両端からの愛情


 アントーニョが菊にチョコ菓子をもらったらしい。
 格別な理由もなくフランシスはアントーニョの家に来てカーペットの敷いてある部屋で二人して寝転んでいた。なにをしているわけでもないし、濃くなってきた西陽が顔に差し込んできてまぶしいとアントーニョは笑っている。日向ぼっこにしても少し遅すぎる時間だ。
 長く過ごしてきたからアントーニョといると落ち着く。この部屋もなじんでいるから他人の家という気がしなかった。自分の物など別になにか置いてあるわけでもないのに自分の家のように感じる。理由をアントーニョがそこにいるからに落ち着かせてもあまり嘘ではないだろう。まどろむ空気にこのまま眠ってもいいかなとフランシスが思い始めていると、ふとアントーニョは起き上がって抽斗を漁り始めた。そしてなにやら赤いパッケージの箱を取り出してフランシスの顔の前で振り、ふたたび寝転んだのである。
「菊んとこもフランシスんとこの菓子がぎょうさんあるらしいで。なんやったっけ、マドレーヌ、フィナンシェ、ガトーショコラ……」
 ふわふわと相変わらず脳天気な笑顔でほほえんでいる。アントーニョは甘い物が好きだし、お菓子の話をしているだけでも頬が緩んでくるのだろうか。綿菓子のように溶けてしまいそうな甘い笑みを見ているとフランシスの顔にも笑みが浮かぶ。
「あぁ、なんか菊はああいうの好きだね、結構」
 アントーニョが持っている赤いパッケージを横からとってふたたび顔の上に掲げて見た。どこかで見たことがあるような気もする。日本の商品もヨーロッパで見掛けることは少なくないし、これもその類なのかもしれない。
「チュロスも人気あるらしいわ! なんやうれしぃなぁ」
 彼のところのお菓子は他には知名度が低そうだ。前に「パエリアですよね、それなら知ってます」と菊が言っていた。本国の発音とは異なるが、多分そういうたまにあるものしか知られていないのだろう。でも喜んでいる姿が可愛かったのでフランシスはあえてそのことは言わないでおくことにした。
「あ、開けてえぇよ、フランシス」
 そう言われたので、赤いパッケージを開けてみた。中にはまた銀色の袋が入っている。それも開けるとパッケージの写真と同じ(パッケージに偽りなしということである)細長いチョコ菓子が幾本も入っていた。
 プレッツェルと呼ばれるチョコのかかっていない部分を手にとってフランシスが袋から一本を抜き出してみると、アントーニョの瞳がきらきらと輝いているのが目に止まった。彼は新しいものや変わったもの、珍しいものが好きなのだ。好奇心が旺盛で無邪気なのは昔から変わらない。彼がもらったものだからと最初の一本をその口元に差し出すと、ためらうことなくアントーニョはチョコレートでコーティングされている部分を口に入れた。食べるのに従って奥へと押しこんでいくのは妙な感じだが、ある種餌をやる母鳥のような心地にもなる。
「うん、美味しいわ!」
「甘い?」
「うーん、甘さは控えめな感じやね。食べやすいんよ」
 コメントを聞きながらフランシスも自分の口に運んだ。最初はどうとも思わなかったが、チョコレートが手につかないのは画期的である。なんというか日本らしい感じでもあるのだが。
 西洋の人は合理的らしいですね、と菊が言っていたことがある。しかし合理的と言えばこのお菓子もかなり理にかなったものであるし、もちろん西洋の人間とて非合理をすべて切り捨てているわけでもない。そんなことをなんとなく思った。隣で寝転んでいるアントーニョには不向きな議論だとも思う。もしそんなことを話したとしても話している内に眠りだしそうな気がする。
「あれ、フランシス、甘いのの方が好きやったっけ?」
「まぁ、嫌いじゃないよ」
 ともあれその赤いパッケージのお菓子は、彼の言うとおりに甘さ控えめで何本でもついつい食べられそうな代物だった。もう一本と思って袋から出せば、アントーニョが見咎めて「フランシスばっかダメや。俺にも」などと言い出して口を開ける。ハイハイと言いながら差し入れてあげればまた口に入れてうれしそうにほほえんでくれた。この顔に非常に弱い。
 たいがい自分は甘いということをフランシスは自覚している。ついなんでもしてあげたくなってしまうのだ。アントーニョがふわふわとしていてほわほわとしていて、要するにぼんやりとした感じだから傍についていてあげたくなってしまう。その笑顔が曇らないようにとしたいと思う。結局は自己満足だが。
「俺がもろたんやから、あんまりフランシスが食べたらアカンよ」
 そんな風に言いながら褐色の細い指先がパッケージに伸びる。なんだかそう言われたら素直に返したくない。そんなことを思ってフランシスが手の届かないようにパッケージを動かせば、指先が懸命に追いかけてきた。わざとからかうように何度も動かすと次第に頬がふくれてくる。むうっとしたように「フランシスー!」と呼ばれた。
「食べたいなら俺があげるから。ほら」
 口元に差し出すとまた素直にフランシスの手から齧りつく軽い音が響く。
「ちゃうねん。もっとこう、一気に食べたいんや」
「なにそれ。情緒がないよね、お前は。菊もそんな風に食べられることを望んでないんじゃない?」
 言いながら自分の口に運ぶとまたアントーニョが頬をふくれさせた。そしてまた指先が伸びる。フランシスの顔の上を通った。
「ちょ……、アントーニョ、重いって」
 そのまま上体が肩に乗りあげてきた。アントーニョの方が体格が自分よりもやや小さめだとは言ってもさすがにこれは重い。
「重いんならはよ返せやぁ」
 しかし向こうはそんなことお構いなしである。
「なんかそう言われると返したくない」
「なに言うてるん。返しぃや!」
 向こうの上体がこちらの上体に完全に乗ってようやく、彼の指先は赤いパッケージを捕らえた。奪還できてご満悦らしいアントーニョは乗り上げたまま、また一本を口に含んだ。鼻歌交じりでうれしそうに無邪気に笑っている。
「重いって、アントーニョ」
「すぐ返さんのが悪いんよ」
「ねぇ、俺にもちょうだいよ」
「えー、仕方ないなぁ。一本だけやで?」
 先ほどまでパッケージを持っていた指に差し出された。そのままつかむとチョコが手についている。合理的ではない状態だとフランシスは思った。これこそこのお菓子の望まない状況だろう。そこでふと、このお菓子の『正しい用法』を思い出した。たぶん菊に聞いたか菊のとこで知ったのだろう。
「アントーニョ、一気に食べるのはちょっと待って」
「え? まだ食べたいん? もうやらんよ」
「違うから。はい、こっち食べて」
 言いながら、チョコレートでコーティングされていない部分(いわゆる手持ち部)を自分の顔の前で軽く振った。アントーニョは顔をこちらに向けて不思議そうに首を傾げる。あげたのにどうしてと言わん表情だ。しかし言われるまま口に運んだ。それを見届けてフランシスは笑う。
「恋人が端と端から食べるのが『正しい用法』だって聞いたんだよね」
 手にチョコレートがついてしまって少しプレッツェルが見えている。それをフランシスが口に運ぶとアントーニョはぎょっとしたように目を丸くさせた。
「ほれ、ただひいん?」
 うんうんとフランシスは笑って頷く。
 だんだんと視線が近づく。
「甘い?」
 アントーニョは微妙な表情でじっと視線を合わせた。
「アホ」

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