ビジネス/ライク/ビジネス


 食事会に呼ばれた。それも、アーサーに。
「ホンマに、美味しいモン食べられると思う? なぁ、ロヴィーノ」
「し、知るか!」
 しかも、ロヴィーノと共にだ。まったく理由がよく分からない。招待してくれたイギリスまで二人でやってきたのだが、彼の国は美食の国とは言い難いことで有名だ。これがフランスだったらまた別なのだろうが、来る前から食事については少し心配があった。それでもやってきたのは、偏にアーサーの手料理が振舞われる可能性があるような場所ではなかったためである。即ち、彼の国の高級そうなレストランが食事会の舞台だったのだ。
 イギリスは紳士の国、と本人が豪語する通り、規則には厳しいイメージがある。そのため、マナーにドレスコードにといろいろ面倒そうだとアントーニョは思って最初は敬遠していた。しかしアーサーはあまり拘らなくてよい、と招待した際にこちらに言った。逆にアントーニョの方が拍子抜けしてしまったくらいだ。そうは言っても名前だけでも高級そうなレストランであったため、普段着では到底行かれない。従って、会議の時と同様に二人してスーツを着込んできたのだが、アーサーがそのように言った理由はすぐに判明した。レストランは本日貸切だったのだ。たった二名の客のために。
「……むしろ、嫌味なん?」
 現在も貧困に悩まされているアントーニョには信じられない金の使い方である。それだけ重要な客であるとも思えないから余計にそう思うのかもしれない。アーサーがアントーニョやロヴィーノを軽んじているとは言わないが、敬意を払ってもらう関係にはないはずだ。
「アイツ、お金はあるみたいだからな」
 本人を目の前にしてはあまり言わないような言い方をして、ロヴィーノは窓の方を見た。考えるところとしてはロヴィーノも同じなのだろう。そして飾られている赤い薔薇を、気取り屋だとか評しながらその花弁に触れた。赤い花弁が揺れている。クリーム色の灯りは視界を淡く円やかに照らし出していた。キツイ明るさではないけれど、夜の闇に視界が彷徨ってしまわない程度には店内を明るく染めてくれている。花に触れる指先が危なっかしくアントーニョには思えた。その感情のまま、棘があるから気をつけてな、と言うとむっとした視線が返ってくる。曰く、子供扱いするなということらしい。子供だなどと思っているつもりはないが、軽く笑って返しておく。
 ロヴィーノがアーサーを苦手としていることはアントーニョも知るところだし、アーサーとアントーニョとの仲が良好でないこともお互い了知しているはずのことだった。それなのにあえてこのメンツを呼ぶというのは、如何なることだろうか。実はフェリシアーノも呼ばれていたのだが、用事があるからと逃げられてしまったし。ロヴィーノはここ数日、不機嫌続きだったし。
「な、ロヴィーノ。嫌なら来なくてもよかったんやで? ほら、アーサーの顔立てるんなら、俺独りでも十分やし」
 アントーニョはと言えば、無料で豪華な食事という言葉に釣られた。たしかにアーサーには昔、嫌な目に遭わされている。しかしただの悪い奴ではない、というのは近年明らかになったことだ。戦で争うというのならばフランシスだってローデリヒだって同じだし、延長線上にある。と、言って簡単に許せることができない程度のことをされたので避けていたのだが。しかしアントーニョは元々、人を憎むとか嫌悪するとかそういうことが好きではなかったし、数世紀も超えれば感情的にも大分落ち着いてくる。頑なな態度を取れば関係が悪化するばかりだから、食事会というのも悪いことではないと思ったのだ。
 などというようなことは、食事に釣られた言い訳に過ぎないのだが。
「だいたい、なんでお前は来たんだよ!」
「え、やって、豪華な食事やで?」
 問われると本音が出るのがアントーニョであった。素直だ単純だと言われる所以である。
「食い意地張ってんじゃねぇよ!」
 ロヴィーノは振り返るとアントーニョの頬を引っ張った。
「くいいひやあらへんれ」
「じゃあなんだよ」
「らいへいらん」
「……そんなに苦しいのか?」
 ロヴィーノは手を離した。瞳が少し真剣になっている。
「ん、まぁ……ロヴィーノが気にすることやないで! それにな、ほら、EU関連って言うてたやろ? 俺も興味あんねん」
