光、願いし

 聖なる夜にチャイムが響く。ちょうど今にいた真田は、すでに出かけた両親や兄だかが忘れ物でもして戻ってきたのだろう、と推測し直接玄関に赴いた。というのも、普段の真田であれば、チャイムが鳴っている以上、まずはインターフォンの方へ行くのだが、時期が時期だった為、こんな時間に新聞の売り込みはこないだろうし、まして知り合いが来るとも思わないでいたのだ。多分、この真田の元に現われた来訪者に言わせれば、甘い。彼らが出かけていったのは、もう数時間も前のことなのだから、今更、忘れ物などと言って戻ってくることの方が、10%くらいの確率(だろうか)しか起こり得ないのである。
 とかく、そういったわけで、真田は一向に油断していた。
「……なんだ、鳩が豆鉄砲食らったような顔をして」
 紅い衣装に身を包んでいなかったので、訪れた友人は多分、サンタなどではないのだろうが。
「お前は俺がここに来ることを予想できなかった、か」
「普通に考えれば、予想できまい」
 そんなことはない、と柳は空いている右の手の人差し指を立ててみせた。一種のデモンストレイションなのか。
「信用していないな」
 至極不満そうに、心外そうに、柳はほんの薄く笑った。基本的に、真田は柳の言うことを信頼しているのだ。些細なことであっても。
「終業式の日に、尋ねただろう? お前の家の両親は出かけるそうだし、お前の兄も出かけると聞いたが、お前の予定はどうなのだ、と」
「予定はなにもない……と答えたな」
「普通に考えて、なぜそんなことを聞くのか気にならないのか、お前は」
 そこまで言い切って、柳は不意に指先の動きを止めた。
「寒いな」
「お前がこんな所で講釈を始めるからだろう」
 柳の格好は、コートにマフラーと、大変一般的なものだったが、今冬も寒いので、そんな装備でも冷え込む。それより問題なのは、家の中にいたから薄着のままの真田の方であったのだが、そのようなことでは弱音を吐いたりしないのだ。そして毎度思わされるが、「寒い」という言動ほど、柳の様相は寒そうに見えなかった。

 中に入っての柳は、勝手しったるなんとやら、という奴で、家人を無視してお茶を淹れ始めた。淹れながら、茶葉がどうのこうの言っていたようだが、真田は面倒なのであまり聞き入らない。深く入り込むと、二度と終わらない講義に発展するというのは、長い付き合いで知り尽くしている。とりあえず、柳から寄越されたコートとマフラーをハンガーにかけて、ダイニングの椅子に腰掛けてじっと待つのみだ。
「これは、いいお茶だな」
 うんうん、と柳が一人で感心して呟く。使っても平気か、と尋ねられたので、恐らくは高級なものなのだろうな、と薄ぼんやり思った。高級だかどうだか知らないのは、この家においては息子たる真田弦一郎一人ではない。母親ですら、どうにも疎いものらしいし、美味しいお茶を柳と息子が飲み干したとしても、その程度で文句を言ったりはしないだろう。息子と比べてみても、かなりおおらかな人だ。逆に、祖父辺りが知っていれば口うるさそうだが、彼は台所は守備範囲外なので、問題はない。よって、真田は、構わんだろう、と答えた。返答に間があったのは、その為である。
「ところで、お前はなにを持ってきたんだ?」
「それか? 開けてみればわかる」
 明るい空色のパッケージに、白文字が目立たないように小さく主張している。普通、こんな日に持ってくるものとすれば決まっているが――と、期待せずに真田が箱を開けると、玄関に立っていた柳のように、予想外の物が鎮座していた。
「プリン、だな?」
「見ての通りだ」
 プリンを買ってきておいて、日本茶を淹れようとする神経を咄嗟に疑ったが、それ以前の問題じゃないだろうか。しかも、二人分ではないのか、5つも入っている。容器に被さる透明な蓋には、今日という日を示すが如き英字が書かれている。
 真田はいつも、こういう時になにかと声をすぐに上げる性質なのだが、今日は口を噤んだ。別に、今日が特別だというわけでもなんでもないが、先ほどの玄関での有様を思い出しただけである。下手なことを言えば、すぐに柳に反論を返される。かと言って、熟考したところで勝ち目がないというのもわかってはいるのだが。そもそも、別に、彼と争いたいわけでもなし。
