口実防衛


 ブリュッセルで行われる欧州理事会の会議はいつもどおり喧々諤々としていた。欧州連合のリーダーシップをとりたいフランスと国として規模の大きいドイツが言い合いを始めると、周りはもう我関せずといった状態だ。大国と称されるイギリスは欧州連合からは一定の距離を保つという建前で主導権を握ろうとはしていない。もう一つの大国イタリアはスペインと楽しそうにチャットしているだけである。そのスペインだって大国に準ずる(今はもう大国と呼んでも差し支えないだろう)というのに、今日も子分たち兄弟と笑顔で会話しているだけだった。要するにまとまりがない。
 スウェーデンは無口だったが周囲を見ていた。隣のフィンランドが「もう帰っていいんじゃないですかね、スーさん」とどこかふわふわした口調で言うのを聞いて、逆隣のデンマークが机に突っ伏して面倒そうにしているのを見る。これが世界でも規模の大きい欧州連合というものの実情であった。
(早く家さ帰って、仕事した方がえぇ)
 そんなことを思い始めていると、言い合っているフランスとドイツにオーストリアが割って入った。「また私を仲間外れにするんですか、お馬鹿さんたち!」と怒っている。以前、欧州連合から締め出しのような扱いを受けたことをいまだに気にしているらしい。
「ったく、いつまでも争ってんじゃねぇよ、くだらねぇな。もっと紳士的にだな……」
 イギリスが口を開いたと思えば即座にフランスが噛みつく。
「うるせぇぞイギリス! アメリカがいなくなった途端にリーダー気取りするんじゃないわよー、この元ヤン!」
「んだと!? 誰がアメリカがいなくて退屈だなんて言った!!」
 そして的はずれな受け答えのままギリギリと睨み合う大国二人。
「いや、それは言ってないだろう、イギリス……」
 呆れて額に手を当てるのはドイツ。その隣で兄のプロイセンが書類で紙飛行機を折って遊んでいた。残りの大国の方にスウェーデンは目を向ける。欧州連合において大国の地位は肥大化し、その分残りの国の発言権は小さい。北欧の三人もその他の国も、大国の意見に押されてしまう。しかしその大国はと言えば、こんな感じであった。
「ロマー、チュロス食べたいわぁ。親分な、ロマの作ってくれるチュロス大好きなんやで!」
「なんだよ、仕方ねぇな……終わったら作ってやる」
「兄ちゃんまたスペイン兄ちゃんのとこに行くのー? だったら俺はドイツのとこに行こうかな」
 いくつもかわされる会話を聞いて、会議は踊るだけだとスウェーデンは思った。

「スー、一緒に帰るっぺ!」
 うやむやのまま、疲労感だけを残した会議が終わった。スウェーデンはフィンランドを連れてさっさと帰ろうと思っていた。なにせ会議場から北欧までは遠い。油断すれば帰ったころには日をまたいでしまうだろう。少しずつ暮れかけていく橙色と紫色のグラデーションも美しい空を仰いだスウェーデンは、フィンランドと共に振り返った。
「……デンマーク、なじょした?」
「おめたち二人だけで帰るなんて寂しいが!」
 なにかと北欧の面々は家族的に思っているというデンマークらしい発言だった。まるで皆の兄貴のような態度を取るからここにはいないノルウェーに疎まれるのだろう。スウェーデンも昔の禍根がいっさいないとは言わない。しかしさすがにいまさら蒸し返すことでもないと思っているというだけで。
 冷たい風に紺色のコートの裾がひらひらと揺れている。寒いなとだけスウェーデンは思った。
「なんでおめと――」
「スーさん、僕、用事があるので二人で帰ってください」
「フィン……?」
「喧嘩しちゃダメですよ〜」
 そう言うとフィンランドはつと離れ、先程までいた暖かい会議場へと舞い戻っていく。知り合いの少ないスウェーデンと違い、フィンランドにはたしかエストニアなどの友人がいたはずだ。その関係だろうかと少し首を傾げる。出るときまではそんなことは言わなかったのに。
 友人と言うと語弊のありそうな関係ではあるが、スウェーデンにも会話する相手は北欧の人間やフィンランドのほかに少しはいる。たとえば、元来無表情と言われてきたし威圧感があると言われてきたスウェーデンの意を汲みとってくれた、一時期仲間として加えてもらったスペインなどだ。会議場に入った際にも「久々やね、スウェーデン! 元気にしとった?」などと親しく話しかけてくれたものである。突如、デンマークと二人きりにさせられて戸惑ったスウェーデンの横を、その情熱の国の青年が子分と呼び可愛がる青年に腕を引かれるように通り過ぎた。
「あ、スウェーデン! またなぁ〜。あ、外につったっとると寒いで?」
「ん、また」
 ちなみに子分の方はこちらを見なかった。遠い昔の経験がいまだにトラウマになっているようである。
「帰っか……」
 ぽつりとスウェーデンはつぶやいた。そうする以外に術などなさそうだ。
「そうすっぺ。な、スー!」
 去りゆく彼らに背を向けて、北への道程を行く。自分たちの居所ほどではないが、どこに行っても冬の空気は透明で冷たい。

