同じだと思っていたことが違う、ということが稀にある。
「え、お前のとこは今日じゃないわけ?」
「せやで。これはなぁ、キリスト教と関わりある日やねん……フランシスんとこは今日やったん、なんでや?」
「たしか、アルフレッド辺りが――」
その名を出すと、アントーニョは苦い顔をした。昔は共に独立を支援してやったフランシスにとっては甥っ子のようなものだが、アントーニョには彼に掌返された記憶ばかりが残っているらしい。無理もないか、と思う。フランシスからすればアルフレッドはだいたい同じ陣営にいた影響もあって、可愛い弟分の一人のようなものだ。アントーニョにとってのそれは、ロヴィーノだけなのかもしれない。
「ふうん、アルフレッドな」
「最近和解したって聞いた気がするけど」
「それは、アーサーの方だけや」
あれってセットで嫌いだったんじゃないのか、とか思いながらむうっとした表情のアントーニョを眺める。あまり怒る方ではないので、むっとした顔は珍しい。じっと見ていると「なに見とるん?」とアントーニョは首を傾げた。その表情はもう元通りで、切り替えの早さも窺わせる。怒らせると怖いだけでなく、意外と根に持つタイプなのだ。まったくもって意外としか言えないが。
「ってことは、フランシスは息子同然のアルフレッドさんにネクタイでも貰ったんや?」
「拗ねるなよ。アルフレッドにとっての身内は、アーサーだけでしょ」
癖毛に触るとアントーニョは寝転んだままゆるゆると頭を振った。気持ちよいのか、髪に触るとアントーニョは機嫌がよくなる。ただし頭を撫でるのは嫌がられる。子供っぽいからアカンと言うが、それなら自分でロヴィーノにしていることを鑑みてやった方がよいと思われた。
「お前こそ、ロヴィーノに貰った?」
「今日? 別になんも貰ってへんけど」
「あぁ、お前のとこは今日じゃないんだっけ……」
「んー、あぁ、そういやネクタイもろたわ。うん。あぁ、あれって父の日やったんね」
アントーニョはのんびりと頷いた。この調子ではあげた方は報われないだろう。しかし鈍いことは知っているのだから、見越してそう言っておけばいいのだ。
(って、カーネーションもそうだったっけ)
ロヴィーノは母の日にもカーネーションを贈っていたが、その意味するところをアントーニョは気づいていない。貰ってうれしいということだけ話していた。
(それとも、知られたくなかったりして)
逆かもしれない。ロヴィーノはアントーニョのことを想っている。昔のことがあるのか、アントーニョをひっそりと気遣っているらしい。節々にそのような様子が見られた。当本人は気づいていないが、フランシスはそれらのサインに気づいている。けれど気づく度、アントーニョが子分に慕われていることをほほえましく思っていた。誰だって、自分の恋人が好かれている様を見るのはうれしい。ただ、それが親分と子分の情を越えているとなると話は別だ。
「……ネクタイ、どうした?」
「ん、取ってあるで。飾ってあるけど?」
飾ってあるとはどういう状況だろうか。ネクタイがまさか額に入れられているということはないだろうが、机かなにかに垂れ下がっているのだろうか。今すぐにでも家に行って確認してみたい気がした。とは言っても、ここからスペインではやはり遠い。
「お前ね、そういうのは使うものでしょ」
なんで飾るの、と思わず髪をくしゃくしゃとしながら言う。アントーニョは髪を乱されるのを嫌がってか首を振った。
「使って欲しくて贈るんだから」
「へぇ、そうなん」
しかしこの頓着しない様子では、説諭も無駄に終わるだろう。なんともマイペースなことである。アントーニョは髪を乱す手を振りきると、手櫛で直し始めた。
或いは、ロヴィーノはアントーニョには母の日や父の日のプレゼントだと考えて欲しいのではないか、ともフランシスは考える。それにかこつけて労をねぎらいたいとか、喜ばせたいとかそういうのが裏の事情。しかし鈍感も鈍感のアントーニョがそれを察せられるだろうか。そう、共に過ごした時間の長いロヴィーノが思うだろうか。
(いや、それだけでもないか)
その点をクリアするとすれば、自分だろう。アントーニョに昔から機微についてのあれこれを説いているフランシスならば、それは母の日だとか父の日だとかおそらく指摘する。そこまで考えたのかもしれない。それどころか、越えて、今のようにフランシスがそうした考えに行き着くところすら折り込み済みである可能性も高かった。
