デウス・エクス・マキナ -3

 放課後、真田新部長に遅刻する旨とともに、難ならば後で罰を受けても構わないということを宣言して(柳生が勝手に)、柳生、仁王、丸井、切原の四名は渡り廊下を闊歩している。柳生の異様な気迫には真田ですら少し気圧され、次いで柳の「俺も生徒会で遅れるのだし、こうして宣言しているくらいなのだから見逃してやったらどうだ」との進言により(効果的であったのは後者であることは言うまでもない)、真田は蓮二がそういうのならば認めてやろう、と彼らの遅刻を見逃してくれた。これだから柳は、頼りになるのだかならないのだかが判然としない。とりあえず、やっぱりこの部の行く末を握るのは、多分そのことをわかっていないこの参謀だと仁王は確信する。
「なんで俺も行くんスか、柳生センパイ」
 切原が少し言いにくそうに言うのは、柳生と接するのが不得手なためである。この紳士然した態度に、悪魔とまで称された自分はどう映っているのか、と。そんなことを思うと、そら恐ろしい。柳生比呂士というのは、なんとなく威圧感があるというのか慇懃というのか、ともかくそういう態度なのだ、少なくとも切原にとって言うならば。
「人数は多い方が良い。威圧感がありますからね」
 しれっと言う彼のメガネが、光を反射して一瞬輝いた。その姿に余計、切原は萎縮した。やはりこの人とは相性が悪いのだ――と。当の柳生はそんなことちっとも思っていない。でも、柳や真田や幸村ほど、もっと言えば仁王よりジャッカルより丸井より、やっぱり切原を可愛がってもいない。後輩を可愛がるという概念があんまりないだけなのだが。己を律するが如く、とまでは言わねど、ある程度厳しくする。獅子は千尋の谷に我が子を突き落とすのだから。そうなると、単に愛情表現が妙なだけのか、結局良くわからない。
「って言うより、どこ行くんだよ」
 真田に四人揃っての遅刻宣言を一方的にしたのも柳生ならば、ずんずんと歩いて目的地へ突き進むも柳生の先導だ。ジャッカル絡みらしいとは察しているのだが、行動が今ひとつ読めない。それは彼の相方たる仁王も同様なようで、首を何度か傾げながら柳生の後を追っている。まして、急にパーティインした切原など、もっとしっちゃかめっちゃかだ。昼休み、突然先輩が教室に現われたと思ったら、「ジャッカルくんのために君もなにかしたいと思いませんか? 放課後は空けておいてください」と大変一方的に早口で言うなり、速攻で踵を返して去っていったのだから。しかも、ついてきた二人も状況は飲み込めておらず、聞いても無駄だと瞬時に悟られたものだから余計にどうしようもない。放課後は部活――と言いかけたところで柳生は振り返り、それは私がなんとかします、とだけまた早口で言うとやはり、後ろを振り向くことは一切なく、そのまま姿が見えなくなってしまったのだ。
 三人が各々頭を働かせていると、突然柳生は歩を止めた。そして三名に振り返って。
「作戦会議をしておきましょうか」
 と、のたまった。もっと早くからして欲しい、と思ったが、脱力感でいっぱいだった彼らは無言でそれを肯定したのだ。
「なぜ、ジャッカルくんが心労を請け負う羽目になったのだと思いますか?」
 それは貴方が推薦したからです。と切原は胡乱に思ったのだが、その台詞は先輩が代わりに語ってくれた。
「言いたくはないがのう、お前さんの所為じゃろ」
「いいえ、私が言いたいのはもっと根本的な問題です。どの道、私が推さずとも彼が収まっていたでしょうからね」
 柳生は図星をつかれても気にしたようすはなく、ただしれっと言い返した。メガネを押し上げる動作を忘れずに。まあその言い分は、結局正しいので仁王も積極的に言い返さない。誰かを推せと言われたなら、自分とてジャッカルを推す。
 渡り廊下からは図書室や職員室や会議室など、一般生徒が近寄りがたい教室ばかりの棟へと繋がる道しかなく、人はまばらだ。通常廊下なんかで足を止めていると、いろいろな意味で目立つテニス部員は女子生徒からの視線と聞き耳を頂戴しがちなのだが、ここならば本好きな生徒が通ってもミーハーな生徒はほとんど通らないので、おおっぴらに話すことができる。
「根本的っスかあ?」
「ええ。なぜ、彼は副部長のポストに収まったのですか?」
「そりゃ、真田が部長んなったからだろーい」
