ハムレット

「先生、先生」
幼い時分だったと思う。その頃から、すでに孤独だったフェアは、グラッドやミントを兄弟と慕い、そして先生たるセクターを慕っていた。
「To be, or not to be- that is the questionっていう言葉、知ってる?」
「……どこで聞いたんだい、フェアくん?」
「バカ親父が言ってたの」
フェアの父は、良く聞き知らぬ言葉を知っている。まるで、異国の言語のようだ。グルメ、だのギョーザ、だの、良くわからないことだらけだ。別れたのは五つのときだが、印象に残っているものも多い。言葉は、その中のひとつだ。難しい言葉を知っている、という軽い優越感だろう、ふと思い出した言葉を先生にぶつけてみた。案の定、彼も知らぬ顔をしている。
「どういう意味だい?」
「生きるか死ぬか、それが問題だ」
父が言うには、どこかの物語の一節らしい。リィンバウムの物語ではないのだろうか。
「復讐を果たして死ぬべきか、そんなこと止めて生きていこうか」
「復讐――?」
「そういう言葉なんだって」
その時、フェアは無邪気な笑顔を見せていたが、セクターの顔が少し歪んだことに気づくには、幼すぎた。彼は、少し悩んだ風に言葉を詰まらせ、ひとつ息をしてこう、問いかけた。
「フェアくんは、どちらが良いと思う?」
「わからないけど、生きてる方がいいと思うよ」
どんなことがあったって、死ぬより辛いことなんてきっとない。
「そうだね。それが一番、正しい答えなんだろうね……その話の続きは知ってるかい?」
「んー、忘れちゃった」

そんな春の日の出来事が、不意にフェアを通り抜けて消えた。難しい言葉。生きるか死ぬか、復讐を。
(先生は、死を選ぶの?)
私も、リシェルもルシアンも生徒の皆もいるのに。そして、ミントお姉ちゃんがいるのに。
「セクターさん!」
悲痛な声がざわついて、耳を離れる。ぞくりとする。死ぬなんて、そんなの駄目だ。だって、幼い頃に思ったことと変わらない(進歩していないのかな)ことを今でも思ってる。信じている。
生きている方が絶対にいい。死ぬより辛いことなんて、きっとない。
きっと、父が帰ってきたら話の続きを聞いて(そしてそれはフェアが望まない展開であって、しかしそれをセクターにつきつけるのには好都合な)、そんなことで悩む時点で間違っているんだと、そう言ってあげないといけないんだ。