「なんですか、それは」
「これか? アイスクリームだな」
そうですね、とキリは頷いた。
「レモンですか? それとも、オレンジ?」
「コーンポタージュ味という物だ」
「……コーンポタージュですか?」
キリは黒い瞳を少しだけ丸くすると、人差し指を顎に当て、思案するように瞳を細めた。彼の定位置は常に、右後方にある。振り返る形になって、椿は、珍しく驚いた様子のキリに顔を緩めた。
「珍しいですね。会長はそういった冒険をする方ではないですし」
「あぁ、これはな、にいさ……コホン。藤崎が食べているのを見たのだ」
じっとこちらを見詰めたキリは、しかし何事も言わずに、藤崎が、とだけ呟いた。
「不思議な味だろう? 美味しいのかと尋ねても、芳しい答えが得られなかった。一口もくれないし、どうにも気になるから自分で買ってみることにしたのだ。その……コンビニという場所は、案外気軽に入れるものなのだな」
「そうですね。俺も良く使います」
「そうか」
一頻り会話が終わると、沈黙してしまう。打ち解けて間もない頃は、沈黙するたびに言葉を探していたが、どうやらキリは多弁ではないらしいこと、そして、椿といるときに静かにしているのを苦痛に感じていないということを知ってからは、椿も無理に言葉を探さなくなっていた。
(忍者もコンビニは使うのだな)
最初に藤崎から忍者がいると聞いたときは、どういったことかと思ったものだが、慣れてしまえばどうということもない。ただ、常人離れした俊敏な動きで、呼べばすぐに現れるのがキリだと理解してしまっている。こうして後方を歩くのも、椿にとっての日常に寄り添ってしまっていた。さくりとアイスクリームに口を付けると、何とも言えない中途半端な甘さが口にぶわっと広がる。
「こ、これは……」
「どうかしましたか!」
「美味しいのか?」
食べた瞬間に、兄が微妙な顔をして言葉を濁した理由が理解出来た。何とも言えないし、人に勧められるものでもないが、積極的に否定するような味でもない。食べない方が良い、と藤崎は椿に言っていたが、さもありなんだと言える。椿が首を傾げていると、キリは「すぐに戻りますので、待っていてください」と言い残して、一瞬で姿を消した。消えるような速さで動くのにも慣れている。彼がすぐにと言うのであれば、すぐに戻ってくるのだろう。その間に、この、不思議な氷菓の味を定められるだろうか。そう思った数秒程度でキリは戻ってきた。
「何だ、キリも買ったのか?」
「はい。会長が、おいしいのかどうか、味の判別に困っているようでしたので」
「いや、困ってはいないのだが……」
椿の身を守るということの他に、困っているときに何かせねばと考えるのも彼の性分だ。
(マルチ商法まで、か)
かつてのキリの言ではあるが、悪徳勧誘など許すまじという気持ちは強いし、そのような不逞の輩にならば騙されるつもりはない。逆に成敗してやるつもりだった。今はもう腕章もないのだが、気持ちとしては、学園の自治は個々の学生の弛まぬ意識向上に基づくことによって維持されるものだと考えているのである。こういった見解については、キリも「さすが会長です!」と賛同してくれていた。彼にとっての会長――開盟学園高等学校における生徒会長であった時期はとうに過ぎたのだが、キリは呼称を変えようとしない。所謂ニックネームのような心地にもなってきているので、引退した直後には「もうボクは会長ではないのだ」と言ってみたものの、基本的には好きなように呼ばせている。苗字でも名前でも、様付けにされそうなので、それよりは会長と呼ばれる方がマシだと考えているためでもあった。
「コーンポタージュですね」
「そうとしか言いようがないな」
「おいしいと言えばおいしいですね」
「判別がつかないだろう」
異常に早いということもないが、キリは容易くアイスクリームをなくしていく。その表情に、あまり変化は見られない。可もなく不可もなくという味わいであるということが見て取れた。
「もう一本食べたいと思わない辺りは、美味しいとは断言出来ないのだろうな。……藤崎にもそう伝えておこう」
「会長」
「どうした」
「俺の前で呼び方を変える必要はないと思いますが」
指摘されて、思わず苦い顔をしてしまった。
「お前が気にすることではないだろう」
「呼ぶときに一拍置かれていたので」
「細かい」
溜息を吐いても、キリは真面目な顔で佇んでいる。
「あの男が会長の兄であるという事実は変わらないですし」
「そういうことではない。藤崎という方が呼び慣れているから、そう呼んだだけで……呼び直したとかそういうことはだな」
「ですから、呼ぶ前に一拍」
「違う!」
「すみません」
腕を組もうと思ったが、アイスクリームが邪魔をする。アイスクリームを手に持ったままでは、睨めつけても迫力がないだろう。
高校を卒業する少し前に、兄である藤崎佑助は、一緒に住まないかと椿に持ち掛けた。お前さえ良ければだけど、と決定権を椿に委ねて、兄のようで兄でもないような男は照れ臭そうに手を差し出してくれた。椿がその手を取ったのは、殆ど何の気もなかったように思う。差し出されたから、自分も手を差し出した。ただそれだけ。兄は、母さんも喜ぶ、と笑い、もしかしたら自分の養親も喜ぶのではないだろうかと椿も思った。案の定、話を切り出したところ、二つ返事で頷いてくれた。
