swimmy
気づかないうちに、季節は過ぎてゆく。まるでそこだけ残していったように。柳が花を良く持ってくるのは、それに起因するように思えてならない。季節を彩り、なにもない白い部屋を彩る。
「ありがとう、蓮二。今日も綺麗だ」
幸村はにこにことわらっているから、計り知れない。まるで病人だなんて言われたくないように、いつもベッドから起き上がっている。だからといって、彼が辛くないはずはない。一度、真田も自分の身がそうだったら、と置き換えて考えたことはあるが、薄ら寒くなったくらいだ。明日どうなるかわからないことに、ベッドの中で怯えている以外になにもできない。
嫌な思考だったので、頭の中でそれを振り切って、話題を変えようと思った。白い部屋に飲まれそうになるから良くない。
「体調は、どうなんだ」
「それ、一昨日も言っただろう。三日でよくなるならこんなところにいないよ?」
「精市、人間の体調は毎日同じものとは限らないぞ。たとえば昨日は元気そうだったのが、突然今日になって風邪で寝込むことだって普通だ」
「なるほど。ええと、それじゃあ一昨日と同じくらいだから変化ナシ、かな」
言葉には出さなかったが、柳は少し安堵したようだった。それを視界の端で捉えて、真田はとりあえず今日の用件を済ませようと思った。部長である彼に、日々の部活動の報告をするのも、自分の義務だろう。それに参謀であり観察役とも言える柳がいると、捗って効率が良い。
「――で、もうすぐ練習試合がある」
「メンバーは決まってるの?」
「一応決めたが、精市の意見も聞こうと思って持ってきた」
別に幸村は除け者にされたなどと思わないのだろうが、昔からそういう決め事は三人で行ってきたので、どうも習慣化されているらしいのだ。柳はどうしても幸村の意見も聞いておく、といったので、参謀の言葉通りに真田もしたまでだ。
案の定幸村は、「別にいない人間の意見なんて取り入れなくていいよ」とあっさり言った。
ここに来るたびに思うが、本人は、周囲の人間ほど悲観してはいない。いつもそう思わされる。それが諦観ならば、誰にでも納得はできる。そうして、それなら励まそうと思う。しかし違うのだ。幸村の場合、戻ってこれるという確固たるもの――それが自信なのか意志なのか事実なのか難しい判断だが、それを持っている。だから、いつもわりと元気そうなのだ。そうなると、励まされているのは彼ではない。
「そういえば、今日の部活は?」
幸村はなにか意見を挟んだようなこともなく、こちらに視線を向けた。
「やってない?」
「いや、俺たちだけが休んで来た」
「ふたりでサボリなんて感心しないよ?」
ひとりずつ制裁しておこうか、と幸村は楽しげに笑った。
「見舞いはサボリに入るのか?」
「ああ、病欠と公欠と忌引以外はサボリだよ。早く帰って、遅刻に止めなさい」
その時の彼は、まるでいつも通りのテニス部部長の幸村精市のようだった。白い部屋の中にいるのが、似つかわしくないくらいに。
「部長代理と参謀が欠けたら、どうするんだ。せめて、ふたりで来ないでひとりずつ来て欲しいな」
「気になるのか」
「部長だから。部のことが心配で当然だろう? 俺もいない弦一郎もいない蓮二もいない、じゃ、大変だ」
精市、と柳が言葉をかけかけたのだが、幸村はさらりと流す。そして、俺も眠いんだよ、と言った。本当に追い返したいらしいと見て、柳は肩を竦めていた。
「試合頑張ってね」
すーっと柳の視線が幸村の方をさしている。
「心配しなくても、俺は元気だし」
「三日で良くならないのだろう」
「揚げ足取らないで欲しいな。確かに、三日では良くならないけどね。経過は良好だってこれでも言われてるよ」
しんとした。看護師らしき足音が通り過ぎて消えて、風もなく、無音だ。
「……俺がいないなら、君たちがしっかりしてくれないと。そうするのが、務めだろう? こんなときこそ、皆で連帯感を持ってちゃんとやること」
心配して、励ますためにここを訪れる。真田にしても、柳にしても。しかし、励まそうと思ってくるのに、逆に励まされている気になってくる。当本人より、いつも周囲の人間ばかりが不安になっている。
長いこと柳は、じっと幸村の方を見ていた。
「だから、三日に一回も来なくて平気」
「前回も同じことを言っていたな」
「ふたりが実践してくれないからじゃないか」
時折、幸村は本当にいつも元気で、病魔に負けるようなことはないと本人も言っているから、それでこういうことを何度も言うのだと思う中で、内心とは別の、逆のことを喋って行動しているように、思う。本当に、極稀に。それに、柳が気づいているのかそうでもないのかも、真田には良くわからないし、自分の考えが真なのかどうかもわからない。
そのどちらにしても。
「帰るか、蓮二」
「ん、そうだな。長居してすまなかった」
「いえいえ。お構いもできず」
言って、幸村はくすりと笑った。
部屋を出ようとすると、幸村は呟くように言った。
「気をつけて」
「ああ、そうだ精市。お前がいないと、"目"が不足だからな」
「……め?」
きょとんとする幸村を尻目に、くすくすとわらって、わらいながら「またな」と言い、柳は先に病室を出た。夕暮れが、廊下も照らしている。追って、真田も「また来る」と言い残して病室を出た。柳は、笑っている。
「なんだ、目というのは」
「画竜点睛というだろう?」
そういって柳はまた、珍しくも機嫌が良さそうに笑うのだが、真田にはどうも腑に落ちなかった。
彼は、思っているよりも人と話したり、励ますのが得意なのかも知れない。柳と来ると、真田はそうも思う。さすがは参謀だ。考えていたのが顔に出たのか、柳は真田の方をじっと眺めて、苦笑するようにした。
「お前は見舞うのですら上手くやるな」
普段からなんでもソツなく完璧にこなすが、見舞うということですらそうらしい。
「おもしろい言い方をするんだな。『見舞う』という点ではお前も十分に満足だぞ?」
話らしい話もせず、励ましすらたいしてできていないというのに、なにが満足なのか。真田は一瞬考えて、自分で思いながら眉を顰めた。なんの為の見舞いなのだかわかりやしない。
「心配して足繁く通っているというだけでも、見舞いとしては、本当は十分だと俺は思うが。もし病人の立場であの場にいるなら、俺もそう思うだろうな。別に綺麗な花なんてなくても、気の利いた言葉をかけてもらわなくとも」
「……俺までお前に励まされるとはな」
柳はまた、機嫌良さそうに笑った。
「良いんじゃないか? 俺よりもお前は精市の安否を心配していない。信じているのだから」
呟いて、彼は窓の外を見た。階下の出来事が小さく映る。しばらくそうして、柳は黙っていた。季節がまた、変わろうとしている。
ふたりを励まして、機嫌良く笑っている柳が一番、不安を抱えている。そう、感じている。
そんな、奇妙。