「カーネーションは、ドライフラワーにして飾ってあるで」
「まぁ、そっちは正しい反応だと思うけどね」
「フランシス、難しい顔しとるけどどないしたん?」
複雑な心境など分かるはずもないアントーニョはマイペースにほほえんでいる。起き上がったアントーニョに、眉間の辺りを人差し指でつつかれた。
「また、妙なこと考えとる?」
「またって」
「ペシミスト」
って言うんやろ、とアントーニョはのほほんと笑っている。
「疲れとるん? 親分に甘えてもえぇで! 今日は父の日やから、お父さん労らなアカンからね」
「お父さんじゃなくてお兄さん……」
しかもアントーニョにとっては幼馴染の友人だから、兄貴分ですらない。胸を叩いて言われても微妙に困る。アントーニョは聞いても聞かず、はいはい、と聞き分けのない子供に言うみたいに手を叩いた。
「疲れてるのはお前でしょ」
「んー、そうなん? でも親分は子分が労ってくれてんねん」
オランダもネクタイくれへんかなぁ、なんてアントーニョは暢気なことを言っている。ベルギーからは貰ったのか、それともあの子はまた別なのだろうか。
(たしかに、杞憂か)
ペシミストなどと言われたことと関連するか分からないが、直接ロヴィーノに問いただしたところで答えが是でも素直に頷くとも思えない。つまり否定されてもそれでおしまいにはできないのだから、どうしようもないのだ。
悩んでいると急に身体が倒された。天井が見える。
「アントーニョ……お兄さん襲われてるの?」
聞いていないのか、アントーニョはいそいそとフランシスの頭の方に動いている。思考が面倒になって起き上がらないままでいると、急に頭が持ち上がった。
「よし、疲れとるときはこれやんな!」
「ちょっと待った……お兄さんの認識が正しければこれって」
目線の先にはアントーニョの顔だけがある。
「うん? 膝枕やろ?」
「……誰に聞いたの」
意外と自分でメイドとか乳母とかそういうの辺りからしてもらった記憶があるかもしれないが、たぶん誰かの入れ知恵だろう。
「菊!」
あぁなるほどね、と脱力しながら思う。菊は基本的に常識人だが、どこかがおかしい。どこと指摘できないのだが、それが東洋の神秘、ガラパゴスとすら称される島国なのだろうか。
「まぁ、女の子みたいに柔らかい太股やあらへんけど、堪忍な」
片目を瞑ってそんな風に言われたのを、膝枕(なぜ膝ではなく彼の言うように太股なのに膝と称するのだろうかと少し思ったが)されながら下から見つめているのだ。この光景が落ち着くかどうか分からないが、悪くないことはもちろんだった。
「硬かったら言うてえぇで」
「いや……うん、疲れがとれそう」
「あはは。こっちは疲れ溜まるんやけどな」
「ん? ちょっと待った。それって経験が……」
「ロヴィーノもなんだかんだでこのまま寝とったし、親分、膝枕得意やんなぁ」
「またロヴィーノ!?」
「へ? また?」
「……あぁ、もう考えるの疲れた。寝るわ。お前が疲れたら起こして」
「了解やで! なんなら子守歌でも歌ったろか?」
目を閉じようとする瞬間に、アントーニョがほほえんだ表情が目に入り込んだ。
「ゆっくり休むんやで、フランシス」
声はとてもやわらかい。
(優しい顔)
親しい者に――恋人に向ける甘い甘い笑顔、だ。アントーニョは、フランシスを好きだと言ってくれる可愛い恋人でしかない。もし他の誰かが彼を好きだったとしても、その事実は揺るがない。真面目なアントーニョはきっと、心がここにある以上、決してどこかに行ったりしない。
「ブォナノッテ……ってこれイタリア語やったわ。えーと、フランス語フランス語……んー……」
「お前ね、台無しにしないで欲しいんだけど」
せっかくいいことを考えたのに、やっぱりロヴィーノ贔屓では納得いかない。
「うん? あ、思い出したで、バニー!」
微妙に近いようにも思ったがまったく違う。むしろ「Bonne nuit.」からは遠い。
「兎はお前だ! おやすみでいいよ、おやすみで」
「イスパニアやからね!」
きらきらとした声に思わず目を開けたら、まぁまぁとか言いながら無理に瞼を閉じさせられた。
(相変わらず、体温が高い)
子供みたいな体温と言うと文句を言われる。傍にいると安心するし、落ち着く。包容力のようなものがあるのだ。感じながら意識が遠のいていく。眠っている間、アントーニョはどうしているのだろうか。なにを思うのだろうか。なんとなくそんなことだけが気にかかった。