 不意に家を訪れたと思ったら、携えていたものはプリン。もちろん、これが手土産で、見せたという以上、真田にも食べる権利があるというのだろうことはわかる。この時期に買ってくるとしたら、おおよそ予想がつくのはアレだろう。二人で食すのかと尋ねられれば、微妙だが、プリンを食べるのでも十分普通ではない。そして真田が口を閉ざして数分、柳が日本茶を携えて現われたところで、考えてもどうにもならない、という結論が出たのだ。そもそも、柳のようにやろうなどというのが、到底、人間には無理な話だ。
「なぜ、こんなものを買ってきた?」
 慎重に尋ねると、柳はあっけらかんとして答えた。
「手ぶらでは、悪いだろう?」
 苺と栗とプレーンとどれがいいか、と柳は箱からプリンを取り出しながら尋ねる。
「そんなことはどうでもいい。ならば、なぜウチに来た」
「弦一郎なら、暇だと聞いていたから。ところで、お前はそれならば、苺でもいいのか?」
 柳がずいっと差し出したのは、上が真っ赤な苺のソース、下が薄ピンクの苺のプリン、だろうと一目でわかる代物だった。流石に真田も、怯む。そうしたところ、だから選択肢を与えてやったんだ、と柳の呆れる声がした。
 彼の家では、クリスマスは祝わない。それは別に、成長と共に消える家族の団欒などというものではなく、元々、習慣でないのだ。宗教によるものでもない。そもそも、柳の家にはあまり人が寄り付いていないことにも起因する。成熟しているというのかませているというのか、彼の姉は昔から家族でなにか、に加わらず、友人や恋人と楽しくやっているそうだし、母親も、一般的な家よりも忙しくて、見かけない。加えて父親が単身赴任しているとまでくれば、このすれ違い状況の中で、わざわざクリスマスには集まってパーティを、などと思わなかったらしい。伝え聞くところではそんなもの、のようだが、事実は良く知らない。小学生より小さい頃からずっとそうだったので、最早理由もなにもないものだそうだ。幼い時分からそうであったとすれば、それは柳にすれば当たり前の事実なのであろう。つまり、柳はこの日、例年通り、暇だったのだ。で、お隣の真田も暇だと聞いて、来訪してみた。なんで、と聞いても、それに理由はない。
「まあ、そうだな。お前の言いたいことはわかる」
 いつまでも核心に至らない柳を恨めしげに見ていると、彼はお茶を一口飲んで、苦笑した。
「ケーキは、今の時期のものは大きすぎて二人ではとても食べきれない。翌日に持ち越されて冷蔵庫で乾いたり少し硬くなったケーキなど美味しくないしな。それが理由の一つだ。まあしかし、一番のところは、恐らく今日、お前の家にはケーキがあると踏んだからだ。違うか?」
 その確率は86%、といつもの口調で続ける。毎度真田も思うが、柳はどこまで見通しているのだろうか。柳の言う通り、家にはケーキがある。仲間内でパーティーをするから、と出かけた兄と、結婚何周年目かの記念で(聞いたのだが、忘れた)ディナーに行った両親となどで、今日は家に一人しかいない、真田のため、と称されたケーキだ。友人を招いてパーティーでもすれば、と言われたところで、そういうのに不向きな(多分、幸村ならば得意だろう)真田は一人で持て余すのだろうな、と思っていたのだが。
「無言は肯定の意か? 別に、これ位の予測はいつものことだろうに」
 柳は更に、言葉を続ける。
「お前の家の両親が、出かけたことは聞いている。本当はお前やお兄さんも誘われたんだろう? が、お兄さんは知り合いとパーティーをするから、と抜けてしまった。兄が居ないで両親と外食に行くのも気が引けたお前は、それを辞退する。別に予定があったわけでもないが、お前の気質からすれば嘘を吐くでもなく、興味がない、とでも言ったんだろう。無理に連れていきたかったわけでもないお前の両親は、結局二人で出かけることになるわけだが、誰もいない家に一人で息子を残していくことを気にかける。俺の家だったら誰も気にかけやしないだろうが、お前の家は、例年、家族で少し華やかに食事をしているわけだしな。で、せめて、と思って、冷蔵庫にクリスマス用の盛り合わせやケーキを置いていく」
 相変わらず、鮮やかに、間違いのない推測を並べていくものだから、本当に柳は不思議な人物だ。
「まあ事実、俺の家にも大沢さんの用意した食事が並んでいたわけだしな」
 彼の両親がそうさせているのではないそうだが、家政婦である彼女が、気にしてのことらしい。
「つまり、食事をしに来たわけではないのだな」
「ん? ああ、クリスマスの豪華な食事が戴けると思ってきたわけではない。当然だろう、赤也でもあるまい」