 クールな瞳が曇ったので、慌てた。そんなに、というのがどの程度を指すのか考えるのは難しいところではあるが、少なくとももう死にそうなほどではない。病に伏せってしまうほどではないはずだ。以前に心配をかけてしまったあの時は、たしかに死んでしまうかと思うほどにひどかった。けれど今は、贅沢はあまり言えないという程度にすぎない。ならば余分な心的負荷をかけるべきではないのだ。つまり子分に心配かけるような親分ではいけない。そう思ったのでなんでもないように片目を瞑ってほほえむと、ロヴィーノは苦い顔をした。なぜだろうかと首を傾げると、もう一度頬を引っ張られた。
「もしそうなら……そんなの、なんで俺たちに言うんだよ」
 言葉尻は投げ遣りだったが、発言は鋭い指摘である。現在、EUで主導的な地位にいるのはドイツとフランス。イタリアも大国に数えられてはいるが、前記二国には及ばず、スペインに至ってはその一段階下にいる。そのようなポジショニングの二人を呼び集めて、EUにおいての重要な話もなにもないのではないかと言うのがここに来るまでの間に一貫して主張されていたロヴィーノの意見だった。ロヴィーノは自身が誘いに乗ることよりも、アントーニョがイギリスに行くことについてむしろ否定的であったのだ。
「用事にかこつけて呼び出したいだけだろ」
 溜息をついたロヴィーノは、頬から手を離すとまた視線を窓へと向ける。まるで拗ねたように。窓ガラスの先からは、あまり見慣れぬイギリスの街並みが広がっているのだ。ここからでは少し遠い。活気づいた街は夜にも関わらずネオンのライトが光っているようにだけ見えた。昨今はどこでも同じだ。バルセロナだってマドリードだって、ナポリだってローマだってそう。街は夜になっても眠りにつかないのではないだろうか。
「え、なんやって?」
 声がよく聞こえなかったので首を傾げると、ロヴィーノはこちらを睨みつけた。ぽやんと外の景色にうつつを抜かしていた所為だ。聞き逃すことは珍しくないので、大抵の場合もう一度尋ねるのだけれど、きちんとした返事があることは少ない。それからややあって溜息。また返答はなく、ロヴィーノは腕を組んでアントーニョの隣に座った。
「なんでもねぇよ! 食いもんにホイホイつられんな! その……そんなにアレなら、たまには俺が奢ってや――」
「遅れて悪かった」
 眼前のドアが騒がしい音で開いたと思うと、紺色のスーツ姿のアーサーが入ってきた。手にジャケットを持って、ブルーのハンカチで額を拭いている。急いできたらしく、息が上がっていた。オールバックにしているのは、仕事帰りだからなのだろうか。なんとなく珍しい様子だなと思ってアントーニョはひっそりと笑う。会議ではあまり見られない状態だ。
「珍しいなぁ、時間にはいっつも厳しいくせに」
 会議の始まりなどでは遅れてきたメンバーに怒鳴っている姿ばかりを見ている。事前にウエイターから急な仕事が入って遅れるらしいとは聞いているが、一言くらい言ってもいいだろうと思って笑うと、悪かったと素直に返ってきた。拍子抜けだ。
「お前……わざとじゃねぇだろうな……」
 立ち上がったロヴィーノがわなわなと震えているので、どうかしたのだろうかと思った。
「ああ、お前も来てたのか、イタリア兄」
 対するアーサーは平然とそんなことを言ってのける。
「言うたやろ、二人で行くって。忘れててん?」
「別にそういうわけじゃないけどな……待たせて悪かったな、いいワインを――あぁ、vinoだったか? 用意しておいた」
「vino! ロヴィーノ、vinoやで! 楽しみやなぁ!」
 フランシスと食事すると、お前はアルコール禁止と言われるアントーニョである。しかしワインは大好きだし、いいワインと聞いては黙っておられない。イギリスはあまりワイン文化ではなかった気がするが、どこのワインだろうかと頭を巡らせる。
「この単細胞……」
「うん? ほな、早く席に行こうや!」
「先に座っててもよかったんだが、なんでここで待ってたんだ、お前ら」
「全員揃ってから席に着く方がえぇやろ、ほら、アーサーもはよ!」
 鞄をウエイターに預けたアーサーの手を引っ張ろうとすると、逆側から手を引っ張られた。そちらに視線を向けると、むっつりとしたロヴィーノの顔がある。指はひやりとしていた。いつものロヴィーノの指先だ。氷みたいだと言えば言い過ぎになるかもしれない。冬の朝に蛇口から流した水に手を差し入れた瞬間の方が、表現としては少し近かった。感覚で言えば氷に触れているのと同じだ。絶対的な冷たさと、周囲の低音から体感する温度の低さ、その違い。