(独りではない、か)
出生の秘密と、肉親が兄である藤崎を除いて他にいないという事実とを椿が知ったのは、高校二年生の文化祭の日だ。それまでに、彼しか家族がいないのだということは考えもしなかったし、逆に、彼がいなかったら天涯孤独の身であった、ということを考えたこともない。漠然としていた。両親と血が繋がっていない、という事実は、それだけの曖昧不明確な認識だ。ただどこかで、双子の兄がいると知って安堵したのも事実だった。離れて育ったとしても、彼以上に特別な存在など有り得ない。彼は半身だ。けれどそれと、兄さんと呼ぶこととはイコールでは繋がれていない。
考えていると、携帯電話が鳴り響いた。世間ではスマートフォンが流行っているとは聞くが、お前には使いこなせねぇと思うから、と藤崎からは止められている。電話の主は、正しくその藤崎だった。
『どこほっつき歩いてんだよ、オメーは』
「む、キミか。ほっつき歩いてなどいない。今は帰り道だ。今日は少し遅くなると朝話しただろうが」
『はぁ? 聞いてねぇよ。いつ言ったそれ』
「朝だと言ったろう。朝、キミを起こした時だ」
『んなの寝ぼけてて覚えてるかっつの! いいから早く帰ってこい! あんまりフラフラしてんなよな。ただでさえオメーはぼーっとしてんだから』
「何をォ! キミと言いキリと言い、ボクを何だと思っているんだ!」
思わず声を荒げると、また加藤かよ、と嫌そうな声が返ってきた。
『アイツ、まだオメーに付いてんのかよ。つぅか、まさか今も……』
「キリなら後ろにいるが?」
『ばっ……オメーもいつまでも会長って呼ばれていい気になってんじゃねーよ!』
「良い気になどなっていない! 大体、キミは――」
「会長! アイスが!」
言われてハタと気付いた。溶け始めていることは分かっていたが、電話に興じている内に、棒で支えられる限界値を越えてしまったらしい。うわっと椿の口から間抜けな声が上がると、『どうしたサスケ!』と兄らしい声が響く。咄嗟にキリが落ちたアイスクリームを、類稀な運動神経をもって受け止めてくれたが、あまり状況は好転していない。
「くっ……俺が付いていながら……!」
「いや、別にお前の使命はアイスクリームを守ることではないだろう」
椿の身を守るということでもないのだが、そこはツッコミ始めると終わりが見えないので言わない約束である。
『なんだよ、アイスかよ』
はぁと大きな溜息を吐かれれば、こちらとて不満にも思う。
「大体キミが、コーンポタージュ味のアイスクリームなどと、訳の分からない物を食べているからだな!」
『? なんだ、お前、昨日俺が食ってたの買ったのか?』
あんな微妙なモン、と食べた後だから頷ける言葉を貰って、椿は返す言葉に詰まる。
「……キリ、それは処分してくれて構わん」
「はい」
キリはまた姿を消すと、数秒後には何事もなかったかのように戻ってきた。
「それはその……コーンポタージュのアイスクリームというのがどういうものか気になってだな」
『なんだよ、言ってくれりゃ、お兄ちゃんが分けてやったってのに』
「うるさい! 大体そうやってキミは、都合の良い時だけ兄貴面する!」
『なにかと俺のモン欲しがってんだろ。張り込みんときのコーヒーとかさぁ』
「む、昔の話だろう!」
もう知らん、と椿は通話を強引に切った。
「キリ」
「はい、なんでしょう」
「少し寄り道して帰るぞ。何か食べたい物はあるか?」
「いえ、ありません。夕食ですか?」
「そんなところだ。藤崎のような愚か者は、一人淋しく食べていれば良いのだ」
今日の夕食当番は椿だった。それも考慮して、『夕食はキリと食べてくるから自分で作れ』とだけメールを入れておくことにした。返ってきた着信音は無視し、近くで何か食べられそうなところは、と頭を巡らせる。以前から、キリは食事や何かについて、自分の好みを全く言わない。会長と同じで良いとか、すべて合わせてくれている。
「キリ、たまにはお前の食べたいものでも」
振り向いて見ると、キリの頬は少し紅くなっていた。
「どうした?」
「いえ、その……会長と二人で食事するのは珍しいと思っただけです」
「む、そうだったか?」
椿を主と仰ぎ、彼があまりにも従者のような態度に徹するものだから、一般的な先輩後輩の関係が希薄だという部分はある。喋る時は案外、忌憚なく話すのだが。
「そうか……そうだな。空いている時間があれば、またいつでも」
「ありがとうございます!」
(何がそんなに嬉しいのだか)
キリは仏頂面だとは思うが、喜怒哀楽は分かる。昔に比べれば表情も豊かになってきているし、人との関わりも何だかんだで拒まないようになってきている。もう一度響いたメールの着信音を無視して、椿は夜ご飯に向いた場所を探して歩を進める。いつもと同じように、キリを後ろに連れて。
コンポタガリガリ君が流行ったころに書いたもの。大学生双子が同居してたらかわいいですねー