捜査一課824


「お前、さっきからちゃんとやる気あんのかよ!」
「うん? もっちろん、やる気ありありやで。ほな、向こうでうるさいお兄さん怒っとるから、またなぁ」
 ひらひらと笑顔で女の子に手を振って、にこにこと笑顔を浮かべながらこちらに戻ってきた。
「そないカッカしてたら、聞けるもんも聞けへんで?」
「お前な、さっきから女ばっかりじゃねぇか!」
「そんなん、ガイシャが女子高生なんやから当然やん」
 アントーニョは手帳になにかメモしている。今の雑談でいったいなにを聞き出せたというのか。疑わしいことこの上ない。アーサーが中身を見てやろうとすると「プライバシーの侵害や!」と叩かれた。
「アーサーこそ、すぐ凄むのやめぇや。話全然聞けてへんやん」
「うるせぇ! 疚しいから逃げるんだよ奴らは!」
「ほいほい。そんなんじゃ、日ぃ暮れてまうで。あ、電話や」
 このへらっとしたアントーニョ・フェルナンデス・カリエドとコンビを組まされてアーサーは扱いに苦慮していた。こちらの方が経歴が上なのだが、あまりそういう概念がないらしいアントーニョは言うことを聞いていない。聞かないのではなく物理的にだいたい、聞いていないのだ。恐るべきことである。
(なんでこんな面倒なのと組む羽目に……!)
 警視庁捜査一課という花形に配属されたのは一年前。それなりに実績を積んできたと思う。派手なことはしていないが、捜査に貢献しているはずだ。
『ってわけで、アーサーがアントーニョの教育係ね』
 上司に当たる金髪の男のことを思いながら、心の中で呪いの言葉を連ねる。たしかに係長という役職からすれば教育係として新人刑事について回るわけにもいくまい。そして、教育係に選ばれたのだからアーサーは優秀なのだ。ある意味ではお墨付きだろう。いつも胡散臭い食べ物ばかり持ってくる王に比べても背が高いばかりのイヴァンに比べても間違いなく優秀だ。そして押しに弱い菊よりも新人を扱うには向いているかもしれない。しかし基本的にアーサーは単独行動する方なのだ。
(なにが、『お前も協調性を学びなさい』だ、あの髭!)
 どうせ部屋でコーヒーを飲んでばかりいるような男に言われたって納得いかなかった。
「うんうん、大丈夫やで、上手くやれとるよ」
「……どこがだ」
 電話相手は恐らく係長のフランシスだろう。旧知の仲だと聞いている。だったらお前が教育してやれよと言いたい気持ちにもなった。
「ふふ、前回は俺のお手柄やったもんな! うん、アーサーも頑張っとるよ!」
「ざけんなぁぁ! なんでお前が上から目線なんだよ!」
 聞いていられずにアントーニョの携帯電話をひったくった。
「あっ、ちょ、アーサー」
「俺が! コイツを指導してやってんだよ! 前回のだってなぁ」
『前回のは完全にアントーニョの手柄でしょ。あの奔放なアイディアが浮かぶのはアイツだけ。手柄の横取りはお兄さん、見苦しいと思うなぁ』
 うぐっと、アーサーは黙った。
 アントーニョと組んで初めての事件――それが世田谷資産家殺人事件だった。老夫婦二人が邸内で惨殺されるという非常に惨たらしい事件で、預金通帳もなくなっていたことからカネ目当ての犯行として捜査が進められたのだ。アーサーはいつも捜査に貢献しているが、犯人の逮捕経験はほとんどない。凶悪事件では一度もなかった。それについては本人としても気にしており、単独捜査が故に証拠を固めにくいのが原因だと思っていた。それを指摘されたからとて協力して事件解決ハッピーエンドまる、とは行かない。しかしフランシスから新人教育を頼まれたのは、そういう理由があってのことではないかと思ったのでいちおう素直に受け入れたのである。プライドが高いので自分より経験が上の者と組まされるよりもマシだと思ったというのもある。
 ほぼ初めての現場だと言うアントーニョは遺体を見ても怯むことがなかった。最初は卒倒くらいすれば可愛げがあったものをとアーサーの方が勝手に思ったくらいである。しかし遺体よりも周囲の状況を気にしており、別の部屋までフラフラと言ったのでアーサーは何度も声を荒らげる羽目になった。まったく物怖じしない新人なのである。
『ともかく、コンビ組んでる以上、仲良くやれないと問題になるのはお前の方でしょ。先輩なんだから』
「先輩なんて、向こうが思ってねぇだろ」
『アントーニョはちゃんと敬意を払ってると思うけど』
「どこが」
「アーサー、暑いから飲み物買うてきたでぇ」
 いつのまにいなくなっていたと思えばアントーニョは二つの缶コーヒーを手に持ってにこにこと笑っている。屈託のない笑みだ。思わず絆されそうな気持ちにならないでもない。
(って絆されるってなんだ!)