 丸井が口に含んでいたアップルガムを風船状に膨らましたため、柳生が校内でお菓子を食べるなどと、と説教を始めたが、これは徒労に終わった。仁王は持ってきていたオレンジジュースの缶の最後の一口を空けて、ゴミ箱に放り投げたが、これはジャストミートで、カランコロンといい音が響き、切原がすげー、などと感嘆していた。そしてそれを真似せんと手元になにかゴミを探していたが、見当たらなかったようだった。
「遊ばないでください、話を続けますよ」
 再び柳生はメガネを上げると、コホンと咳払いした。
「なんじゃ、幸村が部長にならなかったのが根本的問題だって言うて欲しいのか?」
「その通りですよ、仁王くん」
 柳生は満足そうに微笑んだ。ワトスンくんが自分の言わんことを察してくれた、とでも言うようだ。最初から言えば良いのにホント回りくどい、と切原は思うが、ミステリ調なのだろう。彼の愛読書ゆえ、だ。
「では、なぜ幸村くんは部長にならなかったのか」
「校則の所為っス……よね」
「ええそうです。珍しく察しが良いですね、切原くん」
 う、と褒められたはずなのに(一言多いが)切原は詰まった。そう、この人の良さそうな顔に騙されてはならない。彼は切原のことを一時だとしてもワカメ野郎などと思っていた前科があるのだ。無意識の苦手、はここに起因するものがあるかも知れない。一度、柳参謀によるカウンセラーを受けてみようか、とふと思う。彼はカウンセラーではないが、心理状態をきっぱりと断言してくれるに違いない。だがしかし、それはそれで怖い気もしてきた。なにを見破られるのだろう、はたまた見破られているのだろう。ついでにどんなとんでもない(基本的に柳蓮二という人はどうにもとんでもないのだ)解決策を与えられるのか戦々恐々とするのである。
「そうです。つまり元凶は、この意図不明な校則にあり、ということです」
 そんな、名探偵が真犯人の名をあげるように言わなくても、と再び切原は思う。しかし先輩二人がなにも言わないということは、もしかしたら柳生はいつもこうなのかも知れない、と思い始めていた。
「んで、どうするんじゃ?」
 仁王はというと、柳生は推理が好きだからまた妙な方向に行き着いたな、と相変わらずな友人の行動を若干ほほえましく見ていた。彼も意外とぶっ飛んでいると言えばぶっ飛んでいるのだ。というより、このテニス部レギュラーメンバーに、完全にまともな人間など最初からいやしない。たとい柳生が自分をそうだと信じていても。むしろ、ぶっちゃけ世間的レベルでの自分の普遍的な人間性(つまり真っ当な人間だということ)をまったく信じていない参謀柳氏の方が、よっぽどまともだとすら思える。
「というわけで、生徒会に訴えに参ります。作戦会議は以上です」
「っておい、まだなんも決まってないだろ?」
「決めるべく作戦など今はありません。貴方達は頷くでもして私を擁護してくだされば結構。行きますよ」
 ああ柳生が突然暴走を。しばらく暑かった所為だろうか。三人の思いは虚しく、ずんずんと職員室や会議室に並んで鎮座する生徒会室を目指す柳生を放っておけず、三人はとかく足早に彼を追いかけたのだ。

 生徒会室には、三人が真田の元を訪れた際すでに教室を後にしていたらしい、柳蓮二の姿もあった。
「どうしたんだ、お前たち」
 心底不思議そう、とまでは行かず、柳はほんの少しだけ首を傾げてみせたが、読まれている気がしないでもない。相変わらずだぜ、と丸井は思う。一度柳の頭を切り開いて解剖してみたいと思うのは自分だけではないはずだと、確信している。多分高性能コンピュータが出てくるんだ、と切原に至っては確信を持っている。
「テニス部の面々だったか、柳?」
「ああ、どうした、直談判か」
 抑揚のない柳の声に、柳生が机を叩かんばかりの勢いで答えた。
「その通り、直談判に来たのですよ、我々は」
 血気盛んな発言を聞いてなお、この場に二人しかおらぬ生徒会役員、会計柳蓮二と生徒会長は、冷静な面持ちで彼らを見つめている。
「なんのだ?」
 生徒会長は、まあ、と前置きしてから語り始めた。
「生徒会というのは生徒の要望を聞き、それを審議し、それに合理的な理由があれば教師方に話を持ちかけたり、時には我々の手からそれを実行に移すものだと思っているから、聞くことはもちろん、聞こう」
「校則の改正を要求します」
 校則、と聞き、さすがの冷静そうな会長も眉を動かした。柳の方はノーリアクション。やはり読んでいたのではないだろうか、とは柳生以外の三人の邪推である。柳生は柳の表情にも、今はさすがに構っていられないらしい。