 確かに、今の話をあの後輩が聞いたとしたら、飛びついてきそうな気はする。柳は、熱い湯のみを掌で転がすように撫でながら、至極当然そうな顔でこちらを見ていた。確かに、予測をすることは、彼の生きがいのようなものなのだろうから、こんなことは普通なのかも知れない。
「で、プリンが選ばれた理由なら、お前の考えるような大層な理由はないぞ。駅前を通ったら偶然見かけたからだ。まあ、強いて言うならば、この前で学校で、女子がここのプリンが美味しいと言っていたのを聞いたからか」
 甘いものが並ぶショーケースを柳が見て回るのは、少しイメージになかった。和菓子ならばわかるのだが。
「追加すると、いざとなればケーキくらい自分で作ることも可能だと考えた、というのもある」
「お前は本当に良くわからんな」
「何を言う。俺に言わせれば、レシピに忠実に作れば良いだけだというのに、何を損ねるのかが理解できないな」
 その「理解できない」は、真田のみならず、級友の幸村から、彼の家の母親と姉にも当てはまる。原因は、勝手に創作したがる点と、レシピ通りを実行する知識及び技量の欠如だ。
「お前は、本当にソツがないな」
 料理に限らず、勉強にだろうが運動だろうが、家事に裁縫、勝負事、なんでも彼は、ソツなくこなす。ふと漏らした言葉に、柳は感慨深げに溜息を吐いた。
「ああ、その台詞は良く言われたな。精市に。お前に言われるのは珍しいと思うが」
 精市に、という台詞でまだ疑問があったことを思い出した。二人分とは思えないプリンの量のことだ。確かに、幸村も含めて三者で仲が良いというのは、三人認めている事実だが。その、イベント事が堪らなく大好きな(闘病生活の結果、彼のそれは悪化した)幸村が、このクリスマスという一大イベントに、なぜ、なにも企画していないのか、ということなのだが。
『まあ、クリスマスまでなにかすることもないかな、と思って』
 とにかく、部員の誕生日とあらば、必ずパーティーを開催したり、その他、年中行事はかなり制覇している。クリスマスくらい、いれば恋人と、もしくは家族とでも過ごそうか、と言っていた。付き合わされ続けてきた面々には、なにを今更、と思われていたにしろ。
「蓮二、お前、精市を呼んでいるのではないか?」
「精市を? なぜ、そう思う?」
「このプリンは、数が多い」
 ああ、それか――と柳はふと笑った。
「お前の両親と、お兄さんの分だ。お邪魔させてもらっているからな。まさか、人の家に勝手に友人を呼び出したりはしない」
 確かに言われてみれば、柳はそういう、常識的な配慮を持っている。そして、幸村はわりと持っていない。夜、とは言っても薄暗いだけで、まだ夕刻といった時間帯に訪問していることや、手土産を携えていること、勝手に人の家のお茶を淹れるのは、真田ができないからで、これは真田の家の人間も了承していることだ。
「呼んだ方が良いならば呼ぶが、止めておいた方が良いと思う」
「結構だ。アイツが来れば、どうせまたアルコール沙汰になる」
 パーティーだのなんだのと度に、真田や柳や柳生が嘆こうとも、必ずアルコールが関わってくる。
「同感だな。まあ、しかし、呼んでも来ない気がする。今日は、家族で楽しくやっているだろう」
 その言葉に真田が納得したのは、幸村はどうにも、軽くシスコンの気があるらしい為だ。少し歳の離れた小学生の妹を、物凄く可愛がっているというのは、周知の事実だ。
 家族で、という言葉に真田はなんとなく反応したが、柳は無関心そうだった。そんな様子に気づいたのか、柳は湯飲みを転がしていた手を止めて、雪の降らない外の方を見ながら口を開いた。つられて窓を見た真田は、ホワイトクリスマス、という女子の好む、ロマンチックな単語を思い出した。クリマスに、ただ、雪が降っているだけの現象のはずだ。
「昔――クリスマスの夕べには、良く、貞治とテニスを打っていてな」
 いきなり出てきた単語に、真田は多少(わりと、かも知れない)不快感を示した。が、本人は気づいてか気づかずか、恐らく後者だろうが、話を止める気配はないので、真田は少しずつぬるくなってきたお茶を飲み込んだ。
「で、大概遅くなるわけだ。星が見えるくらいの時間になると、さすがに不味いと思う」
「それは、そうだろう。両親が心配する」
「まあ、普通はそうなんだろうな。実際、そんなに心配されることはない。クリスマスは、どちらの家も、両親がいないことが多かった」
 不思議だ、と真田が思ったのは、この二人とは環境が違うからだろう。
「空を見ても、街のイルミネーションの方が煌びやかで、星どころではなかったと記憶している」