 なにしてるんだよ、と手を引くときいつもロヴィーノは言う。その言葉がなかったことには半ば驚いて、そうして言葉がなくても瞳が雄弁に語っていることに思いが至った。
「なんで、俺たちを呼んだ?」
 ロヴィーノの視線はすい、とアントーニョから離れ、背後の人物の方へと移る。眼光は鋭いとは言わないけれど、いつもの面倒そうなものよりは冷たく光を放っていた。たとえて言うとすれば、レーザー光線のようなまっすぐさだ。視線を追って後ろを振り向く。怜悧な瞳に動じることもなく、アーサーはいつも通り――否、いつもよりもずっと鋭い、まるで切れ味のよいナイフの鋒のような光を瞳に宿していた。
「EUの主導的地位はドイツとフランスにあるが、10年先もそれでいいと思うか?」
 唇は小さく動いた。けれど声は突き刺さりそうなほどに鮮明だ。
「俺達が組むことで、位置が逆転する可能性もある」
 思わず見入っていれば、また背後から声。アントーニョは振り返る。
「それはお前の、だろ! お前が、EUで支配的な位置につ、つきたいだけですよね、アーサー……さん」
 最後の方は声が小さくなっていた。それでも目線だけはじっと睨むようにしている。
「イタリア弟、お前だってあの髭にばっかりいい顔されてんのは納得いかねぇだろ?」
 声がする度にアントーニョは前や後ろに首を振る。きょろきょろとこれだけ首を動かしていたら、おかしくなってしまいそうだ。その上、微妙に目も回ってくるし混乱する。
 アーサーが言いたいことは、アントーニョにも理解できた。わざわざスペインとイタリアを名指しして食事に呼び出した理由も。EUの大国はドイツ・フランス・イギリス、そしてイタリア。それに準ずるのがスペイン。そしてEUで主導的な立場のドイツとフランスには、イギリスが単独で国力として及ばない。さすれば残りのイタリアと繋がればよい。ついでにスペインがいれば好都合だ。
(ビジネスライクな奴やなぁ)
 或いは、ロヴィーノがいればアントーニョは御しやすいと思ったのかもしれない。
「ホンマにそれ言いたいだけやったん?」
 表情はあくまで冷静だ。黙っていれば顔は、とフランシスがいう程度には整っている。自国の繁栄だけを望む、かつての大英帝国の顔向きと変わらない。表情も言葉もそうだ。けれどそれにしたって、レストランを貸し切るだろうか。言葉にはたしかに隙がなかったけれど、行動は穴が多いように思えた。そもそも、テーブルにもつかずにこんな場所で言うことではない。
 第六感的なレベルで、なんだか違うと思った。仕事の話をしたいだけなら、いくらでも他にとるべきことはある。アントーニョは首を傾げた。本心が聞けるものなら聞いてみたい。昔から、そう思っていた。
「そういう、わけじゃ……。その、食事くらい……いいだろ、別に」
 直感だったが、それがアーサーの本音のようにもアントーニョには思われた。だいたい、向こうさんには友達らしい友達がいないのである。
「えぇよ。うん、奢りならな。な、ロヴィーノ?」
 くすりと笑う。たまにくらい付き合ってやるのも悪くないか、とアントーニョが思って振り向いても、ロヴィーノの視線は敵視するようなそれのままだった。まるで、険悪なのは昔からこの二人だったのだと言わんばかりだ。
「アントーニョ、誘われても一人で行くなよ」
 握る指先の力が強くなる。
「えぇ? どないしたん? あ、ロヴィーノもやっぱりタダ飯には便乗したいんやな? しゃあないなぁ! せやったらしゃあない。そういうわけやからアーサー、呼ぶときは二人でな!」
 ロヴィーノがいることは、アントーニョ的には大歓迎だ。意見を取り入れてほほえんで見せる。アーサーは一瞬黙ると、表情が少しだけやわらかくなった。それはなんとなく、幼い弟に向けた笑みとかそういうものをアントーニョにも想像させた。直接それを見たことはないはずだけれど、なんとなしに。
「当分はな」
「一生だ! アントーニョ、とっとと食って帰るぞ!」
 指先にはアントーニョを引き摺るくらいに強い力が込められた。想定外なほどにその力は強い。もしかしたら、意外と握力がある方なのかもしれないと思った。
「なんやのぉ、ロヴィーノせっかちさんやなぁ」

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