 バスに乗った方が早いのではないかと思ったが、デンマークはユーロを持っていないとかなんとか言って、断固として徒歩を譲らなかった。この寒い中、酔狂なことだとスウェーデンはぼんやり思う。デンマークはひたすら前を歩き、スウェーデンはその後を追いかけていた。まるで、昔の縮図にも思える。デンマークが前を歩くのを追っていた。あの頃彼は大きな存在だったのだ。
「スー、公園だっぺ」
 急に立ち止まると、デンマークは小さな公園を指さした。つられてスウェーデンも立ち止まり、指の先を見つめる。ブランコとシーソーしかないような簡素な公園だ。デンマークはこちらに向かって笑うと、走ってその中に入っていった。スウェーデンは傍目からは表情が変わらないと言われるが、相当に驚いた。橙と紫がグラデーションとなって溶けている薄暗い空、子供はひとりもいない。いたらデンマークも不思議な行動を取らなかったのかもしれないが。
(子供らし)
 デンマークは兄貴ぶるが、実は北欧五人のうちで一番子どもっぽいのではないだろうか。シーソーに土足で乗っかるのを見てスウェーデンは「やめんね」と眉間に皺を寄せてたしなめた。子どもが遊ぶ場所を土足で汚していい道理はない。強い視線にデンマークは少しまばたきをしてから、破顔した。笑うところではないのだが。
「スーはマジメだっぺ」
 鞄からティッシュを取り出して無言で押し付ける。デンマークは意図を察して、渡されたそれでついた土を払った。
「マジメもなにもね」
「子ども好きだんなぁ」
 スウェーデンは黙った。その言葉はフィンランドによく言われている。「スーさんって子ども好きですよね」と。あれはたしか、シーランドと遊んでいるときだった。デンマークにそう言われるのは初めてだ。
「ティッシュまで用意して、おめの方がフィンよりずっと嫁さんみてだな」
 自分の家に住んでいたころのフィンランドをそのように称したことは、いつのまにか北欧全員に知れ渡っていた。そのようなものだと考えていたからスウェーデンは否定したりしないが。しかしその話題になると最近では、スウェーデンの方が家事もしてくれるし奥さんのようだった、とフィンランドが言うのには困っている。実際、そういう間柄でもないというのはいまさらであった。今は共に住んでいるわけでもないし。
 デンマークはティッシュをくしゃくしゃと丸めてコートのポケットに詰め込んだ。
「スー、寒ぐねか?」
「んだら、早く帰らんか――」
 スウェーデンが背を向けると、背後から腕が伸びてきた。ぎょっとする間もなく後ろから抱きしめられて、思わず振り返ってその表情を見ようとしたけれど視線が届かない。
「こうしたら、寒くねーっぺな」
 なんてことのないように言ってデンマークは笑った。しかし、後ろを向くのを諦めたスウェーデンが視線を落とせば微かに指先が震えているのが見てとれる。まさか寒さの所為ではないだろう。
 口実が必要なのだ、と、思った。子どもではないし、昔とは違うのだから。
 回された腕は温かい。コートを着ていても、寒い。
「な、スー?」
「……みっだぐね」
「スー?」
 もう一度名を呼ばれて、スウェーデンは首を横に振った。「なんでもね」とぽつりとつぶやく。この手が温かいからいいのだ。もうそれだけで十分な理由になる。

※人名でないのはデンマークさんのお名前がまだ決まってないためです。
※親分と子分が出張っているのは仕様です。

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