからな。似ている、と言われたこともあるが」
あがた、と後ろからぽつりと聞こえた。
「今回の件、実を言うと、耐え難いほど不快だった訳でもないんだ」
そういうことは『死んでも』『藤崎にだけは』言ってやらないつもりだが。思いながら、本当はキリにも言うつもりのなかった言葉を紡ぐ。
「まぁ、藤崎の悪戯は許されるべきでないし、許してもいないが、……あぁ兄弟なんだな、と妙に感じられた。言動、行動を取って似ていると言われるのは慣れていたが、外見でもそうなのか、と。双子らしいとでも言うか」
少々幼い思考だったかも知れない、と軽く笑った。
「会長にとって、藤崎は特別なんですね」
「ん? まぁ、それはそうだろう」
足音が止まったので振り返ると、自分の長い影がキリの顔を暗く見せていた。どうしたのだろうかと思って呼び掛けると、キリはパッと顔を上げる。いつものように、表情を読ませない仏頂面で。
「正直なところ、外見で似ているのは瞳の色くらいだと思っていた」
「ひとみ、ですか」
「あぁ。そう言えば、キリは綺麗な黒色をしているのだな」
目を覗き込むように顔を近付けると、キリはびくっと後退った。いつもは彼の方が距離を詰めてくるというのに珍しいな、と思いながら、漆黒とすら言えそうなその目の色を見詰める。
(『ぬばたまの』という枕詞が似合いそうだな)
黒目の人間は多いが、キリのそれは単純な黒よりもずっと深い。
「宵闇の色か」
暮れ落ちた空のようだなと思った。デザインセンスや美術的感覚に於いては、どうにも藤崎の方が上手であるらしいのだが、詩的な表現だとか、文学的なそれに於いてまで劣っていることはないだろう。彼よりは、文学知識に優れているだろうとは思っている。
「そ、そんな風に言われたのは、初めてです」
「む、そうか?」
首を少し傾げたが、普段の生活で、他者の目の色をどうこう言うこともないだろう。
「会長の目は、……光のような色をしていますね」
「光?」
椿からしても、そのような表現は初めて聞いた。
「日なたの色、と言うか。真昼の色です」
「なるほど、宵闇と掛けたのか」
中々上手いことを言うものだな、と椿は感心した。
「会長」
「何だ?」
「夜の闇の中でも、俺が常に会長を守っていますので!」
一瞬ギョッとしたが、いつものキリの調子に戻ったらしい。思わず吹き出すと、どうしたんですか、とキリは首を傾げた。
「お前のそれは、学校の中だけにしておいてくれ」
「なっ、俺は常に会長の背後に――」
「不要だと言っているだろう。お前は本当にボクの話を聞いているのか?」
送迎も不要だと言うのに、キリがどうしても後ろから付いてくるので、もうすっかり馴染んできてしまっている。
藤椿兄弟絡まずにキリ椿が動かな…… 瞳の色って描写する方は結構気にします