 つまり、なにが言いたいかわかるか。急に話を振られて、真田は多少慌てた。
「気にならなかった、ということか?」
 思い出すクリスマスの夜、のイメージがテニスと星が見えない記憶では、あまり強いイメージがそもそもないのだろう、と思う。
「その通りだ。今だ、気になった試しはない。貞治も同じだったから」
 そうか、と素っ気なく真田は呟いた。どうしても、自分は彼らの感情に追いつけるはずはないのだ、と思い知る。違うのだから。
「でも、お前の家の温かい光は、良いな」
 淡々と語る彼の瞳には、羨望のようなものはなかった。ただ純粋に、それに惹かれているような、そんな感じだ。ふらふらと光に群がる虫たちのような、吸い込まれていくような雰囲気。
「俺は、あれは好きだったんだ」
 そう言って、彼は珍しく、笑った。
(なんだ、結局それは、)
 羨ましいという言葉で括るのは間違いかも知れないが、似て非なるものかも知れないが、結局、やってみたかったんじゃないのだろうか。見てみたかった、と言い換えられるかも知れない。彼は何の気なしに毎年それを見て、そして、それが今年ないのが、気がかりだったのだろう。だから恐らく、来たのだ。それをどこまで自身で自覚しているかはわからない。そう思ったら、なんとなく笑えてきた。実際に行為には移らなかったけれど。多分それは、一緒にテニスをしていた乾でも、家族と団欒を迎えている幸村でも、知りようはないことだ。
「ところで、そろそろプリンを食べないか? どの程度美味しいというものなのか、気になっていたんだ」
 柳は手を伸ばして、やっぱり普通のプリンを取った。真田もついていた、小さくて透明なスプーンでプリンを掬う。誤解されていることも多いが、真田とて、一般的な「プリン」と呼ばれるものくらいは食したことがある。それと比べても、名前の通り、なめらかだ。
「お前、味覚音痴じゃなかったのか」
「それは正確ではないぞ、弦一郎。味の変化に弱いだけで、決して完全に味覚がおかしいのではない――と、思っている。まあ、変調を来たしているとは思っているが」
 なめらかで、甘い。真田が一口食べてそう心の中で評価していると、同じく口に含んだ柳の動きが、ひたりと止まった。
「蓮二、どうした?」
「ああ、いや……どうだ? お前は、甘いものが嫌いではないよな」
 その比較対象は、甘いものが大好きそうに傍目には見えるが、その実、甘いもの、特に洋菓子系が大の苦手という幸村だ。あのルックスでそんなことを言うのだから、真田にしろ柳にしろ、驚いたのは言うまでもない。しかも、女子に悪いから、とそれをひた隠しにして、バレンタインデーで泣くのだ。普段からマドレーヌやらなにやらを貰っては丸井に流しているというのに。
「普通のプリンよりは、やはり味が良いと思う。女子のように、二つも三つもいけるとは思わんがな」
「それは偏見だろう。しかし、そうだな……」
 ずっと、柳が不思議な面持ちでいるので、真田も気になった。半分くらい食べてから、柳は不意にぽつりと零した。
「もしや俺は、プリンが嫌いなのかも」
 その言葉は真田をぎょっとさせた。
「この甘さが、舌に馴染まないんだ――美味しい気はするが、良くわからん。ああ、味が濃い所為か?」
 彼の、食物に関する味覚は良くわからないのだが、ともかく知っているのは、濃い味が嫌いだという事実だ。確かに、甘さが深い、とは思うが、これは味が濃いということなのだろうか。全く以って、真田にはわからない。しかも、柳自身も、「良くわからない」で締め括ったのだから、ますます不可解だ。
 本当に今日は、妙な日だ。急に柳が現われたと思ったらプリンを持ってきていて、それで、柳は自分の持ってきたプリンを嫌いかも知れない、などと言い出す。
「蓮二、俺は来年も、一人で過ごすことになるかも知れん」
「そうなのか?」
「来年も、幸村はパーティーなど、催さんだろう?」
 ふむ、と柳はわかったのかわからないのか、良くわからない声を出した。そして、嫌いらしいと言うプリンを、とりあえず完食しようとしている。食べながら言うには、そもそも本来、柳は食べ物に関して好きだの嫌いだのとランクをつけることがないのだと言う。彼が言う所の、味覚に変調を来たしているから、だろう。それだから、これを嫌いというのか、ただ、なんとなく合わなかったというのか、ともかく二度と食べたくない・食べられない類ではない、とのことだ。
「で、なぜ、プリンに緑茶だったんだ」
「別に、意味はない。寒かったから、温かい緑茶が欲しかっただけだ」