「校則を作るのは生徒会ではなく、校長を筆頭とした教師陣だが」
「一生徒の要求が易々と通るとは思っていません」
 良く通る声で、柳生はきっぱりと言い切る。それは確かに、突然四人組で職員室か校長室を訪問して、校則を変えて欲しいなどと要求したところで、それが通る確率はかなり低いだろう。せめて生徒会役員である柳を連れているならばまだしも、彼はまったく非協力的だから望み薄だし。更にしてその要求は、合理的かどうかと問われるとまったく、首を横に振らざるを得ないものなのだ。そう、相手が職員室でも校長室でも、通る可能性は極めて、低い。それならば、一生徒の要求を聞き届け、かつ、必要とあらば教師に働きかけることのできる組織――それこそが、生徒会というものであり、ならばそれに頼むのが王道だろう。
 柳生は熱血というのかなんというのか、頭に血が上っている感じで、働いていないのではないかと思っていたのだが、やはり冷静だ。妙なところで仁王は改めてこの友人に感心した。が、しかし話は別だろう。まず先に柳に働きかければ良いんじゃ、と思わないでもなかったが、彼は非協力的態度を最初に見せたのならば、後は一貫、非協力的なのだ。それを長い付き合いで知っているからこそあえて、生徒会という組織の方へ訴えるという試みなのだろう。やはり、冷静ということか。
「なにを変えて欲しいのか、具体的に言ってくれないか? まさか、君が髪型や制服なんかの規制に関して変更を求めるとは思えないのだけど」
 さすが柳生。品行方正な優等生で通っているだけはある。これに感心したのは丸井であった。紳士ジェントルマンの呼び名は、なにもテニスのプレイに関してだけではないのだ。
「生徒手帳に記載のある校則――その内、生徒会会則、第37条、部は部長・副部長・会計を選出してそれぞれの任務にあたるとともに、その活動状況等を生徒会総務に報告しなければならない。但し、部長及び副部長に関しては、他の部との兼部、生徒会役員との兼任を不可とする、という条文の但し書きの部分です」
 良く覚えてきたな、先輩。切原もまたそんな風に感心した。
 しかし幾ら三人が感心しきりでも、肝心柳生の手助けにはなりそうにもない。が、柳生の方もそんなことは承知で、単なる人数合わせくらいにしか思っておらず、一人で質疑応答をくりかえすのみだ。
「柳を部長にでも仕立てたいのか?」
「俺はそういうタイプではないぞ」
 柳の突っ込みは、会長に対してのみであり、他四名の意図はもちろん、明確に伝わっている。一を言えば十も二十も、もしかしたら百くらいでも解釈している人間なのだ、柳とは。
「生徒会には、お前しかいないだろう?」
「生徒会云々は問題ではありません。その部分の規定は残しておいて下さってもまったく結構です。私が言いたいのは、部長と副部長が兼部できない――という点を削除して欲しい、ということです」
 いえいっそ部長が兼部できないという点だけでも、と柳生は言い直したが、部長は兼部できて副部長が兼部できないなどと、ますます意味がわからないので、あまり意味のない言いかえではあった。
「柳、お前の意見はどうだ?」
「現状維持で問題ないと思う。必要性を感じない」
「なら却下だ」
 柳蓮二はここでも参謀なのか。という突っ込みをしたくなったのだが、それより重大なのは、柳は四人に与してくれそうもないという点だ。あれだけきっぱりと言われれば取り付くシマもない。柳生ですら反論できなかったのは、柳が、というポイントにある。そう、柳蓮二という人は、非協力的ならばどこまでいってもきっぱりはっきり非協力的なのだ。
「では、帰ってもらおうか。これから会議がある」
 柳は主体的に動くことはなく、会長が右手を振って帰れというジェスチャーをして寄越した。
「……柳くん」
 恨み言を吐きたいわけでもないのだが、つい柳生が呼び止めると、柳は少々複雑そうな顔で柳生の方を見やった。その意図が読めるとしたら、柳のことに関しては異様に鋭いというかなんというべきかわからない、某年齢詐称の新部長くらいな気がする。いや、実際に読めるかはわからないが。とかく、柳生には、それを読めるほどの彼との付き合いは、残念ながらないのだ。
 ただ、読唇術の心得などなくても、柳が最後に音に出さず呟いた言葉だけはわかった。
『すまない』
 それに含まれた柳の心情を知って(理由は不明にしても)尚、諦めるなどと考えないのが暴走している柳生なのかも知れない。とは後の仁王の感想である。