そびえ立つ高層ビルにアントーニョは溜息をついた。別に自分の国だってビルがないわけではない。けれどそれとは次元が違うのだ。世界を背負って立つ大国というものの大きさをまざまざと見せつけられた気がした。
「Hey,Antonio! Welcome to New York!」
流暢な英語――と言ってもここでは母国語なのだから当然だが、それが聞こえてきたのでアントーニョは声のする方へと視線を移す。紳士然する兄とは異なってラフなジャケットをはためかせてアルフレッドがずかずかと近づいてきた。そのまま右腕を引っ張って抱きしめる。大袈裟なリアクションはアントーニョにも通ずるものがあるのだが、されるのとするのとでは隔たりがあった。
「アルフレッド、落ち着いた方がええで? ここ、往来やろ」
「なに言ってるんだい! 久々に会えてうれしかったんだから当然じゃないか」
屈託なく言われると弱いアントーニョである。元々親分などと自称するだけあってその気質は人間で言うならば長子。おおらかで弟分などから頼られたり慕われたりするとついほだされてしまうのだ。アルフレッドは体格こそ大きいが年齢で言えばかなり下にあたる。まぁ、ええけどな。そう呟いてとりあえず一旦引き離したに留めたのはそのためだ。
今日ここニューヨークに来たのはアルフレッドに呼ばれたがためである。彼の兄たるアーサーも自分で行くより「来い」と言う派だが、やはり兄が兄なら弟も弟なのだ。「アントーニョ、明日暇かい? たまにはアメリカ見物にでも来なよ。案内するよ! じゃあ、明日10時にニューヨークで待ち合わせだ!」という電話一本で呼び出されたのである。うんとかなんとか返す言葉も待たずに電話は切れた。メールを送っても無視されるのがオチ。仕方ない奴やなぁ、と一応ぼやいてはみたのだがそれが嫌でないのだから仕方がない。
「久々言うても、この前会議でおうたばっかりやろ?」
「そうだったかい?」
忘れてないはずなのにすっとぼけたような表情でアルフレッドは笑う。アルフレッドになにを説いても無駄だというのはさすがに学んでいたことなのでアントーニョも早々に諦めた。
「ま、えぇけど。で、どこ案内してくれるん?」
「まずは自由の女神に挨拶してこよう。アメリカ見物はそこから始めないとね! Let's Go!」
相変わらずアルフレッドはテンションが高い。アントーニョの右手首を掴んで人並みを縫うようにアルフレッドは歩き始める。街はまるでフェスティバルでも行われているみたいに人で溢れかえっていた。
(これが、世界ん中心国なんやな――)
かつてはアントーニョも新大陸に植民地を有していた。その頃からなんと発展したことだろうか。アーサーに隠れるようにして立っていた少年を思い出す。それが今の自分の手首を掴む指先の強さと繋がらなかった。思えばロヴィーノもそうだし神聖ローマだってそうだ。段々と追い抜かされていく。アーサーやフランシスは今でも世界の中心に寄り立つ国々だ。皆大きい。寂しいということもないのだが内職に追われている時はさすがにどうなるかとアントーニョも思った。そうならないようにするのが国の発展だと言うならばもう少し考えよう。
そう思って数分。
(……あかん、やっぱ考えるん向いてないわぁ)
そもそも人混みに流されながら考えるというのは難しい。歩いているとファストフードの店ばかりが目立った。アルフレッドの食生活を憂いていた自称紳士の顔が頭をかすめる。お前が育てたせいやっちゅうねん。こないにガタイばっかりようなって……ロヴィーノを見てみぃ。育てた俺が言うのも難やけどえぇ男になって――
「アントーニョ、聞いているのかい?」
「こんの騒ぎん中、聞こえる思うんか?」
自分が考えにふけっていて聞いていなかっただけなのだが、いずれにせよ聞こえないだろうからそういうことにしておく。
「じゃあ、もう一回言うからよく聞いてくれよ!」
「あーはいはい。聞いとったるから」
投げやりに言えば、免罪符をもらったとばかりにアルフレッドは勢いづく。
「じゃあ、Questionだ。アントーニョ、いつも会議で会うたびに膝カックンするのはどうしてかい?」
「そないなこと、ここで聞かなあかんの?」
アントーニョは思いっきり脱力した。聞くタイミングがあまりにもズレている。恐るべし大国。
「さっき会議って言っていたじゃないか、それで思い出したんだ」
そんなものは落ち着いた部屋の中で聞けばいいだろうに。世界は自分を中心に回っているのだと思っているアルフレッドらしいと言えばアルフレッドらしい。しかし聞いてやると言った以上答えなければならないだろう。アントーニョは少し溜息をついた。
「別に、たいしたことやないよ。あんなぁ、会議っつぅけど、俺んとこみたいなんは暇やろ? 別に発言もせぇへんし。んで、自分もあんまり気にしてへんみたいやったやん。やから、ちょっとでもかもうてくれたらなぁ思て」
「それが膝カックンなのかい?」
「嫌やったら、もうせぇへんけど」
「Never! そんなことないさ、でも、アントーニョはCuteだね!」
相変わらずの母国語混じりの会話にアントーニョは首をひねった。Neverはなんだか分からないが、後ろは聞いた覚えがある。というかアルフレッドがよく言っていた。
「Cute……『可愛い』やったっけ?」
「Yes! そうやって、英語を覚えてくれるのもね! ――テ・アモ」
ずっと英語だと思っていたら急に自分の母国語で言われたのでアントーニョは驚いた。なにせ英語圏の人間は自分たちの言語が公用語だから他国語をあまり喋れないのだ。フランシスのように自国の言葉に過剰なまでの愛と自信を持って英語を覚えないというのもいるが、たいていは不便だからと公用語を覚える。アントーニョも一応学んではいるのだがアルフレッドの言葉は時々分からない。
Te Amo.
英語で言えば、I love you.
「I love you.」と囁かれたことはある。他にも幾つも言われた。熱情的な愛の言葉はすべて英語だった。アルフレッドがほんの少しでもスペイン語を話せるなどとは思ってもみなかった。言われなれない言葉に心臓が大きく音を立てことが分かる。
「急に言うのはやめぇや」
「Wow! 耳まで赤いよ、アントーニョ?」
耳元で囁いてアルフレッドは笑う。太陽の光がまっすぐにアルフレッドを照らしていて、この世界の中心をアントーニョに知らしめているようだった。