ショムニ


 年明け、そして二週間程度の短い冬休みも開けると、三年生の教室はすっかり受験ムードに染まり切っていた。そこそこ成績は優秀で、生徒会役員として真面目に活動していた(と、ミチルは自負する)甲斐もあり、学校推薦で既に大学の決定していたミチルには少々、重たい空気でもあった。とは言え、この所様子のおかしな友人の安形も一般入試で大学を受験するくらいだし、ピリピリとした空気は致し方ないものなのだろう。それでも絶えず女子生徒がやってくるのは、ミチルの人望ゆえでもあった。
 既に引退しているということもあり、たまには生徒会室に行くとは言ったものの、数回ふらりと訪れただけで、真面目な新生徒会長の邪魔をするのも忍びないと足が遠ざかってしまっていた。ミチル自身は、後輩や友人でもあった会長安形と過ごした生徒会室は懐かしいし、顔が見たいと思うことも多かったが、既に新しい人が定着しているのを見れば尚更、彼らの邪魔になってはいけないと及び腰になってしまう。新しい生徒会の間でも一悶着あったようだが、今は順調に進んでいる、と噂に聞いて心の中でエールを送るに留めておいていた。
「庶務の仕事?」
 こくりと、鹿爪らしい顔で、二つ下に当たる後輩が頷く。黒色の瞳が真面目そうに、しかし従順な気配は見せず、こちらを値踏みするように貫いていた。彼の顔と肩書きは、良く知っている。
(加藤希里、生徒会の新しい庶務――か)
 引退する前は自分が庶務だったことを考えれば、後任に当たる。安形から見た椿と同じ立場だ。
「アンタが前の庶務だったってことは知ってる」
「うぅーん……口の聞き方に気を付けた方が良くないかな?」
「俺に命令するな」
 命令はしていないつもりなのだが、話を聞いてくれる様子もないので、軽く肩を竦めるに留めた。ミチルの前で腕を組み、まるで自分の方が上級生の様相で立っているのは、生徒会の新しい庶務、加藤希里だ。
「椿ちゃんの命令しか聞かないんだっけ? えーと、忍者だとか」
「なッ、アンタまで知ってるのか」
「知らない人の方が少ないと思うよ」
 抜群の身体能力を持つ生徒会庶務というだけでも、十分インパクトがあるのに、その身体能力が人並み外れているとあれば、尚の事だ。
「それで、椿ちゃんに忠誠を誓ってるんだっけ」
 人差し指を顎に当てて少し笑うと、「会長を『ちゃん』付けで呼ぶんじゃねぇ」と掴み掛かる勢いで近付いてきた。荒事には全く向いていないので、思わず後退ってしまったが、キリはそれ以上詰め寄ってくることはなかった。
「知ってんのか」
「椿ちゃん……とのこと?」
 言い淀んでしまったが、ちらりと見ると、キリはもう激昂していなかったので安堵する。
「まぁ、一応オレも生徒会役員だったし。周りの女の子たちが、聞いてなくても教えてくれるものでね」
 片目を瞑って微笑みかけてみたが、キリは無反応だった。生徒会役員はどうあっても、ミチルのこの手のジョークには乗ってくれないらしい。軽く肩を竦める。
「……オレは、直接動画を見ていないけど」
 新たな生徒会役員が、生徒を傷付けた教師を断罪しようとした、ということは噂に聞いた。シンバさんと同じ庶務の人なんでしょ、と何人にも言われているのだ。そしてその男が先の件によって停学になってしまったこと、椿が彼のために奔走したらしいこと、その後、その庶務は椿の後ろを付いて歩くようになったらしいこと。
(忠誠、ね)
 庶務が会長に忠誠を誓うものであるとすると、自分の主君はあの安形になってしまう。それはかなり嫌だな、とミチルは思った。置物会長ぶりもマイペースさも、主として仕えられる人間としては不向きだろう。それに比べれば、真面目過ぎるとしても堅物だとしても、椿の方がよほど、主君に据えたい人物だ。安泰という意味では。
「椿ちゃん困ってたみたいだし、力になってくれるようになったっていうなら、良いことじゃないかな」
 それに、従順な後輩を持って困惑しているらしいので、そんな椿の面白いだろう姿を一度拝んでおきたいものだなとも思う。生真面目過ぎる椿は、ミチルにとって一番、揶揄いやすい後輩なのだ。
 生徒会が忙しそうだから敬遠していたというのは、正しくこの庶務のゴタゴタについてなのであり、彼が入ってからも生徒会室に行ったことはあったのだが、単独行動がちな加藤の姿はとんと見ていなかった。ツーショットで見てみたいな、などと思っているミチルの考えなど知らず、キリは仏頂面のまま口を開く。
「アンタに、庶務の仕事を聞きたいと思って」
 ミチルはポカンとした。
「仕事って……椿ちゃん、教えてくれたんじゃないの?」
 あの非常に律儀な椿が、新たな任を得た後輩に、職務内容を教えないとは考えられない。それこそ、ノートにでも纏めて一つ一つ懇切丁寧に教えてくれそうなものだ。実際上の経験からすると、教わるような仕事がないのが庶務だとミチルは思っているが。
「会長はマンガ形式のノートを渡してくださった」
「細かっ! 椿ちゃんホント真面目だね!」
 どんな内容が描かれているのか逆に見てみたくなった。
「だが、ピンと来ない――アンタは庶務としてなにをしてきたんだ?」
「何って」
 言われて自分の活動を振り返ってみた。安形と執行部室に来て、雑談。椿が来たら定例会議が始まって、学校内での異変を報告して、議題に沿ったディベートを行う。書記ならば会議の際にはノートを作り、会計ならば予算案を作るということがあるだろうが、庶務にそういった定められた仕事はない。必要があれば手を貸すという程度だろう。