「えーと、カフェ・オ・レとカフェ・ラテ、どっちがえぇ?」
「どっちもおんなじじゃねぇか!」
 思わず電話を持っていることを忘れて叫んでしまった。昼間の住宅街には人も多い。主婦らしき女性が何人か振り返ってこちらを見て笑っていた。こんな目に遭うのもこの男の所為だ。
「ちっ、ちっ、ちっ。甘いわ。……朝飲んできたショコラータみたいに甘いで」
 アントーニョは固めを瞑って人差し指を振る。
「朝からなに飲んでんだよ、お前」
 ショコラータとはなにかよく知らないが、響きからチョコレート的ななにかだろうと想像した。それはたしかに甘そうである。
「カフェ・オ・レはフランス語、カフェ・ラテはイタリア語や」
「根本が同じだろ!」
 物凄く得意げに言われたが内容物は同じである。なにか知らぬ違いがあるのかと思ったアーサーはイライラしてまた声を荒らげた。
『ちょっとお前ね……俺の耳に響くから止めてちょうだい』
「こんな奴と、仲良くできるか!」
「アーサーどっちでもえぇの? ほんなら俺はカフェ・ラテにしてまうでっ」
 語尾に星マークでもついていそうな可愛らしい響きで言うので余計に動揺する。
「ほい、アーサーの分! ところで携帯もうえぇ?」
「え? あ、あぁ……」
 ひょいと携帯を回収された。呆気にとられているとまた親しそうに会話が始まる。手持ち無沙汰でプルタブを開けた。プシュッと軽い音がする。
「うんうん、大丈夫やって。ちゃんとやれば戻れるんやろ? 俺、頑張っとるからな。あ、ほんで、コーヒーなんやけど、被害者の女の子、ブラックコーヒーの缶持っとったやん? 女子高生がブラックつぅんは妙やなぁって思っててん。それ、さっき、友達って子に聞いたらな――」
 アントーニョは軽妙に会話を続けている。カフェ・オ・レは甘ったるい。
(本当に仕事してる、コイツ)
 親しげに話していた女子高生からの情報を伝達する様子から、着実に事件の解決を見据えて行動していることは窺えた。無論アーサーとて手を拱いているわけではない。
「つぅわけで、その友達っつぅ女子大生が気になっとる。こんまま調べに行ってもえぇ?」
 ちらりと横目でこちらを見た。恐らく署に戻らなくても平気かと聞いているのだろう。気になることがあるのならばとことん追及するのは当然だ。アーサーは一度だけ頷いた。
「ん、了解! え? カフェ・オ・レにしろって? えぇー、俺カフェ・ラテのが好きやねん」
 真面目に話していたと思えばいきなり関係のない話題になったので脱力する。本当にこの二つに違いがあるとでも言うのだろうか。まったくアーサーには分からない。それが旧知の仲だという二人の間柄だとでも言うのだろうか。そう思うとイラッとした。こちらはコンビを組んでいるのだ。それなのにフランシスとの方が仲がよいなどと失礼な話ではないだろうか。だったら向こうと組めという話で。
「ん、知っとる。ほんじゃなぁ」
 通話を切るとアントーニョは上着の内ポケットに携帯を仕舞った。のほほんと笑ってカフェ・ラテの缶を開ける。
「アーサー、美味しかった?」
「甘ぇよ、こんなん飲めるか――だいたい俺は紳士なんだから、紅茶派だ」
「せやったん? そら知らんかったわ、ごめんなぁ。次からは紅茶やね、了解」
 自由奔放で屈託がなく明け透け。非を認めるのも簡単で、本当に悪いように眉を下げるのだ。
(そんな顔するなよ!)
 まるでこちらが悪者だ。元より買ってきてくれたのにちゃちを入れている辺りで非はこちらにしかない。喉が乾いていたのは事実で、本当はカフェ・オ・レだってありがたかった。
「ん、とカフェ・ラテの方がえぇなら変えるんやけど、紅茶……買い直そか?」
「いらねぇよ! じ、自動販売機で売ってる紅茶なんて美味しくないからな! つ、次もカフェ・オ・レでいい――勘違いするなよな! お前が買ってきてくれたから悪いと思ってとか、そういうんじゃねぇぞ!」
「? えーと、カフェ・オ・レでよかったん? ほんならえぇけど」
 ツンデレですかそうですかと菊の声が聞こえた気がした。
 たしかに礼節はあるのだろうと思う。前回の事もそうだ。色々な情報を素早く獲得し、いち早く怨恨の可能性に気づき、夫婦が過去に遭ったという事件を洗い直した方がよいとアーサーに助言してくれたのはアントーニョだった。その結果、犯人の逮捕に至ったのである。しかしそれを己の助言によるものだなどとは誇らずむしろ『アーサーが昔の事件、綺麗に調べ直したお陰やで。俺は大したことしてへんから』と謙遜するくらいなのだ。
「と、とにかく、その……なんだったか? 女子大生んとこに行くんだろ」
「せや。女子大生かぁ、ほんならえぇなぁ」
「ななっ、なにがだ! まさか、女子大生が若くて可愛くていいとか――」
「危なくなさそうでえぇなぁって。アーサー、なんや不純なこと言うとるな」
「……危なく?」
 捜査一課の刑事は危険を顧みずに仕事するものだとアーサーは思っている。この仕事に誇りを持っているし、それに殉ずるくらいの気持ちでいた。
「アーサー独身やっけ?」
「ど、独身だ。お前も、だろ」
「せやったら、うん……でも、心配かけたらアカンで」
「! 俺を心配して――」
「危ない目に遭わないが一番、やで! さ、女子大生んトコ向かおか!」
 レッツゴーとでも言いださん雰囲気でアントーニョは右手をグーにして上げた。振り返って固めを瞑る。子供っぽいと思いつつやっぱり行動が可愛いなんて思う。
(か、可愛いってなんだ!)
 そしてすぐに首を横に振った。

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