「庶務ってのは、どういう役割なんだ」
「難しく考えすぎじゃないかな?」
「俺は会長の役に立ちたいんだ」
「今でも十分立ってると思うよ」
 椿恒例のパトロールに後ろから付いてきているという話も聞いたことがある。これまでは独りで行なっていて、椿自身そのことに何ら疑問を抱いていなかったのだろうが、二人で行動出来れば有事の際には対応しやすいし、何より楽しいのではないだろうか。他にも方方で人助けしているとか何とか聞くし、生徒会庶務としてはたまた椿佐介の従者(と言うべきか忍者と言うべきか良く分からないが)として、十分な働きが出来ているようにミチルには思われる。
「俺はたまたま空いているポストがあったから庶務になっただけで、そもそも庶務がなにかわかってねぇ……庶務ってのはなんなんだ?」
 あぁこの子あまり話を聞く気がないんだな、とミチルは理解した。或いは、椿の言葉にしかまともに耳を傾けてくれないのか。
(悪いヤツってわけではないんだろうけど)
 気合が空回りしている辺り、椿にもどことなく似ている。彼は彼としてそれはもう真摯な願いであるかのように、椿の役に立ちたいのだ。多分。それを椿に直接言わずに行動で示したいらしい。これはまた椿も熱烈な愛され方だな、とミチルは率直に思った。キリ自身がどこまで自分の感情に勘付いているのかは知らないが。
 自分や目上の人間への態度はともかく、椿への忠誠心のようなものは確かである。そして、能力もある。割と無鉄砲で怪我も少なくはない椿をサポートしてくれる存在がいるのであれば、先輩としては安心だ。ここで椿ちゃんを宜しくなどと言えば反感を買うのだろうが、上手く誘導して、あの天然生真面目な椿を助けてくれるようになれば良いんだ、とミチルは結論付ける。彼は土台、ミチルのやってきた庶務というものに憧れているわけでも、なりたいわけでもない。
「そうだな……庶務っていうのは、会長をサポートする役目だとオレは思うよ」
 言いながら、的を外れた答えでもないな、と自分でも頷いてしまう。
「会長の一番の腹心だね」
「それは、副会長じゃないのか?」
「副会長は会長の代理だろう」
 もっともらしく言うと、キリは納得したように一つ頷く。
「今の通り、椿ちゃんを手助けしていくことが、庶務としての仕事でいいんじゃないかな」
 今後も頑張ってね、と癖で微笑みかけると、キリの顔が少し明るくなった。
「アンタ、ちゃらちゃらしてっけど、悪いヤツじゃないんだな」
「えっ、オレそんな風に思われてたの? 心外だなぁ……」
 女の子が周囲にいるのは寄ってくるからというだけで、何も自分で寄せ集めているわけでもないし、生活態度としては真面目な方だと思っている。しかし男からの評価が仮に良くなかったとしてもそれは別に構わないか、と思う程度ではあった。
「これでも、安形の面倒はちゃんと見てたつもりだけど」
 あぁそうだ、とミチルはぽんと手を叩いた。
「安形には会ったの?」
「なんで会う必要があるんだよ」
「前の会長だし、椿ちゃん随分慕ってたよー」
 何の気なしに言うと、キリの表情が変わった。睨むように黒い目がこちらを見るので、堪らずにまた一歩下がる。
「前の会長なんざ俺には関係ねぇ」
 これは、とミチルは苦笑いした。
(嫉妬だー……)
 とてつもなく分かりやすい。椿佐介会長を愛する彼にとって、前の会長などという存在は脳内から抹消したいようなものであり、あと出来れば椿の脳内からも抹消したいのだろう。尊敬する人物の尊敬する人を自分も尊敬するべきである、という理屈は確かに存在しない。だからこそ、同じ元生徒会役員の先輩でも、安形を避けて、ミチルの元に来たのだろう。
(分かっちゃうと、おもしろいなぁ)
 くつくつと笑うとまた睨まれたが、最早怖いこともない。
「椿ちゃんにもよろしく言っておいてよ」
 キリは返答せずに、視線を窓の方に向けた。
「それと、椿ちゃんマジメだからね、目上の人って言うか、オレみたいな生徒会の先輩に対する態度がなってないと怒るんじゃないかなー」
 にこっと笑うと、キリはこちらを向いた。
「すっ……スミマセン……、でした」
 言うだけ言って、キリは一足飛びで消えてしまった。異常なほどに足が速いという話も聞いていたが、実際に見ると尋常ではないなと痛感する。図体もデカイ癖に、椿のことになると、無表情が少しずつ崩れていく様がおもしろい。
「ミチル、何してんだ、んなトコで」
 瞬時に離れたのは背後から近付く影に気付いたためだったのだろうか。元会長の友人の声にミチルは振り向いた。彼とあの忍者とが会話を交わせる日は来るのだろうか。
「いや、ちょっとね」
 生徒会を引退してから、安形と会う回数は激減している。向こうが受験生だからということもあるし、そもそもあの部屋以外で会う回数は決して多くない。
「残って勉強していくの?」
 安形が首を横に振ったので、オレもそろそろ帰るところなんだ、と笑った。置物と言われて、仕事を椿に任せて、それでも最後に必ず締めていってくれる、頼れる元・生徒会長。キリに言った言葉ではないが、自分は本当にちゃんと、安形のサポートが出来ていたのだろうか、と今になって思った。
(まぁ、もう終わったことだ)

庶務+庶務でショムニと思ったら安形さんまで元・元庶務判明でショムサンになってしまって……